Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

よそのお仕事

2021-04-27 |  その他
ほとんど出かけないのもあって話のネタも切れ気味ですから、お越し頂いた時聞かせてもらうお話はみんな面白いです。
先日も息を切らして着くなり、ちょっと予定が狂って着替える時間がなかったと仰りながら、
「取引先の担当者が前は普通だったんだけど、新しく代わったら困りもので、それがまたそこの社長の息子なんです」
とのこと。
異業種の話ではありますが、「あら、何か最近映画で観たような話」なんて映画だか現実だか分からなくなってきます。



だいぶ前の話ですが、あるメーカーの方からそこの会社の製品について問題点はないかと訊かれた時のこと。
気になる部分を説明しましたがすぐには腑に落ちないようで、「いきなり口で言っても分からないかも知れないので、参考になる部分がありますから、服部さんという方が書いた『洋服の話』というのをとりあえず読んでみて下さい」
と基本的な理解を深めて頂ければとメモを渡しました。
しばらくしてまた見えると、「工場へ行ってあの本の話をしたら、すでに皆んなが読んでいた」そうです。
九州の西の端にある工場の方々が皆んなで回し読みする姿を想像してちょっと驚きもし、皆んな何とかして製品を進化させたいと思っているんだなと感じました。

辻静雄さんの本にも度々出てくる話ですが、「料理に興味を持って取り組んでいると、必ずその歴史や他の人の仕事(作り方)に関心を持たずにはいられない」と言われるし、実際そうなると言います。

歴史を遡らないまでも普通に取り組んでいれば、より良い製品より良い仕事とはいったいどういうものだろうと絶えず頭の片隅にあるので、数少ない信頼できそうな資料をあたることになります。
それを製品にいかして利用者により満足してもらうというシンプルな理屈なのですが、残念ながら実際には中間に関わる人すべてがそういう方向性とは限りませんから、冒頭の話のような事もおこるのでしょう。
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nato con la camicia

2021-04-18 |  その他
たまに、シャツはやっていないんですかというお問い合わせを頂きます。
良いシャツは肌触りが良いばかりでなく全体を引き立て、体の動きを妨げることなく上着との滑りを円滑にしてくれるとても大事なアイテムだと思います。

服を試して頂いた方には軽く柔らかく動き易くということをご理解いただけると思いますが、その服よりも体に一番近いシャツがもし動きを妨げる可能性があると服の良さを感じて頂けないことを実感していますので、お薦めできるレベルの品が見つかるまで扱わないと思います。
まだ試したことはありませんが、最近では見た目にとても綺麗な日本製も出てきたようです。
見映えと着心地を追求したイタリアのクラシックな服が巷に行き渡って20年以上経ちますから、シャツにおいても着心地を理解した製品を作るところが出て来てもおかしくありません。



'90年代中頃Luigi Borrelliのシャツは、日本ではまだお約束のように「あのH社のシャツを請け負っていた...」という説明付きで、その頃ミラノのドゥオモに面しているだけでもボレッリのシャツを扱う店は4店舗、いずれもちょっと年配向けの洋品店のような店でした。
リナシェンテ向かい側の角にあったガルトルッコは昔生地屋(ローマ「トレヴィの泉」近くにもあった)で、ブリオーニ、イザイアといった重衣料の他、シャツはすべて"Galtrucco"になっていましたがBrini製。
ドゥオモ広場からヴィットーリオ・エマヌエーレII世通りをサン・バビラに抜ける通りにはありませんでしたが、一本裏手の広場に面してダベンツァ等を扱っていた"Vannucci"のシャツはボレッリでした。

リナシェンテの裏辺りに小さな店が出来たり閉めたりしていた中に、"Castellani"というやはりKitonとBrioniをメインにした店がありました。一つ一つはそうでもないのですが、ちょっと世界観がミズっぽいような不思議な店で、シャツはブリオーニ。

サン・バビラ広場で、真っ先に目につくのは"Neglia"だったと思います。
Brioni, Kitonをはじめブランドは何でも揃っていましたが、同じミラノで同格の製品を扱う店に比べて趣味が野暮ったいというかあかぬけない内容で、シャツはBrini。後からKitonがシャツも出すとそれが一番上のグレードとして扱われていました。
それよりも、早くからAttoliniを扱っていた"Eddy Monetti"の方が内容的に面白い品揃えでしたが、シャツはちょっと弱かったようです。

そこからすぐのスピガ通り入口には、シャツで有名な"Battistoni"ミラノ店。
さらにヴェネツィア通りを地下鉄に沿って行くと、パレストロに仕立屋のジャンニ・カンパーニャが豪華な店を出すと既製シャツは3社で、いずれも"Gianni Campagna"ネームでしたが一番上のグレードがボレッリ製でした。

さらにヴェネツィア通りを進むと、オーベルダン広場には"Tincati"がありました。
ここにはあらゆるアイテムが驚くような在庫量で、シャツは地元のシャツメーカー(後にオリアンに代わる)と、カフとカラーのスペアの付いたTincatiネームのBriniでしたが、やはりKitonがシャツを始めるとそれが一番上のグレードとして扱われていました。

またサン・バビラからモンテナポレオーネを抜けて、ブレラに向かう手前にある仕立屋A. Caraceniが1階でやっていた「ディ・ヴィンチェンティス」では既製のチチェリを扱っていました。

