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飛行機&モタスポ&競馬ファンのてきとーな週末

永遠の写真中級者、わたくしソニックブルーの撮影日記的なブログの続きです。
2013年以前のブログはブックマークからね。

アーカイブから・・・ラスベガス2005

2021-12-29 15:00:55 | アーカイブ
まずは昨日の反省を。

モーリス産駒はいつ買っていいのかさっぱりわからないんですよ。
芙蓉ステークス勝ち馬からもそんなに大物は出てきていないので、完全に軽視してました。
コマンドラインはちょっと負けすぎ。でも、こんなものかもしれないなとも思います。

東京大賞典も金杯も買わないので、競馬のお話しはしばらくお休みです。
GⅠ予想書き始めてから、結局馬券は一度も当たらなかった(笑)。


2005年に行ったネリスの続きです。

ネリス空軍基地はラスベガスから車で30分ほど。
宿泊は当然ラスベガスでした。
エアショー以外の写真を少し張っていきたいと思います。


当時はJALが成田ーラスベガス線を747で飛ばしていたんです。
そんなことしてるから潰れたんですかね・・・


シエラネバダ山脈・・・かなあ。
当時はそこまでマメに写真で記録していません。ちなみにカメラはパワーショットS30。

そのころは室蘭市に住んでいたのですが、新千歳からホテル3泊のフリープランで
たしか105,000円くらいだったと思います。安いっすよね。


金曜午前に到着して、さっそくタクシーで向かった先はガンショップ(笑)。

わたくしも先輩もガンが好きだったのですよ。先輩の方が詳しいくらい。
実は前年にグアムにも一緒に行って、初の実弾射撃は体験済み。


シグザウエルのP226です。わたくしが一番好きなハンドガン。
リボルバーよりもオートマチックが好みなんです。


H&KのMP5。わたくしが一番好きなサブマシンガン(笑)。

グアムは法律でセミオートマチックしか認められていませんが、
ネバダ州はフルオートOKの数少ない州のひとつ。
どうしてもフルオートでMP5を撃ってみたかったので、夢がかなった瞬間でもあったかな(笑)。

ただですね、筋力の無いわたくしは9mmのサブマシンガンでも腕を持っていかれました。
マクレーン刑事にはなれなかった(笑)。


ステア-のAUG。一番好きな小銃にしておこうか。

同じくダイハードに登場して、カールが使っていたのが印象的なマシンガンです。
Die Hard - Now I know what a TV dinner feels like

本来はフルオートで撃てる銃ですが、セミオートバージョンでした。
スコープ付きなので、こちらはよく当たりました。

その後実弾射撃の経験はないんですけど、また行きたい気持ちは持っています。
一緒に行こうという方は連絡ください(笑)。


泊ったのは、かわいらしい外観のエクスカリバーというホテル。
ま、値段で決めました。

一応カジノに行って、スロットマシーンとかルーレットとか少し遊びました。
儲かった記憶は無い(笑)。


わたくしは世界一アホな街と呼んでおります。


エアショー翌日の日曜日。先輩の運転でドライブに出掛けました。
レンタカーは日本で予約して、ホテル受取です。空港~ホテル間は送迎付きでした。


街を抜けるとすぐにアメリカらしい台地が広がっていました。
たしか途中のコンビニでハンバーガーを買ったな。


クルマで1時間くらいだったかなあ。”レッドロック・キャニオン”という所です。


たしかに赤く見えますね。
ここは有料のドライブコースになっていて、先輩ドライブで1周、そしてわたくしも1周運転しました。


先輩はアメリカでドライブするのが夢のひとつだったそうです。
初の本土ドライブですけど交通ルールもよく知っていて、街中でも安心して助手席に座っていました。


アメリカンV8なんて借りられるはずもなく、庶民カーでのドライブでしたね。


帰ってきて、ちょっとだけお散歩。


ベラージオの噴水ショーはインパクトありました。
マリーナベイサンズの噴水も見たけど、最初に見たこっちのほうが印象に残ってます。


JALのラスベガス線はたしか週3便だかの運航で、帰りはロサンゼルス経由でした。
LAへは、今は無きTedに乗って。


ロサンゼルスの待ち時間で撮っていた写真。
この飛行機は何だと思ってレジ検索したら、エンブラエルのブラジリアか。


757には乗ったこと無いな。そしてこれからも無いでしょう。


帰りもジャンボ・・・だったんですけど・・・


お、なんだ。


人生初のビジネスクラスでした。

オーバーブッキングだったんです。
元々は当然エコノミークラスで、LA~成田~新千歳の予定だったんですが、LA~成田が満席だと。
そこで、LA~関西~新千歳を提案されまして、アップグレードしてあげますよと。
そりゃあ二つ返事ですよ(笑)。

アッパーデッキのビジネスクラスは数人しか乗っていませんでした。
幹線ではないのでシートは旧タイプでしたが、そんなことは全然気にならなかったですね。


あれから15年以上経ちましたが、この時以上に気持ちよく酔っ払ったことはないです(笑)。
ホントご機嫌でした。ということで、この先の写真がありません。

一緒に酔っぱらった先輩とは、もっとあちこち行ってみたかったんですけどね・・・
残念ながら、それが叶うことはありません・・・

ネリスに行くことも、おそらくはもう無いんだろうな・・・

アーカイブから・・・ネリスエアショー2005②

2021-12-24 16:14:52 | アーカイブ
昨日から今日にかけてのベルーガ狂騒曲、なかなか面白かったですね。

仁川を上がった時には行き先が”OKEECHOBEE”という訳が分からない場所になっていて、
フロリダまでなんか行けるわけねーじゃんと思ったら、
その空港の4レターコードが”KOBE”だったというオチには笑ってしまいました。
神戸の前に関空に寄り道してますが、降りが24Rというのは残念でしたね。

