毎日が、始めの一歩!

日々の積み重ねが、大事な歴史……

人間主義のリーダーを育成しなければならぬと決意してきた。それゆえに彼は、学校建設に踏み切った

2022年01月25日 | 妙法

〈新・人間革命と私〉 創価女子短期大学学長 水元昇さん2022年1月25日

〈心に刻む珠玉の言葉〉

 (山本伸一は)民衆一人ひとりの幸福を願い、民衆に奉仕しゆく、人間主義のリーダーを育成しなければならぬと決意してきた。それゆえに彼は、学校建設に踏み切ったのだ。
〈第15巻「創価大学」の章〉

〈時代背景〉

 1971年(昭和46年)4月2日、東京・八王子市に創価大学が開学。創立者の山本伸一は大学の発展を深く祈念し、学生、教職員への激励を重ねる。その後、学部・学科などが拡充される中、85年(同60年)に創価女子短期大学が開学する。人間主義の哲学を根底にした、社会に有為な女性リーダーの育成に力を注ぐ。

人間主義の女性リーダーを輩出

 私は創価大学を卒業後、同大学院を経て、創価女子短期大学の開学とともに、1985年(昭和60年)から短大の教壇に立ってきました。本章を読み返すたびに、創大建設に奔走した思い出が蘇るとともに、短大の教員として尽力する使命の大きさを実感します。特に同章につづられている創立者の真情は、私の心に刻まれています。
 
 「私の体は、どうなろうが、徹底して学生を励まし抜く! 学生を守り育てる教育者の姿勢に、微塵も、噓、偽りの精神があってはならない。私は、学生を成長させるために生命をかける。その信念なくして教育などない
 
 この心をわが心として、社会のさまざまな分野で活躍する女性の育成を目指し、学生への励ましを続けてきました。

 2019年(平成31年)4月、学長に就任してからは、学生全員との対話と、朝の出迎えに取り組んできました。しかし、就任2年目にはコロナ禍に直面。直接、語り合うことができなくなりましたが、オンライン等を駆使し、ほぼ全員の学生と面談し、激励を続けています。
 
 そうした中、現役生は困難に負けずオンラインでの授業や課外活動に挑戦。昨年3月には“社会人基礎力育成グランプリ”で2度目の日本一に輝くなど、それぞれがレジリエンス(困難を乗り越える力)を高めています。
 
 本学には麗しき「三つの絆」があります。
 
 それは先輩を「姉」のように慕い、後輩を「妹」のように大切にする“姉妹の絆”。
 
 切磋琢磨し、励まし合いながら進む同期の“友情の絆”。
 
 そして、創立者・池田先生と短大生の間に結ばれた“父娘の絆”です。
 
 この「三つの絆」をさらに強めながら、「女性(あなた)が輝く未来を拓く」との短大開学40周年へのテーマを胸に、人間主義の女性リーダーを輩出する“女性教育の希望の城”を築いてまいります。

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私が世界を変えていく

2022年01月24日 | 妙法

〈SDGs✕SEIKYO〉 私が世界を変えていく2022年1月24日

  • 池田先生の思想と行動に学ぶ勇気の一歩

 SDGs(持続可能な開発目標)の達成へ、市民社会全体で取り組むことが求められています。そこで私たちが持つべき視点は何か。企画「SDGs×SEIKYO」の新連載「私が世界を変えていく」では、SDGsを一歩前進させる方途を、池田先生の思想と行動を通して考えていきます。
  

他者の苦しみを「自分ごと」に
捉えられる青年を育てること
1983年6月21日、旅先のアメリカからパリまで駆け付けたペッチェイ博士を池田先生ご夫妻が笑顔で迎える。この日が5度目の語らいに
1983年6月21日、旅先のアメリカからパリまで駆け付けたペッチェイ博士を池田先生ご夫妻が笑顔で迎える。この日が5度目の語らいに
「成長の限界」という警鐘

 地球温暖化の原因が「人間」の活動にあることは、疑いの余地がない――これは、国連のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が昨年に公表した報告書である。
  
 これまでも主たる原因が人間にある“可能性”は指摘されてきたが、“断定”されたのは初めて。今後も化石燃料などによるエネルギーの大量消費が続く限り、地球の未来はない。人類は、現代の経済活動やライフスタイルを支える価値観の変革を迫られている。
  
