Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

Hard times come again no more.

2020-10-19 |  その他
ようやく作業が落ち着き、久しぶりに"Classic shoes for men"を真似て遊んでみました。

最近はわかりませんが、以前は珍しいヴィンテージ靴を色々見ることが出来ました(利用したことはありません)。
そこで例えばFootjoy, Nettleton, Stetson, Edwin Clapp等のメーカー名をクリックされると、画像のような品も出て来ると思いますが、他の製品でも素晴らしいバランスの靴に遭遇するかもしれません。

言うまでもなく靴と服は不可分ですから、ちょっと時代がかったものには注意が必要ですが、何十年も変わらない普遍的なスタイルの靴はタイムレスな服を考える上でとても有効です。



                   * * *

1930年代の初めにはすでに大恐慌が始まり、景気は衰退し始めていました。
辛い現実を忘れようと、ますます多くのアメリカ人が映画館に通うようになりました。
男も女もこぞって、フレッド・アステアやクラーク・ゲーブル、ケーリー・グラント、アドルフ・マンジュー、ゲーリー・クーパー、フェアバンクス父子といったスターたちが最新のファッションに身を飾って、大きなスクリーンに登場するのを見ようと映画館に殺到しました。

またこれらのスターたちの写真はプリンス・オブ・ウェールズ、ケント公、作家のルシアス・ビーブ、社交界の名士アンソニー・ドゥレクセル・ビドルJrといったスタイルのリーダーたちの写真とあいまって新聞や雑誌を華々しく飾りました。
ついにアメリカの家庭にも正しい装いの仕方を教えてくれるファッションの「先生」たちが現れたのです。

このように、男たちの服装に対する興味は高まっていました。
彼らは粋に、エレガントに装う方法を、自分を最高に見せる方法を知りたがっていたのです。
この新しいファッションの気運を察知して1921年に『ジェントルメンズ・クォータリー』の前身である『アパレル・アーツ』が発刊されました。

『アパレル・アーツ』は多くの男性洋服店に置かれ、店用のカタログとして活躍しました。
そして大恐慌の真っ只中である1933年の秋、もう一つの男性ファッション雑誌『エスクァイア』がニューススタンドに現れました。
この雑誌の成功は、国の困窮状態にもかかわらず、多くの人々は恐慌に左右されない少数の裕福な人の着るものや、暮らしぶりにとても興味をもっているものだということを証明しました。

皮肉なことですが「エスクァイア・20世紀の男性ファッション百科事典』の言葉を借りれば、「大恐慌はファッションを、まだおしゃれをするだけの余裕がある人々の手に戻した」ということになります。
「スタイルは絶対的にイギリスが主流であった。なぜなら30年代の余裕あるアメリカ人とは、20年代にサビル・ローで買い物したアメリカ人と同じだったからである」

これらすべての要素が30年代に結集しました。
この時までにはアメリカの男たちはプリンス・オブ・ウェールズを通して、映画を通して、そして自分自身のヨーロッパへの旅行を通して、アメリカンスタイルとでも呼ぶべき一つの普遍的なスタイルを作り上げていました。
イブ・サンローランの最近の言葉を引用しましょう。
「1930年から36年にかけて創造された何種類かの基本的な服装の型は、すべての男性が自分自身の個性とスタイルを打ち出す上で、表現の尺度として今日でも十分通用するものである」

これらの原則、型とはいったい何でしょうか?
まず第一にアメリカ人にとって洋服とは、体を隠すものではなく、どちらかというと体に合わせて、結果的には男らしさを強調するものだということです。
同時に洋服は目立ちすぎてはいけません。着ている人の体の一部となるようでなくてはなりません。
洋服とは人を区別するものではなく(何世紀もの間、王や貴族たちはそのことを第一の目的として装ってきました)独立した個人の集団のなかでその人をその人たらしめるものなのです。

長い間続いたかさ張る、重苦しい衣服の下に体を隠した時代、そしてこれに続く、体の線をおおげさに強調するスーツなどの実験的な時代を経て、アメリカ人はついに洋服は自分を目立たせるためのものではなく、自分の良さを表現するためのものだということを学んだのです。

