Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

ミラノにて + 再び 伊丹十三 

2009-11-30 | Rock
 江戸から明治にかけて日本にやってきた外国人が日本人の礼儀正しさ・親切・清潔好きを書き残してくれているのを読んだことがあります。まぁ、格好についてはヨーロッパ人から見たら庶民のスタイルは半裸かと思うくらい大分さっぱりしてたので、貧しげに見えたのは仕方ないかも知れません。
また、木と紙で出来た家々の連なりがもたらすリズムある空間は、統一感があってさぞ美しかったでしょう。

時代が下って電気が普及し街に電柱が林立すると、例えばヨーロッパ帰りの永井荷風にとっては居たたまれない空間へと変貌していきます。足は自然と墨東へ向かいました。

さらに下って1965年、伊丹十三さんは「ヨーロッパ退屈日記」の一章『素朴な疑問』で、無計画な街づくり、それを構成する家屋のゴテゴテした様を挙げ、普段見ている物は見えていないという蒙を啓いて、しかも思いきり笑わせてくれます。



10年程前、2月初旬くらいの寒いミラノでの事です。
ドゥオモの隣のガレリアを歩いていると、数は多くないのですが向いから歩いて来る全ての人が振り返って、中にははっきり笑っているカップルもいました。
何かなと気になって注意して見ると、我々の前を行く日本人の若い女性の足元を見ていることが解りました。

その卒業旅行かなと思われる年頃の女性は、キャメル色のコート、マフラーともちろん重装備です。でも足元は、その少し前から日本では冬でも履き始め、呼び名は変わってもサンダルでした。

病院から抜けだしたお父さんみたいな感じですね。
服が切れている訳でもないので言いようがありませんが、追いかけて伝えたとしても怪訝な顔されるだけでしょう。複雑な思いにとらわれたのを覚えています。

また別の冬、家内が靴店に入ると日本の女性がお会計の段階です。店の人から「履き換えて行くんでしょ」と尋ねられ「いえ、包んでください」というようなやり取りを耳にして振り向くと、やはりストッキングにサンダルだったそうです。もちろん店の人は「なんで、折角買ったのに。履き換える為じゃないの?」と訝りながら言いました。
 
お手軽な逆転の発想か安く作れるからか、目先を変えたかったから仕掛けたのか解りませんが、寒い冬にはやはり無理があったんじゃないでしょうか。
日本で通用したヘンなカッコが、海外で奇異に見られるのは学生でも政府高官の奥方でも変わりないでしょう。
よりによってミラノ・マダムの本拠地というのも運がなかった。

伊丹さんは別の所で「あんまり変てこりんな具合に工夫したり細工したりするのはやめようじゃないの。普通でいこう。普通で。」と、やはり40年以上前に書いています。この間、洗練の度合は進んだのでしょうか。

そして、冒頭の話をヤケクソ気味にこう結びました。

これがわれわれの街なのです。
思い切ってスラム調で統一してみました。
穢さがイッパイ!

画像のVan Morrison / Moondanceはバックの楽器構成からか不思議な透明感があって、いろいろな人にカバーされたMoondanceと Crazy Loveももちろん良いですが、全体を貫く統一感があり耳を傾けてしまいます。




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同系色のお洒落 by 伊丹十三 + Cool Struttin'

2009-11-29 | Jazz
 20歳過ぎ頃、ジーンズ履く時以外で今くらいの季節に着ていたのは多分黒いシェトランド・セーターに白いシャツ、白黒のグレン・チェック(正式名称なんか知りませんでした)のパンツに黒靴、靴下こそミント・ブルーとか色のあるもの加えてましたが、コートも黒っぽくモノトーンの人でした。でも、これは何か違うという気持ちを漠然と抱いてました。もっと子供の頃には青系のものだけを意識的に組み合わせた記憶があります。



二十代前半のある日、伊丹十三著「女たちよ!」を読んで長年のつかえがとれた思いがしました。
『あの日あの時』という話の中で、お気に入りのサン・ローランのタイの色使いを称賛した後、こう書いています。