ということで、飛行機写真はすっかりご無沙汰ですが、航空業界のニュースは変わらずに見ています。


さて、2005ネリスエアショーの続きです。


ベトナムウォーのデモでしょうかね。スカイレイダーが飛び・・・


ヒューイがやってきました。


2人乗りだ。インテークカバーは8番機になってます。

この日は昼飯になにを食べたんでしょう・・・
とりあえず、中で買い食いした記憶は全然残ってない。


アクロチームではなく、仲間の皆さんが一緒に飛んでるって感じでしょうか。


エアレースのデモみたいなこともやってたんだな。


この人たちも普通の民間人でしょう。
ホント戦争に勝った国と負けた国では、航空文化が違いすぎますね。


そうそう、ハリアーデモもやってたっけ。

でも撮影ポジションが悪くて、飛んでるところは全然大きく撮れませんでした。
海兵隊のハリアーデモを見たのは、後にも先にもこの時だけです。


転がり重視のポジショニングだったんです。

今更ながら、VMA-311”トムキャッツ”の機体だったんだな。
トムキャッツってたしかページェントにも来たことあったんじゃないかなあ。


”FF”のイーグルはデモチームです。


その前にショーン・タッカー氏(だと思うんだけど)。


タッカー氏は今でも飛んでるんでしょうか。


ヘイテイジフライトに向けて上がった機体は奥側のランウェイでした。


ラプターデモチームはまだ発足前。超絶フライトのお披露目は、もう少し先のことです。


せっかくのデモフライトだったんですが、まともな写真が無さすぎて(笑)。

イーグルデモチームのフライトを見たのも、後にも先にもこの時だけ。
(ストライクイーグルデモチームはMAKSで一度見た)
三沢に来てくれたこともあったけどねえ・・・現地にはいたけど悪天候で飛べませんでした。




初めて見たヘリテイジフライト。たぶん感動してたはず。


MAXクライムやな。来て良かった~と思ってたはず。


戻ってまいりました。


ヘリテイジフライトのファントムは引退しちゃったんでしたっけ。


あれから16年、まだまだ現役最強のタイトルは譲れませんね。


時刻は・・・えーと・・・17を引いて・・・14時45分だ。


アメリカ空軍アクロバットチーム”サンダーバーズ”の登場です。


サンダーバーズの本拠地は、ここネリス空軍基地。
シーズンエンドのフライトは、家族へのお披露目ともなりますね。


”ファンブレイク”ではありません。”ダイヤモンド・パス・イン・レビュー”。


バーズの時間になって、やっと会場正面に陽が回ってきます。


背景の山は”サンライズ・マウンテン”。ベガスからだと太陽が昇る位置になるのかな。


民間機のコントレイルが突き抜けたのは偶然でした。


ミッシングマン・フォーメーションは、ネリスだけのスペシャルバージョンだったでしょうか。


今後F-16のサンダーバーズを見ることはあるんでしょうかね。

正直なところ「F-16のサンダーバーズ」を見にアメリカへ行くことは無いかな。
日本か韓国に来てくれるのなら行きますけどね~。


ネリスで最後に撮った写真は、朽ち果てたミグ29でございました。

この後、渋滞に巻き込まれながら、すっかり日も暮れたフリーウェイを帰りました。
もちろんわたくしは乗っているだけ。運転はドライブ好きの先輩におまかせでした。

アーカイブから・・・ネリスエアショー2005①

2021-12-16 17:20:48 | アーカイブ
ここ数日、ロシア軍が元気に飛んでいるようですね。
彼らも百里のホーネットを見たいのかな。


相変わらず写真を撮っていないので、初めて行った海外エアショーを引っ張り出してきました。
2005年のネリスです。
10年くらい前から”次のアーカイブはこれだな”とは思ってたんですけど、まだやってなかった(笑)。

訪米のきっかけは2005年の1年前になります。
2004年は航空自衛隊50周年で盛り上がり、アメリカからサンダーバーズも来てくれました。
しかし、初めて行った百里は雨、そして浜松も雨・・・展示飛行は実現しませんでした。

じゃあ、こっちから行ってやろうじゃねーかと、その1年後にサンダーバーズの本拠地、
アメリカはラスベガス近郊のネリス空軍基地へと乗り込んだのでありました。


時は2005年11月12日に戻ります。
ネリスへは当時の職場の先輩と2人で行きました。当時27歳でしたが、頼りになる先輩の
存在がとても大きかったですね。1人だったら行っていたかどうか。

当時はまだブログを始めておらず、レポートするようなことも考えていなかったと思うので、
道中の写真や、会場の様子などはあまり撮っていなかったようですが、その後2011年に
再訪した際の模様は旧ブログにてレポが残っております。
OGPイメージ

