シルバー・アスリート日記

冬は全日本マスターズ・スキーレーサー、夏はウルトラマラソンランナーのシルバーアスリート日誌

秋田100㎞に賭ける思いの出版作業に、練習よりも懸命に取り組んでいる

2017-06-27 10:15:51 | マラソン

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秋田100㎞マラソンに賭ける、思いの「こと」は、
6/18に投稿した。
目下、出版に向けて「ゲラ」校正中。

第1校正は、終わって、第2校正段階。
出版社が、秋田にあるので、遠くて印刷課長と面談できない。

もどかしいが、MAILとアタッチ・ファイルを、
印刷社とやりとりしながら、作業を進めている。

表紙の「ゲラ」がきた。

写真:表紙「ゲラ」

これを校正している。

表題フォント、改良したいが・・・・。

66歳で初参加。

途中2年間中止があったが、このときも、
有志で公式コースと同じコースで、
プライベート100㎞大会(ハートマラソン大会)
を開催するというので参加した。

2回開催で、幸い2回とも完走できた。若かった。

この2回を入れると、15回参加した。

これらの参加記を全て、この印刷社の北鹿新聞社に投稿し続けた。
この記事を加筆、編集した。
年代ごとの文体・文章に思いがこもっている。
顔も文章も変化している。
が、ほぼありのままにした。

シルバーの白髪がふえたな・・・、脚の筋肉が衰えたな・・・・、
だが、この15年間で素晴らしい、仲間が増え、
コースボランティアの「お姉さん」達にも、

毎年声援をもらえるようになった。

第2回目の校正が完了して、印刷社に発送した。

読み返すと、胸が締め付けられるような、感慨と感涙がわき起こる。

 

 

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「秋田100㎞マラソンに賭ける」出版 裏話

2017-06-23 16:55:09 | マラソン

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秋田内陸100㎞大会には、
H14年(2002年)から、H28年(2016年)まで毎年エントリーした。
2年間の大会休止期間は、有志で、鷹の巣スタート、比立内折り返し100㎞の
大会(ハートマラソン大会)開催。この2回は完走した。
公式には、8回しか完走していないが、
この有志のハートマラソン大会の2回を加えると、

10回完走した。

計15回エントリーした、奮闘記を全て秋田県の北鹿(ホクロク)新聞に投稿した。

これらの記事を編集し、加筆して、
「秋田100㎞マラソンに賭ける」と言う、
書名にして出版する予定。

この大会に参加続けているうちに、完走し続けたい、
との執念のようなものがわき起こってきた。

初参加記を、第1話とし、毎年の分を第2話、第3話・・・と続けた。

年を追うごとに、シルバーは齢をとっている。
すでに、80歳を越えた。
文体も、変化した。修正したい部分は、多々あったが、あえて修正しなかった。
高齢ランナーの、励みになればとの思いが詰まっている。
この変化も含めて、「執念」をお届けしたい。
どのように、配布・販売するか、検討している。

今年の、秋田100㎞大会までには完成・出版したい。



そのうちの、H28年(2016年)の投稿記事を、以下に掲載する。

大きな紙面を縮小したので、読みにくいかもしれないが、
お許しをいただきたい。

H28年(2016年)大会記。
2日にわたり掲載された。
H28年12月9日付け掲載記事。(上)


 

H28年(2016年)12月10日付け記事(下)

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66歳で初マラソンが、秋田内陸100キロ大会。参加15年間の「奮闘記」を出版準備中

2017-06-18 11:44:48 | マラソン

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H14年(2002年)、初マラソンが、秋田内陸100㎞大会だった。66歳。

学生時代は、クロスカントリー・スキーの、インカレ3部の選手だ。
社会人になってからは、
秋田に単身赴任、
トレーニングを兼ねて、北東北の山にテント泊で、歩いていた。
および、SKIは、指導員の資格を持っているので、
もっぱらアルペンSKIのレッスンをしていた。