「同系色のお洒落、という効率のよい隠れ蓑的なお洒落にあきたりないひとには、サン・ローランの色の使い方が大変参考になるはずである。色をたくさん使って成功することは至難のことであって、それゆえ、それだけ次元の高いお洒落ということだろう。」

もちろんこう書いてあるからと言って、クラシックな装いでそんなに多くの色を一度に使えるはずもなく、自ずから限界はあるでしょう。しかし、何時もなんとかしたいと思うがつい同じ傾向のものを選んでしまうとか、DNAに刷り込まれているのか気がつくと着物みたいな色使いなってしまうとか、同系色や少ない色数でまとめるのが常に最上という趣味に囚われている方にとっては、一段上へ背中を押してくれる心強い一言ではありませんか。

数年前に新潮文庫から読みやすくなって再発行されました。1968年の本ですから既に40年以上前にこんな明快に表現されていたとは、才人おそるべしです。

冗談みたいに話と逆のこんな組み合わせは、二年に一度くらいよほどの時しかお勧めしません。国と場所によっては執事に見えてしまいます。

 

このグレーのジャケットの生地はErmenegildo Zegnaのもの、遠目にはタイが同じ生地に見えますが、画像くらいだとメランジの感じが異なるのが見えるかと思います。タイは買収される前のAgnonaの物で、ローマの裏路地にありいつも変った品揃えの店で買いました。この頃Agnonaは良いディレクションだったのか、面白いタイが色々ありました。



間違って一番上の画像を繰り返したのではありません。違いは?
そう靴です。
上はE・グリーンのダブル・モンク、下はEmbassyでどちらも20年ちかくまえの物。
結論から申し上げますと、乱暴なようですがウェル・ドレッサーは黒スウェード靴は履きません。
紺のジャケットにグレーのパンツが良くても、その逆は有り得ないのと似て説明は難しい。
「良い子はマネしないでください」としか言いようがありません。
じゃ、何故そんなの持ってるか?
もう15年くらい履いてませんが、これ一足しかないので引っ張り出して来ました。
私も発展途上という事ですね。

高校生のときに画像の「Sonny Clark / Cool Struttin'」を買って大人になったような気分でしたが、気がつくとたいして成長していないのでした。
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ジェームズ・カー  / James Carr + 梅原龍三郎

2009-11-28 | Soul
 今回は、ゴールドワックス・レコードのJames Carr/ You got my mind messed upです。赤鬼のようなインパクトのあるジャケット、アトランティック系の人達みたいな時代に愛された無邪気な明るさのようなものがない分、味わいが前面に出て来たのでしょうか。「あっちは向日葵、こちらは野に咲く月見草」と言ったかどうかわかりませんが、カムバックして結局オーティスより永く歌うことになるとは、この日本盤が出たあと来日した時にも思いもよらなかったでしょう。



この夏くらいだったと思いますが、テレビ東京の「美の巨人たち」という番組で梅原龍三郎の話をしていました。
20歳くらいの梅原青年は、南仏カーニュのコレット荘に画家ルノアールを突然訪ね、作品を見てもらって気に入られ、それ以降幾度となく訪れて勉強させてもらったそうです。
その初対面のときに、ルノアールが梅原青年に「君は色が使えるね」だか「君は色彩を持っている」と評価したと小林薫さんが言ってたように記憶しています。(違っていたらごめんなさい)


2年くらい前、他社の方が「このスーツ買ったんだけど、なんか合いそうなネクタイ余ってない?」というので、よく色柄を記憶させてもらって、次回会う時に5本くらい用意して行きました。
そこの店にその方よりさらに年上の店長みたいな人がいて、自他ともに認めるお洒落でない人でした。特に他からは、普通の一般人よりすごいという業界人としては嬉しくないお墨付きまで貰っていたようで、ある意味無敵です。

その方がネクタイを持って行った日にいて、身につける本人以上に、「こっちがいい」とか「あっちがいい」とか、かなりはっきり好みを言うんですね。
その時初めて気づいたのですが、「そういう人はちゃんと選択しないから、その状態なんだ」と私は思っていたようなのです。しかし実際は「積極的にそういう状態になっている」というシンプルな答えに行き当たりました。

