Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

今も昔も

2011-06-27 | Others
 地球は近ごろ堕落している。文明が終末に近づきつつある徴候がいくつもある。賄賂や汚職が横行する。暴力が随所にある。子供たちはもはや親を尊敬せず、親のいうこともきかない。

何のことかと思ったら、紀元前3000年頃のアッシリアの銘板にあったらしいです。
「汝の父を敬え」下巻にありました。
そんな前に書かれたって本当でしょうか。
だとしたら、人は昔から同じことを言い続けてきたようです。



祖父が盆栽を丹精していた影響か、子供の頃から木を眺めることも好きでした。
この時期、木にも全体の姿、葉の形、葉や枝のそよぎ方で、たいへん涼しげに見えるものがあります。
珍しいところではメタセコイアやシマトネリコ、そして日本代表は、貴船神社のも有名な桂の木などが涼しげです。

でも意外に、盛夏、葉が繁りすぎると重く見えて、涼しげな風情をそこないます。
適度な隙間があったほうが、宜しいようです。

雨だれ石を穿つと申しますが、小学校低学年の頃、ある日祖父母の家の軒下に置かれた木材に、軒から落ちる雫がつくったへこみを見つけました。
春になると、そこにちょうど落ちたのか、松の種が芽をだしています。
祖父にそう伝えると、「あぁ、松のひこばえだ」と言いました。

それ以来、その名を聞いたことはありませんでしたが、いつだったか辞書をひくと「ひこばえ」っていうのはよく木の根元から生えてくる、その木の芽のことだそうです。
ちょっと事情が違ってますが、仮に知っていたとしても突っ込めなかったと思います。
祖父はたいへんコワかったのです。



アメリカ靴の広告三回目、今日はジョン&マンジローじゃなくて、ジョンストン&マーフィー。1927年のものです。
大恐慌の少し前とは思えない落ち着いたタタズマイは何なんでしょうか。
歴史的にみると、1930年代に紳士服はひとつの頂点を迎えたと言われますが、この一枚の広告が語る世界は、すでにその萌芽というレベルを超えています。
画の中とはいえ何しろシカゴでこれですから、NYだったらどうだったのでしょう。

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魚の目に涙

2011-06-25 | Others
 夏至を迎えましたが、これからが夏本番で、日一日と日が短くなるとはどうも思えません。
行く春や鳥啼き魚の目に泪.....はちょっと季節はずれですが、久しぶりに数日前から足が痛くて目に涙です。アステアのせいなんです。

昔、フレッド・アステアのRKO時代の3作品が、きれいなプリントで上映されていたと以前書きました。
MGMでもいいのですが、何だか靴が小さめに見えて、それもエレガントに見える秘訣かなと、靴を買うときについ小さめを選んでしまった時期があります。
しばらくすると、文字通り痛い目にあい、一度出来た足のトラブルの元凶はそれ以来の付き合いになりました。
それでも何年か小康状態を保ちつい忘れていましたが、無理っぽいサイズのものに久しぶりにトライしたのが失敗で、すぐムクムク成長するのか、懐かしい痛みを伴ってやって来ました。
「まめ」と打って変換すると、「肉刺」の文字が選択肢にあります。しかし、どちらかといえば、ウオノメこそ「肉刺」の文字に相応しい痛みを伴うように感じますがいかがでしょう。

アステアの件を補足すれば、もちろん靴が小さかったわけじゃなく、パンツ全体のライン・裾幅等とのバランスが生み出す効果でした。
そして言うまでもなく、そう見える靴自体の完成された要因の数々。
アパレル関連の方々にも意外に足に痛みを持つひとが多いですが、適切なサイズを選んで、どうぞ足にトラブルを抱えないようご自愛ください。





珍しく前回身近な方々から好評をいただいた画像に続いて、アメリカの靴ブランドNettletonの広告。1980年代前半はまだ営業を続けていましたが、アメリカの産業が製造業をどんどん手放して金融へシフトしていく傾向と軌を一つにしたように、いつの間にか閉めていました。
1936年の広告だそうで、この時代のものにはフェロウズやサールバーグっぽい画を描く人が随所に使われます。
これもそういう一枚かと目をこらすと、イラストの下にはLeslie Saalburgの署名を見つけました。何だか得した気分です。

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引用だらけ.....