 この危機感を50年前に抱き、警鐘を鳴らした団体がある。世界的なシンクタンク(頭脳集団)である「ローマクラブ」だ。1972年に「成長の限界」と題するリポートを発表。このまま人口増大と工業投資が続けば、食糧不足、資源の枯渇、汚染の増大によって、人類社会は100年以内に「成長の限界」に達し、その生存条件ですら脅かされると警告したのである。
  
 同じ年、池田先生は世界的な歴史学者トインビー博士との対談を開始した。人類の行く末に悲観的な見方を示す識者もいた中で、二人は、人類が自らの選択で未来を切り開く可能性に言及する。
  
 「未来を切り開く鍵」として両者が一致したのは、人間の自己中心性を克服し、一人一人の行動の変革を促す宗教の必要性だった。「人類の生存に対する現代の脅威は、人間一人一人の心の中の革命的な変革によってのみ、取り除くことができる」(トインビー博士)
  
 2年越しの語らいの後、博士は自らの友人の名前をメモに記し、“お会いしていただければ”と望んで、池田先生に託している。その友人の一人が、ローマクラブの創立者アウレリオ・ペッチェイ博士だった。
  
 先生との対談が実現したのは1975年。その模様を題材にして地球の未来を展望する場面が、小説『新・人間革命』第21巻「共鳴音」の章に描かれている。
  

内田健一郎画
内田健一郎画
ローマクラブ創立者 アウレリオ・ペッチェイ博士との語らいから

 【小説『新・人間革命』第21巻「共鳴音」の章に描かれた場面】
 1975年はSGI(創価学会インタナショナル)が発足した年でもあった。1月26日にグアムで行われた「世界平和会議」で山本伸一はSGI会長に就任。ペッチェイ博士がメッセージを寄せている。人間革命を基調として世界平和を目指す学会の活動に、博士はかねて共感を抱いていたのである。翌2月、博士から伸一に会談を希望する書簡が届く。5月16日、イタリアから遠路、伸一のいるフランスのパリ会館を訪れた博士の手には、伸一の小説『人間革命』の英語版が携えられていた――。
  

種を蒔かずしては!

 「それは、人間自身のエゴです」――地球的規模での危機的状況を招いた根本要因を、博士はこう指摘した。「人類の繁栄と幸福のためには、人間革命が必要なのです。それが人類の未来を決定します」
  
 伸一は仏法の視座から、真実の幸福と人間革命の関係について語る。
 「仏法は、人間が欲望に支配され、物質的・環境的条件の充足による幸福の追求にとらわれている限り、真実の幸福はないと教えています。そして、利己的な欲望や本能的衝動に支配されない主体性を確立し、他者と協調し、自然と調和していく生き方にこそ、幸福実現の道があることを説いています。その生き方は、人間の生命に内在し、宇宙万物を統合する永遠の法則に融合を求めていくなかで確立されていくものであり、そこに人間革命の道があると、仏法では教えているんです」
  
 博士は尋ねた。「人類の人間革命を成し遂げていくには、どれぐらいの時間が必要でしょうか」。多くの難問を抱える今、人間自身の変革を100年も待つことなど、とてもできない。急がねばならない――と。
  
 伸一は答えた。「人間を変革する運動は漸進的です。かなりの時を要します。しかし、行動せずしては、種を蒔かずしては、事態は開けません。私は、今世紀に解決の端緒だけは開きたいと思っています。そのために、これまでにも増して、さまざまな角度から、さらに提言を重ね、警鐘を発していく決意です。また、エゴイズムの根本的な解決のために、私どもの人間革命運動に、一段と力を注ぎます」
  
 その後も、二人は東京やイタリアなどで語らいを重ね、内容は対談集に結実した。タイトルは『手遅れにならないうちに』(邦題『21世紀への警鐘』)。現在までに17の言語で発刊されている。
 博士は晩年、子息にこう語っていたという。「世界を変革できるのは、青年だよ。青年の人間革命によって、世界は変わるんだよ」
  
 経済の成長に限界はあるが、人間の学びに限界はない。外の資源は有限だが、人間の内なる富は無限である――それを引き出す人間革命の実践を、博士は青年に期待した。伸一は博士との約束を守るため、現実の上で具体的な行動を重ねていく。
  