折角の良い話から、脱線して卑近な話へ逸れてしまい、戻れなくなりました。



「色が使える」話からこうなったわけじゃないですが、鮮やかな青の朱子織に花のモチーフのタイ。ブルー無地のBDシャツ。

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Hello Herbie / O. Peterson Trio with Herb Ellis

2009-11-27 | Jazz
 本日は、オスカー・ピーターソン3+ハーブ・エリスの「ハロー・ハービー」です。
ギターのハーブ・エリスは1954年から59年までピーターソン・トリオのメンバーで、仲もたいへん良かったそうです。それから約10年、ピーターソンが当時マイナーだったハンス・ゲオルグ・ブルーナシェアのMPSに録音を始めて2年後の1969年に録音されました。



1曲目がWes Montgomeryの「 Naptown Blues」。これはオリジナルのウェスよりも良いんじゃないかというくらい素晴らしい演奏になっていて、この盤が「この年の最高にスイングするLP」と言われたそうですが、納得いく出来です。散歩していてテンポが上がってくると聴こえてきたりします。
他、ピーターソンが初めて満足のいく音質で録音してくれたブルーナシェアに捧げた曲、そして最後にチャーリー・クリスチャンの「Seven come eleven」。初めて買ったジャズ・ギターのLPが、たぶんジョー・パスとハーブ・エリス共演のライブ盤「Seven come eleven」だったように思います。



こんなブログ書いているくらいなので人からタイを貰うことはまずないんですが、これはイタリアの展示会帰りの土産にいただいた物です。シャツはブロードクロスに淡い青グラフ・チェック。
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天国は待ってくれる / Heaven can wait

2009-11-26 | Others
 今回は映画「天国は待ってくれる」です。
監督は、エルンスト・ルビッチ。1943年製作ですが、大戦中だったので長らく日本未公開で1990年素晴らしくきれいなプリントで劇場公開されました。DVDのケース裏には、「大ヒットを記録した」とあります。



ルビッチの1938年の作品で「青髭八人目の妻」というのがあります。冒頭クローデット・コルベールとゲーリー・クーパーが紳士服店で出会う場面で、それぞれパジャマの上下一方だけを求めたいという男女として登場します。
淀川さんによると、ドイツからアメリカにやって来たばかりの職を求めるビリー・ワイルダーが、ちょうど案内されてきてその場で話を聞いて考え付き、ドイツ語で説明したのが採用され、雇ってもらえたとなってます。

それ以前の「生活の設計」もゲーリー・クーパーが出てきます。話の筋は他愛ないといえばすべて他愛ないのですが、何とも知れない洒落っ気がどの作品にも横溢してます。深刻なだけではない日常を取り戻させてくれる作用もあり、忘れた頃にまた観たくなります。



このタイのエプロンの裏は、「閂」で止めてあるのではなく、ボタンとボタン・ホールという遊びになっていて、ルビッチ・タッチのようです。
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リトル・ウォルター / Little Walter + 桂離宮

2009-11-25 | Blues
  前回までに登場したサニー・ボーイ・ウィリアムソン、マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフをチェスのスリー・キングス、そして今回のリトル・ウォルターを加えてビッグ・フォーと呼んだりします。なんか学生のテストの問題みたいな語りになってしまいましたが...........、LPジャケットはマディと同じくドン・ブロンスタイン。
 


リトル・ウォルターは若い頃サニー・ボーイから手ほどきを受けたことがあるくらいですから、他の三人より若いこともありモダンな感覚を持っていました。チェスに約100曲吹き込んだそうですがインストゥルメンタルが多く、裏をかえすと歌が軽めで説得力が少しよわかった。そこがまた、ダンサブルで若年層など違う層にうけたのではないかと思います。

昨晩亡くなった友を感傷的に歌ったりする一方、ウォルターの顔には額・こめかみ・唇とすぐわかる傷痕があります。もちろん失意で転んでケガしたわけでなく、見たわけじゃありませんが、そういう一面もあったようです。結果、37歳で亡くなってしまいました。

