スーパーに「物資」が無いくらいでは驚かない。
この「物資」という「言葉」にほろ苦い太平洋戦争直後の生活苦が重なる。
東京からたった100kmの「田舎」に避難(当時は疎開と言った)していた頃のこと。
昭和21年、当管理者は小学高学年・・・・。
「物資」とは生活用品のこと。
戦後の混乱期に、大人たちが多用した言葉。
もう死語になっていたはずなのに「生き返った」不思議。
当時の不足「物資」は、
マッチ、長靴、手袋、爪切り、紙、砂糖、便所紙・・・・。
今から思うと不思議な「物資」を多くの人がもとめていた。
マッチが無いと、薪で炊くかまどに火を付けるのがまことに困難。ローソクなどは手にはいるものではない。乾電池などあろうはずがない。
長靴は、南方領土が無くなったので、ゴムが無いので、昭和17年製のとっておきの物しかなかった。雨の日でも、本当のわらじをはいて学校にいったもの。
手袋なんて、昭和27年ごろにやっと見た。手先はセーターの袖口を力任せに引っ張って
中にいれたものさ・・・・。
爪切りは、雀のお宿の、和裁用のはさみで切るしかなかった。
紙は、全くなかった。新聞など見たこともない。
ざら紙の半紙が「配給」で回ってきた。鉛筆で書いて、その次は筆で習字、その次は「トイレ」に落とす。
砂糖などは、サッカリンがあれば大喜び。栗やサツマイモのあまさが、何とも甘美だった。
大昔、「びんずる」があこがれの甘さだったという。こんな優雅な時代もあったさ・・・。
てなことで、トイレット・ペーパーを買占め?とんでもない。
母親がどこからともなく収集してきたあらゆる紙きれをくしゃくしゃと
もみほぐしておいてくれた。
当管理者は、マラソン少年だったので、いつも「桑」の葉っぱを愛用したもの。
2~3年前、秋田100㎞の現地練習で、吉田と阿仁前田(スタートから70km地点)で
昔とったきねずか。とばかりに、コナラかミズナラの葉っぱで「用事」をすませたのだが
葉っぱの産毛にやられてちくちくと痛い。「腕」もおちたものだ。
トイレット・ペーパーがスーパーなどから、真っ先に無くなってしまった。
「お父さんはもっと物資の無い時代を生き抜いてきた」とうそぶいたが、現代には通用しないか。
水洗トイレには新聞紙は無用・・・・。
いや…読むのにやっぱ必要さ。あの密かな読書時間は放棄できないな。
この「物資」という「言葉」にほろ苦い太平洋戦争直後の生活苦が重なる。
東京からたった100kmの「田舎」に避難(当時は疎開と言った)していた頃のこと。
昭和21年、当管理者は小学高学年・・・・。
「物資」とは生活用品のこと。
戦後の混乱期に、大人たちが多用した言葉。
もう死語になっていたはずなのに「生き返った」不思議。
当時の不足「物資」は、
マッチ、長靴、手袋、爪切り、紙、砂糖、便所紙・・・・。
今から思うと不思議な「物資」を多くの人がもとめていた。
マッチが無いと、薪で炊くかまどに火を付けるのがまことに困難。ローソクなどは手にはいるものではない。乾電池などあろうはずがない。
長靴は、南方領土が無くなったので、ゴムが無いので、昭和17年製のとっておきの物しかなかった。雨の日でも、本当のわらじをはいて学校にいったもの。
手袋なんて、昭和27年ごろにやっと見た。手先はセーターの袖口を力任せに引っ張って
中にいれたものさ・・・・。
爪切りは、雀のお宿の、和裁用のはさみで切るしかなかった。
紙は、全くなかった。新聞など見たこともない。
ざら紙の半紙が「配給」で回ってきた。鉛筆で書いて、その次は筆で習字、その次は「トイレ」に落とす。
砂糖などは、サッカリンがあれば大喜び。栗やサツマイモのあまさが、何とも甘美だった。
大昔、「びんずる」があこがれの甘さだったという。こんな優雅な時代もあったさ・・・。
てなことで、トイレット・ペーパーを買占め?とんでもない。
母親がどこからともなく収集してきたあらゆる紙きれをくしゃくしゃと
もみほぐしておいてくれた。
当管理者は、マラソン少年だったので、いつも「桑」の葉っぱを愛用したもの。
2~3年前、秋田100㎞の現地練習で、吉田と阿仁前田(スタートから70km地点)で
昔とったきねずか。とばかりに、コナラかミズナラの葉っぱで「用事」をすませたのだが
葉っぱの産毛にやられてちくちくと痛い。「腕」もおちたものだ。
トイレット・ペーパーがスーパーなどから、真っ先に無くなってしまった。
「お父さんはもっと物資の無い時代を生き抜いてきた」とうそぶいたが、現代には通用しないか。
水洗トイレには新聞紙は無用・・・・。
いや…読むのにやっぱ必要さ。あの密かな読書時間は放棄できないな。