女房が作ったクラフトテープのクリスマスリースです。
ベルはテープを巻きながら作ったとのこと。
夜中に目が覚め、寝付けない。 昨日のことが思い出される。
それから、次々と連想して眠れなくなるのだ。
① 昨日、女房とスーパーへ行った。
3歳ぐらいの女の子が「ママ、ママ」と泣きながら店内を駆けている。
俺が声をかけようと近寄ったが、たぶん女の子は俺に警戒するだろうし、周りの客も不審者が誘拐しようとしているようにしか見えないだろう。
買い物をしている女性客たちも子供を手助けしようとはしない。
もし、外へ出るようなことがあったら、そのときは止めようと、少し離れて見守る。
ママが見つかって泣くのをやめた。 そしたら俺を不審そうな眼で見ているのだ。
女の子のあとについて歩いてきた俺を、やはり変な爺さんと感じていたようだ。
声をかけなくて良かった。
② もう何年も前のことだが、宇都宮のデパートに寄ったとき、5歳ぐらいの女の子が階段を駆け足で昇ってきた。
顔が引きつっていて呼吸が荒い。 迷子だなと直感して声をかけた。
案の定、お母さんとはぐれてしまったとのことだ。
そして、こちらから尋ねないうちに女の子は、
「私の名前は○○-○子」と言う。
続いて「住所は宇都宮市○○町○○番地。
お父さんの名前は○○-○○。
幼稚園は○○幼稚園の年長組、先生の名前は○○先生」
縦板に水のように一気に説明したのだ。
こんなに説明できるのだから、災害がおきて親からはぐれてしまったとしても、孤児になることはないだろうなあ。
迷子になっても分かるように、親が訓練したのだろう。
俺は女の子の保護を店員に頼んだ。
間もなく店内放送が流れた。「○○町からお越しの○○さん。お客様が事務室でお待ちです」
デパートでは「迷子」と言わなかった。 「お客さん」だ。
気配りしているデパートのアナウンスに拍手。
③ まだ眠れない。 今度は俺が函館に住んでいた子供のころを思い出す。
戦時中だから、敵機の空襲で逃げ惑い、親子がはぐれてしまう恐れが充分にあった。
それを心配してのことか、母は俺に住所と父の名を言えるように教えていた。
「的場町12番地、お父さんの名前は○○-○太郎」
俺は繰り返し唱えて覚えた。
そこには一年ほどしか住んでおらず、国民学校へ入学のときは五稜郭へ引っ越しをした。
それから40年近く経ったとき、俺は子供のころ住んでいた所を探そうと函館の街を歩いた。
もう子供のときに暗唱した住所は忘れていたのだが、電柱の住所表示が目についた。
「的場町12」
幼い時の記憶がよみがえった。 確かに俺の住んでいた所だ。
もう、家はなくなり、街の様子は変わってしまったが、間違いなく住んでいた所だ。
俺の住んでいた所は、近くの的場中学校の校庭になっていた。
④ まだまだ眠れない。 今度は将来のことを想像する。
もし、俺がボケてしまって徘徊するようになってしまったときのことだ。
ボケた人は昨日のことは忘れてしまっても、古い記憶は残っているそうだ。
徘徊して保護された時、住所氏名を聞かれたら、現在住んでいる住所を忘れてしまい、子供のころ住んでいた所を言うかもしれない。
住所は「的場町12番地」、名前は「○○-○太郎」と父の名を言うであろう。
そしたら、俺は永久に女房の所に戻れなくなるのだ。
でも、女房が俺を探して見つけたって、「どこのどなたですか?」と尋ねるようになっているだろう。
認知症になったら、女房のことさえも忘れてしまうのだ。
だから、女房のもとに帰れても帰れなくても、どうでもいいや。
眠れない、眠れない。 眼がますますさえていく。