しかし、初めハープを吹いていたジミー・ロジャースがウォルターの演奏を聴いてギターへの転向を即決したくらいですから、チェスの素晴らしいバックとかみ合った時のドライブ感は爽快なものがあります。ハウリン・ウルフを車に常備していると友達いなくなるかも知れませんが、リトル・ウォルターならぎりぎりセーフか.........いゃ、そういうドライブ感じゃないんですが。



今回はジャケット、シャツ、タイともに柄を矩形でまとめてみました。いえ、着せたら偶然そうなっただけです。
ジャケットの素材はカシミヤで、三つ釦段返りサイド・ベンツ。ナポリで著名な仕立て屋さんに置いてあった既製品です。
良い上着の表現として今では良く知られるように、サイズが合っている事が前提で、着用時の軽さ、柔らかさ、動き易さが挙げられます。このジャケットは素材の特性を除外しても、高いレベルでそれらの要因を満たしています。
購入する時、そこにあった全てのモデルを試させてもらいましたが、構造的に必ずしも出来が良い物ばかりではありませんでした。
そんな中で最も素晴らしい着心地で、モデルもインターナショナルなスタイルになっており、既製服の理想的なサンプルのように考える一着です。実際他の人に試していただいた時も、皆一様に驚いて納得していただけたくらいです。


矩形といえば、夏に訪れた何度目かの桂離宮。案内してくださった方が、「素晴らしいので、つい喋りすぎてしまう。」と仰ってましたが、懇切丁寧な解説で楽しく見学できました。

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ハウリン・ウルフ / Howlin' Wolf

2009-11-24 | Blues
  ほんの数か月前、友達の波平君がクラプトンとスティーヴ・ウィンウッドのNYでのライブを見せてくれました。
その中でウィンウッドが、若い頃ブルースを初めて聴いてどれほど衝撃を受けたかを語り、それを「ブルースを発見した」と表現しています。そのすぐ後、いつか書きました「Sweet Home Chicago」を観て、そこでもミック・ジャガーがブルースを発見した喜びを語っていました。

その後、発見された側のブルース・ミュージシャンが海を渡って、共演するようになります。名づけて「Fathers and Sons」。



ピート・ハミル著「アメリカン・ビート」だったと思いますが、英国でのブルース・ブームから何年か経ち、今は体調を崩しステージに立つこともなくなったハウリン・ウルフの家に、米国公演中のストーンズのメンバーが来る話が舞い込みます。

セレブリティーとなった息子たちと再会を楽しみにするウルフ、しかしそれらしい時間になっても、やって来る気配はありません。結局、その日誰も訪ねては来ませんでした。
ブルースを発見して、オリジンの父より何万倍もの富を手にした息子たちは、バビロン滞在中です。

このあとどうなったか、肝心なところを正確に覚えていないんですが、たぶん誰か間に立つ人がいて公演先のストーンズのもとへ行き、翌日メンバーのうち二人がウルフ宅を訪ねたように思います。
希望的観測からか最後めでたしだったように思いますが、ほろ苦い話です。

しかし、心配ご無用です。このチェス・レコードにおけるハウリン・ウルフにはそんな話は全く不似合いなくらい、ヒューバート・サムリンをはじめとする気の利いたメンバーをバックに、ウィリー・ディクソンの描く男と一体化してエネルギッシュに吠えまくります。マディの演じる男とはまた別の男として、南部の大地にもシカゴの街にも、そして月にさえも、すっくと仁王立ちしているのでした。



前回より升の小さい茶と青紫のタッターソール。カシミヤで梳毛糸とことわりの付いたタイ。
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マディ・ウォーターズ / Muddy Waters + Callas Assoluta

2009-11-23 | Blues
 坂本竜馬、澤田正二郎、そしてマディ・ウォーターズ。この人達の共通点は...........「仮に本業以外のことをしていたとしても、必ず頭角を現していたであろう」、と接したことのある人や後年の人に言われたり書かれたりしていることです。

今ではCDで簡単に聴くこともできる、南部ストヴォール農場時代の喉自慢農夫マッキンリー・モーガンフィールドは、数年後には大都市シカゴのマディ・ウォーターズとして一気に上りつめて行きます。この盤は、チェス・レコードでその後定型化されるバンド・サウンド完成までの過程を追ったドキュメンタリーにもなっています。