「2011ネリス」のブログ記事一覧-飛行機&WRC&競馬ファンのてきとーな日々



2005年も2日間開催でしたが、日曜は近郊へドライブに行ったのでエアショー訪問は土曜だけです。
ということで、いきなりA-10から。


撮影順に貼っていきますが、撮影時刻が11月13日の午前1時19分になってまして(笑)。

たぶんぎりぎりサマータイム期間中で、時差は16時間のはずで・・・
25-16だから・・・朝の9時19分・・・のハズ。

(訂正)サマータイムは11月第1週まででした。25-17で8時19分ですね。


珍しくはないF-15ではありますが・・・そりゃ撮るでしょ。


ストライクイーグルはこの時初めて見たんじゃないかなあ。
センターパイロンに付いてるのはGBU-28ですかね。今ならもう少し真面目に撮るだろな(笑)。


日本では考えられないスモークの軌跡・・・室屋さんならやるか。
ウェルカムフライトっていう感じでしょうかね。


詳細不明(笑)。


スカッドミサイルっぽいな。イラクからでも持ってきたんでしょうか。


こちらもロシアンな戦闘機ミグ17。


アグレッサーなF-16。また見たいんだけど・・・


レッドフラッグなのかなんなのか、イギリスからトーネードも来ておりました。

これにはとても喜んだ記憶が残っています。
当時からトーネードは結構好きだったんですよね。


こちらもイギリス空軍のハリアー。


民間籍のクフィルもいたんだな。訓練時に仮想敵を演じる役目。


朝も早いからか、まだまだ人はまばらですね。そしてロープが無い。


おお、ステルス三兄弟。


F-35はまだ初飛行前でしたが、真ん中に配置されていたんですね。
プラモデルだと思いますが。


元祖ステルス、F-117ですよ。わたくしが見たのはこの時だけ。

このあと横に回ってパシャパシャ撮っていたら警備兵が飛んできて「Erase!! Erase!!」と
捲し立てられまして、その場で液晶画面を見せながら画像を消した記憶が残っております。
一生の思い出です(笑)。


スーパースター”F/A-22”も、もちろんファーストコンタクト。

そうなんです。この時は”F-22”ではなく”F/A-22”だったんですよ。
ブースで貰ったピンバッジは、ある意味貴重な品だったりして。


B-25だ。


RC-135だって初めて見ましたが、この年は大型機の展示が少なかったのかな?
爆撃機の写真はありませんでした。


10時を過ぎて飛行展示が始まったようです。アメリカ本土の16デモチームですね。

ただ、ネリスの逆光は有名な話。そして撮影機材は3コマ/秒の10D+100-400のⅠ型。
ロクな写真が残っていないですね(笑)。


B-25はWWⅡでトーキョーを初めて空襲したことで有名ですね。


T-33・・・か?


いやあ、当時からレッドブルが幅を利かせていたんですねえ。ミグ15かな。


A-1かな。こちらもベトナム戦争ですね。


アメリカのエアショーではお馴染み。


民間のアクロバットチーム、ペイトリオッツです。


座れるんだ(笑)。文化の違いを感じるシーンですよね。

アーカイブから・・・ラリージャパン2006④

2021-12-03 17:12:52 | アーカイブ
エアドゥの新しいポケモンジェットも飛んでいるようですが、ここ3日間天気が良くないですね。
窓にもプチプチを貼っちゃったし、撮るのはいつになることやら・・・

オートスポーツ誌でラリージャパンの代替戦となったセントラルラリーの記事を読みましたが、
写真を見ていたら、来年リエゾンでも見てみようという気になりました。
名古屋市内やモリコロパークを使うことは無いだろうということで、セレモニアルスタートは
豊田スタジアムになるのかな?
まだ1年後の話ですが、どこに泊まるのがいいのかな・・・ちょっと先走り過ぎですね。


2006年のラリージャパン振り返り、最終日です。


撮影時刻は7:03でした。

場所は2004年に行ったところと同じで、たぶんパンケニコロベツのスタート地点手前。
ただ、2年前と違うのは、SSスタート前のチェックを各車目の前で始めてくれまして・・・


右側はマシュー・ウィルソンかな?

ちなみに後方の室蘭ナンバーはわたくしのクルマです。
スバルなのに323かよ・・・と納車日にガックリ来たものです。
頑張って値引いてくれたので、セールスさんには黙ってましたが(笑)。


先頭車が止まると後続はそれに続いてくれるわけで・・・


おお、マジかとメチャメチャ興奮していた記憶があります。


これがラリーのいいところですよね。
同じ世界選手権でも、F1だと絶対こうはいきません。


オージーのアトキンソンは、サヴェージ・ガーデンでも聞いてリラックスしてたんだろか。


2代目インプレッサの顔は迷走の歴史でしたよね(笑)。
そして先日発表された新型WRXのエクステリア、あれで大丈夫なのかなあ・・・


スバルワールドラリーチームが再結成される日はあるでしょうか。
ベースになるクルマが無いか。


プジョーは来年(再来年?)WECでトヨタのライバルとなりますね。
2023年のル・マンはマジで行きたいですが・・・その頃は〇〇〇〇株が流行ってるんだ?


WRC皆勤賞のフォードですが、日本市場から撤退して早5年。
昔はマスタングやフォーカスのCMを見た記憶もあるんですが・・・


彼女は今もラリーファンでいてくれているんでしょうか。


おお、ソルドの写真なんて撮ってたんだな。眉毛が濃い(笑)。


朝一でお疲れモードのローブさん。わたくしは当時サインをもらう習慣が無くて写真だけです。


OMVのロゴはウインタースポーツでたまに見かけると思うんですが、オイルメーカーだったはず。


ダニエル・エレナ氏ともついにお別れなんですね。30kgくらい軽量化になるんでしょうか。


あの人もこの人も世界チャンピオン。
ペターの写真が無いのは、止まらずに通り過ぎて行ったからかな?