2011-06-22 | Others
 「征服者は久しく島民を支配し、征服者の法律によって島を食い物にしようとしてきた。シチリア島のほかの地方と同じく、カステラマーレの歴史は幾世紀にもわたって動乱にあけくれた。島はギリシャ人やサラセン人、ノルマン人によって、スペイン人やドイツ人やイギリス人によって、また十字軍の時代からファシストにいたるまでさまざまの国のさまざまの人種によって十六回も征服されつづけてきたと、ボナンノも何かで読んだのを記憶している。彼らはすべてシチリア島にやってきて、人間が故国からはなれたときにやる悪業を重ね、シチリアの歴史は他民族による凌辱と蹂躙の連続だった」
これは前回の話「汝の父を敬え」の一節です。

イタリアの、特に南部について書かれたものを読むと、これに近い歴史から為政者を信用しにくい風土が育まれたとあります。

最近よくTVで政治家が、何かにつけて「政治不信をまねく.....」なんて言いますが、言葉とは裏腹にさらに状況は加速して、さすがに温厚な人でも「愚劣な方がたくさんおいでだ...」なんて呟くのを聞きます。



「代々農業をつづけ、穀物やオリーブ、トマトその他の野菜を栽培し、食肉用と取引のために羊と牛を育てた。政府からわずかな金の出る事業を一手に請負い、港にも影響力を持ち、商人たちにも勢力があって、彼らを保護してやるかわりにその保護料を受けとってきた。彼らはその昔の君主や太守と同じく文字通りその地域の町々を支配し、奉仕の代償として被支配者たちに租税を課した。彼らの奉仕とは、近隣の紛争の仲裁であり、盗まれたものをとり戻してやることであり、家庭内のすべての問題に援助の手をさしのべ、名誉を傷つけたり人妻を辱めたりする者をこらしめてやることであった。彼らは同郷人の裁判では判事にとりなしてやり、パレルモの政治家からは山岳地帯の着実な支持票の見返りとしてさまざまの特典を受けた。しばしば不正を働いたけれども、法律はだいたい彼らの味方だった。幾世紀も前から、この地方の貧困と悪疫はシチリアの政府によって、ローマの議会によって、それ以前の外国の支配者によってかえりみられなかったのである。だから、結局、貴族たちがやるのを見てきたように、法律を自分たちのものにしてその法律を勝手にまげてきた。

 彼らは、法のもとで平等はないと信じた。法律は征服者によって書かれたのである。二千年の昔までさかのぼるシチリアの乱世につぐ乱世の歴史で、島はギリシャの法律、ローマ法、アラブの法律、ゴート人やノルマン人、アンジュー王家、アラゴン王朝の法律によって統治されてきた―いずれも征服者の艦隊がシチリアに新しい法律をもたらし、それがどんな法律であろうと、法律はつねに貧者よりも金持を助け、弱者よりも権力者にくみするように思われた。法律は村人たちのあいだの復讐を禁止したが、政府の番人や国王の軍隊による組織的な残虐行為や殺戮を許し―戦争は許され、内輪揉めは禁じられたのだ―そしてまっさきに国王の軍隊に駆り集められたのが農民である。食物や飲物、衣類、薬品、文学、性行動を規制する法律はおよそ権力を握る貴族の生活様式の延長だった。法律はその貴族の過去を反映した。貴族の性格が上品かつ寛大であれば、法律もそのどちらかになり、またキリスト教徒か回教徒かによって、東方文化に影響されたか、西方文化に影響されたかによって、さらに慈悲深いか、逆に残酷であるかによって法律もそのどちらかを反映したのである。ドイツの専制君主フレデリック二世は姦婦の鼻は切りとるべしとの布告を出したが、ほかの懶惰淫乱な暴君は法廷で妾を宥し、人妻を誘惑しても大目に見た。時代がかわると、しばしば法律も変り、新しい法律がそれまで行われていた法律と矛盾することもあったという事実を、為政者たちはさして気にもとめなかったらしい。彼らは大衆を支配し、権力の座にしがみつくことに汲々としていたのである」

