Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

ちょっといい話

2018-03-30 |  その他
少し前に取り上げた常盤新平著「アメリカの編集者たち」という文庫本のあとがきに、補足されていた話があります。



ゲイ・タリーズはギングリッチに献辞を書いていた。
短いながら、編集者としての、私人としてのギングリッチの生涯を見事に要約したエッセーである。
その一節ー
「ギングリッチは他人が認めるものに好意を寄せ誠意を尽すという人ではなかったし、また時代の風潮に影響される人でもなかった。
ギングリッチは妻の美貌が病気で衰えたあとも久しく妻を讃美してやまなかったように、人気がなくなったり、酒と絶望とで筆力がひどく衰えた才能ある作家を変ることなく支持して、彼らの作品を掲載しつづけた。
原稿を掲載できない旨の断りの手紙を書くとき、その手紙には相手を思いやり、かつ激励する真情があふれていた。
彼はけっして頭ごなしに言うことはなかったけれども、よく自分より若い編集者たちに『何もしないのが最高の編集者だ』と言った。それは必ずしも最良の助言ではなかったが、少なくとも『エスクァイア』は永年にわたり文学の新しいスタイルに門戸を開いてきたし、1930年代にはトーマス・ウルフのような作家の作品を、1970年代にはトム・ウルフのような作家の作品を受け容れて成果をあげてきたのである」
「『エスクァイア』はギングリッチの生涯を通じ、さらにそれをこえて、ギングリッチがかつて編集者の最も大切な資質と語った『持続する驚異感覚』を持ちつづけてきたのである」



また、「ヴァニティ・フェア」のフランク・クラウニンシールドについても、

かつて「ヴォーグ」編集長エドナ・ウールマン・チェースは、以前「ヴォーグ」のページにあった「男の身だしなみ」を「ヴァニティ・フェア」でやってみないかと、すすめたことがある。
しかし、クラウニンシールドはにべもなく断った。
「紳士は身だしなみを知っている」と。
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Forever young

2018-03-29 |  その他


May God bless and keep you always
May your wishes all come true
May you always do for others
And let others do for you

と始まるボブ・ディランの歌とまったく関係ないのですが、京大・山中教授とナカス産業大学モリタ教授の人体の秘密に迫るシリーズで「若返りの秘訣」として解説されていたのは、走ったり歩いたりして骨に刺激を与え続けることだそうです。
一見似たような運動にみえる自転車競技なのに、本格的な選手でもペダルを漕ぐ動きだけでは十分でなく、カルシウムの欠乏と診断される選手の例を紹介していました。
意外なことですが、足(骨)へのダイレクトな刺激こそが代謝を促す信号を発してくれるとのこと。



すると関係なさそうだった冒頭の歌もあながち無関係でもなく、若返りのヒントが隠されているように思えてきました。

May your hands always be busy
May your feet always be swift

という歌詞が後にありまして、あながちというか無理矢理というか.....
という訳で、
May you stay forever young.

ザ・バンドの「ラスト・ワルツ」コンサートでもディランはこの曲を歌っていますが、当のザ・バンドのメンバーをはじめ幾人かは「いつまでも若く」どころか亡くなっています。



今年の開花は驚くほど早かったですが、桜の話になるとソメイヨシノは寿命が短いと言われます。
私が子供の頃から毎年盛大に花を楽しませてくれていた木は、大かた傷みが激しいようで、手当てが必要だと聞きました。
こちらも、出来ればいつまでも若くあって欲しいところです。

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行く春を近江の人とおしみける

2018-03-13 |  その他
京都から琵琶湖周辺を訪れるようになると、松尾芭蕉の足跡にふれることがあります。
墓のある義仲寺はもちろん、湖南地方には門人も少なくなかったそうです。
また京都にもどってぶらぶらしていると、芭蕉を敬慕してやまなかった与謝蕪村などに所縁ある場所に出会ったりもします。



以前ハンサムな仏像があると書いた奈良の当麻寺へも、芭蕉は少なくとも二度参詣しています。
晩年ちかく、彦根出身の門人が国へ帰るというときに書き送ったものに「予が風雅は夏炉冬扇のごとし。衆にさかひて用ふる所なし」という一節があります。
「自分の俳諧は夏の炉か冬の扇のようなもので、何の役にも立たない」と自嘲・謙遜のように受けとれる言葉ですが、それこそ自分の純粋な文学だという強い意志に支えられています。
また違う時には、財産も家もなくただ風雅だけに没頭してきた自身を振り返って「なし得たり、風情終に菰をかぶらんとは」とぼろを纏いながらも思い描いた境地に達した自らを讃えました。

昨年の夏、近江八幡をぶらぶらしていると、「日本一遅い乗り物」というポスターにつられ「水郷めぐり」を楽しみました。
艪を操りながら船頭さんがところどころ説明してくれて、「あれが俎板にするヤナギの木、けっこうな値がするでしょ」と教えてもらうまで、あの枝垂れてる柳の木がなんで俎板かとずっと謎だったのですが、意外な所でまったく別の木だったと判明しました。



「今年の夏は厳しくないですか?」
「昨日は今日みたいな風もなくて照り返しもキツかったから、お客さんもかわいそうだったねー」



水草のあいだをゆるゆると舟に揺られていると、秋山小兵衛といわないまでも、江戸の人になったような気分を味わえます。
小一時間のコースを終えて船頭さんをねぎらうと背中の方で、
「⚪️⚪️さんお疲れ様ー!、大丈夫だった?」と威勢のいい女性の声が聞こえました。
「うーん、死ぬかと思ったよー」
危うく年配の船頭さんを殺すとこでした。
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Tu-Ber-Cu-Lucas And The Sinus Blues

2018-03-12 |  その他
本日のタイトルは話に合わせて、デビッド・リンドレーもカバーしているニューオリンズのヒューイ・ピアノ・スミスの曲で、他にもこの人の曲は何故か肺炎とかタイトルにつくのもあります。



昨年岩手・宮城を廻って用事をすました折のこと、合間に萬鉄五郎記念美術館と宮城美術館へも寄りました。萬さんは結核だったそうで、郷里より温暖な茅ケ崎で療養していたこともあるそうです。
その土沢町からタクシーで新花巻まで向かうとその間一度も信号機にぶつからず、右手には葡萄畑そして向かいにはなだらかな斜面がつづき、イタリアの農村地帯を思わせるような景色が広がっていました。



仙台の宮城美術館へは洲之内コレクションを見たくて寄りましたが、以前行った時には見なかった寄贈品のほうが気になりました。その力強い画は「シューズ・クリーニング・ショップ」というタイトルで、大沼かねよさんという教員をしながら描いていたという人の作品です。
ところが、この方も結核で早くに亡くなっているそうです。



行けそうで行けなかった中尊寺へも初めて行きました。
外を覆う建物はもちろん昔はなかったでしょうから、松尾芭蕉が訪れた時は「七宝散りうせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽て」いる状態にもかかわらず、「奥の細道」で訪ねた他の旧蹟の中にはその面影をとどめない所がいくつもあった為、往時を思いその感動を「五月雨の降りのこしてや光堂」と詠みました。


平泉駅のポスターから。
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