昨年11月、イギリス・グラスゴー市内で行われたCOP26に合わせて開幕した「希望と行動の種子」展。「持続可能な開発のための教育」を進めるため、SGIと地球憲章インタナショナルが共同制作した
昨年11月、イギリス・グラスゴー市内で行われたCOP26に合わせて開幕した「希望と行動の種子」展。「持続可能な開発のための教育」を進めるため、SGIと地球憲章インタナショナルが共同制作した
Action 何ができるか――持続可能な社会の創り手に

 池田先生は1983年以来、毎年、1・26「SGIの日」に寄せて記念提言を発表してきた。
  
 2016年の提言では、国連がSDGsの基本理念として掲げた「誰も置き去りにしない」との誓いに言及。「胸を痛める心」「『同苦』の生命感覚を基盤とすること」「関係性への『想像力』」「背景や原因を見つめるまなざし」等の表現を通して、苦しんでいる人を“他者”とは捉えず、自分の身に引き寄せて考える教育の重要性を訴えた。そして「変革の世代」である青年たちの誓いと行動に、人類の未来を決する鍵があると強調したのである。
  
 「持続可能な開発」とは「将来の世代がそのニーズを満たせる能力を損なうことなしに、現在のニーズを満たす開発」と定義されている。SDGsといっても、その営みが一過性ではなく、何年何十年と続くものでなければ、持続可能な地球は保証されない。私たち大人が“今”できる取り組みを着実に為すとともに、“未来”世代である青年や子どもたちを「持続可能な社会の創り手」として育んでいくことが、同時に不可欠といえよう。
  
 国連がESD(持続可能な開発のための教育)を推進してきた理由も、それが、SDGsの目標4「質の高い教育をみんなに」として位置付けられているからだけではない。第74回国連総会(2019年)において、ESDは「SDGsの17ある全ての目標の実現に寄与するもの」と確認されたからだ。
   
 社会の片隅で苦しんでいる人の存在を「自分ごと」として捉えられる同苦の心。未来を生きる全ての人々に思いをはせる想像力。そして、今いる場所から変革への一歩を踏み出す勇気――。こうした心と力を持つ青年を育んでいくことは、そのままSDGsの前進につながっていくのである。
  

【ご意見、ご感想をお寄せください】
<メール>sdgs@seikyo-np.jp
<ファクス>03-5360-9613

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21世紀は女性の世紀

2022年01月23日 | 妙法

〈ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史〉第16回 21世紀は女性の世紀 ①折々の励まし2022年1月23日

  • 一心に戦う友を宣揚したい
「私が約束を果たします」

 草創の秋田支部の初代婦人部長だった伊藤哲子さん。ある時、数人のメンバーと一緒に、池田大作先生と散歩する機会があった。
 この激励は、戸田先生が伊藤さんを励まし、“神宮の外苑あたりを歩こう”と語ったことが始まりだった。外苑の散歩が実現する前に、恩師は逝去した。
 そのことを伊藤さんから聞いた池田先生は、「分かりました。私が必ず約束を果たします」と語り、散歩の時間を持ったのである。
 先生は学会歌「威風堂々の歌」を口ずさみながら語った。
 「戸田先生が言われた一言一言を、私はすべて実現します」
 池田先生の胸中には、いつも、どんな時も戸田先生がいる。小さなことでも、恩師が言われたことは全て実現する――。伊藤さんは「弟子の道を全うされる池田先生のお姿に、感動を禁じ得ませんでした」と述べている。
 先生は激務の合間を縫って、東北の地で懸命に広布に走る一女性に師弟の大切さを訴えた。