このLPには1948年~54年の吹き込みが収められ、タイトルはベスト・オブとなっていますが、現在の意味とは違ってヒット曲を集めたわけではありません。しかし、内容はジャケットを見てのとおり........テラテラしております。デザインはドン・ブロンスタイン。



10日くらい前、フィリップ・コーリー監督「マリア・カラスの真実」という2007年フランスのドキュメンタリー映画を観ました。
内容自体はここ10年くらいの間にTVでも何回も取り上げられましたし、映画も作られたので目新しくはありません。でも、グレース・ケリーと仲良くしていたとかで、ホーム・ビデオの映像があったり、演出を担当するようになったルキノ・ヴィスコンティと一緒にインタビューを取られる長めの映像があって、興味深い断片が散りばめられています。
そのヴィスコンティ演出でカラスがミラノ・スカラ座に一時期君臨したという話がでてきました。

その近くにホテルをとった方が中央駅至近にとるよりも何かと便利なので、その界隈をよく利用しましたが、シーズンともなると夜一目でスカラ座へ行く客とわかる人たちを見かけました。

スピガ通りのサン・バビラ側にあった紳士服店に入ると、ヴィスコンティの写真が何枚か掲げてあったので、「お客さんだったんですか」と尋ねたところ「そうです」との答えでした。しかしその店はローマが本店で、その頃ミラノにももうあったものか、今では少し眉つばの気持ちです。



紺ウィンドウ・ペインのジャケット。その四分の一くらいの升のシャツ。グレーのカシミヤ・タイ。
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ジョニー・ソマーズ / Joannie Sommers

2009-11-22 | Others
 コメントをくださった皆様ありがとうございます。気付かずにすみません。
スタートしてひと月とちょっとですが、とりあえずアップするだけであっぷあっぷ........失礼しました、いっぱいいっぱいで、まだ機能を把握しきれていません。そのうち一皮むけて、気の利いたリアクションできるようになりたいと思います。しばらくの猶予をお願いします。読んでくださった方がいらっしゃるのを励みにしたいと思います。

今回はJoanie Sommers with Laurindo Almeida / Softly,the brazilian sound。
ジョニー・ソマーズは私なんかの世代ですと馴染みがないのですが、'60年代前半にはポップなヒット曲もあったそうです。

この盤は1965年の録音。ハスキーな声質をいかすアレンジ・選曲などうまく噛み合って、一曲目の「Meditation」から快調です。

2回続けて、夏っぽくなってしまいました。今回は画像3点ですので、語りはなしです。



シャツはプレーン・ポイントのストライプ、タイはカシミヤです。



下は素材がキャメル・ヘアですが、このような同系統の明るいゴールデン・レトリーバーのような色でも、もちろん大丈夫です。


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オーケストラ・ハーロウ + カプリ島

2009-11-21 | Others
 本日は、Orchestra Harlowの1972年の作品「Tribute to Arsenio Rodriguez」。キューバ出身の偉大な音楽家として尊敬を集める、アルセニオ・ロドリゲスへのトリビュート盤です。

歌手は若きイスマエル・ミランダ、緊張感を湛えたハイ・トーン・ヴォイスで溌剌と歌いまくってます。ラリー・ハーロウは、キューバで勉強して感覚を獲得したそうですが、ブルース・R & Bにおけるジョニー・オーティスのような存在でしょうか。



ある年の八月にカプリ島へ行きました。ナポリに滞在して、宿泊先のパルテノペ通りからぶらぶら歩いて15分くらいだったでしょうか、モーロ・ベヴェレッロ港から船でしばし。

島に着くと、ケーブル・カーですぐ頂上広場へ行き、道なりに進むとだいぶ人ごみも解消され、ル・コルビュジェのデザインした部屋が残るというホテルのある、トラガラ岬に来るころには視界も開けます。

そこからは、素晴らしい眺望の連続で、さらに緩いアップ・ダウンを進むと、私たち以外歩いて来る人もいません。海抜30mくらいでしょうか海岸線にそって作られた遊歩道をどんどん行くと、沖を行く大小のヨットが何とも言えない紺碧の上を滑るように走ります。

