牧口先生 生誕150周年記念インタビュー 東京学芸大学名誉教授 斎藤毅氏に聞く㊤2021年9月11日
牧口常三郎先生の生誕150周年を記念して『「人生地理学」からの出発』が7月、鳳書院から発刊された。日本地理教育学会元会長で東京学芸大学名誉教授の斎藤毅氏が、本紙に寄せた同名の連載に新たな2章を加えるなど、編集・再構成したものである。地理教育者として出発した牧口先生が、日蓮仏法に帰依し、実践する中で、なぜ創価教育学会の創立に至ったのか。日露戦争前夜の1903年、牧口先生が著し発刊された『人生地理学』が、平和の道を模索する9・11から20年の現代社会に投げ掛けるメッセージとは何か。斎藤氏へのインタビューを㊤㊦の2回にわたり掲載する。(聞き手=小野顕一、村上進)
〈『人生地理学』という書名に、どのような意味が込められているとお考えですか〉
実は、日本では、地理学の本質が意外に知られていません。地理学の本質とは、一定の世界観に基づいて、さまざまな方法で「世界像」を索めていくものといえます。
自分たちの暮らす世界をどう見るか――この世界像とは「メンタルマップ」の一種ともいえますが、頭の中にある、もっとダイナミックな世界地図のことです。例えば、近所の知り合いの家に行く時にも、あなたの世界像が働いています。また、ラジオで台風が潮岬の南を北東に進むと聞けば、東海地方や関東地方の人々は必要な備えを急いだりするでしょう。その時、あなたは頭の中の、もう一つの世界、つまり世界像の一部を活用しているのです。この世界像の基礎を形作るのを支援していくのが、地理教育の大きな目的の一つなのです。
世界像の形成には、自己の確立が欠かせません。
明治時代の書物を見ると、福沢諭吉の『世界国尽』や内村鑑三の『地人論』など、いずれも日本を代表する思想家による地理の著作があります。哲学者カントにも『自然地理学』という書物があります。カント研究者でも読まない人が多いでしょうが(笑い)。
福沢諭吉や内村鑑三らが激動する国際情勢を正確に認識できていたのは、自己を確立し、豊かな世界像を持っていたからではないでしょうか。
地理学は一つの哲学であり、自然観や世界観、ひいては人生観を豊かにし、安定したものにする学問です。その意味で、逆に自己を確立する上で不可欠なのです。
また、『人生地理学』の「人生」とは、「人間生活」のことです。『人生地理学』は、私たちを取り巻く多様な環境と「人間生活」との関係を見つめ、地球的な視点から示された、ほかならぬ牧口先生の豊かな世界像なのです。
多様な世界像が共存する社会へ
〈地理というと、歴史とともに、とかく暗記科目という印象がありますが、私たちが生きていく上で必要不可欠な哲学の一つなのですね〉
地理学は、英語で「Geography」です。「Geo」は大地や地球、「graphy」は記述したものという意味なので、直訳すると「地球を記述したもの」。地理学の歴史とは、人類が世界像を索めてきた歴史でもあるのです。
近代地理学が形成される以前、中世の西洋に、今では「TOマップ」と呼ぶ地図がありました。まず「O」を書いて、その中に大きく「T」を書き入れます。東が上になり、大陸の境界を示す「T」が地中海、タナイス川(ドン川)、紅海、陸地はアジア、ヨーロッパ、アフリカの三つに分かれます。中心が聖地エルサレム。これが当時のキリスト教の世界像だったわけです。また、仏教には須弥山を中心にした世界像があるように、宗教は、それぞれの世界像を持っています。
こうした世界像が大航海時代などを経て、現在、広く使用されているような、科学的世界観の基礎となる世界地図になっていくわけです。
人間は誰しもが各々の世界像を持っており、現代人は学校教育で学んだ科学的世界観を共有しています。しかし、実際には民族や文化、宗教等による偏りがみられ、時に衝突も起きます。
現代の世界は、多様な世界像を持つ人々の集団が共に暮らす社会です。国際理解には、多様な世界像を持つ人々との共存のために相互の対話が不可欠なのです。
