Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

Clarence White

2012-01-30 | Others
 こんばんは、ヒロシです。
今日トイレで横に並んできた人から、カッコをほめられたとデス。
けなされるより嬉しいですが、場所が場所だけにめでたさも中くらいと申しますか、臭い仲になりそうで怖いです。

そんなところに目を付けられるようじゃ私もまだまだダと、ボウが生きていてしかも知り合いだったら言われたに違いないなんて夢想していたら、更に突っ込んで「失礼ですがおいくつですか」と聞かれたので、何かイタズラしたい気分になって少しモッて答えておきました。
じゃ、私と○○つ違いだと仰るので、年上ながら座らないと脱げなさそうな裾幅のパンツを穿いてらっしゃるのに、若々しいじゃないですかとエールを返しました。



このクラレンス・ホワイトのCDジャケットを見て、ずっと誰かに似てるなぁと思っていたら、同級生のヒトシです。

一昨年同窓会で会ったヒトシは、当時はたまに担任の手を焼かす生徒でしたが、久しぶりに話を聞いていると、娘の行く末を人並み以上に案じる普通のお父さんになっていました。
ブライアン・セッツァーにもすこし似てるか。
ところで波平君とこのク~ちゃんは、柏原君に似ています。










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浦島太郎

2012-01-30 | Others
 その日、出張から帰られたばかりでお忙しい仙田さんのところへお邪魔して、最新事情を伺ってまいりました。

時間の歯車は音をたてて廻り、まだまだ作ってもらえるものと思っていたのに今では作られない製品のことや、ミラノの洒落者に支持されてきたはずの、造作から何から好きだった店が閉まっているという話を聞かされ、一瞬視界が暗くなります。



昔Galtruccoの店が閉まった頃のリセッションとは比べものにならない、大波が来たことを感じないわけにはいきません。

帰り道、数々の店で出会った気のいいコンメッソ、コンメッサの顔がうかんできました。

ソッツァーニの店は気にならないけれど、BiffiやPupi Solariはどうなんだろう。
まぁ、婦人物は男物とちがって圧倒的に強そうだから........
などと、つらつら考えていたら、ジェット・ラグもないのに夜眠れなくなってしまいました。

良いものを売る店がなくなると、それを作れるところが衰退するのは必至で、何ともやり切れません。
ここは一つ、為替の御利益を最大限に活用していただき、体力のあるところが全量消化も可能な良いものを付けてもらって、少しでも時間が止まらないかと願うばかりです。


まだまだ仮縫い中

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ス・ゴ・ツ・マです!

2012-01-25 | Others
 私は違いますが、子供の頃みたTV番組を詳細におぼえている人がいます。
学校は別でしたが、同学年の勇治君という人がそうでした。

先日、「万国びっくりショー」というタイトルの番組があったのを、突然思い出しました。
本当に驚くような立派なものもあったかも知れませんが、なぜか思い出したのはあやしい心霊手術とか、どっかのオバさんがタライにうじゃうじゃいるヤマカガシみたいなヘビを、右の鼻の穴から入れて左から出すというような、今こうして自分で書いていてもいったい何書いているんだか、という思いにさせられるどうしようもない内容もありました。
家に帰って、自分の妻がこんなこと練習していたらかなり不気味です。



そんな事を思い出したのは、先日中国の公的機関に勤める方だそうで、夫婦して日本が好きというお二人に偶然声を掛けられ、少し話したからかも知れません。
道案内してあげただけですが、ひどく喜んでくれて丁寧に「今年一年があなたにとって良い年になりますよう祈ってます」とロスプリモスみたいに優しく言ってくれました。

その前に少し世間話をしていると、奥さんを気遣いながらも何故か女性は強いという話になりました。
そういやうちも結婚当初から比べたら、相当デスと応じると大喜びしています。
しかし、それで丸く収まるならすべて良しでありましょう。
あとはお返しに、その奥方の鼻の穴のサイズのヘビが見つからない事を祈るのみです。

その日、もうしばらくすると中国のお正月ですかと問うと、えぇそうですと言ってました。
その春節というのが今だそうです。


クープ仮縫い中

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ル・シャモーの女

2012-01-24 | Others
 しかし、寒いですね。昨年も、一昨年も年が明けると寒かったはずですが、そんなことは忘れてただ寒いです。
本格的な寒さを迎えた地方に比べたら、何言ってんの甘っちょろいよと笑われそうですが。

