八幡平頂上の避難小屋「陵雲荘」を始めて利用したのは、
昭和39年だっただろうか。
蒸けの湯まで、バスを乗り継ぎ、そこからは、歩いて、ここに来た。
「岳人」や登山経験者しか、ここには来ない秘境だった。
この小屋をみると、ほんとうにほっとした。
昭和31年の冬、松尾から、SKIでここに入った、スキーヤーが
5人(と聞いている)が、この小屋にたどりつけず、
ガスと寒さで、凍死した。
昭和39年は、その「うわさ」がまだ、生きていた。
真冬は、来れなかったが、3月以降には、何回もここに来た。
写真:この小屋は、H14年に取り壊され、現在の小屋になった。
往年の「岳人」にとっては、懐かしい小屋ではないかな。
八幡平、頂上の無雪期の写真ありました。
2001/11/11。すでに雪がありました。
11/4で、アスピーテ・ライン施錠閉鎖。
蒸けの湯温泉から、7km歩いて、のぼりました。
この、展望台の大きさ、昨日の、雪の季節のものと、比較してください。
No300の標識以外は、全て現在のものと、同じもの、ですよ・・・・。
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八幡平の頂上には、木製サークル状の展望台がある。
夏も冬も、「我輩のビヤ・ガーデン」、なのである。
この、木製の感覚がなんとも、気持ちよい。
頂上の毎年の、雪の状態を、観察してみた。
2002/4/27
この標識は、毎年同じものだから、この年は、雪が少なかった。
2003 左ふくらはぎ、SKIで大怪我入院中、データなし、トホホ・・・・・。
2004/4/18 この年も雪は、少なかった。
この年から、秋田側「アスピーテ・ライン」
の除雪が、4/10頃に早まった・・・、と記憶している。
例年だと、4/10に、ここまで来るのは、「至難」だった。
2005/4/12 雪は、平年並か・・・
2006/4/23 雪は、やや多い。下界は「H18豪雪」だった。
「300」の標識,が新品になった。
2007/4/22 大雪のもよう。下界は、雪少なく、農作不良・・・
除雪の、翌日4/11に、まだ標識の「竹ざお」の無い時期に来た。
コンパすも、持たずに、見返り峠に向ったが、
「ルンド・バンデリング」して、しまった。
同じところを、グルグル2回もまわってしまい、敗退。
「竹ざお」設置の前の時期はスリルがある。
2008/4/28 雪が早く融けて、「花見」より,花が先に咲いてしまった。
山の雪も例年より、2mもすくなかったか、早く融けたか。
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「1歳刻みフルマラソン・ランキング」とは。
ランナーズ誌が主催する国内フルマラソン:日本陸連公認コース使用の48大会、
の完走者対象。
これらの大会のデータを、2007/4/1~2008/3/31の期間で、IT集計して、年令1歳ごとに、並べ直したもの。
「100位入賞」すると、ランナーズ誌7月号の別冊付録に、氏名が掲載される。
(この解説は、ランナーズ誌の説明を、当ブログの「管理者」が、アレンジしたもの)
全参加者は、114,520名。
大会で、入賞できなくても、「100位入賞」をめざす、ランナーが多い。
静かな、ブームになっている。
4時間を越えても入賞可能年令は、
男67歳以上、女20歳~31歳と49歳以上。
このブログ管理者も、
2004~2005 フルマラソンまだ、始めていなかったため、不参加
2005~2006 69才初マラソン、4時間32分 71位
2006~2007 70才4時間16分 43位
2007~2008 71才4時間22分 30位
何とか、「100位入賞」だ・・・・。
写真:2007年北上、全日本マスターズ・マラソン大会 2位。ランキング対象大会。
昨日の写真の中央部の拡大。見上げるような絶壁。
上からみると、アルペンSKIなら「血」が騒ぐような斜面なのだが。
この斜面を、友人とクロカンSKI滑り降りてきた。