すみません、またしても写しだしたらサルみたいに止まらなくなってしまいました。
汝の父を敬えのような話を読んでいると、運命は従う者を潮にのせ抗う者を曳いていく、という昔の人の言葉も思い出します。
また、ヴィスコンティの「山猫」も重なってきます。

今日は強い日射しが降り注いで、梅雨が明けたらこんな感じというシュミレーションみたいな陽気でした。重い話の口直しに、盛夏が待ち遠しいような爽やかな色遣いの、1937年のアメリカの広告をどうぞ。



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汝の父を敬え

2011-06-19 | Others
 昨年3月25日の話でゲイ・タリーズの「汝の父を敬え」について書きました。
訳者の常盤新平さんが書いたもので、およその内容は知っていましたが、たぶん初めて読んだのは新潮文庫で出てすぐで、それほど前でもないかと思っていたら、平成3年に発行(単行本は1973年)されていたので20年もたっていました。アメリカでの出版は1971年です。



父の日だったからというのでもありませんが、その「Honor thy father」を20年振りに読み直していました。
細かい部分は覚えていませんでしたが、全体の印象は変わっていません。「ゴッドファーザー」が好きな方だったら、概ね楽しめるかも知れません。

子供の頃、TVで「アンタッチャブル」の再放送を何度か観ました。
テンポのよさや吹き替え・ナレーションの歯切れの良さなど、他のアメリカ製ドラマ同様楽しみにしていました。

エリオット・ネス役のロバート・スタックだったか他の人か忘れましたが、そのドラマで見た三つボタン段返りでベントなしのスーツを二十歳頃注文したら、相手してくれた人から不思議がられました。
三つボタン段返りといえば即アメリカン・トラディショナルモデルというのが相場だったのに、アメリカのTV番組で見たとはいえ、何かを折衷した奇妙な型としか受け取られなかったようで、出所は言えませんでした。

今回二十年振りに読むと、下巻の後ろに常盤新平さんが「文庫版のための訳者の覚書」を書いていて、その時点で翻訳してから二十年たち、その間にタリーズ本人に三度会い、二度シチリアを訪れたと書いてあります。

常盤さんが先に訳していたアーウィン・ショーについてゲイ・タリーズに語ると、タリーズもショーに憧れていて'50年代にパリに会いに行った話など、後日談もたいへん興味深いものです。

昨年書いた時ふれたジョゼフ・ボナンノのコート姿。素晴らしい仕立服が大好きだったとあります。
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マヨナカは英語でMidnight

2011-06-15 | Jazz
 一緒に仕事していたメンバーで、一度だけしゃぶしゃぶ食べ放題に行ったことがありました。皿が空になる頃、やけに気の利く店の人がおかわりを勧めてくれます。
思いっきりビール飲んで、ほぼ切れ目なく食べ続けるので、しばらくするとさすがに苦しくなりました。
「次に店の人来ても、断ろう」と言っときながら、「おかわりいかがですかー」と聞くと、お約束のように「じゃ、お願いします」と誰かしら言うのも困りものです。
食べて笑って、あまりに苦しかったので、二度目の話は誰も言い出しませんでした。



以前書いたかどうかはっきりしませんが、「皿の上の人生」等サービス業関連の話が面白かった野地秩嘉さんの、「サービスの天才たち」という一冊を電車に乗る前に見つけました。