コートも順番に着たいところですが、出掛ける時はつい持っている中で一番重いものに頼りがちになります。店の人に預けると、尻もちをつきそうなくらいのヤツです。



そんなある日、雪がちらつく中を待ち合わせにいそいそ出掛けると、電車のなかでかなり肉厚なツィード・コートを着た女性を見掛けました。
大きめのヘリンボーンに、チェックのカラークロス。帽子もツィードの格子に足元はル・シャモーみたいな長靴と、その日の天候には完璧な拵えです。
残念ながら大股に車両を移動する後ろ姿しか見えませんでしたが、着ているものの趣味だけなら外国の方か、向こうでの暮らしが長かった方かとも思えます。

それとも素材感やカラークロスを勘案すると、コートは日本でも買えそうなR.Lのもので、長靴は月星だったのか。

学生の時一緒だったイケベケンシン君は、重い布団じゃないと眠れないと言いました。
何だかうなされそうですが、子供の頃からの習慣だったのでしょう。
奥さんが大柄かどうかあいにく知りません。

そんなことを書いていたら、今日も降雪がありました。

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すぐ掘ります。

2012-01-18 | Others
 今日は良いアロワナが手に入ったので、首から下げてみました。
そう、あの南米あたりにいる鈍いメタリックな魚です。

そういえば昔、魚柄をプリントしたネクタイというのが本当にありました。
「ニジマスつかみどり」とかありますから、営業職の方なんかでしたらツカミはOKというところでしょうか。
あれはバブルの頃だったのでしょうか、思いつく限りの柄が何でもあったような気がします。



先日の新年会で1年振りくらいに四井さんに会うと、本人よりこのブログのほうが馴染んできてヘンだと言います。
もっと普段どおり、おかしな事書けってそそのかされたんですが、日本語読めない外国人しか見ていないならともかく、一応知らない方にも見ていただいてるかも知れません、また公序良俗に反する意気地もありません、と年貢取り立てのお代官様に懇願するように勘弁してもらいました。

ヘンと言えば、「萬福寺開創350周年記念 隠元禅師と黄檗文化の魅力」というのを見に行ったところ、十八羅漢像の顔が上島リューヘイみたいに見えました。
隠元禅師は63歳で来日したそうで、それらを作った仏師も向こうの人です。

数日後たまたま観た徹子の部屋に、CMで見たことのある外尾悦郎さんという方がご夫婦で出ていました。
バルセロナのサグラダ・ファミリアに携わっている方です。
奥さんが外尾さんの仕事を見ていると、石で彫像を作っているのではなくて、石の中に既にある姿を堀り出しているように見えると語っていました。

それでは台所の方で先ほどから催促してますので、私はこのへんで庭に埋めておいた泥ネギを掘りに行ってきます。

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縁起がいいやぁ

2012-01-17 | Rock
 昨年12月に一番聴いたのは、ダン・ヒックス。
年をとっても、カバーのデザインがどんなのであっても、何時も変らないD・ヒックスです。
一説には日本でもけっこうファンがいるそうですが、NYに初めて行った時観たという波平君以外、その名を発音しているのも聞いたことがありません。



1月3日の夜だったと思いますが、日本再生のヒントみたいなのを扱っていた番組がありました。
再生エネルギーの町としてその中で紹介された四国の町の先駆けとして、オーストリア東部の都市がルポされていました。
それらの町では脱化石燃料というより、あたりまえのように世界を牛耳る石油メジャーが敷いた路線から敢えて降りようとする動きを紹介していました。

つまり石油を買わない事によって、今まで価格の高騰など、供給側の理論に翻弄され続けた流れから脱し、より安定的にエネルギーを供給出来ると、オーストリアのその市長は語っていました。
一地方都市の首長とはいえ、その方向性は明快でたいへん小気味良い事例です。

そういえば昨年ほかで紹介されていた日本の町長で、やはりかなり前から町のエネルギーを地元で生産できるようシフトした人がいらっしゃいました。余剰分は販路を確保して、経済にも活力がみなぎっているそうです。

シンプルな構造の頭のせいか、こう書いているだけで明るい気分になってきました。
こいつぁ春から........ってか!