ここで重要なのは、世界像とは単に大陸や海、島、山、あるいは気候や動植物だけではなく、さまざまな国や地域で生きる人々が、その地の自然環境をいかに読み取り、生活様式――つまりは文化を組み立ててきたかに注目していくという点です。牧口先生の『人生地理学』は、ここに重点が置かれているのです。
〈『人生地理学』について、斎藤先生は「極めてユニークで示唆に富んだ地理書」「とかく堅いイメージの地理学の書物とは思えぬほど、楽しく読むことができる」と評されています〉
実は戦後しばらくの間、日本の地理学界は、自然環境へ感情移入することに否定的でした。そうした中、1970年代にイーフー・トゥアンという地理学者が「人文主義地理学」と呼ばれる考え方を展開します。
例えば、富士山は単にマグマが堆積して生まれた地形という物理的な捉え方もできますが、時に私たちは神聖な霊峰として見ることがありますよね。心を通して自然を捉えていく。心を投影して意味付けをする。人間らしく空間を捉える人文主義地理学の考え方は、いわば「人間の地理学」ともいえます。この考え方が日本に輸入される70年以上も前に、それを示されていたのが牧口先生ではないか――そう私は考えています。これは『人生地理学』の一つの再評価につながっていくはずです。
トゥアンが提起した概念に「トポフィリア」があります。日本でも紹介され、地理学の思想に多大な影響をもたらしました。トポフィリアとは、「トポス(場所)」と「フィリア(偏愛)」の合成語で、場所への特別な愛着を表します。富士山を霊峰と捉えるのもトポフィリアです。
日本地理学会元会長の竹内啓一氏(故人)は、牧口先生が『人生地理学』で100年以上も前に大胆に展開されていた概念こそ、このトポフィリアの思想ではないかと指摘しています。これは世界像の形成と関わる重要な問題であるとともに、牧口先生の思想を継承し、発展させる上でも大切な課題です。
〈竹内氏は「創価学会の創始者:知られざる地理学者」を含む英文著作を2000年に発表しています。斎藤先生が牧口先生に関心を持たれた当時は、牧口先生や『人生地理学』に関する研究はあまり進んでいなかったと伺いました〉
1970年ごろ、私は鹿児島大学で教壇に立ち、柳田國男の日本民俗学について地理学方法論の立場から研究していました。東大の安田講堂を占拠した左翼学生が機動隊に排除されたのが69年。激しい学園紛争の余波の残る時代でしたが、「学問とは何か」を突き詰める契機ともなりました。地理学についても、あらためて考えたものです。この頃の地理学といえば経済地理学が中心で、中でもマルクス経済地理学に傾倒する研究者が多く、そこでは人々や生活を取り巻く環境因子は軽視されていました。環境因子を重視し、そうした唯物論的な地理学からの脱却を考える中で、たまたま手に取ったのが『人生地理学』だったのです。
『人生地理学』は、そうした意味でマルクス経済地理学の対極にあるともいえます。私自身、地域の文化や民俗に強い関心があったのですが、当時の地理学では、文化や民俗を対象としないのが一般的でした。しかし、これらに真正面から取り組む『人生地理学』は、とても魅力的で、新鮮に感じました。
鹿児島大学では「教育の革新的実践者」と題し、柳田國男と牧口先生の二人を取り上げ、仲間と共に「地域と教育」のテーマで、市民を対象とした公開講座を開きました。柳田と牧口先生は、新渡戸稲造を中心とした「郷土会」で、主に農山村に出向き、その伝統文化や民俗の調査のためのフィールドワーク(野外調査)を続けます。この郷土会から多くの人材が輩出されていったのも興味深いことです。
〈牧口先生が北海道尋常師範学校(現在の北海道教育大学)地理科担当の助教諭、また、付属小学校の訓導(教諭)として行われた授業の特色は何でしょうか〉