うそだ・・・、本当は、「滑落」したんです。
クロカンSKI で、この斜面を、斜滑降中、SKIが緩んで、手をついたのです。
斜面は、30度、あっという間に「横滑り」、ま、滑落ですね。
頭から、下向き・・・・。
え、岳かばの木が、グングン迫ってきて、すぐ10m下に見える。
自分より斜面の上にある脚を持ち上げる時の恐怖・・・に絶えて、
SKIを身体の下にした時、岳かばの木が、
顔の横を、上にすっ飛んでいった。
そのすぐあと、また次の、岳かばが、迫ってくる・・・・・、
SKIを岳かばに、タッチさせて、止めよう・・・・、甘かった。
腰が当ってしまい、まだ止まらない・・・・ズンズクしたに向う。
小さな平地で踏ん張って、やっと止まった。
上部にいる、友人に、まず、「しんぱいするな・・・」。
と叫び、放心状態。
「事件」は、重篤ではなくて、「いがった」。でも、腰が「やばい」痛さ。
「愛人」のはずの八幡平に噛み付かれてしまった。
ブシ谷地の「絶壁」27度~30度の滑降。お試しくださいな・・・・。
堪能しまっせ・・・。
写真:2008/4/13、この写真の中央上部に、ほんの少し見える雪のなかで、
「奮闘した」のだ、その10分後の映像ですよ。
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八幡平から、蒸けの湯方面への、一般SKIルートはほぼ西に滑る。
夏の登山道とほぼ、同じ。
頂上から、すぐに一般ルートから分かれ、北西の田代平に向かう。
SL1530m高地を越えて樹林帯に入っり、さらに北西に進む。
見通しの悪い樹間をしばらく下る。
SL1350m当りでSKI場が見え始める。
ようくみようと近づくとブシ谷地に、ドーンと落ち込む、「絶壁」がでてくる。
夏は、長沼経由の藪だらけの登山道があるので、
少しは人が通る。熊も通る。
この絶壁を、滑るのだ。スキーヤーは、絶対にこない。
ブシ谷地から見あげると、ブナ林を通して、青森トドマツと雪のコントラストが
なんとも、美しく、心が躍る景色だ。
八幡平蒸けの湯から、クロスカントリーSKIまたは、
アルペンSKIならシール装着で歩く。
長沼を越えて、急な広葉樹林帯を登り、
針葉樹林帯の尾根を「迷いながら」進む。
晴れていれば、遠くに絶壁が見える。少し下ると、パット雪原が広がる。
視界良好かつ、迷わずに進めば、1時間30分で到着する。
ガス中なら、到着しない・・・・、かも。
夏は、藪で、そんなに広いスペースはないのだが、
春は気持ちの良い広々とした、ブシ谷地「雪原」だ。
大好きな、マイ・プレース。
昼など絶壁や雪原と一体になりながら飲むビールの、旨いこと・・・・・。
写真:2008/4/13撮影、ブシ谷地、夏はこんなに広くは無い。
大部分が、藪に覆われ展望は無い。
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八幡平の蒸けの湯から、クロスカントリーSKIまたは、
アルペンSKIならシールを着けて歩く。かなりの登り下りが、待ち受けている。
30分~1時間だろうか。道標はない。
沼が、凍結しているので、雪原のようにみえる。
ブナの樹林を越えると、突然パーット広がる雪原、
なんともいえない開放感と爽快さが、たまらない。
八幡平にも、こんな風景があるのだ。
写真:2008/4/13の長沼
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樹氷の時期に八甲田・大岳に登れる確率は50%位だ。
前日のみぞれ交じりで大岳頂上部が全部アイスバーン状態、
低気圧の通過でものすごい強風、
ひどいガス・・・・
等になって、大岳登頂を何回断念したことか。
この年は、好天・無風でしかも、よい深雪。
酸ヶ湯から湯坂を登り、毛無岱経由にしてみた。
ふかふかの雪の中を進む快感。大正解・・・。
こんな年に、毛無岱から櫛が峯が、くっきりみえる。