また別の尺度もあります。
洋服は着心地良くなくてはいけないということです。実際に着古しである必要はありませんが、それと同じように体に馴染むものであって欲しいということです。
洋服が体の一部となれば理想的でした。
つまり30年代のアメリカ人にとって洋服とは、体に従うべきもので、決してその反対であるべきではなかったのです。
フレッド・アステアはスーツが体にきちんと合っているかどうか確かめるために、いつも新しいスーツを着て2,3度店のまわりを歩いてみることにしていました。
彼は実際に歩いてみることでそのスーツに十分余裕があり、本当に着心地が良いかどうか確かめてみたのです。

この時代は注文服のテーラーと知識の豊富な客の協力によって、まったく新しい男性服の形式が作り出された時代です。この時代に蓄えられた男性服の型と全体のバランスの知識はラペルや、襟、ズボンの丈および幅、靴のスタイルにはっきり表れていますが、これらの知識は現在でも正しい装いの原則として十分通用します。

それに加えて、この時代には礼儀作法に関してはっきりとしたルールがありました。人々はある特定の機会にはそれにふさわしい特定の服装をするのが一般的でした。
その結果、30年代にはスポーツウェア産業が急成長するという現象がおこりました。カジュアルな機会にビジネススーツを着るのは適切でないと人々はみなしたのです。

『アパレル・アーツ』が30年代を評していった言葉があります。「30年代とは一般男性の財布は軽かったが、余暇の時間はたっぷりあった時代である」この余暇の時間を男たちはスポーツウェアを着て過ごしました。
スポーツウェアとはスポーツジャケット、帽子、ネクタイ、シャツそれにスラックスでした。
               (中略)
こうして30年代の半ばには、アメリカ男性はまさに歩くエレガンスといってもよいほどになりました。彼らは仕立ての良い服を身につけ、礼儀作法を重んじたばかりではなく、自分自身の個性をつけ加える想像力ももっていました。これでなぜ1930年代が、アメリカの男性ファッションにおける頂点といわれているのかおわかりでしょう。
30年代は流行よりも、自分の体に一番よく似合い、一番着心地が良いという基準で人々が服を選んだ時代でした。
つまり、装いのバランスがとれていた時代、それ故エレガンスがその極致に達した時代といわれているのです。

「アラン・フラッサーの正統服装論」(訳者:水野ひな子)より

                    * * *



普遍的なスタイルについて調べていると、「大恐慌」は避けて通れない時代です。
私たちが生きている間にそれに匹敵する事態が出来しようとは思いもしませんでしたが、A.フラッサーの2冊目の著書にあるこのくだりを'80年代に読んでから、ずっと気になっていた箇所です。

RKOのF.アステアやパラマウントのG.クーパーの映画を観ているとそんなことを微塵も感じさせないのは、上に書かれているように、それが現実を忘れさせてくれる装置だったからでしょう。

「粋に、エレガントに装う方法を、自分を最高に見せる方法を知りたが」るような方はコロナ禍でますます希少になり、本文からお分かりのとおりスポーツウェアの概念も今日のそれとは大きくかけ離れています。
コロナ以前から、「さっきまで、それ着て寝てたんじゃないの?」と思うようなカッコがカジュアルという時代ですから難しいとは思いますが、普段からキチンとされていた方はワードローブをぜひフル活用され、今まで思いつかなかったような新しいコーディネートを工夫し続けていただきたいと思います。

もちろん今までと違うかどうか他人には分かりませんが、百人に一人くらいその気概に反応して「おっ、いいね!」という目をする人がいるはずです。
そんな方を見かけたら、もちろん心の中でジャンジャン「いいね」したいと思います。
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Tweed

2020-10-13 | 生地
今週末再び11月なみ、という予報です。
前回急に下がった時は、例年のことですがほっとしたような寂しいような気分が入り混じりました。
この先も上がったり下がったりを繰り返しながら、気がつくと重いものを着てるかも知れません。

仕事がら、色々な自然素材を扱ったり着たりします。
もちろんカシミヤのように滑らかな手触りが心地良いのは言うまでもありませんが、正反対の手触りを持つツィードの好ましさは年とともに増して、偏愛は募るばかりです。

海外の方があげていた画像で、少し山の中のような景色がありました。
石造りの橋がさほど大きくない緩やかな流れに架かり、周辺は苔や草木の緑が基調になって、紅葉し始めた黄から朱までのグラデーションを引き立てています。
それを見て、朱は入ってませんがすぐこの生地を思い出しました。



ツィードメーカーのひとつ、1826年創業のLovatというミルはこう記しています。

"The designing echoes the slate greys, blues and browns of the stone buildings and cobbled street of the historic Scottish border town."

