シルバー・アスリート日記

冬は全日本マスターズ・スキーレーサー、夏はウルトラマラソンランナーのシルバーアスリート日誌

2019秋田内陸100㎞マラソン、50㎞の部 最高齢完走、5年ぶりの完走

2019-10-13 11:28:14 | マラソン

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5年ぶりのゴール。

78歳(H26年)の時100㎞の部で、完走したのが、最後の完走。
それ以来連続4回、100㎞でDNF。
今年は、何としても、綴子大太鼓の音を聞きたかった。

50㎞の部にしたので、ゴールできた、・・・とはいうものの、生易しくなかった。

鷹巣商店街から、右折すると、かすかに、太鼓がみえる。
ゴールまで残り、400mだ。
もううす暗いのと、老眼と汗でストップウオッチが見えなかったので、
予備の1分刻みの、トーキングウオッチが
「ただいま、午後5時27分」と発声した。

3分しかのこっていなかった。
しかし、誤差は30秒ある。危機感いっぱい。

 

この400mを6分/㎞で走れる選手は、とっくにゴールしている。
そして、6分/㎞で走れない選手は、ここまでたどりつけない。

シルバーは、後者だ。


 

5年ぶりに、ゴールできるか。この3分にかかっている。

 

練習で、400mを6分/㎞のスピードでランすると、2分24秒とわかっていた。
しかも、練習でこの速さは、めったに出せなかった。

H25年に、99.97km、30m手前で、競技終了の煙火があがった。

また同じ状況になった。

だが、この対策として、
どんなに長い距離を練習で走っても、最後の400mは全力で走る練習をしてきた。

とはいうものの、だい7関門《93.4㎞》から、全力で走ってきた。
その、「つけ」がきている。
胃がむかむか、過呼吸、筋肉痛、
力は、前頭葉にがんばれの命令意識がのこっているだけ。

もし、嘔吐するか、心臓が破裂して倒れたら、
転がっても、ゴールする、との命令。

ゴール前、約100mで、「30秒前だよ・・・」と大声がきこえた。
この、友人のカウントの声に交じって、
恒例のゴールオフィサーによる「10秒前」のカウントが始まった。

なのに、まだ30mもある。
ゴールは、地平線のかなた、のようにおもえた。

 

6分/㎞は、2.78秒/mだ。残り10秒だと27.8mしか進めない。
間にあわない。
もう1回ギアーを入れ直し、エンジンの回転数を上げなければならない。
ゴール前7mで左折する、この7mが長いのだ。

「どとう」のような応援と、
綴子大太鼓奏者も力はいったのか、音がひときわ大きくなった。
声援と、太鼓で、辺りの空気は轟音で、うめつくされていた。
だが、シルバーの頭の中は「シーン」と静まりかえっていた。

ゴールに倒れこんだ。

6時間59分58秒でゴ-ルした。
締切は、6時間59分59秒99だから、1秒99のこっていた。

箱根駅伝の予選は、10人の選手の合計タイムで争う。
1秒負けて、本戦に出られなかったチームがいた。
早稲田大学だ。
監督が、1秒の重みをかみしめねばならない・・・・、と語っていた。

シルバーも、今回は、この1秒をかみしめた。

こんなきわどい、1秒を実感したのは、はじめてだ。
でもゴールは、ゴールだ。

後ろに、DNFした98人の選手は、もっと悔しく、残念の気持ちだ。
この選手たちに思いをはせる。

残り約100m付近で、だれかが、
「残り30秒、29,28,26・・・」とカウントしてくれた。

秋田県の女性の100㎞ランナーだと、あとでわかった。
天の女神の声だ。
ものすごい励みになった。
こんな力の入った、素晴らしい応援を受けたのは、はじめてだ。
シルバーの、著書「秋田100㎞マラソンに賭ける」の愛読者だった。

見知らぬひとも、皆大声援だった、という。
シルバーは、秋田県の皆様に愛されていると実感した。

これで失敗したら、もう止めようと考えていたが、来年もまた走ろう。

 

写真:6時間59分58秒の完走証、これは、宝ものだ。
こんな、締切1秒前の完走証は、意図してもらえるものではない。

83歳で完走は、手元の、記録がある、2002年以降の最高齢完走記録だ。

写真:ゴール前。

左の選手は100㎞最後のゴール選手。シルバーのラン友。
右の手が「女神」らしい。 

 

写真:ゴールに倒れこんだ。

過呼吸、筋肉痛、胃がむかむか、意識は、もうろう、前頭葉だけが、残っていた。。

 

写真:「ゴールしましたか?」

「ゴールですよ…」の声に、意識が一瞬スーッときえた。

 

こんなきわどい写真を撮ってくれたのは、

シルバーの著書「秋田100㎞マラソンに賭ける」の
写真撮影を担当してくれた、武博さんだ。

 

今年2019の秋田内陸100㎞大会は、終わった。

 

 

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2019/9/22秋田内陸100㎞マラソン大会 参加記(ようやく50㎞完走) その2、

2019-10-06 11:14:38 | マラソン

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秋田内陸100㎞大会、50㎞の部に参加。
鎖骨骨折中だが、参加した。

なんとか、ゴールはできた。
なんとも、情けないゴールだった。
いや、ゴールできなかった選手の思いも、背負って走ったと思いたい。

きわどいゴールでなにを思ったか。

DNFすると、1年間は、情けない思いを心に抱きながら、
また、1年間練習せねばならない。
79歳から82歳まで、4年連続100㎞の部をDNFした。

 

5年間も、この辛い思とともに練習してきた。
この辛い気持ちを再び味わわねばならない、「恐怖」を
何としても消したかった。
ハングリーだった。

家族、ラン友からは、がんばれの励ましはあるが、
本音は、「もっと楽な種目に変更すれば・・・」と言うことだろう。
だが、スタートしたら、「やっぱり、無理だっただろう、それみろ・・・」、
との声が聞こえる。
何としてもゴールしよう。

