【ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち】第11回 アショーカ大王2021年9月5日
「法による勝利」こそ、すなわち
最上の勝利なり。それは現世また
後世にまで利益と安楽をもたらす。
池田大作先生と対談した識者は、その人をたたえてやまない。
20世紀最大の歴史学者アーノルド・トインビー博士は「仏教哲人王」と評し、欧州統合の父クーデンホーフ=カレルギー伯爵は「世界で最高に尊敬したい大王」と絶賛した。
その人とは、インド史上最初の統一国家を築いたマウリヤ王朝の第3代の王・アショーカ大王である。
時は紀元前3世紀。今から約2300年前、仏教に帰依したアショーカは、戦争を悔いて「武力による政治」を「人道による政治」へと大転換し、「法(ダルマ)による統治」を実践した。
強者が弱者を支配する“弱肉強食の時代”。その中で福祉に力を入れ、井戸や道路などを整備し、人間はもとより家畜のための病院もつくった。正しい法に出あい、「民衆のために」生きようと決意したのである。
アショーカは述べている。
「世のすべての人の利益のために働くことよりも崇高な事業はない」「みずから民衆に親しみ、近づくことが、私がなせる最上のことである」と。そこには、活躍を支えてくれた民衆への感謝があったに違いない。
さらにアショーカは、仏教興隆の礎を築き、その教えを基調とした思想を伝え広めるため、石柱や岩石に「法勅」(碑文)を刻み、各地に残した。
仏典には「阿育」の名で登場し、釈尊に土の餅を供養した子どもが、その功徳で後にアショーカ大王として生まれたと説かれている。<「仏に土の餅を供養せし徳勝童子は阿育大王と生れたり」(御書1315ページ)>
法勅の一つに、こうある。
「法による勝利なるものこそ、これ、即ち、最上の勝利なれ……この法による勝利は、現世に関する利益安楽にして、また、後世に関するそれなり。人の凡ての愛楽をして、法に対する愛楽たらしめよ」
全ての人はわが子である――この深き信念で万人の利益と安楽を求めたアショーカの生涯。それは「一切の衆生は吾が子なり」との釈尊の慈悲の精神を、現実の世界で実現しようとした“未聞の挑戦”であった。
私は満足しない。世のすべての
人々が幸福になるまでは。
それまで私は努力し働き続ける。
「王の中の王」として、世界史に名を刻むアショーカ大王。しかし彼は、最初から慈悲の指導者だったわけではない。むしろ、残忍なまでに武力を行使する「暴君」と恐れられた。
転機となったのは、即位から8年目。アショーカは大軍を率いて、インド南東部のカリンガ国(現在のオディシャ州など)を征服した。15万人が捕虜になり、10万人が殺されたといわれる「カリンガの大虐殺」である。
戦乱が招いた地獄の惨劇を前に、悔恨の念が大王を襲う。
「こんなことのために人は生まれたのか」「生きるとは、死ぬとは何のためか」――彼はその答えを仏教に見いだし、信仰の道を歩み始める。そして二度と戦争を起こさぬことを誓い、武器ではなく、「法」の剣を手に立ち上がったのである。
仏教を根底にした慈悲の政治によって、国内では数々の社会事業が進められ、他国には平和使節が派遣された。
彼は、個人としては熱心な仏教徒となったが、宗教を公平に扱ったことでも知られ、“法の阿育”として崇敬を集める。
「私は満足しない。世のすべての人々が利益を得るまでは。それまで私は努力し、政務に励む」「現世と来世〔における利益と安楽〕は、最上の法に対する愛慕、最上の観察、最上の敬信、最上の怖畏、最上の努力がなければ、達成することは困難である」――この熱誠に貫かれた「法による統治」は、約30年という歳月にわたった。
大王の没後、インドは分裂状態に陥るが、仏教は世界に広がり、さまざまな思想に影響を及ぼす“文化創造の源泉”となっていく。
アショーカが建立した「獅子柱頭」は、現在のインドの国章に制定されている。
人間、何が幸せか。一日一日、
「きょうもやり切った」「私は勝った」
という行動を重ねることだ。
毎日、自分として「これでよし」と
言えるよう精いっぱい生きることだ。
インド発祥の仏教は、アショーカ大王の没後、中国、韓・朝鮮半島を経て、日本へ伝わった。
日本では13世紀に日蓮大聖人が出現し、全人類の幸福と世界の平和を実現する「南無妙法蓮華経」の仏法を確立。その魂は創価学会の初代・牧口常三郎先生、第2代・戸田城聖先生、第3代・池田先生の三代会長に受け継がれ、「世界広宣流布」という師弟の大誓願となった。
1961年1、2月、池田先生は大聖人が予見した「仏法西還」の第一歩をアジアにしるす。
インドでは、アショーカ大王の法勅を刻んだ石柱を見学。その模様は小説『新・人間革命』第3巻「月氏」の章に詳しい。
石柱の下の語らいで、山本伸一は述べている。
「広宣流布の目的は、人びとが仏法を信じ、その結果、民衆が幸福になり、社会が平和になることにある。つまり、仏法の哲理が人間の生き方につながり、それが現実の社会に反映されなければならない。その一つの模範が、アショーカ大王の治世だと思う」
以来、60星霜――。太陽の仏法は、先生を中心とした同志のスクラムによって全世界へと広がり、192カ国・地域を照らす希望の陽光となった。
後に先生は、インド文化国際アカデミー理事長のロケッシュ・チャンドラ博士との対談の中で、アショーカを巡る語らいを展開。また、折々のスピーチや随筆などで大王の言葉と生涯を紹介してきた。
「民族や文化の違いを超えて、同じ人間として、一つの世界に生き、ともどもに幸福を願う――これこそが、アショーカ王の行動を支えた人間観であり、世界観です。世界市民の哲学といえるでしょう」(対談集『東洋の哲学を語る』)
「大王は『行動の人』であった。法勅に『私は、正しいと思ったことは、すべて我が身で実行したい。そして、正義を実現したいと願う』と――。
人間、何が幸せか。一日一日、『きょうも、やり切った』『きょうも悔いがない』『きょうも、私は勝った』という行動を重ねることです。毎日、自分として『これでよし』と言えるよう、精いっぱいの努力で生きる。その積み重ねが、大勝利の人生となるのです」(本紙1993年7月17日付「名誉会長の語らい」)
きょうの「行動」「努力」が未来を開く。永遠に変わらぬ、仏法勝利の方程式である。