VOD新番組に収録された池田先生の指針――偉大な歴史を築く一年に!2022年1月18日
- 戸田先生「勇気をもって仏法を実践せよ」
- 何があっても断じて勝つ
池田先生のスピーチを収録した新番組「広布拡大こそ報恩の道」が、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)に追加された。内容は、2002年1月に行われた、第13回本部幹部会でのスピーチである。「青年・飛躍の年」のスタートを切り、勇気の対話拡大に走る友への指針として、スピーチの要旨を掲載する。
※VOD番組の時間は約10分、番組コード=AD07。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴可能。モバイルSTBで視聴する際は、インターネットを通してダウンロードが必要です。「SOKAnet会員サポート」では、VODの同番組は視聴できません。
あけまして、おめでとう! どうか、この一年も、よろしくお願い申し上げたい。
戸田先生が、しばしば、遺言のように語っていた言葉は何か。
それは「勇気」である。
「仏法の真髄は、慈悲であり、われわれにも慈悲は必要だけども、凡夫だから、なかなか慈悲はもてないものである。
この慈悲に代わるのが勇気だ。
『人を救おう』『自分を向上させよう』『人間革命しよう』『日本を、世界を広宣流布しよう』という勇気だ。
勇気をもって仏法を実践することが、慈悲に通じていくのである」
これが戸田先生の厳然たる指導であった。
この一年、自分自身のため、偉大なる歴史の建設のため、勇気をもって前進してまいりたい!
きょう1月8日は、57年前(1945年)、牧口初代会長の獄死の事実を、同じく獄中にあった戸田第2代会長が、判事から初めて告げられた、厳粛な「師弟の日」である。
師の獄死を初めて知った。あまりの悔しさに泣きあかした。師弟というのは、そういうものである。
〈治安維持法違反と不敬罪で投獄された牧口常三郎先生は、1944年(昭和19年)11月18日に獄中で逝去された。厳しい独房生活による栄養失調と老衰のためである。翌45年の1月8日、戸田城聖先生は、取り調べの判事から「牧口は死んだよ」と告げられた。
後年、戸田先生はその時の心中を語っている。
「先生の死をお聞きしたとき、だれが先生を殺したんだと叫び、絶対に折伏して、南無妙法蓮華経のために命を捨てようと、決心したのであります」(『戸田城聖全集』3)〉
この日から、戸田先生は「広宣流布の巌窟王」となった。
自分が偉くなるのではない。殉教の牧口先生の“分身”となって、先生の精神を実現していくのだ――こう決意された。
第3代の私も、寸分たがわぬ「師弟不二の心」で、御聖訓どおりの難を一身に受けながら、戦って戦って戦いぬいてきた。
不惜身命・死身弘法の大闘争。これが、牧口先生、戸田先生、そして私という、創価学会を貫く師弟の魂なのである。
巡り来た「1月8日」のこの日、世界広宣流布の大実証を、私は皆さま方とともに、牧口、戸田両先生にご報告することができた。それが何よりもうれしい。
「華果成就御書」には、「弟子が妙法を弘める功徳は、必ず師匠の身に帰する」(全900・新1211、趣旨)という原理が御教示されている。
弟子が戦うことが、師匠への恩返しである。これが仏法である。人間の道である。
ゆえに、広宣流布の拡大の闘争こそが、師匠への最大最上の報恩となるのである。
日蓮大聖人は、「撰時抄」に、こう仰せである。
「多くの流れが集まって大海となる。微小な塵が積もって須弥山(最高の山)となったのである。日蓮が法華経を信じて題目を唱え始めたことは、日本の国にとっては、一つのしずく、一つの微塵のようなものである。
やがて二人、三人、十人、百千万億人と、法華経の題目を唱え伝えていくほどならば、妙覚(最高の悟り)の須弥山ともなり、大涅槃という悟りの大海ともなるであろう。仏になる道は、これよりほかに、また求めてはならない」(全288・新205、通解)
「仏になる道」は、どこにあるのか。それは「広宣流布の拡大」にしかない。
大聖人の仏法は「広宣流布の信心」である。
信心即生活である。ゆえに、今がどれだけ厳しくとも、この広宣流布の信心さえ貫けば、すべての努力が生かされ、いくらでも生活の面で、また社会の面で、勝利し、成功していけるのである。
今、世界の同志の連帯は、かけ算のように何倍もの力を発揮し、功徳も増し、人材も増し、威光勢力も増し始めた。
日顕一派と決別し、広宣流布は、大聖人正統の創価学会によって、この地球上に、いやまして速度を加え、伸展してきた。
これもすべて、世界広宣流布を自由自在に進められるようにとの御仏意であり、御仏智であったというほかない。
いよいよ、“太陽の大仏法”が、平和へ、幸福へ、繁栄へ、全人類を本格的に照らす時代に入ったと思えてならない。
大聖人は在家の弟子に、「その国の仏法流布は、あなたにおまかせいたします」(全1467・新1953、通解)と仰せになっている。
大聖人から託された、それぞれの深き使命の天地にあって、世界最高峰の須弥山のごとき大福運を積んで積んで積みきっていただきたい。
ここで、日蓮大聖人が四条金吾にあてられた、有名な御書の一節を拝したい。
同僚からの讒言によって、主君から領地替えを命じられるなど、苦境に立たされていた金吾への励ましのお手紙である。
「一生は夢の上の出来事のようにはかないもので、明日のことさえわからないものである。たとえ、どんな乞食になったとしても、法華経にきずをつけてはならない。
それゆえ、同じくは、(あなたの決意はすでに定まっているのであるから)嘆いた様子を見せないで、このあなたの誓状に書かれたように、少しもへつらわずに振る舞い、語っていきなさい。
なまじ、へつらうようなことがあれば、かえって(状況は)悪くなるであろう。たとえ、所領を没収され、(土地を)追い出されようとも、それは十羅刹女(諸天善神)の御計らいであるのだろう、と深く信じていきなさい。
もし日蓮が(佐渡に)流罪されないで鎌倉にでもいたならば、あの戦い(文永9年2月の北条一族の内乱=二月騒動)に巻きこまれて、きっと打ち殺されていたにちがいない。今、あなたが江間家を追い出されることも、このまま江間家にとどまっていてはよくないだろう、という釈迦仏の御計らいなのであろう」(全1163・新1583、通解)と。
大聖人は佐渡流罪という大難にあわれた。しかし、そうであったからこそ、戦乱をまぬかれることができ、かえって良かったのだと仰せである。
仏法の眼で見るならば、すべてに深い意味がある。
嘆いてはいけない。「強き信心」「勇気ある信心」さえあれば、あらゆる困難を、必ず「変毒為薬」していける。
どうか、この大聖人の御聖訓を心に刻み、何があっても前へ、また前へ、前進していただきたい。
仏法は勝負である。
断じて勝たねばならない。自身に勝ち、人生に勝利していく。そのための信心である。
雄々しく苦難と闘う皆さま、そして誠実な心で戦う皆さまの姿は、すべて大聖人が御覧になっている。
安心して、使命深き、わが人生を生きぬいていただきたい。
この一生、毅然と、勇敢に、胸を張り、一日一日を、自分らしく進んでいっていただきたい。
皆さま方が、健康で、朗らかで、長生きして、和楽の人生を築かれんことを心よりお祈り申し上げたい。
寒いなか、奮闘してくださっている尊き同志に喜びをあたえゆく、名指導のできるリーダーであっていただきたい。
どうか、この一年、お幸せに! 本当にご苦労さま! ありがとう!