今回はキャディ、タクシー運転手、床屋さんなどが取材されていますが、一番面白かったのは人間じゃなくて、豊後牛の種牛「糸福号」の話でした。

「牛はね、頭をなでてあげるとすごく喜ぶの。糸福は雄なのにすごくおとなしくて、私たちの言う通りに、はいはいと動く子だった。畜産試験場に上がってからも、会いに行くとモーッと鳴いてそばに寄ってきたもの」というくらい大事に育てられ、約400頭の雄から選ばれた5頭として種牛の生活に入ったそうです。

そうして働いた14年間に生産された糸福の子は、肉牛として約180億円の売上をもたらし、野地さんが書くのには「一介の牛としては位『牛臣』を極めたといっていい」という評価を得ました。
通常種牛としての仕事をおえると、廃牛という扱いをうけるところ、多くの人の請願により特例で天寿を全うしました。豊後牛の評価を向上させた糸福は、39,157頭の子を残したそうです。

対象が牛だからでしょうか、話のトーンはユーモラスなのですが、最後、野地さんは「そんな種牛たちの気持ちを思えばステーキもしゃぶしゃぶも一片たりとも残してはいけない。今後、牛肉食べ放題の店で牛肉を食べ散らかしている人間を見つけたら、私は天国にいる糸福の代わりに怒鳴り付けてやろうと思っている」と書いています。

私たちがしゃぶしゃぶに行ったのは、野地さんがこれを書く前のことでしたが、無理にもすべて胃に収めておいてよかったです。

ところで、「面白うて、やがて悲しき」種牛の話を読んで思い出したのは、数年前に遅く帰るとたまたまやっていた番組です。ドーモ君が出没するあたりの時間帯に、たいへん堅い感じのご婦人が、おそらく自論を展開したあとだったのでしょう、締めに「夫婦の営みを子孫繁栄以外の目的にいたすのは如何なものか」とかなり断固たる調子で語っていました。
ギリシャ人やフランス人だったらどんな反応があるでしょう.....、そこの部分しか観ていませんが、未だに現実だったのか定かでありません。



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昨夏と同じ

2011-06-13 | Rock
 先日、「井」のつく名字の人という話を書いていたら、偶然津々井君からメールが来て呼び出されるまま行ってみると、会場はイタリア料理店のプレ・オープンでした。
津々井君は二時間前からやっているとのことで、いつもに増して愛想よくぐにゃぐにゃになっています。



スプマンテで乾杯した後、「何でもお好きなものを.....」と言ってもらったので、エスコートされた女性みたいな気持ちになって「じゃ、グレーコ・ディ・トゥーフォかフィアーノ・ディ・アヴェッリーノ」と勝手なことを言いましたが、選んだのはマルケ州のシャルドネです。ご存知のように製靴産業の盛んな土地柄でもありますので、「おっ、革靴の臭いがする」とか「おっ、冷えてる」とかはずれたことばかり言って、酔う前から困った客みたいになってました。

少しすると何だか服の話になって、その日彼が着ていたシャツが六万円超だったと言います。前回のユーロ高の時期の商品だったのでしょう。
そう聞いて、25年くらい前、初めてLuigi Borrelliのシャツを元町で見た時のことを思い出しました。七万円台という価格もそうですが、世の中には見たことがないものが色々あることを知らされ、そうした品が一般的な製品とどう違うのか、いたく興味をそそられたものです。

回想に耽っていると津々井君が、そのシャツの袖が長かったので詰めてもらったと事もなげに言うので、聴き逃しそうになりました。
見るとカフは何だかゆるゆるしています。
聞き返すと水平方向じゃなく垂直方向に詰めた、つまり袖丈自体を詰めて、しかも剣ボロを移動してないので開きが狭くなっているではありませんか。
あれほど言ったのにー、っと津々井君にはそんな話はしたことがないのに言いそうになります。
ここが狭いとアイロンかけ難いのよね。