逆に、ドゥオモ広場から反対にメアッツァ・サッカースタジアムのあるサンシーロの方向へ向かうと、まずマジェンタ通りの"M. Bardelli"。
ここではシャツを買った記憶がありませんが、Briniだったような気もしますし記憶違いかもしれません。

更に進んでヴェルチェッリ通りには、名前どおり双子マークの"Gemelli"。
ここはBriniとL. Borrelliで、年によってフラシ芯がちょっと他店と違う仕様になっていました。

更に進むとさすがに観光客の姿はまったく見ないような地域で、落書きがひどく荒んだ雰囲気の中にディーン・ショップという英語名の店がありました(記憶違いでなければ、何故かそこにコルネリアーニの息子がいました)。
イタリアではそこで初めてFrayのシャツを見ましたが、その後もミラノでは見たことがありません。
結局イタリアでFrayのシャツを見たのは、こことフィレンツェのUgolini e Filli.、ナポリのその頃トレド街にあったOld England(他の都市にある同名店とは無関係)だけだったと思います。



そのフィレンツェには皆さんご存知の「タイ・ユア・タイ」があって、その頃シャツはボレッリとブリーニでした。
店主がシャツを「綺麗でしょ?」と言うので、こうしたらもっと良いと思うと応えると、翌年そうなっているのを嬉しそうに見せてくれながら、驚くようなお返しをしてもらったのを思い出します。
近くの"Happy Jack"はモーダもありましたが、クラシックはボレッリと"BARBA"のゴールドの織りネームのラインでバリエーション豊富でした。
仕立屋のリヴェラーノもその頃ボレッリをかなり扱っていて、レプブリカ広場のマンテラッシ靴店もモーダ以外のシャツはボレッリ製、オーナー夫妻がナポリ出身というMichele Negriももちろんボレッリ、靴屋のマンニーナも最初ボレッリを置いていましたが後にブリーニに代えました。
ある時そこの息子が「そのシャツどこの?」と訊くので「バルバ」と答えると、「聞いたことないなぁ」と言うので「あそこのハッピージャックにたくさんあるのに」という話で笑いました。

さらにナポリ、他の都市と続きますが切りがないのでこの辺で。
他にMauro Bonamico, Luciano Lombardi, Charly等々あり、その後もFinamore、南の方のメーカーでさらに細かい仕事のメーカーが出て来てからの話は皆様の方がよくご存知かもしれません。
またシャツの仕立屋にも行きましたが、意外に既製メーカーの出来の良いものに及ばなかったりしました。

長い話にお付き合いいただきましたが、上記の店の多くが今は存在しません。
あっても扱う内容がだいぶ違ったりしますので、昔話です。

シャツはもちろん着る人の体型との相性が第一ですから、どのメーカーが一番ということではありません。
実際、高価な品にも接着芯なんてのがあります。
入手可能な中から、体の動きを考えたパターンをそなえ昔ながらのフィットと裄丈(88cm以上)であれば、カフのゆとりを手首のサイズに合わせるなど適切なアレンジを加えると、動きを妨げられることなく服の作りを体感できることと思います。




店に置いてあったシャツで話にリンクしそうなのはないか探したら、忘れていたのがありました。
BrioniのシャツはBrini製なので、この頃は織ネームの生地が一緒です(おそらく2000年代に入ってからのもの)。




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Sweet Little Angel

2021-04-11 | Blues
I've got a sweet little angel
I love the way she spread her wings
Yes got a sweet little angel
I love the way she spread her wings
Yes, when she spreads her wings around me
I get joy, and everything

全盛期のB.B キングが観客に向けてこう歌い出す時、女性客の歓声は最高潮に達したそうですが、B.Bがお気に入りのロバート・ナイトホーク"Black Angel Blues"が元歌でした。

これからのシーズン、駅のホームや信号待ちで立っているとジャケットのラペルが生き物のようにパタパタすることがあります。
軽い生地に軽くて返りの良い芯の組み合わせは、車輌の風圧にさえ反応してラペルが小鳥が羽ばたくような動きを見せるので、本来の意味はちょっと違うかも知れませんが、その度R. ナイトホークのバージョンを思い出します。



しばらく前、異業種の方お二人と飲んでいた時のこと。
AさんがBさんに、
「そのジャケット、肩の辺りとかその辺り(前のボタンのラペルが返るあたり)が何か柔らかそうに見えますね」
と仰いました。
洋服屋さんだって興味ないと気づきませんから、そういう眼や感覚を持っていることが素晴らしいと思います。
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田中さん

2021-04-04 | 映画
最近日本映画を観ていると書きましたが、小津安二郎監督の「朗らかに歩め」(1930)という作品には、日本の'30年代に心酔している方みたいな着こなしのワルが登場します。
またこの頃は廃仏毀釈の影響が濃かったのか、鎌倉大仏もすぐ側まで車を乗り入れたり出来たようです。

またもっと後の「美徳のよろめき」(1957)で、三国連太郎さんの役どころはちょっとヘンですが、帽子の傾け具合などコート姿が日本映画で滅多に見ないくらいキマッてます。

という訳で観ているのは古いものが多く、田中邦衛さんが出演された作品にはほとんど到達していませんでした。
一時期お近くにお住まいで、車をよけると運転席で目深にかぶったキャップの奥にテレビで見慣れた顔があって、会釈されたことがあります。
「たまにモノマネしてます!」なんて言いたいのを堪えて挨拶を返しました。
成田三樹夫さんの時もそうでしたが、田中邦衛さんみたいな役者さんの訃報は淋しい限りです。


(キャップがなかったので)
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