グループN勢も御覧の通り。
セントラルラリーでは渋滞で競技進行が遅れたようですが、来年はどうなるんでしょ。


この後急いでSSフィニッシュ付近に移動しまして、なんとかWRカーに間に合いました。


SS中の写真に・・・見えないか。


2分に1台のスタートだったかねえ。
撮影場所を変えつつ、いろんな写真を撮ろうと頑張ってたんでしょうね(笑)。


当時はまだスマホが無かった時代です。
みなさんマップとにらめっこしたんでしょうね。たくさんのファンが待ち構えておりました。


けっこう気に入っていた1枚です。そしてこの年はローブが優勝しました。

来年のラリージャパンに来ることは・・・たぶん無いよね。
来るんだったらこの写真にサインをしてもらおうか(笑)。


将来トヨタチームの代表になるなんて思っていた人は120%いないだろうな(笑)。


パンクしてますな。マルコス・リガトとか懐かしい。名前だけ覚えてます(笑)。


リヤドアがべっこり。そして窓が無い。


群馬ナンバーだけどオーストラリア人。


窓が無いクルマを見つけたら、日本の警察は止めるんでしょうか。それとも先導してあげるんでしょうか。


雑魚寝続きでお疲れだったのかなんなのか、2ループ目は日勝峠入口の近くまで来て
SSへ向かうWRカーだけ撮ったはずです。


一応北海道っぽい写真を撮ろうとした跡が伺える(笑)。


当時は一生スバル車に乗るんだろうと考えてたと思うんですけどねえ・・・
まあ、スバルファンではあり続けますよ。

この後室蘭への帰路についたわけですが、どうしても起きてられなくなって、
日勝峠を下りたところの駐車場で仮眠した記憶が残っております。
そんなことは後にも先にもこの時だけで、そこそこハードな4日間だったんでしょう。

また北海道でWRCが開催されるようなミラクルが起きないかなあ・・・
ま、日本に戻ってくるだけでも喜ばしいことですよね。
来年の開催を楽しみに待ちましょう~。

アーカイブから・・・ラリージャパン2006③

2021-11-26 17:20:37 | アーカイブ
無事にトヨタもトリプルクラウンを達成しましたね。嬉しいというか、安心しました(笑)。
モリゾウ社長をはじめ関係者の皆さま、おめでとうございます。そしてありがとうございました。
これまでWEC関連のアパレルはいくつか買ってきたのですが、WRCのも欲しくなってきた・・・

ラリージャパン2006はDAY2を振り返ります。
この日は終日陸別SSで撮りました。


000カーの撮影時刻は7:37となっています。

帯広でのラリージャパンはリエゾンの長さが不評でしたよね。
スペクテイターも早起きですが、出場者はもっともっと大変です。


シャッタースピードは1/350か・・・もうちょっとマシな写真撮れなかったのかね(笑)。


洗車後なのでキレイだな。


やはりWRカー最終年と比べるとシンプルな外観デザインですよね。


ゴテゴテなデザインもいたか(笑)。


ウォータースプラッシュはやっぱり人気が高くて、人の隙間から撮った記憶があるな。


1/125。うーん・・・


なんとか止まったでしょうか。


ラッセル車状態。柔らかい土の路盤も不評でしたよね。


WRカーが終わって遊び始めた写真だな。


またラリー北海道で陸別へ行きたいなという気持ちはあるんですよ。




ここがマシンに一番近づけるコーナーでした。APS-C機とはいえ28mmですからね。


たしかこの辺りで新井さんがコースアウトして、小林カメラマンと接触しちゃったんだよね。




スタート地点は掘れまくりです。




WRCの写真と言っても信じてくれなさそうな一枚だな。


これは何のクルマだったんだろう・・・

午後のSSまでの間はイベント広場みたいなところをちょっと歩いて、
あとはクルマに戻って休んでたんだったかな。


00カー通過は14:27でした。


2本目はフィニッシュ近くであちこち移動しながら撮りました。


もうちょっとマシな写真を・・・たぶんもっと高く飛ぶと思ってフレーミングしてたんだろうね。


「ここぞ」っていうシーンで攻めきれたフレーミング出来ていないのは、
今のわたくしに通じるものがある(笑)。






なんでこんなにウイリーしてるんだろ。横っ飛びしてきたのかな。


ローブ先生は来年フォードからスポット参戦のようですね。
どうせだから再来年はトヨタに乗って、全メーカー制覇しよう。


カストロールは最近モータースポーツで見ない気がするな。


たぶんこういう写真こそWRカーで撮るべきだったんだろうと思いますわ(笑)。


ラトバラ監督~。ロバンペラには特別ボーナスあげてね~。


やっぱり青い服着ている人が多い気がするな。半分くらいは会社の人かもしれないけど。






福永さんは全日本戦でファビアR5に乗っていますよね。あのマシンはイイ音するのかな。






しばらくアクセル全開で走ってないなあ・・・

全然話がずれますが、先日オープンしたポルシェ・エクスペリエンスセンター東京、
めちゃめちゃ行ってみたいです。1か月分のバイト代は軽く吹っ飛びますが、
年に一度くらいなら、あの値段払ってでもポルシェを全開にしてみたくないですか?
問題は、どのポルシェを選ぶかです。妄想が膨らむ(笑)。