知り合う前とはいえ、こんな目に合っていたとは。
ところで、私も一番最近買ったシャツは、なんと裄が98cmくらいありました。さすがに袖を振るって踊る創作ダンスやってるわけじゃないので、これは長過ぎます。
でも一応どんな感じがするか、ボタン位置を調整したあと、物好きにも既に五回ほど着て試してみました。

その晩、カメリエーラが優しくしてくれたお礼に、親指の第一関節を切り離す荒技を披露して退散してきました。


三人の会話については、「pwa92」ブログに詳細が。



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綿の薄いコート

2011-06-11 | Others


幸い数日おきに日射しもありますが、まだ梅雨に入ったばかりでこれからが本番という予報もあります。でも、沖縄には早くも梅雨明け宣言が出ました。

先日、この時期然るべきスタイルに合わせる薄手の綿コートが、意外に見つからないと聞きました。
そういえば、シャカシャカいいそうなシンセティックな素材はよく見掛けますが、綿で薄手というのは確かに見ません。
これは綿かなと手に取ると、ポリエステル・ナイロンで綿に似せた素材感をだしていたりします。

一頃は国産生地Ventileなどの高密度綿織物で、透湿防水や撥水の機能もうたわれた商品がありました。蓮の葉など自然界の機能を模したり、微細な起毛感を付与したり、新し目な商品がいくつか並んでいた時期もあったような気がします。
カジュアル化の波で丈の短いコートが中心になり、化学繊維が違和感なく受け入れられる素地が固まって、クラシックな雰囲気のコートは置き去りにされてしまったのかも知れません。

いや、綿の物性の問題からPertexみたいな素材ほど薄くはないにしても、梅雨や台風シーズンを少しでも快適にやり過ごすよう、あおり止め等の細部を含めたデザインと素材が満たされた品が、何処かにあるでしょう。



子供の頃、金木犀の香りは強過ぎて、その匂いを好ましく感じるようになったのは大人になってからです。嗅覚が適度に鈍くなったのでしょう。

散歩していると、外来種と思しき繁殖力の旺盛な花が、春先から生垣に咲き乱れ、強烈な臭いを発するものがあります。
こちらの嗅覚が鋭敏になったとは考えにくいので、花は相当な臭いをまき散らしているはずです。でも、虫を呼び寄せる必要に迫られたり、花にも都合があるのでしょう。

こちらが時期により臭い。

冒頭の画像は、1946年のVinylite Plastics Raingearの広告。
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Leslie Saalburg

2011-06-08 | Others
 家人が毎朝食べるバナナはほとんどがエクアドル産で、たいていは田辺農園という所でつくられたものだそうです。
あまり縁のない国でイメージもわき難いですが、中米コスタリカみたいにキレイな鳥がいるのかなとか思っていたところ、夏の帽子がエクアドルMontecristi産をJames Lockで製品にしたもので、知らず知らずのうちに身につけていました。

今日の下段の画像は、以前も取り上げたレスリー・サールバーグが、老舗を描いたうちの一つで、そのジェームズ・ロック帽子店です。製品には1676年創業とありますので、日本は四代将軍家綱の頃でした。
緻密なサールバーグのことですから、二十世紀中葉の店は、きっとこの通りだったのでしょう。



少し前、日常を楽しくしてくれる周囲の方々に「井」のつく名字の方が多いことに気づきました。
その中で、一番珍しそうなのは「乳井」さんでしょうか。
乳井サンジョルジュさんは甘いマスクで、たいていの人に優しい人です。でも、酔ってくると他人に歌を強要するクセがあり、行きつけだという店で乳井さんと店のおじさんを相手に、その中では私しか知らないような曲を歌ったことがありました。

異業種の乳井さんの仕事場にある日お邪魔すると、そこの社長の奥さんがいらして、「この人は前にね、隣の家の奥さんとデキちゃってたいへんだったのよ」と、本人を前にして言います。
当の乳井さんは、フンをするところを見られてる犬みたいに、困ったような思案中みたいな神妙な顔で、じっとくうを見つめていました。