幸福への精進

 埼玉の茂木輝美さんは、静岡での池田先生との懇談を今も忘れない。
 「この中で、お父さんがいない人?」
 先生が問い掛けると、茂木さんはそっと手を挙げた。入会は1954年(昭和29年)。先に信心を始めた父・喜代作さんの勧めで、女子部の集いに参加したことがきっかけだった。その父が56年(同31年)に亡くなった。
 先生は「きょうから、私を父と思って、しっかり頑張りなさい」と。師の真心は、茂木さんが学会と共に進むことを誓う原点となった。
 先生は父を失った茂木さんを、折あるごとに励ましてきた。
 59年(同34年)3月4日、大宮支部会館(当時)で行われた会合の前に、「精進」との文字を染め抜いた袱紗を渡した。61年(同36年)8月22日には、書籍に「常に幸福え乃 精進を」と揮毫して贈った。
 「精進」――その言葉の意味を、茂木さんが深く心に刻んだのは、夫・磐さんと結婚してからのことだ。
 74年(同49年)、磐さんがくも膜下出血で倒れた。長男の和雄さんは2歳、長女の清美さんは1歳だった。
 緊張の糸が張り詰める中、宿命転換を懸けて学会活動に励んだ。78年(同53年)には支部婦人部長の任命を受けた。「母(志んさん)が子育てを手伝ってくれて……。義理の両親の介護もあり、母の支えがなければ、とても乗り越えることはできませんでした」
 磐さんは左半身にまひが残ったが、リハビリに励み、やがて車いすで地域を回るように。89年(平成元年)に亡くなるまで、自治会の理事を務めた。この年、先生の提案で埼玉文化会館に「茂木桜」が植樹された。毎年、満開の花を咲かせている。
 茂木さんは夫の後を継ぎ、28年間、自治会の理事として地域に貢献。市から表彰を受けた。現在、団地の自治会長として近隣との絆を育む。
 ――父がいたからこそ、信心に巡り合うことができた。
 ――師の励ましがあったからこそ、幸福の軌道を進むことができた。
 2人の“父”への感謝を胸に、茂木さんは「精進」の歩みを重ね続ける。

「素晴らしき人生を勝ち開いていかれることを、私と妻は祈る日々である」――創価の女性に励ましを送り続ける池田先生ご夫妻(2007年3月、八王子市の東京牧口記念会館で)
「素晴らしき人生を勝ち開いていかれることを、私と妻は祈る日々である」――創価の女性に励ましを送り続ける池田先生ご夫妻(2007年3月、八王子市の東京牧口記念会館で)
この船たしか

 1978年(昭和53年)6月30日、東京の立川文化会館へ、渡辺光子さんら5人の東久留米の婦人が向かった。この月、渡辺さんが婦人部長を務める支部では、204部の本紙の拡大を成し遂げていた。
 会館に到着して驚いた。駐車場に池田先生の姿が見えたからだ。5人は急ぎ足で、師のもとに駆け寄った。先生は持っていたカメラを向け、シャッターを切った。
 駐車場にござが敷かれ、“座談会”が始まった。「祖母が病気です」と語る婦人に、先生は御書の「転重軽受法門」の一節を拝し、信心の絶対の確信を語った。「不眠症で苦しんでいる年配者がいます」と報告する友には、袱紗を贈った。
 激励は続いた。「みんな、お昼はまだだろう」。近くの店からラーメンの出前を取ることになった。それを待つ間、「きょう完成したばかりの歌なんだ」と、自らが作詞・作曲した学生部歌「広布に走れ」を披露した。
 先生は歌詞に込めた思いを語り始めた。3番の「歴史を創るは この船たしか」について、「『この船』とは、創価学会のことなんだよ。学会についていけば絶対に間違いない。幸せになる」と強調した。
 当時、宗門僧らが師弟の分断を画策していた。先生は、小賢しい邪知の嵐などに、決して揺るがぬ正義の大船こそ学会であるということを、婦人たちの心に刻んだ。
 師から5人に、「お軽勘平グループ」との名が贈られた。渡辺さんは“なぜ、お軽・勘平なのか”が分からなかった。先生はその人を一瞬にして見抜くと、先輩から聞いていた。“ならば、私たちの姿を見て、何かを感じられたに違いない”
 「お軽」「勘平」は、浄瑠璃や歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」に登場する人物。夫・勘平が主君の仇討ちに参加するために、妻・お軽は尽くすが、ふとした誤解から勘平は追い詰められ、自ら命を絶つ。悲劇の物語である。
 「お軽勘平グループ」の名が意味するのは、お軽や勘平のようになれ、ということではない。むしろ逆だ。ちょっとした油断や隙から、人生を棒に振り、肝心な広布の“戦”に集うことができないようなことがあってはならない。渡辺さんは、師からの“戒め”と捉えた。
 だからこそ、どんな広布の戦いにも精いっぱい挑んだ。3人の子どもは、その母の姿を見てきた。長男・伸一さんは地区部長、次男・敏之さんは支部長、長女・礼子さんは地区女性部長として、広布の最前線を駆けている。

立川文化会館の駐車場で、東久留米の女性部員らに声を掛ける(1978年6月30日)。語らいの数日後、池田先生は語った。「あのようなけなげな人たちこそ、学会には大事なんだ」
立川文化会館の駐車場で、東久留米の女性部員らに声を掛ける(1978年6月30日)。語らいの数日後、池田先生は語った。「あのようなけなげな人たちこそ、学会には大事なんだ」
平和を祈り続ける