むむ・・・・、この春は「櫛・・・」に行こう、と心に決めてしまうのだ。
このあと、もちろん、大岳から仙人岱に向けて、深雪まみれ「大滑降」ができた。
写真:少し古いが、H13年3月、毛無岱から見える櫛が峯
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八甲田山・・・・と聞いただけで、身震いする時期があった。
SKIがうまくなりたい・・・と真剣に思っていた時期か。
夏になると、大岳の北斜面には、いつも「氷のような」雪が、残っていた。
300mほどの「氷のような」斜面の最下低にアオノツガザクラ、チングルマの群生する
草原がある。
その草原で、三浦雄一郎氏が、毎年テントを張り、
全日本選手権大会のための練習をした、と青森の先輩指導員さんに、
いつもきかされた。もちろん、今は立ち入り禁止だ。
私は、秋田からこの「氷のような斜面」に三浦さんに負けじとばかりに、
60回「通った」。
だが「資金不足」のため、八甲田ゴンドラには、1回も乗ることはなかった。
写真:1986年6月大岳北斜面を、「チョッカル」ヤングスキーヤー準指導員、
今はジーサマだ。この次の冬、練習の甲斐あって、指導員とやらになったらしい。
めでたし。肋骨、鼻の骨、骨折たった2回だ、と言う。
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八甲田山に「通い」始めて、まだわずか・・・・と思っていたら、25年、
自分も年をとっていた。「しゃれ」にもならない。
南八甲田、北八甲田とも、よく登った。昭和50年代・・・・からだ。
北八甲田には夏も、よく登った。
北八甲田、大岳には夏の「ある」5年間、SAJ指導員資格をとるための
SKIの練習目的で通いつめた。
4月~7月、月に3回~4回登ったから、その間だけでも60回は春夏SKIの
目的で登ったか・・・・。
今、見ると涙がでるほどいとおしい、「大岳北斜面」だ。
夏は「恐怖」のスプーンカットバーンになる、ビビッタもの・・・。
毎週小屋泊。週休1日時代だから、登るのはいつも夜。
7月、朝食前に、小屋から抜け出し、仲間を出し抜いて、
ガスの中、スプーンカット・バーンを滑って、チョットお手つき転倒しただけなのに、
肋骨骨折。だが次の週も登った。
この練習の、成果で、50才代で、指導員に合格したのも、「昔の話」。
南八甲田は、まだまだ・・・・、
昭和の終わり頃、春雪の上を、SKIかついで、
睡蓮沼から、「弟子」4人連れて登った。
ルートもわからず、猿倉岳に登ってしまい、駒ケ岳にもたどり着けなかった。
「標識」さえも分からず、登った。めちゃくちゃだった。
写真:南八甲田SL1250m高地から、雲に浮かぶ、高田大岳、H17/5/29撮影。
睡蓮沼から十和田湖の御鼻部山まで、15㎞位ある。
これまでに、夏に3回走破した。だが、テントで1泊2日かかってしまう。
しかも、3mもあるものすごい、「根曲がり竹」やぶ漕ぎ、7時間が待ちうけている。
熊に遭遇する危険性も大。後遺症ではないが、2~3日は、
夜ねてから、竹の子藪を漕ぐ「ガッサ、ガッサ」と言う、音の耳鳴りがした。
この音も、非日常的でわるくはない、かな。
雪の上なら、簡単・・・と思うが、十和田側の御鼻部山までの道路開通が4月中旬。
全コース雪があるのは、5月中旬まで。
チャンスは1ヶ月しかない。
クロカンSKIの「腕」も上がったので、楽にはなったが・・・・。
今年2008年は、睡蓮沼から、櫛が峯の南までの探検直線で5㎞で、
雪が無くなり、時間切れ。
2007年は探検できなかった。
2006年は、御鼻部山の駐車場から、5㎞地点で、ガスに巻かれ、
田堰沢支流の、袖川沢の源流に、迷い込んでしまった。
岩魚がうようよ、かも知れない。
この沢3本越えた先まで入ってしまい、同じ沢を、また越えて、やっと「生還」した。
「楽しい宿題」が残った。
写真:樹海の向こう、5㎞北に見える櫛が峯(上岳とも言う)と左の下岳
この樹海に入ってしまった。