お終いが近づき、ようやくジャンピングスポットでまともな写真が撮れるようになったようです(笑)。


スウィーパーのフィニッシュは16:49でした。


この時だけもうちょっと風が吹いてると良かったんですが(笑)。当時からレッドブルって売ってたんだな。

前日もそうですが、この後はどこに泊まったんでしょう・・・
やっぱブログを書くことは備忘録になるから大切なんだよな~

アーカイブから・・・ラリージャパン2006②

2021-11-19 14:35:45 | アーカイブ
今日から統合演習が始まったようですが、今週末のフライト予定は無いんだな。
303SQは午前中に帰ったっぽいですが、代わりになにか来るんでしょうか。
地元機もミサイル積んで飛んだりしますかねえ・・・撮りに行く気はあまりないんですけど。


さて、ラリージャパン2006の続き、DAY1です。
当時はLEG1と言っていたかな。


時刻は朝の7:11です。

この日はリエゾンのみの撮影でした。
どこで撮ったかなんてこれっぽっちも覚えていません(笑)。


ピントが来ていませんが、今回も勘弁してください(笑)。


今年のラリージャパンではリエゾンで見ることはあまり考えておらず、
基本サービスパーク周辺をうろつくつもりでした。


アルゼンチン軍団かな。






この年もらったスバルのフラッグ、まだどこかにあると思います。
ホント男の人ってモノを捨てられなくてダメだよね(笑)。






なるべく同じアングルにならないように、2、3台ごとに撮影ポジション変えた記憶があります。








15年前のラトバラです。初めて彼を認識したのがこのラリーでした。






なんか4WSみたいになってるぞ。


今思うと、一緒に蹴っ飛ばしてあげればよかったかな(笑)。


勝田パパ。全日本チャンピオンおめでとうございます。




懐かしいマシンですねえ。この年は粟津原さんが乗ってたんだな。


今でもバリバリ現役(笑)。


こんなクルマもありましたねえ。


リフューエルポイントは撮影の穴場でした。


背景はアレだけど。








今年のラリージャパン用に応援グッズ準備している人もたくさんいただろうねえ。
来年オジェが来てくれるといいんだけど。








10Dということは、3コマ/秒で撮ってたんだなあ・・・


わたくし的にはペターのコドライバーはフィル・ミルズのまま(クリス・パターソン時代の記憶がない)。


こうなってしまうクルマもあるわけで・・・




時刻は17:04、暗くなってきたのか、新井さんを撮っておしまいにしたようです。

さて、ラリーモンツァが始まりますね。
個人的にはオジェにチャンピオンをとってもらいたいですが、
エバンスも次のチャンスが来るかどうかわからないしねえ・・・
いずれにせよ、マシントラブルで決まってしまうことがないことを祈ります。

アーカイブから・・・ラリージャパン2006①

2021-11-12 16:41:34 | アーカイブ
相変わらず撮影意欲が湧いてこないので、久しぶりのアーカイブです。
昨日もキャセイの773とか来てたし、空自側も総合訓練(今年は演習ではないのね)だか
やっているようですが、カメラ出す気にならないんですよね・・・

さて、今日は11月12日の金曜日。
本来ならラリージャパンのデイ1が行われているはずだったんですよね。
ということで15年前、2006年のラリージャパンです。

すでに前身のブログは始めていて、記事もあったんですが、ほぼすっ飛ばしてました。
当時アップしていたニコンのオンラインアルバムももう残っていないので、ほぼほぼ初公開なのかな。