 ヨーロッパ中部から南東へのびるバルカン半島。この地に誕生した初のSGIメンバーは女性である。
 ヤスミナ・トゥンペイさん。イギリスの大学で精神医学を学んでいた時、仏法に巡り合った。1983年(昭和58年)、東欧広布の誓いに燃え、故郷のユーゴスラビアに戻る。
 2年後、彼女の自宅で、ユーゴスラビア初の総会が開催された。現在のセルビア、クロアチアなどから30人ほどのメンバーが集った。
 90年代の前半から、ユーゴスラビアは内戦の悲劇に見舞われる。民族感情のマグマが噴出する中、ヤスミナさんは、一日も早く平和が訪れることを祈り続けた。
 内戦が終結した翌年、ヤスミナさんの母・リリアナさんが亡くなった。葬儀は、住んでいたスロベニアで、初となる友人葬で行われた。
 葬儀場に、先生からの追悼の花束が届いた。ヤスミナさんは「先生は、たった一人のために、ここまで心を尽くされるんですね」と深い感銘を受けた。
 新世紀が開幕した2001年(平成13年)、ヤスミナさんはスロベニアSGIの初代支部長に就任する。心理療法士として働きながら、スロベニアの大地に妙法の種をまいた。
 03年(同15年)、同国の文芸誌に先生のインタビュー記事が掲載され、国営テレビがSGIの思想を報道した。その2年後、スロベニアSGIは文化団体として、法人認可を受けた。
 スロベニア広布の伸展を見届けるようにして、07年(同19年)、ヤスミナさんの生涯は幕を閉じた。
 同SGIの現在の支部長であるアニータ・プレゼリさんは、ヤスミナさんが信心に導いた一人である。

スウェーデン広布の一粒種

 「私はどこに行っても、その地に難攻不落の城を築く思いで戦っている。一人でもいい。私と同じ精神で戦おうという人を探している」
 池田先生がこう切り出したのは、1989年(平成元年)2月、学会の幹部が集まった会合でのこと。この後、先生は一人の女性に言及した。
 「スウェーデンの広宣流布を支えたのは、一人の女性なんだ」
 「上原鏡子さんという、鹿児島出身の女子部員です。『スウェーデンは、私一人で開いていきます』と言ってくれた」
 上原さんは33年(昭和8年)、鹿児島の指宿で生まれた。戦後、神戸で入会する。先生が第3代会長に就任した60年(同35年)、仕事の関係でスウェーデンに移った。
 62年(同37年)、先生は書籍に「冥益」と揮毫し、上原さんに贈った。翌63年(同38年)1月には、ヨーロッパ総支部とパリ支部の結成大会で、上原さんを励ましている。
 この年、上原さんは「スカンジナビア地区」の責任者になる。スウェーデンに信心の喜びが広がると、同志の激励のため、西部の都市イエーテボリ、南部の都市マルメにも足を運んだ。
 スウェーデンで仏法の哲理を語り広げた上原さんだったが、体調を崩してしまう。79年(同54年)、鹿児島に戻り、生涯を閉じた。
 先生は上原さんをたたえた。
 「頼れる人もいない。言葉もそれほど上手ではない。しかし、彼女は掃除や皿洗いをしながら生活費を切り詰めて戦ったんだ。無名の、このような人々をこそ、私は励まし、宣揚したい」

ヨーロッパ総支部とパリ支部の結成大会後、池田先生がメンバーと記念のカメラに。前列左端に写っているのが、スウェーデン広布の“一粒種”である上原鏡子さん(1963年1月、パリで)
ヨーロッパ総支部とパリ支部の結成大会後、池田先生がメンバーと記念のカメラに。前列左端に写っているのが、スウェーデン広布の“一粒種”である上原鏡子さん(1963年1月、パリで)
文明史的な意味