「スキーヤー、登山家は走れないだろう」の一言に、反論した。
「100㎞は軽い」との思い。

H14年たった、2か月130㎞の練習で、秋田内陸100㎞をスタートした。
75㎞で、動けなくなり、完全に打ちのめされた。

収容バスで「揺れる鷹の巣橋」を渡りながら、
大覚野峠を一緒に
走ったランナーが窓越しに見えたときは、
練習を甘く見た、自分のなさけなさに、涙が止まらなかった。

心を入れ替え、100㎞ランナーを「尊敬」する気持ちをもって、
翌年から、チャレンジスタートした。
それから、連続7回完走。
2006年、2007年の大会2年間休止期間は、
仲間有志で、鷹の巣
から50㎞地点の比立内往復100㎞大会2回かいさい。
この2大会も完走した。計9回完走。

その後、続けて参加したが、長男の急死もあって、
5回参加して、1回しか完走できなかった。

だが、2014年78歳で、「長男と共に」計10回目の
完走をはたした。

これら15年間の「奮闘」はその都度、
秋田県北部の北鹿新聞社に、投稿し続けた。

ラン友達から勧められて、この「奮闘」記を本にまとめることにした。

400字原稿270枚、カラー写真60枚になった。

H28年(2016年)秋田大会終了後、直ちに準備開始。
8か月かかり、今年5月にようやく第1校正が完了。

この準備作業中、12月下旬に加齢によるのか、マラソン原因なのか、
脊柱管狭窄症発症。
この難病が治癒した直後、4/12、自転車操作ミスにより肋骨3本骨折。
懸命にリハビリをした。
家族から「引退勧告」が出ないよう家事も積極的にこなした。

ようやく準備ができた、書籍は、
「秋田100㎞マラソンに賭ける」との表題にした。

66歳の「高齢」になってから秋田内陸100㎞を走る、
高齢ランナーとしての「奮闘」記。

秋田100㎞は今年もエントリー済だ。

目下、団塊の世代ランナーが、シルバーの後に続いている。
彼ら、彼女らに少しでも参考になれば、
との思いを込めて、編集、加筆した。

完成したら公表します。

たくさんのランナーにおくりたい。

写真2005年、秋田100㎞参加して4年目。
秋田100㎞の練習をかねてフルマラソンに初参加の
マスターズマラソン選手権大会北上大会ゴール。69歳。

この2週間前に、秋田100㎞を完走している。

 

 

写真:2014年、78歳、秋田内陸100㎞大会、最高齢完走の瞬間、
「リベンジ」と叫んだとおもう。

公式8回完走、有志大会2回完走、計「10回」目の完走だ。

 

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2017年、10枚目のランキング証をどうやって獲得したか・・・・・

2017-06-10 07:05:09 | マラソン

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全第13回、日本マラソンランキングが5/22、ランナーズ誌に発表された。
ネットで検索もできる。

シルバーは、マラソンを始めたのは高齢になってから。
H14年66歳のとき、秋田100㎞大会が初マラソン。
初フルマラソンはH17年、69歳のとき、
全日本マスターズマラソン大会・北上大会だ。


若い時は、クロスカントリースキーの選手。インカレ2部3部の選手だった。
陸上を走っても、せいぜい15㎞だった。
フルマラソンは全く未経験。

H16年第1回マラソン・ランキングが開催された。
「フルマラソン1歳刻みランキング」という、名称だった。

1歳刻みだから、「同級生」と戦うのは、おもしろい、
となり、乗ってみることにした。

H17年第2回ランキングから、この「大会」に参加した。
第2回の参加者は約8万人。指定大会は48しかなかった。
まだ、東京マラソンは始まっていなかった。
H17年第13回ランキングは、
参加者は36万人にもなり指定大会も79になった。




