雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

メタ抗議文

2005-08-06 11:26:39 | 時事
広島市長の言葉よかったね。

以前書いたように、歴史認識問題は、結局対米になる。その際感情的になったら駄目。理知的に論じる必要がある。その点、広島市長は、被害者意識を前面に押し出さず、世界の市民との共有点、核廃棄と世界平和を前面に出し、核不拡の委員会や6カ国会議、安保理の議論の場では、核保有者しか発言権がない、と抗議していてよかった。

昨夜筑紫さんの番組で原爆のなんとかをやったが、あれはあれでいいとしても、感情的な問題にしてしまった気がする。あれではアメリカ人全体に通用するとは思えない。その理由を今朝届いたGallupの世論調査から考えてみよう。

「日本への原爆投下は正しかったか」の質問に、原爆投下後すぐの1945年8月の段階では、賛成85%、反対10だったが、現在は、賛成59%、反対38%。一番賛成者が少なかったのは、1990-1年で、賛成53%、反対41%。

これに対し日本人がすぐにする抗議は、原爆が非戦闘員に向けられたものであるということだが、先にルールを破った(Remember Pearlharbor)国にルールを守る必要はないといわれる。そして彼らの主張は、あの二発が、いかにその後生まれるであろう殺戮を回避できたか、アメリカ人の生命を守ることができたか、を焦点に正当化しようとする。

その論旨は、世論調査結果にも出ている。まず「原爆投下によってアメリカ国民の生命を使わなかったときより守ることができたか」という問いには、現在でも、80%のひとが賛成。ただし日本国民の生命についてはそう考えていない。「原爆を用いたことによって、日本人犠牲者の数を減らすことができたと思うか?」には、賛成41%、反対47%、わからない12%だった。つまり彼らの原爆投下の正当化は、真珠湾攻撃での奇襲と、アメリカ人自身の危機を原爆が守った、というふたつの理由からなされることになる。

これに対する日本側の主張は、よくなされいるように、両方の点についてアメリカ政府は知っていたが知らないふりをしていた、という点に集中する。真珠湾奇襲は確かに三日通知が遅れたが、ルーズベルトは知っていたことを示す Day of Deceit: The Truth About FDR and Pearl Harbor (邦題『真珠湾の真実:ルーズベルト欺瞞の日々』(ロバート・B・スティネット著)を読めという(日本の暗号化した電報を傍受していた、ルーズベルトはじめ36名の名が記載されている)。そして暗号を解読していたのだから、日本が降伏することもわかっていた(だからこそ旧ソ連も日ソ不可侵条約を破って侵入してドサクサにまぎれて四つの島を分捕っていった)。だけど、これという英語で書かれた本を知らないので、誰か教えてください(日本語はたくさんあるのに)。

しかし、である。この手の問題は抜け道がある。過去ということももちろんだが、傍受した情報が虚偽のためにわざと流されたかもしれないじゃないから信じなかった、とか、情報をどう使おうがこっちの勝手だ、とかいろいろいえる。現実に、あの大戦で傍受された情報で役に立たせることが出来たのは、60%だったという話がある。情報が入ってきても、現実に活かせる人間は多いとはいえない。戦争とは、そういうマネージメントすべてを指すのだといわれると、何もいえなくなってくる。そして戦後すぐに内閣総理大臣が国民に向けて発した言葉にもそういう認識があったと思う(確か大意は、「この戦争の失敗の原因がどこにあるかとか、責任者をみつけて、あーだこーだいっても仕方ない。ただ戦争をはじめこういう結果になったのは我々全日本人の責任であって、これから生まれてくる日本人には嫌な思いをさせる。彼らに対し一億総懺悔して、彼ら子孫のために今はがんばろう」だったと思います。この演説文の正確なのは、アメリカ留学のとき輸送中なくしました、でもホントに感動的だったし、賛同し、その論旨にそってかつてこういうのも書きました)。

とにかく広島市長はいいことをいってた(無理に終わらせた、お昼だから)

-------------
今回のタイトルは、「メタ抗議文」。「メタ」とは、「超える」という意味だけど、Aという声明に対して真っ向からその声明に反論するBという抗議文を書くより、AとBを取り巻く状況をも描出するような「メタ抗議文」の方が、日本の立場をよりよく表現するものになると思います。それを示したくてこれを書きました。