 21世紀の幕が上がった2001年1月。先生は「生命の世紀へ 大いなる潮流」と題する提言を発表した。その中で次のように述べている。
 「二十一世紀における女性の存在の重みは、法律面や経済面での『解放』(それも大事ですが)をはるかに超えた、文明史的な意味をもっています」
 「それゆえ、二十一世紀が基調とすべき『生命の世紀』とは、『女性の世紀』の異名でもあるといえましょう」
 先生は「21世紀は女性の世紀」と繰り返し訴え、女性のエンパワーメント(内発的な力の開花)に尽くし、無数の励ましの松明をともしてきた。その明かりに照らされ、地涌の使命の舞を舞う女性が世界各地にいる。
 自分の宿命に負けないで、地道に誠実に、家庭や地域に幸福の灯をともす創価の女性の連帯は、「生命の世紀」を希望の光で照らしている。

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世界平和への誓い

2022年01月21日 | 妙法

〈桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進Ⅱ〉第2回 世界平和への誓い2022年1月21日

  • 永続的な勝利への大道を歩め

 連載「勇気の舞 凱歌の行進Ⅱ」では、池田先生がつづった長編詩を紹介していきます。第2回は、「世界平和の道 人類の花園」(2000年)です。

1994年6月、第18回SGI総会で、世界の友にエールを送る池田先生と香峯子夫人(イギリスのタプロー・コート総合文化センターで)。席上、「政治は力で結ばれる。経済は利害で結ばれる。これに対し、文化は心で結ばれる。ゆえに、私どもは、美しき心の虹で、さらに世界を結びたい」と
1994年6月、第18回SGI総会で、世界の友にエールを送る池田先生と香峯子夫人(イギリスのタプロー・コート総合文化センターで)。席上、「政治は力で結ばれる。経済は利害で結ばれる。これに対し、文化は心で結ばれる。ゆえに、私どもは、美しき心の虹で、さらに世界を結びたい」と

 人類の英知の
 真髄の結論は何か?
 それは
 この地球世界から
 「悲惨」の二字を
 なくすことだ!
  
 「自由」があるから
 人間は幸福。
 「平和」があるから
 人間は安全。
  
 平和と自由は
 祝福されるべき
 人類の血が求め抜いた
 宝庫である。
  
 豊かにして堂々たる
 全世界の都会には
 無数の人間が行動している。  
 しかし ひとたび
 戦争になれば
 それらは皆
 巨大な牢獄と化してしまう。
  
 多くの民族が融合し
 燃え盛る
 生命と生命との
 音をたてながら
 新しい時代を
 新しき二十一世紀の舞台を
 築きゆかんとする
 鋭敏な魂よ!
  
 ◆◇◆
  
 君は
 驚くほど
 強くなるのだ!
 君よ
 偉大な巨人として
 生き抜くのだ!
  
 ありとあらゆる
 嫌悪の苦汁を
 呑まされゆく苦痛は
 断じて打ち破れ!
 彼らは
 嘆息するような
 気の毒な
 哀れな道をゆく者なのだ。
  
 おお 人間よ!
 おお 人類よ!
 偽善者に
 断じて騙されるな!
  
 絶対の平和の大道は
 庶民の心にあることを
 忘れてはならない。
  
 ◆◇◆
  
 いかなる
 憂鬱なことがあっても
 断固たる
 創造者であり
 先覚者である
 私たちは
 永続的な勝利への大道を
 歩みゆくことを
 断じて忘れてはならない。
  
 固い道も
 柔らかい道も
 生涯 持ち続けた
 汝自身の精神を
 汝自身の高尚な思想を
 堅持しながら
 変転極まりない
 この社会をば
 魂の極致の信念をもって
 私たちは進むのだ!
  
 何ものにも屈せず歩む!
 恐れを拒否して歩む!
 人生の生命の
 終わりも忘れて歩む!
 そして走る!
  
 我らには
 永遠の希望がある。
 我らの天下の都市は
 恐れも嘆きも終末もない。
 人間が人間として
 喜び合い 助け合う
 連帯の都市なのだ!
  
 そして そこから
 「世界平和の道」を
 創るべきだ!
 「人類の花園」を
 築くべきだ!
  
 これを
 「一閻浮提の広宣流布」と
 大聖人は見通し
 予見されたのである。
  
 「末法万年 尽未来際」
 この甚深の御聖訓を
 私どもは
 永遠に忘れてはならない。
 その使命があるからだ!

 
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偉大な歴史を築く一年に!

