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八幡平に「馬そり」で、やってきた百名山提案者の
深田先人も、
この写真をみれば、たまげるだろう。
今は、別の意味で、たなげるすな。
5月の連休が始まったばかりの時代。
週休1日だから、ここに来るのが、「指折り数える」ほど楽しみだった。
こんな八幡平があったのだ。
昭和39年、人工の「構築物」は、この標識以外には、何も無かった。
(現在の「展望台」,辺り。)
ここだけではない。日本中の山には、「人工」はなかった。
奥秩父、南アルプス、八ヶ岳、・・・・・。どこも、「山」は,「聖域」の時代。
トロコから頂上まで、青年だった「管理者」でも4時間もかかった。
写真1:1965年10月。稜雲荘は、今の小屋の「前」の「前」のもの。
建っている、方向をみてください。copy right sugimken)
写真2:1964年5月、八幡沼の中からの陵雲荘。(copy right sugimken)
真3:1964年5月、陵雲荘横の落差4mの「せっぴ」から、
八幡沼にSKIで飛び込む「若者」。新婚の妻が撮影。
実は、このブログ管理者28才なのだ。
SKIは200cm、ストックは、「トンキン竹」製。
国体複合(今のコンバインド)選手だったが、
ビリの方・・・。。(copy right sugimken)
URLをたどってこちらにお邪魔しましたが・・・おそれいりました(笑)
70歳代でウルトラマラソンとは。私はフルマラソンに1回出たことがあるだけです。
昨日、観に行った楽天イーグルスの野村監督は73歳で、ベンチから出てくるのにもヨタヨタしてる感じなのに(笑)。やはり鍛錬の違いなのでしょうね。
それにしても、雪庇を飛んでる写真、かっこいいですねぇ。この年、私は4歳でした(笑)
スキーの「先輩!」と呼ばせてください(笑)
また寄らせていただきます。
ドジボさんの、「喝」、よく言ってくれました。
私は、5年前、がきんちょを、避けそこなって、ひ骨骨折しました。
ナイターで、左前の少年に追いついたのでを避けようとして、
右に進路を、変えたところに、薄暗がり前方に、クラヘルへたくそがきが、飛び出したのです。
得意のジャンプで少年を飛び越え、私の両SKIを「はずし」ながら、5m前方に、上半身から着地。少年は、頭を、ぶつけたのみで、無傷。少年のSKIが、ふくらはぎ」に当り骨折でした。
この、監督コーチは、プロでした。「上方にいたほうが悪い」、と言われ、悔しい、思いをしました。
私は健康管理のため50歳を過ぎてからランニングを始め、3年を過ぎた最近になってウルトラに興味を持ち始めました。
若い頃にスポーツをやられていたとはいえ、sugimkenさんの年齢でのご活躍、素晴らしいですね。
私も、まだまだ走れるかな~と思いながらブログを拝見させて頂きました。
訪問ありがとうございます。
クリール5月号に、「読者レースレポート、秋田100km」
投稿しました。
イチロさんは、ウルトラすでに、参加していますか?
フルの1才刻みにも、すでに参加でしょうね、50才代の入賞は厳しいですね。
当方は、どこか、痛くならない程度にボチボチとやっています。
月並みのコメントでスミマセン。
いつも、コメントありがとう。
「カテゴリー」の違う、マリーさん、よく私に訪問してくれますね。とても、うれしいです。
古い、写真を整理していたら、今の時代に「おもしろ」そうなものがでてきたのです。
今の「視点」で、ブログに載せます。
今後もみてね・・・・。
SL機関車も出てきました。私の、20才代もでてきました。