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どこまでも おかしな ボケを ゴリ押しか

2012-01-13 | Others
 年明けホームに滑り込んできた電車に乗りこむと、向かいから声をかける人がいました。
見るとお冨さんが笑顔で騒いでいます。江戸の人みたいな呼び名ですが、それもそのはず高校の同窓生です。

高校の時は堅い真面目なひとでしたが、今ではすっかり面白い御婦人になって、大好きだというお酒が入ると聞いてないのに赤裸々な夫婦生活なんか語り始めるので、そのギャップに同窓会では皆で笑わされました。

夫婦円満でめでたしですがその日は噂のダンナさんが一緒だったので、まさか「お話は伺ってます」なんて言えないし、ご夫婦がそれぞれやってるスポーツの話など障りのない健全な話題に終始して別れました。



今週はピッティがありましたので、うちでは初詣に出掛けました。関係ないか......

イタリア・ワインを飲んでいると薄紫や薄緑の封がついたものがあります。
大文字のアルファベットが印刷されたその封緘紙にはDOCGと書かれ、統制保障原産地呼称ワイン(Denominazione di Origine Controllata e Garantita)とよばれるグレードの葡萄酒です(イタリアなのにワインというのもちょっとへんな感じですが)。

生地のメーカーではそれぞれの製品に然るべき名前をつけ、それがまた日本みたいな国ではブランド化して独り歩きし、知名度を上げていくような傾向もあります。
そんな中から、例えばロロ・ピアーナはジランダー・シリーズなどバリエーションが瞬く間に細分化し、ちょっと憶え切れません。

同じイタリアのGuabelloの生地もたいへん浸透し、その生地を使った服をお持ちの方もかなりいらっしゃることでしょう。
その製品に最近「D.O.B.G.®」というタグがあるものを見つけました。
DOCGか?なんて首をかしげていると、親切に読めるようになっていまして、“Denominazione di Origine Biellese Garantita”とありました。

ふむふむビエラだからねぇ、とそこまでは語呂合わせみたいな感じで何という事もありませんでしたが、次に「F.I.R.S.T.®」という製品を見つけると、そこには“Fabric Inspired by Responsible Social Transformation”という読み下しがあります。
ここに至ってこれは同一人物の仕業で、かなり楽しんで作ってるなという気がしてきました。
ちょっと、日本で言うおやじギャグにも近いような臭いがします。
ある意味、抽象的なイメージを伝えようとするネーミングより説明的で分かり易いですが、結論は今後に期待です。

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忘れないうちに書けました。

2012-01-10 | Others
 一昨年の秋、解からないことをいっぱい残したまま......人は死んでいってしまうんだよね、という辻さんとポール・ボキューズの笑い話のようなほろ苦い話を書きましたが、洲之内徹さんの「耳の鳴る音」という話を読んでいたら同じようなことを書いていました。

博物館を追出されて夕暮の猿沢の池のほとりを歩いて来ながら、私はふと、人間は何も分からずに死んでしまうんだなあと思った。人間といってもつまり私のことだが、そう思って眺める水の涸れた池の眺めは淋しい眺めであった。

あら、ちょっとさびしい感じになってしまいました。



去年11月だったか12月に入ってからだったか、よくある食いしん坊バンザイみたいな短い番組だったと思いますが、チャンネルを変える時たまたま見たのがありました。

人間の骨を研究しているという方を取材していたのですが、江戸時代の男の頭蓋骨にはある種の痕跡がしばしば見つかるといいます。
クイズみたいに何かなと思っていると、それは梅毒だそうです。
ちょっと正確なパーセンテージは聞き逃しましたが、驚くほどの割合でした......
当時のひとも分かってはいたらしいですが、やめられなかったんじゃないかという話です。

志ん生の噺に、憑かれたように吉原に通うおとこを指して「女郎買いの決死隊みたい」なんて言い回しがありましたが、文字通り決死隊だったと分かって笑いました。

最近知ったことがそれ?と言われそうですが、そのとおりです。
年の始めから卑近でごめんなさい。
書いたあと、何だか、これが五分弱の番組の内容かという疑問がわいてきました。

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ボナネ!