2022年01月18日 | 妙法

VOD新番組に収録された池田先生の指針――偉大な歴史を築く一年に!2022年1月18日

  • 戸田先生「勇気をもって仏法を実践せよ」
  • 何があっても断じて勝つ

 池田先生のスピーチを収録した新番組「広布拡大こそ報恩の道」が、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)に追加された。内容は、2002年1月に行われた、第13回本部幹部会でのスピーチである。「青年・飛躍の年」のスタートを切り、勇気の対話拡大に走る友への指針として、スピーチの要旨を掲載する。
 ※VOD番組の時間は約10分、番組コード=AD07。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴可能。モバイルSTBで視聴する際は、インターネットを通してダウンロードが必要です。「SOKAnet会員サポート」では、VODの同番組は視聴できません。

2002年1月に行われた本部幹部会でスピーチする池田先生(八王子市の東京牧口記念会館で)
2002年1月に行われた本部幹部会でスピーチする池田先生(八王子市の東京牧口記念会館で)

 あけまして、おめでとう! どうか、この一年も、よろしくお願い申し上げたい。
 
 戸田先生が、しばしば、遺言のように語っていた言葉は何か。
 
 それは「勇気」である。
 
 「仏法の真髄は、慈悲であり、われわれにも慈悲は必要だけども、凡夫だから、なかなか慈悲はもてないものである。
 この慈悲に代わるのが勇気だ。
 『人を救おう』『自分を向上させよう』『人間革命しよう』『日本を、世界を広宣流布しよう』という勇気だ。
 勇気をもって仏法を実践することが、慈悲に通じていくのである」
 
 これが戸田先生の厳然たる指導であった。
 
 この一年、自分自身のため、偉大なる歴史の建設のため、勇気をもって前進してまいりたい!

不惜身命の闘争こそ師弟の魂

 きょう1月8日は、57年前(1945年)、牧口初代会長の獄死の事実を、同じく獄中にあった戸田第2代会長が、判事から初めて告げられた、厳粛な「師弟の日」である。
 
 師の獄死を初めて知った。あまりの悔しさに泣きあかした。師弟というのは、そういうものである。
 
 〈治安維持法違反と不敬罪で投獄された牧口常三郎先生は、1944年(昭和19年)11月18日に獄中で逝去された。厳しい独房生活による栄養失調と老衰のためである。翌45年の1月8日、戸田城聖先生は、取り調べの判事から「牧口は死んだよ」と告げられた。
 後年、戸田先生はその時の心中を語っている。
 「先生の死をお聞きしたとき、だれが先生を殺したんだと叫び、絶対に折伏して、南無妙法蓮華経のために命を捨てようと、決心したのであります」(『戸田城聖全集』3)〉
 
 この日から、戸田先生は「広宣流布の巌窟王」となった。
 
 自分が偉くなるのではない。殉教の牧口先生の“分身”となって、先生の精神を実現していくのだ――こう決意された。
 
 第3代の私も、寸分たがわぬ「師弟不二の心」で、御聖訓どおりの難を一身に受けながら、戦って戦って戦いぬいてきた
 
 不惜身命死身弘法の大闘争。これが、牧口先生、戸田先生、そして私という、創価学会を貫く師弟の魂なのである。
 
 巡り来た「1月8日」のこの日、世界広宣流布の大実証を、私は皆さま方とともに、牧口、戸田両先生にご報告することができた。それが何よりもうれしい。

学会創立100周年へ、勇躍前進を誓い合う第6回本部幹部会。席上、VOD新番組「広布拡大こそ報恩の道」が上映された(今月8日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)
学会創立100周年へ、勇躍前進を誓い合う第6回本部幹部会。席上、VOD新番組「広布拡大こそ報恩の道」が上映された(今月8日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)
広布拡大が報恩

 「華果成就御書」には、「弟子が妙法を弘める功徳は、必ず師匠の身に帰する」(全900・新1211、趣旨)という原理が御教示されている。
 
 弟子が戦うことが、師匠への恩返しである。これが仏法である。人間の道である。
 
 ゆえに、広宣流布の拡大の闘争こそが、師匠への最大最上の報恩となるのである。
 
 日蓮大聖人は、「撰時抄」に、こう仰せである。
 
 「多くの流れが集まって大海となる。微小な塵が積もって須弥山(最高の山)となったのである。日蓮が法華経を信じて題目を唱え始めたことは、日本の国にとっては、一つのしずく、一つの微塵のようなものである。
 やがて二人、三人、十人、百千万億人と、法華経の題目を唱え伝えていくほどならば、妙覚(最高の悟り)の須弥山ともなり、大涅槃という悟りの大海ともなるであろう。仏になる道は、これよりほかに、また求めてはならない」(全288・新205、通解)
 