その先に突き出した地形に、へばりつくような不思議な建物がありました。近づいて解りました、ジャン=リュック・ゴダールの映画「軽蔑」に使われたマラパルテ邸だったのです。

こんな所にあったのかと邸を眺めて休憩し、また絶景・奇岩に歓声をあげながら進むと、「本日の一枚」の中の『No Me Llores』が、なぜか意味も解らないのに聴こえてきました。つよい日射しと曲のテンポが合ったものか。

因みに、この人気のないきれいな遊歩道を歩いていてすれ違った人は3組くらい、頻繁にトカゲが出没しましたが、ヘビがいないからかなとか思いながら2時間程歩きました。

そろそろ休みたいと思う頃、ミシュランで見たDa Toninoという店に着きました。驚いたことに、雛にも稀なと言いますか、イタリア全州かと思うワインが用意されておりメニューも食べた物はみなおいしい。
庭のよしず張りの下でゆっくり食事をし、昼にしては多めの土地のワインをいただいていると、遠くへ来ていることも忘れました。

帰りに親切にしてくれた店の御婦人に、「この綺麗な声の鳥は、何という名ですか。」と聞くと答えは「鳥」。白い看板猫みたいなのがいたので、名前を尋ねると「白」。どこまでも長閑なのどかな昼下がりでした。




シャツが青ギンガム・チェックに、青ベースのタイで青を補強したせいか、画像全体が青っぽくなりました。

話題と着せている物がちぐはぐになってしまいましたが、御容赦ください。画像を撮る時ランダムにレコードを置いていったら、こうなってしまいました。
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山田 宏一さんとフランソワーズ・ドルレアック

2009-11-20 | Others
  例えば、昨日の午前に聴いた音楽は、

①You're the sunshine of my life...............Stephane Grappelli
②I can't give you anything but love..........Judy Garland
③Now that we've found love.......................The O'Jays
④Give me the simple life.............................June Christy
⑤De conversa e conversa...........................Joao Gilberto
⑥Hope that we can be together soon......H. Melvin & the Bluenotes
⑦Disney Girls..........................................Captain & Tennille
⑧Everytime you go away.......................Hall & Oates
⑨Young, gifted and brown.....................Joe Bataan
⑩Love has no pride.................................Bonnie Raitt
⑪Soul shake..............................................Delaney & Bonnie
⑫Love makes right..................................Soul Children

という曲が並べてあり、音の続き方が自分には心地よいようになっています。
皆さんも、ヒット曲であったり耳に馴染んだ曲を編集して、楽しまれるかと思います。
そのうち本でも、誰さんにこういう話を、また他の誰さんにはあれについて書いてもらって、一冊に編まれたら楽しいんじゃないかと妄想をふくらませる方も、少なくないのではないでしょうか。

例えば私だったら、伊藤俊治さんに今一番五感を刺激する興味ある事を書いていただき、山田宏一さんにはフランソワーズ・ドルレアックについて書いていただいて................ときりがありませんね。



その山田宏一さんの著作「友よ 映画よ」の中の「ロシュフォールの三日間」に、こんな話が出て来ます。少し引用させていただきます。

「フランソワーズ・ドルレアックはそれから一年後に交通事故で亡くなるのだが、もちろんそのときは想像もできなかった。妹の―といっても一歳ちがいの―カトリーヌ・ドヌーヴとはちがって、彼女は気さくで明るくて、いつもみんなに気をつかって、その場をたのしくしようと努めていた。私がパリへ帰るまえの晩に―たしか土曜日であった―みんなでディスコテックに踊りに行ったときも(『ローラ』でアヌーク・エーメが歌い踊っていたキャバレーと同じ「エル・ドラドオ」という名であった!)、フランソワーズ・ドルレアックは、隅っこで小さくなっている私を目ざとく見つけてひっぱりだし、いっしょにゴーゴーを踊ってくれたものだ。たぶん、彼女にとっては、自分のまわりにだれか退屈したり気もそぞろだったりする人間がいることほど耐えがたいことはなかったのだ。それが彼女なりのスターの意識と表現方法であったのだと思われる。」