この年はシェイクダウンから最終日まで4日間、1人で好きなように撮りました。
とは言っても、SSで撮ったのは土曜日の陸別だけなんですけど。

まずは木曜日のシェイクダウンデーに撮った写真です。
セレクトするのがめんどくさくなったので大量に貼りますよ。


幕別のサービスパーク、朝の7:07撮影となっていました。
前日どこかに泊まったんだったかな・・・全然覚えていません。






シェイクダウンはスーパーSSとしてサービスパーク隣に設置されていた特設コースでした。


全然止まってませんが、まあ許してください(笑)。


当時の望遠機材は20D+100-400(Ⅰ型)です。
短いレンズはわたくしが初めて買ったデジタル一眼レフである10Dとの組み合わせ。


この年のシトロエンはクロノスレーシングでのエントリーだったか。


フォーカスでエントリーのルイス・ペレス・コンパンクはサーキットレースで今もたまに見かけます。






今の機材で撮り直したい。変わらないか(笑)。


そっか、ソルドは既にWRカーに乗ってたんだ。全然記憶にない。




もうちょっとドカンと飛んでほしいジャンプ台だったよね。


タバコカラーは2度と見られないんだろうねえ。


おお、新井(パパ)さんではないか。この年はWRカーエントリーだったか。


ホントは今頃こんな光景を撮っているはずだったんだけどな・・・


サービス精神旺盛なローブ様(後ろ姿)。




今はマンフレッド・ストールに新井(息子)さんがお世話になってるんだっけ。


ストバートカラー懐かしいな。
物流会社なのか、ストバートのトレーラーをイギリスで見かけることがありました。




誰だっけ(笑)。ただ、ABBって今はフォーミュラEの冠スポンサーですよね。




ウォータータンクじゃなくて、北海道らしく牧草ロールでも置けば良かったのにね。


当時わたくしGDAに乗っていましてね。
”ないる屋”さんで販売していた本棚リヤウイングは本気で装着を考えた(笑)。


プジョーは2005年でワークス撤退したんだったか。


見下ろすようなアングルが多いのは、スタンド最上段から撮っているからでした。


反対側からの写真があった。


いやあ、写真で見るとなんとなく思い出すけど、脳内メモリーにはほとんど残ってないな。


BC5には2台乗ったんですよ。そのうち1台は2週間で廃車になりましたが(笑)。
それ以来モータースポーツは見るだけです。




レッキカーの整備中。どこのチームかは覚えてない。




セレモニアルスタートを見たのはこの年だけですが、凄い人でした。
スタート前には当時帯広に住んでた元上司と会って豚丼を食べた気がする。


脚立の上から撮ってます。


いや~誰だっけ。思い出せない。




名古屋でのセレモニアルスタートはどうなっていたかねえ・・・


誰かのストロボが当たった瞬間っていいよね。旗はスバルだけど。




ペター人気は凄かった。今やオリバーのお父さん。


実はWEC最終戦の録画を見ながらこのブログを書いていたのですが、
オジェがピットから一貴サンの走りを見守っていましたね。

一貴サンの勇退は想定外でしたが、トヨタとして将来を見据えた決断だったのでしょうか。
正直なところ、いまのトヨタで危なっかしいのはロペスと一貴サンというイメージはあったので、
僕の中では納得できるところもありますが、村田さんも難しい決断だったでしょうね・・・

記事を読んでいると、さすがにオジェがすぐ後釜に座ることはなさそうですね。
順当に平川クンなのかねえ。個人的にはロッテラー様がいいんだけど(笑)。

アーカイブから・・・ラリージャパン2005②

2020-05-16 14:18:17 | アーカイブ
日曜日は前年と同じくリエゾンを追いかけました。
SSよりもリエゾンの方が、”かぶりつき”で見れるというのが前年わかってしまったのでしょうね。


ここは帯広川西ICですね。時刻を見ると9:30くらいでした。


写真を掘り起こす前までは、ここで撮ったことを忘れてましたよ。


日本の公道での写真なんですよね~。


もうちょっと日本らしい絵が撮れればよかったんでしょうけどね~。


シャッター切るタイミングが早かった残念な1枚。
7DⅡだったらもう少しまともな写真になってたな。

この年の撮影機材も前年と一緒でEOS10Dの1台体制でした。


続いてやって来たところはリフューエルポイントでございます。
たしか新得だったと思うんですけどね。

前年に道道から外れていくラリーカーを見たことがあって、あれはどこに行っているのかなと
思っていたのですが、調べてみると給油ポイントのようでした。
それでアイテナリーをチェックして、待ち構えてみることにしたんですよ。


当たりでした。WRカーが続々とやって来ます。


シュコダを駆っていたのはアルミン・シュワルツです。超懐かしいな。


デュバル。


アトキンソン。


ローブ。


ペターとグロンホルム。

ラリーはレースと違って、ドライバーがぶつかりながらポジションを競うわけではないので
ドライバー同士の仲は比較的良いと言われています。


ローブと目が合った瞬間もあったんですよ。


しっかし、結構自由に動き回って写真撮ってるな(笑)。


この年のランサーにはパニッツィ先生も乗ってたんですよね。






新井さんとヌタさんと・・・思い出せん。




10D+28-75mmのワイド端でした。
こんな写真よく撮ってたな。


アルゼンチンチームの2台が写ってるな。
昔はちゃんとPD誌とか読んでたので、下位クラスのドライバーもけっこう知ってた。


最後は”ラリーパーク”にて。

いくつかの街にドライバーを応援するための”ラリーパーク”が設置されていたと思うんですが、
ここは新得町屈足という集落の公民館前だったと思います。


基本リエゾン中のラリーカーに手を振るだけなんだけどさ。


普段ラリーに親しんだことのない人も一緒になって手を振ってくれるのはうれしいですよね。


ちょっと表情が硬いな(笑)。


マシンはすでに最終SSの走行を終えていたはずです。
アトキンソンはこのラリーが初表彰台で、大喜びでした。

10Dはたまにシャッター幕の開閉がずれる症状がありました。
ギャラリーのお顔をあまり見せないために、あえてこのカットを採用(笑)。


ラリーアートってまだあるのかな。


危ないので今年のラリージャパンでこういうことは止めましょうね(笑)。

あのですね。
実はラリーパーク前に押しボタン信号がありまして、
WRカーが近づくとなぜか信号が赤になることがあったんです(笑)。
古き良き時代の思い出だな。


しばらくすると信号の脇には警備員が立っていました(笑)。


ランエボのワゴンなんてのもあったねえ。

2005年の思い出はこれにて終了です。
2006年に続く・・・かな?