 「仏になる道」は、どこにあるのか。それは「広宣流布の拡大」にしかない。
 
 大聖人の仏法は「広宣流布の信心」である。
 
 信心即生活である。ゆえに、今がどれだけ厳しくとも、この広宣流布の信心さえ貫けば、すべての努力が生かされ、いくらでも生活の面で、また社会の面で、勝利し、成功していけるのである。
 
 今、世界の同志の連帯は、かけ算のように何倍もの力を発揮し、功徳も増し、人材も増し、威光勢力も増し始めた。
 
 日顕一派と決別し、広宣流布は、大聖人正統の創価学会によって、この地球上に、いやまして速度を加え、伸展してきた。
 
 これもすべて、世界広宣流布を自由自在に進められるようにとの御仏意であり、御仏智であったというほかない。
 
 いよいよ、“太陽の大仏法”が、平和へ、幸福へ、繁栄へ、全人類を本格的に照らす時代に入ったと思えてならない。
 
 大聖人は在家の弟子に、「その国の仏法流布は、あなたにおまかせいたします」(全1467・新1953、通解)と仰せになっている。
 
 大聖人から託された、それぞれの深き使命の天地にあって、世界最高峰の須弥山のごとき大福運を積んで積んで積みきっていただきたい。

第6回本部幹部会で上映された、音楽隊・創価グロリア吹奏楽団と鼓笛隊・創価シャイニングスピリッツの祝賀演奏
第6回本部幹部会で上映された、音楽隊・創価グロリア吹奏楽団と鼓笛隊・創価シャイニングスピリッツの祝賀演奏
全てに意味が

 ここで、日蓮大聖人が四条金吾にあてられた、有名な御書の一節を拝したい。
 
 同僚からの讒言によって、主君から領地替えを命じられるなど、苦境に立たされていた金吾への励ましのお手紙である。
 
 「一生は夢の上の出来事のようにはかないもので、明日のことさえわからないものである。たとえ、どんな乞食になったとしても、法華経にきずをつけてはならない。
 それゆえ、同じくは、(あなたの決意はすでに定まっているのであるから)嘆いた様子を見せないで、このあなたの誓状に書かれたように、少しもへつらわずに振る舞い、語っていきなさい。
 なまじ、へつらうようなことがあれば、かえって(状況は)悪くなるであろう。たとえ、所領を没収され、(土地を)追い出されようとも、それは十羅刹女諸天善神)の御計らいであるのだろう、と深く信じていきなさい。
 もし日蓮が(佐渡に)流罪されないで鎌倉にでもいたならば、あの戦い(文永9年2月の北条一族の内乱=二月騒動)に巻きこまれて、きっと打ち殺されていたにちがいない。今、あなたが江間家を追い出されることも、このまま江間家にとどまっていてはよくないだろう、という釈迦仏の御計らいなのであろう」(全1163・新1583、通解)と。
 
 大聖人は佐渡流罪という大難にあわれた。しかし、そうであったからこそ、戦乱をまぬかれることができ、かえって良かったのだと仰せである。

強き信心が変毒為薬の原動力

 仏法の眼で見るならば、すべてに深い意味がある。
 
 嘆いてはいけない。「強き信心」「勇気ある信心」さえあれば、あらゆる困難を、必ず「変毒為薬」していける。
 
 どうか、この大聖人の御聖訓を心に刻み、何があっても前へ、また前へ、前進していただきたい。
 
 仏法は勝負である。
 
 断じて勝たねばならない。自身に勝ち、人生に勝利していく。そのための信心である。
 
 雄々しく苦難と闘う皆さま、そして誠実な心で戦う皆さまの姿は、すべて大聖人が御覧になっている。
 
 安心して、使命深き、わが人生を生きぬいていただきたい。
 
 この一生、毅然と、勇敢に、胸を張り、一日一日を、自分らしく進んでいっていただきたい。
 
 皆さま方が、健康で、朗らかで、長生きして、和楽の人生を築かれんことを心よりお祈り申し上げたい。
 
 寒いなか、奮闘してくださっている尊き同志に喜びをあたえゆく、名指導のできるリーダーであっていただきたい。
 
 どうか、この一年、お幸せに! 本当にご苦労さま! ありがとう!

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