なんて夢のような光景でしょう。ずっと話を聴いていたくなってしまいます。山田さんが淀川さんから話を聞いたように、思い出していただけるフランソワーズ・ドルレアックの話のすべてを読みたいと願っています。

画像のDVDはフランソワ・トリュフォー監督「柔らかい肌」。ある時期、年に何回も観たくなる映画でした。初めてフランソワーズ・ドルレアックをみて、その後ポランスキー監督作品もみましたが、さほど感興は覚えません。
私にとっては、「柔らかい肌」と分かち難く結びついているようです。

この作品に出て来る子猫をつかった印象的なモチーフを、トリュフォーは「アメリカの夜」で、なんだか無理やり滑り込ませていて可笑しいです。



10年近く前にこのジャケットを購入する時、素材を確かめようとすると薄緑で『Pure Escorial』の初めて見るタグがありますが、何のことか解りません。内ポケットを見ると「Lana 100%」の表示。店の人にただのウールか尋ねると「うーん、何でしょうね。」と笑い話のようですが、一緒に悩んで要領を得ません。

結局、多少新しい毛素材かという事で手触りで納得して、まぁ試してみようと思い購入しました。特に柔らかいわけでなく、毛織物という表現がしっくりくる素材でした。見慣れない物につい手が出てしまうんですね。
数年前からエスコリアル・ウールも扱い量がだいぶ増えて、一般的になってきました。

天然素材でも何か新しそうな処理や、ヴィンテージ等の尾ひれ付きの良さそうな生地に、つい惹かれるようになってきます。そこからが、目が曇って危なかったりするので注意が必要だと自戒しています。
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辻静雄さん+ヨーゼフ・ヴェックスバーグさん

2009-11-19 | Soul
 我が家だけしか通じない遊びだとは思うのですが、「辻静雄ごっこ」というのをご存じでしょうか。例えば、休日や旅先で美味しいものを食べ、合った物を飲み、店を出ると家内が言います。「あー、苦しい。」そこで一言「何言ってんだっ!物見遊山じゃないんだぞっ!」とまぁ、これだけの他愛ないものです。
これをご理解いただくには、前段階として海老沢泰久著「美味礼讃」か、辻さんの著作でフランス行き初めの頃についての記述を、読んでおいて頂く必要があります。
冗談はさておき.......



その辻さんの本「料理人の休日」交友録の章にレストラン・ピラミッドのマダム・ポワンが紹介してくれたヨーゼフ・ヴェックスバーグさんという人の話が出て来ます。
「ぜひ会っていらっしゃい、会って心のあたたまる人、お話をするだけで、この世に生きることの楽しさをしみじみと味わわせてくれる人という。すぐ受話器をとって国際電話をかけ、約束の日時を決めてくれた。」そう励まされて、辻さんはウィーンまでヴェックスバーグさんに会いに行き、その人柄に魅了されたようです。

そして、こう書いています。「ヴェックスバーグさんの最近の本『人生最良のもの』では、『私のストラディヴァリュース』とか、ボヘミアとセヴィル・ローの洋服屋の職人気質、ヨットマンシップ、人と話をすることの天恵についてとか、いずれも専門家にならずに、素人がなにかに熱中することの幸せについて― ハッピー・ディレッタントの境地を淡々と語りかけてくれる。」

この本は目にしたことがありませんが、たいへん興味深いですね。「フェルナン・ポワンと仲良しで、料理のおいしさということのよくわかる人」ということであれば、服についても見識ある分析だったでしょう。

日本人でこれに近いイメージの人を思い出しました。冬服はロンドン、夏服はミラノで仕立て、パリやロンドンで靴を注文し、本業の音楽はもちろん、食にも精通していた加藤和彦さんです。残念ながら、亡くなってひと月が過ぎようとしています。



お陰様で、このブログもひと月を迎えました。ありがとうございます。
というわけで、今回はレコードについてもウェアについても触れないという変則的な形になりましたが、一応レコードはゴールドワックスのSpencer Wiggins。
タイは微妙な色合いで、一日目二日目とだいぶ雰囲気が違うところを、ご参考になさって頂ければと思います。