当時、「地理」という科目が小学校にありましたが、その教え方は、なかなか難しかったようです。とかく地名・物産の暗記を強いることになりがちだからです。牧口先生は『人生地理学』でも、この点に疑問を投げかけています。そして、教育現場で試行錯誤を繰り返しながら、「郷土地理」という独自の教授法を編み出されました。一番身近な郷土にフィールドを設定し、身の回りの事柄から世界とのつながりを教えていこうというものです。
例えば、自分の着ている服を作る材料となる「綿」を生産する国をたどることで、世界に目を向けさせ、「一国民」であると同時に、「一世界民」であることも伝えています。この教授法は、『教授の統合中心としての郷土科研究』として結実します。
ところで、『人生地理学』は大変に好評で、何度も版を重ねています。私が持っているのは5版なのですが、その後も版が増えています。なぜ、そんなに売れたのでしょうか。
これは意外に知られていないことだと思いますが、一つには、当時、主に小学校の教員を対象とした文部省中等学校教員検定試験というのがありました。難関の試験です。牧口先生は、初期に行われた、その試験の「地理地誌科」に合格し、北海道尋常師範学校の地理科担当の助教諭になりました。『人生地理学』は、この地理の受験者たちの教科書的存在となり、必読書ともなっていたのです。
〈『人生地理学』は全34章、1000ページを超える大著です。初めて読む方に、お薦めの章はありますか〉
まず、第6章の「山岳および渓谷」です。最も分かりやすく、大変に熱をこめて書かれています。先ほどの富士山をはじめ、山岳を単なる物理的な存在ではなく、あくまで日本人の自然観に基づいて、例えば山頂を「神の座」とするなど、日本人の心を通しながら見ていきます。
第25章の「国家地論」もお薦めです。これは、現代における地政学の考え方が含まれるなど、単なる国家論ではなく、世界的視野から諸国家の特性を比較しつつ論じたものです。政治地理学的な内容で、国際関係への積極的なアプローチに関心があったことがうかがわれます。
「人生地理学」という言葉もそうですが、牧口先生は言葉を独創的につくられる人でした。「国家地論」も、その一つでしょう。
第28章の「生存競争地論」では、人類史を俯瞰し、世界全体を見ていく一つの視点が描かれています。ここでは、国際社会の在り方について、人類は軍事的競争、政治的競争、経済的競争を経て、これからは人道的競争を目指すべき、と提言されています。
自分も他者も繁栄しゆく道を提唱
〈『人生地理学』が出版された当時は、日露戦争直前の激動期でした。『人生地理学』では「人の物を盗むものは盗として罪せらるるも、人の国を奪うものは、かえって強として畏敬せらるる時世」と痛烈な警鐘を鳴らされた上で、「他を益しつつ自己も益する方法を選ぶ」(「生存競争地論」)と訴えられています。この「他を益しつつ」とは、危機の時代を生きる私たちにとっても大切なメッセージとなるものです〉
『人生地理学』では、自らの立脚点を認識するため、私たちは郷土の「一郷民」であり、日本の「一国民」であり、世界の中で生きる「世界民(世界市民)」であるとの自覚を促されています。これは、身の回りの平和と国際的視野での平和、その両面の視点を培っていくことにもつながります。
地理学者ならではの発想だと思うのですが、牧口先生は、広い視野から複眼的に世界とのつながりを見て、人類という視点からの普遍性を強調されています。この世界像こそ、牧口先生ならではのもの。そして「他を益しつつ」と、自分も他者も共に繁栄する道を呼び掛けていくことは、私の理解するところでは、まさに日蓮の思想そのものなのだと思います。
(㊦は12日付に掲載予定)
【プロフィル】さいとう・たけし 1934年、東京生まれ。理学博士。東京学芸大学名誉教授。専攻は地理学、地理教育論。日本地理教育学会元会長、日本地理学会名誉会員。著書に『漁業地理学の新展開』『発生的地理教育論――ピアジェ理論の地理教育論的展開』など多数。
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