8月15日、小泉さんは、靖国神社には行かず、「心からのお詫び」を表明した。
しかし予想通り中・韓国は不信感に満ちているらしい(東亜日報、朝鮮日報、People's Daily Online (中国:) )。そんななか、連合ニュースの記事はちょっと違った。韓国は愛国心が強すぎると自制を求めている。
以前もここで述べたように韓国は中国とは異なる。愛国心であまりまわりが見えていないという感じだし、外交も日本同様一本槍(稚拙)で、その底が浅いというか作為をあまり感じない。
一方中国はちゃんと「外交」をやっている。上記新聞なんかはその典型的だけど、明らかに英語版と日本語版とでは記事の感じが違う(中国版その他はどうなんですか?)。日本以外(つまり英文版)をみると、小泉さんのコメントにも懐疑的だし、日本を非難する傾向が強いが、日本人しか読まない(はず)の日本語版は、民衆レベルで日中友好を作ろうとしているのがよくわかる(例えば、これ、ほかに同ページにある記事を読んでみて欲しい)。もちろん日本という大切な顧客を大事にしたいからだろうが、さすがだね(見習いましょう)。
靖国神社については、「外圧に屈しない」という態度もいいけど、なんだかいつも説明というか抗議すらもない。こういうのをレポートする英米誌をみていつも思うのは、中・韓の言い分に対抗するコメントがない。日本の謝罪の言葉と靖国参拝という事実の報道だけ。
英米の新聞をみていると、日本は、全く答えずにモクモクと自分がやりたいことをやっているようにしかみえない(New York Timesはこちら)。靖国だったら、「宗教の自由」だけでも違うし、「私たちは死者(歴史)から学ぶ。日本の神々は、ギリシアやローマの神々のように反面教師でもある」といってもいいし、「戦争自体は悲しい事実だったが、彼らは私たちの父、祖父、曽祖父なんです」とか、いろいろいっていいんじゃないだろうか。
とにかく何もいわずに四回いっていたのを急にやめ、一方で国会議員がゾロゾロと行くのはある意味であんまりよくないと思う。謝罪の言葉と、参拝をする真剣な表情が意味する、日本人が共有する狂おしい胸のうちは、日本人なら(少なくとも僕は)よくわかっている。でも何もいわずに急にまわりに配慮してやめたということになると、何がなんだかわからなくなってしまう。
しかし予想通り中・韓国は不信感に満ちているらしい(東亜日報、朝鮮日報、People's Daily Online (中国:) )。そんななか、連合ニュースの記事はちょっと違った。韓国は愛国心が強すぎると自制を求めている。
以前もここで述べたように韓国は中国とは異なる。愛国心であまりまわりが見えていないという感じだし、外交も日本同様一本槍(稚拙)で、その底が浅いというか作為をあまり感じない。
一方中国はちゃんと「外交」をやっている。上記新聞なんかはその典型的だけど、明らかに英語版と日本語版とでは記事の感じが違う(中国版その他はどうなんですか?)。日本以外(つまり英文版)をみると、小泉さんのコメントにも懐疑的だし、日本を非難する傾向が強いが、日本人しか読まない(はず)の日本語版は、民衆レベルで日中友好を作ろうとしているのがよくわかる(例えば、これ、ほかに同ページにある記事を読んでみて欲しい)。もちろん日本という大切な顧客を大事にしたいからだろうが、さすがだね(見習いましょう)。
靖国神社については、「外圧に屈しない」という態度もいいけど、なんだかいつも説明というか抗議すらもない。こういうのをレポートする英米誌をみていつも思うのは、中・韓の言い分に対抗するコメントがない。日本の謝罪の言葉と靖国参拝という事実の報道だけ。
英米の新聞をみていると、日本は、全く答えずにモクモクと自分がやりたいことをやっているようにしかみえない(New York Timesはこちら)。靖国だったら、「宗教の自由」だけでも違うし、「私たちは死者(歴史)から学ぶ。日本の神々は、ギリシアやローマの神々のように反面教師でもある」といってもいいし、「戦争自体は悲しい事実だったが、彼らは私たちの父、祖父、曽祖父なんです」とか、いろいろいっていいんじゃないだろうか。
とにかく何もいわずに四回いっていたのを急にやめ、一方で国会議員がゾロゾロと行くのはある意味であんまりよくないと思う。謝罪の言葉と、参拝をする真剣な表情が意味する、日本人が共有する狂おしい胸のうちは、日本人なら(少なくとも僕は)よくわかっている。でも何もいわずに急にまわりに配慮してやめたということになると、何がなんだかわからなくなってしまう。