少し前に取り上げた常盤新平著「アメリカの編集者たち」という文庫本のあとがきに、補足されていた話があります。
ゲイ・タリーズはギングリッチに献辞を書いていた。
短いながら、編集者としての、私人としてのギングリッチの生涯を見事に要約したエッセーである。
その一節ー
「ギングリッチは他人が認めるものに好意を寄せ誠意を尽すという人ではなかったし、また時代の風潮に影響される人でもなかった。
ギングリッチは妻の美貌が病気で衰えたあとも久しく妻を讃美してやまなかったように、人気がなくなったり、酒と絶望とで筆力がひどく衰えた才能ある作家を変ることなく支持して、彼らの作品を掲載しつづけた。
原稿を掲載できない旨の断りの手紙を書くとき、その手紙には相手を思いやり、かつ激励する真情があふれていた。
彼はけっして頭ごなしに言うことはなかったけれども、よく自分より若い編集者たちに『何もしないのが最高の編集者だ』と言った。それは必ずしも最良の助言ではなかったが、少なくとも『エスクァイア』は永年にわたり文学の新しいスタイルに門戸を開いてきたし、1930年代にはトーマス・ウルフのような作家の作品を、1970年代にはトム・ウルフのような作家の作品を受け容れて成果をあげてきたのである」
「『エスクァイア』はギングリッチの生涯を通じ、さらにそれをこえて、ギングリッチがかつて編集者の最も大切な資質と語った『持続する驚異感覚』を持ちつづけてきたのである」
また、「ヴァニティ・フェア」のフランク・クラウニンシールドについても、
かつて「ヴォーグ」編集長エドナ・ウールマン・チェースは、以前「ヴォーグ」のページにあった「男の身だしなみ」を「ヴァニティ・フェア」でやってみないかと、すすめたことがある。
しかし、クラウニンシールドはにべもなく断った。
「紳士は身だしなみを知っている」と。
ゲイ・タリーズはギングリッチに献辞を書いていた。
短いながら、編集者としての、私人としてのギングリッチの生涯を見事に要約したエッセーである。
その一節ー
「ギングリッチは他人が認めるものに好意を寄せ誠意を尽すという人ではなかったし、また時代の風潮に影響される人でもなかった。
ギングリッチは妻の美貌が病気で衰えたあとも久しく妻を讃美してやまなかったように、人気がなくなったり、酒と絶望とで筆力がひどく衰えた才能ある作家を変ることなく支持して、彼らの作品を掲載しつづけた。
原稿を掲載できない旨の断りの手紙を書くとき、その手紙には相手を思いやり、かつ激励する真情があふれていた。
彼はけっして頭ごなしに言うことはなかったけれども、よく自分より若い編集者たちに『何もしないのが最高の編集者だ』と言った。それは必ずしも最良の助言ではなかったが、少なくとも『エスクァイア』は永年にわたり文学の新しいスタイルに門戸を開いてきたし、1930年代にはトーマス・ウルフのような作家の作品を、1970年代にはトム・ウルフのような作家の作品を受け容れて成果をあげてきたのである」
「『エスクァイア』はギングリッチの生涯を通じ、さらにそれをこえて、ギングリッチがかつて編集者の最も大切な資質と語った『持続する驚異感覚』を持ちつづけてきたのである」
また、「ヴァニティ・フェア」のフランク・クラウニンシールドについても、
かつて「ヴォーグ」編集長エドナ・ウールマン・チェースは、以前「ヴォーグ」のページにあった「男の身だしなみ」を「ヴァニティ・フェア」でやってみないかと、すすめたことがある。
しかし、クラウニンシールドはにべもなく断った。
「紳士は身だしなみを知っている」と。