アーカイブから・・・ラリージャパン2005①

2020-05-10 14:32:05 | アーカイブ
2005年のラリージャパンも振り返ってみましょう。

この年は職場の同僚と2人で行ったのですが、前年よりは1日多く日程を取って、金曜夜に帯広着。
でもやっぱりSSSのチケットは買わず、会場外から見ていたのでした。


シチュエーションを覚えていないのですが、会場の周りを走っていたらローブを見つけちゃったのかなあ。


そういえばこんなシュコダあったな(笑)。


新井さんはこの年もグループNだったか。しっかり優勝してますね。


けっこう広いコースだったんだなあ。


私はSS出口のタイムコントロールあたりで見ていたようです。
どこにクルマを止めたんだろう・・・全然覚えてないな。


外付けのストロボは持ってなかったし、内蔵ストロボで一発勝負で撮ってたんだろうなあ。


この頃はすでに三菱の存在感はだいぶ無くなっていましたよね・・・


ストロボが届いてないですね。


今のマシンと比べるとすっきりとした外観です。


頑張って1/20で撮ってたんだなあ。

たしかこの後陸別まで走って、無料開放されていた生活館かなんかで寝たんですよね。
寝袋を2つトランクに積んでいったはずです。
ということで、土曜日は陸別SSで1日過ごしました。


路面も濡れて午前のループはあまり天気は良くなかったようです。


ピントが奥に・・・


やっぱり全然覚えてないんですけど、人垣の間から撮っていたようで、
残っている写真はフレーミングに苦労している感のあるカットが多かったです。


ワイパーも動いてるな。カメラも守りながら撮ってたんでしょう。


WRカーの写真はロクなのが残ってませんでした。


ペターでこんなの撮れなかったのか。撮れなかったんだろうな(笑)。


スイフトはモデルチェンジしてますね。


グループNになるとお客さんも少し引いて、たぶん撮影の自由度も増えたんだと思われ。




スターレット?


自動車評論家の国沢親分ですね。今年もエントリーするんだろうな。


粟津原さんのカットもあった。


今年のラリージャパンも撮影ポイント争奪戦は大変だろうな・・・


レガシィを下取りに出す前にトランクチェックしてたら奥からスバルの旗が出てきたんだけど、
ひょっとしてこの時貰ったのか?


午後の2ループ目はコースを少し見下ろすようなところから。

コースとは少し離れている分、マシンが見えている区間も長いんだけど
ラリーの醍醐味である”近さ”が感じられなくて、僕的にはあまり好きなポイントではなかったんですが、
同行者はこっちの方がイイって言ってた記憶があります。


意識の変化でもあったのか、WRカーも1/60で流し撮りしてました。


右側はSkodaだったのね。


ソラさんなんていたっけ?全然覚えてないなあ。


ワークスマシンにはガルデマイスターが乗ってたんだな。


フランソワ・デュバルはベルギー人だったか。

デュバルとは全然関係ないんですが、稚内のスーパーでベルギービール”Duvel”を見つけました。
500円くらいしてたけど、稚内で買う人いるんだろか。


ジャンルイジ・ガリはラリークロスに出てるんでしたっけ。

ガリと言えばやっぱりこの動画ですよね。



それにしても、このリヤウイングの位置は衝撃的でしたよ。
世界中のランエボファンが泣いたんじゃないだろうか。


307はグラベルよりもターマックで見てみたいマシンかもしれませんね。

フェンダーに見える喪章は前戦のラリー・グレート・ブリテンで命を落としてしまった
コドライバーのマイケル・パーク氏に向けてのもの。
フォードのマシンには写真が、スバルとシトロエンのマシンにヘルメットのステッカーが貼られていました。


普通の写真だねえ・・・


やっぱりここ一番の写真は緊張して上手く撮れてないな(笑)。


時刻は17を過ぎてすっかり暗くなってしまいました。
この年は9月30日~10月2日の開催だったんですね。


ランサーっぽいな(笑)。

この後は途中十勝川温泉で日帰り入浴して帯広まで戻り、
やっぱり無料開放されていた体育館かなんかで寝たんじゃなかったかな。
後半に続きます。

アーカイブから・・・ラリージャパン2004

2020-05-04 14:09:42 | アーカイブ
わたくしのGWはカレンダー通り。
ちょうど折り返し地点を通過したところです。

ステイホーム期間ということで、まあ、なんというか、ヒマ(笑)。
いいことは、普段聞けない平日のAIR-G(北海道のFM局です)を聞けることくらいですね。どすこい。

あまりにもヒマなので(やる気が無いとも言う)、私も昔の写真を掘り起こしてみました。
旧ブログ時代に、たまに「アーカイブシリーズ」をやっていたのですが、7年ぶりの復活。
初回は2004年のラリージャパン。記念すべきWRC日本ラウンドの1回目です。

このころ私は室蘭に住んでいました。
ラリーのメイン会場となる帯広までは5時間くらいかな。
日本全国からWRCファンが集まってきましたが、北海道に住んでいたのは幸運でしたね。

WRCは通常金~日の3日間開催ですが、私は土曜日の昼に帯広に着いたようです。
詳しい経緯は全然覚えていませんが、この年は休みが取れなかったのかな。


ちょっとだけサービスパークの写真が残ってた。


札内川の河川敷にマシン2台が同時走行するスーパースペシャルステージ(SSS)が設置されました。

売り切れでチケットを買えなかったのか、それともあえて買わなかったのか、やっぱり覚えていないのですが、
僕はフェンスの隙間から覗き見していたようです。
夜だから写真は撮れないとあきらめて買わなかったのな。