H28/12月に脊柱管狭窄症になったため、今年度は、ダメか、と暗くなった。
幸い、治癒したので、今年度、最後の指定大会、3/26佐倉朝日大会に参加できた。

記録は、去年より悪く、残念は残ったが、5時間14分の記録は残せた。
ランキングは、1桁の8位だった。
やった・・・、満足だ。

しかも、10枚目の、ランキング証を獲得できた。

80歳以上のランキング・イン・ランナーは、
110人「しか・も」いた。
110人中28位。

最高齢は91歳、上野山 馨さんだ。
H24年から連続6年、3位以内。

「高い」目標だ。
シルバーより、10歳も年長だ。

シルバ―にとっては、記念の10枚目の、ランキング証。

上野山さんを目標に、もう少しがんばってみよう。


 

 


 

 

 

 

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脊柱管狭窄、肋骨骨折3本から、生還して、柴又60㎞大会でスタートできた。

2017-06-08 10:18:29 | マラソン

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4/12肋骨3本骨折。
仮治癒したのが、5/18。
2週間と2日間、ラン練習したのみ。

去年は、8時間9分で完走した。
このタイムより早くゴールは、できないだろう。

目標は、
30㎞、稲毛30㎞3時間26分
42㎞、佐倉5時間9分
50㎞、2016年柴又6時間36分
とした。

病み上がりだから、このタイムより速いタイムは、望めないだろう。

最高気温25℃の予報。
だが、向かい風7m/sec,涼しいが、暑さに変わりはない。
27℃ぐらいはあっただろう。暑ーい。

21㎞から、けいれんが始まった。
22㎞地点でシャクヤク甘草湯と胃薬、服用。
けいれんがひどくなり、32㎞地点で、再度服用。
スピードアップすると、
左右ふくらはぎ、大腿四頭筋、右足首のけいれんが続いた。

練習会なら、とっくに、ラン終了の気分だ。

50㎞地点に、6時間51分で到着。

まだ、戦える、気力を探した。
かすかに残っていた気力を引張りだした。

81歳のシルバーの残り少ない、ラン時間を、放棄しては、いけない・・・・。
脊柱管狭窄、骨折を乗り越えた、ではないか。

まだ2時間8分ものこっている。
歩いてもよいのだ。
だが、1回も歩かなかった。
どんどん抜かれ始めた。

頭に水、顔を水で洗い、脚と背中にも水。
背中にかけた水がランパンツにまで入ってきた。
この、グチャットした、水もあっと言う間に、乾いた。
けいれんを抑え込みながら、しこしこと、同じペースですすむ。
食欲は、もうなくなった。

スタートの時、はなしかけられた、黒いウエアーの美女2人。
30㎞で追いつかれ、その後、抜きつ抜かれした。
ついに、50㎞で過ぎに、スーッと行ってしまった。

9分30秒~9分40秒/㎞のスピードで、前進。
歩いている選手は抜いたが、抜かれるほうが断然多い。
「歩くな、歩くな、と心で叫ぶ」

8時間28分1秒でゴール。

背中ビブ、大会中、見覚えありますよね・・・・
完走証とメダル。


70歳以上で、5位ぐらいだろうか。
11歳も「若い70歳」の速いラン姿は、まぶしい。
最後の10㎞は、1時間37分かかった。
10分/㎞より計3分速かった。歩くより少し速いレベル。

秋田100大会で、このスピードでは、50㎞の比立内の第2関門も、こえられない。

だが、病み上がり状態、スピード、これがみな「実力」だ。
90歳の、ジー様から見れば、シルバーはまだ、若者かもしれない。
60㎞も走れるなんて、すごいと思うだろう。

50㎞地点で、74歳と、ビブに記した、選手が、
「去年、若いなーと、私に声かけてくれましたね・・・、またお会いしましたね」、
とエールを送ってくれながら、先に行った。

走れて、しかも、締め切りまで、30分も残して完走だ。
走れたことに感謝のランだった。

9月の、秋田100㎞に向けて、地道な練習をしよう。

黒いウエアーの、素敵な美女お嬢ちゃん2人、Noも覚えていない。
ゴールで出迎えてくれた、ありがとう。
コメント、まってます・・・・。




コメント (4)
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