Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

ミラノにて + 再び 伊丹十三 

2009-11-30 | Rock
 江戸から明治にかけて日本にやってきた外国人が日本人の礼儀正しさ・親切・清潔好きを書き残してくれているのを読んだことがあります。まぁ、格好についてはヨーロッパ人から見たら庶民のスタイルは半裸かと思うくらい大分さっぱりしてたので、貧しげに見えたのは仕方ないかも知れません。
また、木と紙で出来た家々の連なりがもたらすリズムある空間は、統一感があってさぞ美しかったでしょう。

時代が下って電気が普及し街に電柱が林立すると、例えばヨーロッパ帰りの永井荷風にとっては居たたまれない空間へと変貌していきます。足は自然と墨東へ向かいました。

さらに下って1965年、伊丹十三さんは「ヨーロッパ退屈日記」の一章『素朴な疑問』で、無計画な街づくり、それを構成する家屋のゴテゴテした様を挙げ、普段見ている物は見えていないという蒙を啓いて、しかも思いきり笑わせてくれます。



10年程前、2月初旬くらいの寒いミラノでの事です。
ドゥオモの隣のガレリアを歩いていると、数は多くないのですが向いから歩いて来る全ての人が振り返って、中にははっきり笑っているカップルもいました。
何かなと気になって注意して見ると、我々の前を行く日本人の若い女性の足元を見ていることが解りました。

その卒業旅行かなと思われる年頃の女性は、キャメル色のコート、マフラーともちろん重装備です。でも足元は、その少し前から日本では冬でも履き始め、呼び名は変わってもサンダルでした。

病院から抜けだしたお父さんみたいな感じですね。
服が切れている訳でもないので言いようがありませんが、追いかけて伝えたとしても怪訝な顔されるだけでしょう。複雑な思いにとらわれたのを覚えています。

また別の冬、家内が靴店に入ると日本の女性がお会計の段階です。店の人から「履き換えて行くんでしょ」と尋ねられ「いえ、包んでください」というようなやり取りを耳にして振り向くと、やはりストッキングにサンダルだったそうです。もちろん店の人は「なんで、折角買ったのに。履き換える為じゃないの?」と訝りながら言いました。
 
お手軽な逆転の発想か安く作れるからか、目先を変えたかったから仕掛けたのか解りませんが、寒い冬にはやはり無理があったんじゃないでしょうか。
日本で通用したヘンなカッコが、海外で奇異に見られるのは学生でも政府高官の奥方でも変わりないでしょう。
よりによってミラノ・マダムの本拠地というのも運がなかった。

伊丹さんは別の所で「あんまり変てこりんな具合に工夫したり細工したりするのはやめようじゃないの。普通でいこう。普通で。」と、やはり40年以上前に書いています。この間、洗練の度合は進んだのでしょうか。

そして、冒頭の話をヤケクソ気味にこう結びました。

これがわれわれの街なのです。
思い切ってスラム調で統一してみました。
穢さがイッパイ!

画像のVan Morrison / Moondanceはバックの楽器構成からか不思議な透明感があって、いろいろな人にカバーされたMoondanceと Crazy Loveももちろん良いですが、全体を貫く統一感があり耳を傾けてしまいます。




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