WRCマシンのサウンドはしっかり聞こえていたと思いますが・・・覚えてない(笑)。


たしかこの仮設ステージ設営にめっちゃお金かかっちゃったんだよね。

翌日曜日。
たしか農道空港かなんかが指定駐車場になっていて、そこで車中泊したと思うんですが、
そこから送迎バスに乗って、SSの観戦エリアに連れていかれました。


2004・2005年は後援に毎日新聞がついてたんですよね。
正直道民にはほとんど馴染みがないんじゃないかと思いますが。


写真を見るまで全く記憶にありませんでした。
コースの安全を確認する0カーのドライバーはマキネンだったんだ。


マシンはプジョー307ですね。

SS名はたしか”パンケニコロベツ”だったと思います。
観戦エリアから見える範囲は、スタート後のわずかな直線とそれに続く左コーナーのみ。
これで6,000だか8,000円だったと思いますが、
初めてのWRCとは言え、見てる分には全く面白くなかったです(笑)。
結局翌年から陸別以外のSSに行くことはありませんでした。


本棚ウイングが懐かしいインプレッサWRC2004。
コロナビールがスポンサーに付いていたのはご愛敬だな(笑)。


フォード・フォーカスを駆るのはフランソワ・デュバルか。これまた懐かしい名前です。

撮影機材は前年に買ったEOS10Dと、2002年に買った100-400のⅠ型です。
10Dはたしか秒3コマだったと思いますが、僕の人生を変えた1台ですね。
現像代を考えなくていいからこそ、あちこちに出かけて写真を撮るようになりました。


モータースポーツにタバコマネーをもう一度・・・ドライバーはマーカス・グロンホルムだ。


サインツ先生・・・

今はサインツというと、F1ドライバーのサインツJrですが、パパはWRCでチャンピオンだったんだぞ。
というか今年のパリダカも勝ってるバリバリ現役ドライバーですね。


タナックの先輩マルコ・マーティン。


SSスタートラインに並ぶのは・・・


シトロエンに乗って9年連続チャンピオンのセバスチャン・ローブ。
振り返るとこの年が初めてのチャンピオンだったんですね。


そしてペターーーー・ソルベルグ。

国内では絶大な人気を誇っていましたね。
そんなペターもいいおっちゃんになってしまいました。


新井さんはグループNでエントリー。しっかりクラス優勝してました。


これまた懐かしいマシンだな。スズキも積極的にWRCに出ていた時代です。


全日本勢が走るころには、少し冒険した写真を撮るようになっていたようで(笑)。


勝田パパですね。ラックカラーではなくスバルカラーでの参戦だったか。


この日一番決まった1枚。WRカーで置きピン流し撮りをする勇気は無かった(笑)。


観戦エリアはこんな感じでした。盛り上がってないな(笑)。
そして今思い出した。たしか脚立を抱えてバスに乗ったんだったな。


ダイハツ軍団も全日本ラリーでは常連でしたね。いつもスズキの粟津原さんと勝負してたっけ。


盛り上がっているのは、ヴィヴィオだから・・・ではなく、たぶん最終走車だからです(笑)。

観戦を終えてクルマに戻り、一応事前にラリーのアイテナリーをチェックしていたんでしょうね。
SSスタート地点の近くで、2ループ目のラリーカーを待ち構える作戦に出ました。


来た来た。そういえばマキネンは引退後スバル車でラリーチーム運営してましたね。


たぶん後ろに写っているGDAが私のクルマだと思います。
GDAだけど、STIバージョンのリヤスポイラーを付けていました。
ただ赤いステッカーを貼っていた記憶はまったく無い。


鼻をほじっているのは、今をときめく”神童”カッレ・ロバンペラのお父さんだと思います。
そしてサインツ先生は木陰で・・・


シトロエン・クサラWRC・・・懐かしいです。そして今のWRカーより一回り大きいですね。

覚えています。
正直SSよりもずっと興奮して写真を撮ってました。これがWRCのいいところなんですよね。
でも、今年のラリージャパンではクルマが無いのでリエゾンで楽しむことが出来ないんだな。


わたくしのGDAも涙目でございましたが、結局一度目の車検前にドナドナされました。
そしてGDAの代わりにやって来たのが、先週涙のお別れをしたレガシィだったわけです。


ローブ若けえな。

マシン毎にSSスタート時間が決まっているので、待機中にマシンチェックと談笑しているひとコマです。
当時は恐れ多くて近寄れませんでしたが、たぶん今の僕ならもっと近くに行って撮ってると思うな(笑)。


卓麻さんも若けえな。


スタート地点までは、みなさん結構な勢いで吹かしていきました。
不思議なもので、この時の山中に響き渡るエンジンサウンドは覚えているんですよね。


ミッコ・ヒルボネンがちょっと遅れてきたと思ったら・・・


なんと路肩に寄せてマシンチェックを始めました。
やべえ、WRCやべえと興奮は最高潮に。


しかし、写真はなぜかヘルメットにピント合わせたカットしか残っていないという(笑)。
どういうセンスしてんだ。オレ。


最後は道路沿いでリエゾンを見ると。


残っている写真を見ると、WRカーはすでに通過した後だったようです。


最後のひとコマはカラムジット・シン様の爆走シーンでした。
たぶん長いリエゾン区間にイライラしてたんでしょう(笑)。

この後、帯広ベースで行われた2007年までは4年連続で見に行っていました。
札幌で行われた2008、2010年は茨城に住んでいたので行けなかったんですよね。
今年無事に開催してくれると、13年ぶりのWRC観戦になるんだな。
僕の腕は上達していませんが、カメラが進歩してるので少しはいい写真が撮れるだろう。たぶん(笑)。