何といっても、まずその自然や街に溶け込む色合いが良いです。
またフランネルやコーデュロイ、カバートのような素材でうまく色の合ったパンツと合わせた時、引き立て合うコンビネーションも良いですし、さらにセーターを合わせ心地よいハーモニーのような効果が得られた時は楽しく知的な作業ともなります。






 
上の朱で思い出しましたが、何年か前イギリスの小さなマーチャントが「映画の衣装に使って残ったから」というので全量、といってもほんの数メートルですが引き取ったのが下の生地。
あえて作らなくてもどこかのバンチにありそうなオーソドックスな色柄で、どこかイギリスの田舎を舞台にしたテレビ映画のことかななんて妄想も働きますが、何の作品か定かではありません。

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rustic?

2020-10-10 | 生地
昔から、お気に入りのジャケットのことを「古い友達のよう」なんて例えますが、まさに昔から着てたようなトーンのジャケットです。
落ち着いたベース部分だけの色だと本当に古いのと勘違いされそうですが、そこに金木犀のようなマットなオレンジのペインがのると、「古い友達のよう」というより「昔からのガールフレンドのよう」...ではニュアンスが違うし.....、やはり古い友達というしかないか...という色柄のジャケットです。



今「ハッキング」と言うと、最初にイメージされるのはコンピューター関連のことで、だいぶ遅れてバスケットボールの用語で、乗馬関連も思い浮かべるのは紳士服関係の方くらいでしょうか。
これをお読みくださるような方にも説明不要かと思いますが、「あぁ、カイロ⁉︎」なんていう方も好きです。

乗馬服のディテールに由来するそのスラントしたポケットには、下のウィンザー公のように、ポケットの形状が曲線的なものがあります。
英国起源なのでイタリアの仕立て服ではあまり見ませんが、注文によりますからA. Caraceniとか一部では見ます。

上手くアイロンでまげてないと、玉縁が「おそ松くん」のイヤミの靴下の爪先みたいに歪んでる英国製を見たことがあって、それもまた愛敬がありました。







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4000日

2020-10-05 |  その他
ふだん金木犀がどこにあるか意識することはほとんどありませんが、この時期あちこちから香って、意外に多いときづくくらい存在をアピールしています。
そんな中、このたび横浜市中区へ移転しました。



その際、素晴らしい仕事をしてくれた不動産屋さんと引っ越し作業をしてくれた方々にとても助けられました。
不動産屋さんは根気よく付き合ってくれて、その後の事務処理もスムーズです。
引っ越しのほうは、生地や什器はもちろん、資料にいたるまで重いものばかりでどうなることかと思いましたが、常人ならやっと1箱ヒーコラ言って運ぶところ、そのパワーは圧倒的でザンパノとブルーノ・サンマルチノが一緒に来たように、3箱重ねて休みなく何往復もしてくれる馬力に驚かされました。
何しろ古い大判のエスクァイアなどはやたら重くて、一箱に15冊も入れるのがためらわれるくらいでしたが、まったくものともしない様子です。
あまり作業の役に立ってない私が、逆に気遣われる始末でした。

池波さんの書いたものによるなら「仕事によらず人の世はすべて一緒」神経が行き届いているか否かということで、礼儀正しく相手の身になってのこまやかな気遣いには頭が下がりました。
こういう方々ばかりだったら何事もスムーズだろうなぁと思っていたら、管理会社の方がまた献身的で参ります。

その後も小さなラッキーに恵まれ、これから作る服が周囲の人々から祝福をうけて生まれてくる子供みたいに思えて、門出にありがたいやら嬉しいやら。
ブログ開設から4000日経過したそうですがそんなことを忘れるくらいアタフタしている中、ありがたい仕事をしてくれた方々は金木犀みたいに香りでアピールしませんが、どなたも間違いなく一隅を照らす人でした。
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