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ロバート・ナイトホーク /  Robert Nighthawk

2009-11-18 | Blues
  ナイトホーク、もちろん芸名ですね。夜鷹とか言うと、時代劇なら柳の根方とかで立ってたり、変な侍に試し切りの被害にあったり、大変です。
ナイトホークも鍋じゃないですが、ホーローの人で、事情があったらしく居場所が定まらないタイプでした。



今年ようやく「Sweet Home Chicago」というTVのドキュメンタリー番組をDVD化したものを観たのですが、撮影されていた期間、偶然シカゴにいたナイトホークが路上で演奏し、客を乗せている様子が記録されていて興奮しました。音だけは出た時から聴いていたのですが、映像があまりに想像どおりだったので、それも驚きです。

その番組がアメリカで放映された当時、何の反響もなく忘れ去られ、音源のみ助かったものの、カットされた映像はあろうことか廃棄されたという話は、本当に残念です。
偶然とはいえ中々つかまらないナイトホークが、捉えられたというのに.........、トキみたいに繁殖も出来ませんし。

少し陰影のある、くぐもった声。表現を裏打ちするかのような巧みなスライド・ギターの音色とフレーズ。一つのスタイルにまで昇華させ、少ないながらフォロワーも生みましたが、やはり誰もナイトホークには成り得ないのでした。

画像の盤は、'51頃からのユナイテッド/ステイツへの吹き込みを集めたものです。この少し前、'48年からマディ・ウォーターズの仲介でチェス・レコードへも充実した録音を残します。B・Bキングを虜にした「Sweet Black Angel」もこの時期のもの。そして未発表に終わってしまうものの、素晴らしい出来の'64年のチェスと英国デッカへの録音を最後に、再び深南部へと飛び去ってしまいました。



シャツはロイヤル・オックスフォードのチェック。タイもざっくりした素材感で、ベースはダーク・ブラウンですが、スーツと同じような色に見えているかも知れません。
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The Allman Brothers band / At Fillmore East

2009-11-17 | Rock
 何だか気分の乗らない朝に、また夜のお酒のお供に.......強壮ドリンクのコマーシャルみたいですが、今回はオールマンのフィルモア・ライブです。もう語り尽くされて、言葉はいらないくらいだと思います。

ここ数年のうちに発掘された音源や、その前のトム・ダウドによって入念にアダプテイション処理の施された物などはファンを喜ばせました。かと言って、この元の盤が色褪せるわけではなく、今でもMCからすぐステイツボロ・ブルースが始まるだけで、血中に何か出て来る感じがします。コレステロールじゃないとは思うんですが...



昔、職場にヘビメタ青年が配属されて来ました。もちろん最初は趣味なんか合うはずがありません。でも五年以上経つ頃には、オールマンは気に入ってくれたようで、仕事で成長したことより良かった.......冗談です。

今でも聴く度に、あーこの演奏が録音されていて良かったなぁとしみじみ思います。期待して新たな発掘音源を聴くにつけ、そう再確認します。



ミラノで、何処の店にも有りそうなプレーンなチャコール・スーツ。シャツは淡いブルーのグラフ・チェック。タイはシルク60%、綿40%で胸元に立体的なボリューム感を与えました。

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アン・ピーブルズ  / Straight from the heart

2009-11-16 | Soul
本日はハイのAnn peebles。
この盤は1972年のもので、演奏はもちろんハイ・リズムスとメンフィス・ホーンズです。
「あー、ハワードさん、タイコ壊れちゃいますよーっ。」というくらい、耳なれない人にはプリミティブに聴こえるかも知れない演奏と録音技術で、彼ら抜きには成立しなかったという仕上がりになっています。



昔よく聴いていた頃は、以前載せたO.V.ライトのアルバムの女性版のような感じを抱いていましたが、久々に聴くと印象が少し違っていました。時代の流行りで下世話な内容が多いせいか、O.Vに比べるとポップかなとも思えますが、やはり畳み掛けるような重さもあり、歌に熱が籠っていて聴かされてしまいます。



カシミヤ・タイは、横畝に薄くバイアスの格子が入っています。ポケット・スクェアは、海島綿のハンカチ。
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