鷹巣商店街から、右折して直線400m、最後に左折して7mでゴールゲート。
9/21に、この7mを確認した。
ここで、「死闘」するとは、まだまったく考えてはいなかった。

秋田県のラン仲間から、ゴール直前のラン状態について続々とメールがきた。

 

ゴール手前60mぐらいから、大声で30秒カウントしてくれた、と言う。
誰の声かわからなかったが、シルバーの著書「秋田100㎞マラソンに賭ける」の
購入者のみなさんと、そのうちの一人の、女性100㎞ランナーだった。
大館消防の100㎞ランナー有志にうながされて、走りながら大声でカウントしてくれた。
30歳台の「樹理」さん。シルバーにとっては「女神」のような100㎞ランナーだ。

ゴールオフィサーの恒例の10秒カウントが聞こえた。
ゴールまで、まだ20mも残っている。

6分/㎞のスピードは、2.78m/秒だ。
この20mを、7秒で走り抜け、力尽きて、ゴールに倒れこんだ。
シルバーは、秋田県100㎞ランナーに愛されている、と実感した。

50㎞レースは終わった。4連敗から抜けだせた。
50㎞✖2=100日間は満ち足りた気持ちになれる。

鎖骨、異常はなかったようだった。

そして、来年も走れる。

写真:まだ、元気一杯。

女性3番目高齢 友人(右)。
今回5回目50㎞完走、
しかも「自己ベストタイム」6時間15分だった、と言う

 

写真:
カウントオフィサー、らしい。

写真:

ゴール20m手前、10秒前?最後の「死闘」。

写真:上登同じく、ゴール手前20m、10秒前?

 

写真:ゴールに倒れこんだ。
過呼吸、筋肉痛、胃がむかむか、状態だった。

 

写真:「女神」さんに、「ゴールしましたか」、「ゴールしたよ」、
もう、意識もうろう。

ゴール手前、500mぐらいで、公式巡回の奈良医師、曰く、
シルバーの目も身体も、「正気ではない」のでゴールは、
できないだろう、と語っていたという。

こんなきわどい、写真は、シルバーの著書の撮影者,武博氏撮影。

 

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2019/9/22秋田内陸100㎞マラソン大会 参加記録 その1

2019-10-02 11:39:04 | マラソン

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秋田内陸100㎞マラソン、連続15回目の参加記

2002年(H14)66歳で初マラソンが、この秋田内陸100㎞マラソン。  
初参加は、練習量、たったの135㎞で参加した。      
75㎞で足裏が焼けつく痛さになり 体力的に、リタイアー。    
2003年から、2011年(H23年)75歳まで、連続7回完走。途中2回大会中止。
2011年(H23年)で、連続完走が途切れた。        
                 
2012年96㎞で時間切れDNF。           
2013年99.95kmで時間切れDNF。          
このDNFは、生涯忘れない。          
「秋田100㎞マラソンに賭ける」第14話・P147に述べている。    
2014年、78歳で、リベンジできたが、完走はこれが最後。    
2015年(79歳)から2018年(82歳)は、連続4回、時間切れリタイアー。  
                 
ようやく、「目が覚めて」、限界を悟ったのと、        
たまには「ゴールの綴子大太鼓」の音を聞きたくなった、    
ので、今年は50㎞の部にエントリーした。        
                 
若かった、時(75歳の時)は、50㎞地点通過は、      
毎回7時間以内だったので、もし50㎞にしても、      
軽く完走・・・・、と考えていた。          
                 
今年初の50kmは5年ぶりに「ようやく」締切約4秒前に完走した。  
                 
では、何で「ようやく」だったのか。          
このカテゴリー皆様は「若い」から、完走はもちろん、      
完走タイムを設定している。うらやましいかぎりだ。      
シルバーの、同年齢ラン友は、全員とっくに、引退した。    
50㎞の部にも、エントリーしていない。        
                 
75歳からは、外傷性障害が、以下のように発生・発症した。    
2016・80歳から、連続4回DNFの原因。        
2017・81歳:脊柱管狭窄症(原因不明)        
2017・81歳:肋骨3本複雑骨折(自転車留めを通過中転倒)     
2018・82歳:足首足根洞炎(ラン練習中発症自覚なし)      
2019・83歳:鎖骨複雑骨折(ラン練習中、未舗装歩道で転倒)    
                 
外傷が多発したのは、100㎞は、「もう100㎞は無理」と、    
マラソンの神様の声だろう。            
                 
軽い、と考えていた、50㎞でもゴール手前で、あがいた。、    
                 
友人が、ゴール約80mから、          
30,29,27、・・・とカウントしてくれた。          
ゴール係員も、30m手前から、「10」カウントした。      
10,9,8・・・・              
                 
                 
ゴール手前50mは、少なくとも、秒速2.8m(6分/㎞)以上のスピードで走ったと思う。
ゴールと同時に、倒れてしまった。          
                 
意識もうろうのもとで、「完走ですか?」と聞いた、      
大丈夫です、と言いながら、「完走」タグを首にかけてくれた。    
そこからは、目を開けていられなかった。        
                 
あとから、考えると、なんとも情けない、ゴールだったが。    
ゴールできなければ、もっと情けなかっただろう。      
                 
2013年の失敗を、5年間かみしめて、        
練習で30㎞走った最後でも、ゴール手前の400mは、      
大会の、最後の直線400mを想定して、        
6分/㎞以上で走る練習を、臨場感をもって練習してきた。    

 来週には、公式式結果が公表さされるだろう。

公式結果をもとに、写真も、投稿する予定。

 

 

             

 

 

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