2012-01-09 | Others
 昨年の紅葉シーズン、夜の京都・栂尾の高山寺から中継していた番組がありました。
西洋の人になぞらえる必要もありませんが、しばしばアッシジの聖フランチェスコと並べられる明恵上人(みょうえしょうにん)で有名なお寺です。

白洲正子さんの著作によりますと、上人のところへは建礼門院など時の有力者が、祈祷や受戒を懇請しに度々訪れたそうですが、修行に明けくれる上人はそういう人々を特別扱いするふうもなかったといいます。
そんな中で、互いに敬意をいだいた北条泰時との付き合いでのことです。
しばらく音信の途絶えていた上人に宛てて、泰時はこう書き送りました。

おもいやる心はつねに通ふとも知らずや君のことづてもなき

それに応えて明恵上人は、

人知れずおもふ心の通ふこそいふにもまさるしるべなるらめ

と送り返します。何だか、男同士じゃないみたいな響きです。



去年の暮れに世間を騒がせた人とはナベ違いですが、知り合いにナベちゃんという人がいます。
テレビ朝日系列でやっている「おしゃべりクッキング」で、洋食を担当している若林先生にクリソツというか瓜二つというか、相似形です。

日本の寒冷地に暮らすそのナベちゃんから年末に連絡があったので、久しぶりに肉声を聴きました。
二児の父をつかまえて、懐かしそうに喜んで話してるってのもヘンですが、距離的に離れていて久しぶりだと、いつでも会える人とは何か違うものがあっても不思議ありません。

年末・年始には、そのように声を聴けたり賀状をいただいたり、普段以上に懐かしい方々と遣り取りがありました。
そんな中、一番遠くて寒そうな恵さんからメールをもらうと、やはり懐かしいような切ないような気持ちが湧き上がってきました。
これもサウダージって言うのでしょうか、言葉で説明しにくい微妙な心情です。

そのまま行ったら何でもない日々の連続に、年賀の挨拶を送るなどして区切りをつけ、皆さんに新しいスタートを用意してもらいました。



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謹賀新年

2012-01-01 | Others
 新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
年始らしい楽しい話題はないかと、「春の海」を聴きながら御屠蘇をストレートでガブ飲み。
最近読んだものの中から、記憶を無理矢理手繰ってみました。
すると、戸板康二さんという人が内田百について書いた話に、

 百はジョークと同時に、いたずらを子供のように、たのしんだ。
 琴の師匠でもあった宮城道雄は、夜行列車で事故死したが、「東海道刈谷驛」という文章で、哀惜している。
 二人は酒友としても、深くつきあい、飲むと、互いに歌い、さまざまなシャレをきそい合った。
 ふざけて「ヴァンデルスゾーンのメイオリン・コンチェルト」といったりした。
 百は酔うと、宮城宅の襖をはずして宮城の寝間の布団の上にのせたり、方々の部屋の電球を片っぱしからゆるめたり、ゴミ箱をどこかへはこんでしまったり、長い棹で外から二階の雨戸を叩いたりした。

とあります。
今だったら、百さんという人は相当困った感じですが、つき合っていた宮城道雄という人もたいしたものです。音楽の教科書からの知識とは、うける印象がだいぶ違います。
また、スネークマンショーの大先輩でもあったことが判明しました。



年の瀬もかなり押し詰まった頃、電車内でちょっとしたショックをうけました。

乗ったのと反対側のドアに背を持たせかけ、小学校低学年くらいの兄妹が床に長座しています。
一瞬、TVの隠し撮り映像で見た北の少年浮浪者とダブりましたが、ドアが開いたら危ないし親はいないのかと見まわしました。

その兄妹がもめはじめると、彼らのすぐ前にいた男性が屈んで何やら諭し始めました。
隣にいた女性も、話しかけているので母親なのでしょう。でも、何か順序が違うんじゃないかという違和感があります。
ターミナル駅で座席が空くと、身体をはたくでもなくそちらへ移っていったので、単に堪え性のない子供たちだったのか。
ちなみに、親子ともカッコは普通に見えました。

何故違和感を感じたのか考えてみると、人事不省に陥ったならともかく、子供といえどもブンメイジンが我慢出来ないからといって車内で床に座るかという疑問です。
しかも親がついていて、そんな事があるだろうか。彼らが乗って来た電車は始発駅からでも15分しか経っていません。
ケンカする元気はありますが、もちろんまだグレているふうはないし、実に不可解です。

下は1927年のポスターだそうです。
絵ではありますが戦前の風俗を捉えており、大人の男たちに無帽の者はありません。子供たちも家の外に出掛けるので、和装・洋装の違いはあっても、当然のように身繕いしてもらっています。
たぶんこの子達が床に座ることも、親がそれを許すことももちろんなかったでしょう。
人は退化しているのかも知れません。

そんな意味もあって、新年がより良い年であってほしいと願ってやみません。





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