コロナ以前のこと。
ある日白井さんが、
「近所にウェスタンハット被ってる人が前からいてさ、
この間ちょっと話したら、ハンク◯◯って名前で活動してるんだって。
いるんだよなー、そういうの」
と楽しそうです。
白井さんが若い頃からハンク・ウィリアムズに心酔して、歌う時の衣装や革製品などコレクションされているのを知ったのは、お付き合いが始まってしばらく経ってからのこと。
それまで色々な人がカバーしたバージョンを聴いたことはあっても本家は聴いたことがありませんでした。
ですから先に聴いたのが白井さんの方で、後から御本家を聴いたわけです。
そういえば藤沢周平さんのエッセイにも、入院中に熱心なハンク・ウィリアムズファンに出会って、退院後に本物を聴くという話がありました。
そのハンク・ウィリアムズの録音の中でも"There'll be no teardrops tonight"だけ他の曲とちょっと歌声が違って聴こえるのですが、鳥の「刷り込み」でしょうか、この曲だけはもう白井さんにしか聴こえません。
もちろん順序が逆で、耳のいい白井さんが寄せていたのもあるでしょう、とにかく似てます。
ウェスタンハットは持ってませんが、比較的早い時期にわかった共通点がありました。
それは他の人からコーディネイトについて尋ねられた時、私も白井さんもたいてい「何でもいいんですよ」と答えてしまうところです。
もちろん、何でもいいなんてことはありません。
むしろまったく逆で、何でもいいどころか直感的にではありますがかなり選んでいます。
それは質問があまりに茫漠とし過ぎていてどこから語ったらいいのか手のつけようがないし、何時間あっても説明し切れないというのが一番当たっているかもしれません。
小さな石だと思って掘ってみたら、実は全体は大きかったというのに似ていて、ちょうど「何でもいい」というのが地表に出ている小さな部分。
基本がわかっていれば「何でもいい」、理にかなっていれば「何でもいい」。
では基本や理にかなっていればOKかと言われれば、それだけでは物足りないし寂しい。
陽射しを確認し、その日の予定と気分を擦り合わせ、出来上がった組み合わせで本人もまわりの人の目も快適...
でありたいと思います。
という訳で核心は「ちゃんとコーディネイト出来れば、何でもいいんですよ」
という参考にならないお話なんですね。
「出来るんだったら、はなから聞いてないよ!」と怒られそうです。
たまに探究心が優っている面白い人がいるとやはりそういう方は「何でもいい」に納得しないのでさらに突っ込んだ質問をしてくれますが、一般にコーディネイトがあまり顧みられないことを白井さんと嘆くことがしばしばありました。
文句ない生地でどんなに作りが良い服があっても半完成品みたいなもので、合わせが上手くいってないとその服の良さは生きません。
それはファッションの本場の男性でも変わらないようで、これはというコーディネイトにSNS上では未だ巡り会いませんが、逆に一番すごいと思う人で毎回自分の着ているものを投稿している紳士服を扱う店の人がいます。
着ているものそれぞれが見事にまったく合っていない、というか「そう見えるこちらの眼に問題があるのか」と不安を覚えるくらい合っていません。
あえて合わせないよう計算してるのか、どういう発想で合わないようにしているのか、あるいは合っているように見えているのか聞いてみたい衝動にかられるくらいです。
また同系色のグラデーションに固執したりするのも、合っているようでちょっと違います。
老婆心ながらこんな時にふさわしい、いつも引用する古の言葉。
「一着の服や一つのアクセサリー、それ自体はエレガンスを物語りはしない。
エレガンスはそのコンビネーションにあるのだから」
ある日白井さんが、
「近所にウェスタンハット被ってる人が前からいてさ、
この間ちょっと話したら、ハンク◯◯って名前で活動してるんだって。
いるんだよなー、そういうの」
と楽しそうです。
白井さんが若い頃からハンク・ウィリアムズに心酔して、歌う時の衣装や革製品などコレクションされているのを知ったのは、お付き合いが始まってしばらく経ってからのこと。
それまで色々な人がカバーしたバージョンを聴いたことはあっても本家は聴いたことがありませんでした。
ですから先に聴いたのが白井さんの方で、後から御本家を聴いたわけです。
そういえば藤沢周平さんのエッセイにも、入院中に熱心なハンク・ウィリアムズファンに出会って、退院後に本物を聴くという話がありました。
そのハンク・ウィリアムズの録音の中でも"There'll be no teardrops tonight"だけ他の曲とちょっと歌声が違って聴こえるのですが、鳥の「刷り込み」でしょうか、この曲だけはもう白井さんにしか聴こえません。
もちろん順序が逆で、耳のいい白井さんが寄せていたのもあるでしょう、とにかく似てます。
ウェスタンハットは持ってませんが、比較的早い時期にわかった共通点がありました。
それは他の人からコーディネイトについて尋ねられた時、私も白井さんもたいてい「何でもいいんですよ」と答えてしまうところです。
もちろん、何でもいいなんてことはありません。
むしろまったく逆で、何でもいいどころか直感的にではありますがかなり選んでいます。
それは質問があまりに茫漠とし過ぎていてどこから語ったらいいのか手のつけようがないし、何時間あっても説明し切れないというのが一番当たっているかもしれません。
小さな石だと思って掘ってみたら、実は全体は大きかったというのに似ていて、ちょうど「何でもいい」というのが地表に出ている小さな部分。
基本がわかっていれば「何でもいい」、理にかなっていれば「何でもいい」。
では基本や理にかなっていればOKかと言われれば、それだけでは物足りないし寂しい。
陽射しを確認し、その日の予定と気分を擦り合わせ、出来上がった組み合わせで本人もまわりの人の目も快適...
でありたいと思います。
という訳で核心は「ちゃんとコーディネイト出来れば、何でもいいんですよ」
という参考にならないお話なんですね。
「出来るんだったら、はなから聞いてないよ!」と怒られそうです。
たまに探究心が優っている面白い人がいるとやはりそういう方は「何でもいい」に納得しないのでさらに突っ込んだ質問をしてくれますが、一般にコーディネイトがあまり顧みられないことを白井さんと嘆くことがしばしばありました。
文句ない生地でどんなに作りが良い服があっても半完成品みたいなもので、合わせが上手くいってないとその服の良さは生きません。
それはファッションの本場の男性でも変わらないようで、これはというコーディネイトにSNS上では未だ巡り会いませんが、逆に一番すごいと思う人で毎回自分の着ているものを投稿している紳士服を扱う店の人がいます。
着ているものそれぞれが見事にまったく合っていない、というか「そう見えるこちらの眼に問題があるのか」と不安を覚えるくらい合っていません。
あえて合わせないよう計算してるのか、どういう発想で合わないようにしているのか、あるいは合っているように見えているのか聞いてみたい衝動にかられるくらいです。
また同系色のグラデーションに固執したりするのも、合っているようでちょっと違います。
老婆心ながらこんな時にふさわしい、いつも引用する古の言葉。
「一着の服や一つのアクセサリー、それ自体はエレガンスを物語りはしない。
エレガンスはそのコンビネーションにあるのだから」