その社長の奥さんという方がまた、退屈なくらいだったらその程度の事件の一つや二つドンと来い超常現象というさばけた人で、乳井さんを見る目がむしろ誇らしげに見えたものです。

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着心地

2011-06-03 | Jazz
 借りた傘を返しにいったはずが、帰りにはまた同じものを持たしてもらって、子供の遣いみたいな気分です。
つぎつぎ湿った靴がたまって、気持ち良く乾くような晴れ間が待ち遠しくて仕方ありません。

と書いておいたら、火曜日は寒いくらいに涼しくて湿度の低く快適な、梅雨の中休みとなりました。



先日、あまり試したことのないブランドのスーツに、誘われるまま袖を通してみました。
どことなく違和感を覚えながら鏡を覗くと、私の体型の悪さを差し引いても、その製品がどちらかというと横にふくらむ扁平なパターンなのだと気づきました。
極端にいうと、身体の前後に張り付いて、脇腹のあたりには隙間がある感じといったら伝わりますでしょうか。

そうした服に出会うと、普段着ているものが別段意識しなくとも十分ゆとりを感じるようどちらかというと前後にふくらみ、脇が廻り込むよう立体的に身体に沿った設計であることを再認識させられます。

ここ二十年近くの間に、優れた海外の製品がいろいろ紹介され、メーカーには良い見本となって、実際にすばらしい着心地をもつ商品へと昇華させた会社もあります。
一方、何故それらが優れた製品なのか、蘊蓄をかたむけた記事をまだ雑誌で見つけることの出来る現在でも、意外に反映されていない商品があるのは不思議な気がします。

イタリア北部の街に比較的マイナーですが優秀な工場があり、好みは別にして、そこのオリジナルには、十年以上前から既に身巾・袖巾が他社より細い商品もありました。
細くともこなれたパターンは、体操出来そうなくらい動き易いものです。
コストもこなれていた事から、数年すると大手アパレルや若年層にも人気の店が発注するようになりましたが、自社のパターンを持ち込むようになると、折角蓄積されている工場のノウハウが活きない凡庸な着心地の製品になっていました。

こうなると、ただMade in Italyのタグが付いただけで、内実はさほどのものはなく質を伴っていません。

そうした一昔以上前の理論ではカバーしきれない、優れたパターンをもつ海外の既製品も存在する現在、教育者の方は、良いパターンをひける人の育成がとても大事と口を揃えます。
日本にも経験豊富で優秀な技術者が活躍する工場がまだあるので、経験を補おうと積極的に勉強する気さえあれば、何とかなるような気もします。

いつか雨後の筍みたいに、その分野でも優秀な人材が多数輩出され、何処で何を着ても日本製は着心地最高なんていう日が来るといいです。韓国が今、盛んに芸能関係を強化しているみたいに。
着心地が完璧に近づいていけば、既にたいてい細かい仕事は丁寧ですから、あとは服としての全体の雰囲気だけです。うーん、これがそう簡単でないというより一番難しいか。

そういえば冒頭のスーツは、袖もただ安直に細くなっています。
ふとした瞬間に肩先から袖にうまれる空間が醸す、何とも言えない柔らかな笑みのような、そんな口で説明するのが難しい何でもない部分、そういう風情はまだ望むべくもありません。

またまたそういえば、十年くらい前の話でしたか、オーダーの際にデジタル・スキャナーみたいなもので身体をスキャンして採寸するというシステムを採用したアメリカの会社がありましたが、それと従来のアナログなメジャリングでは出来上がりがどう違ってくるのか興味あるところです。
またこの春くらいに、3D立体スリムだったかの商品名でCMがながれていた品も、服としての魅力は感じませんが、もし完璧ならそれはそれですごいことです。

半裸ですがレディー・ガガじゃありません。


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