Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

お日さまの香り

2011-08-31 | Others
 池波さんの「おとこの秘図」という時代小説の冒頭、めずらしい入り方で、幼少時の写真に写る父親の着ているものについて描写があります。
それによると、綿糸問屋の番頭格だった父君は白麻のスーツに白い靴に帽子と、向田邦子さんの父君同様、戦前までの方々の雰囲気を偲ばせるスタイルだったことが伺われます。



同じく池波さんの「私の夏」というエッセイに......

どこの家の母親も一日中、汗みずくになり、家事におわれていた。
職人の家では、主人の仕事を手つだいながら家事にはげみ、子たちの世話をやく。
そのころの女のひとたちの姿をおもい起こすと、つくづく頭が下がる。
女がいなかったら[家]は持たなかった。
そのことを男たちは、みな、わきまえていた。
夏になると、下着も寝床の敷布も汚れるので、女たちは懸命に洗濯をする。
アイロンこそかけていないが、洗いたての、ごわごわした敷布の上に、これも洗いたての寝間着を着て眠るのは、子供ごころにもこころよい。
石鹸と太陽のにおいを吸い込んだ寝間着や敷布の香りは、夏になるとことさらに強く感じられる。
青い蚊帳の中へ、大人たちより、先へ入って寝床へ横たわり、いつしか眠りにひきこまれてゆく感じを、いまもおぼえている。

というくだりがあります。
何時だったか、噂に聞くイタリアのアイロンかけの話を書きました。
つまり、一度完全に乾いたものに霧を吹いてアイロンをかけるか、生乾きの頃合いを見計らって取り込み、アイロンをかけるかという選択肢です。

ホテルのクリーニングで経験した(シャツの衿腰部分が湿ったままだった)ことによって、実際に生乾き派が存在することを確認しました。

洗濯石鹸のコマーシャルみたいですが池波さんも書いたとおり、私自身はお日様のにおいがほしいので、断然、完全に乾かす派です。
また、プロの方も言っていたかとおもいますが、乾いたものに最小限の湿り気を与え、熱で一気にとばすことがきれいに仕上げるコツかと思います。
生乾きのもので、同じ仕上がりを求めると、もっと高熱で時間的にも長くアイロンをあてる必要があり、せっかくの良い素材をいためる結果にもなります。

そうした理屈をすべて抜きにしても、お日様のにおいには抗えません。





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何となくハワイアン

2011-08-26 | Others
 先日、京橋まで行こうと東京駅を出ると、向かいから軽快なスタイルの素敵な人が歩いて来ます。近づくと、堺さんと一緒に「とぼけた顔してババンバン」て歌ってた、あのタンバリンの巨匠・井上さんでした。
以前から何となく何となく芸風が好きで、同級生のヘーさんと呼ばれていた人にも雰囲気が似ています。



オオタさんはご存知でしょうか。オオタさんは、ウクレレ・マスターのハーブ・オオタさんです。
暑い夏には、高校球児でもないのに連投に次ぐ連投で大回転の活躍です。

他にも若い世代で、音源は持っていませんが、ジェイク何某さんとかデューク東郷とかパンチョ伊東とかジミー中とかラグーザたま、とか日系みたいな名前の人が多いようです。
えっ、あとの方はウクレレじゃない?失礼しました。

突然の涼しさから一転、この話を下書きした日はまたまた暑かったようです。
そして次は小雨続き(一部豪雨)と、天候には揺さぶられっぱなし。



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蝉しぐれ

2011-08-20 | Others
 よそが秋冬用に買ってあったサンプルを、五月にたまたま入手した人が、「早く秋にならないかなー」と言っていたので、その前に暑い夏があるでしょとからかっていました。
でもその時は、まさかここまで暑いイメージはありません。

暑いといえば、最近東へ東へ進出しつつあるというクマゼミが、京都でももちろん鳴きまくっていました。
すさまじい蝉の声に、クマゼミが一匹でも混じると、体感温度がさらに1~2℃上昇する気がします。フル10かと思うほど、ボリュームが大きいです。

ところで、大きなお寺で朝の勤行の端にお邪魔すると、読経のテンポが上がり、カネが小気味よく打ち鳴らされる頃、何時終わるとも知れない時間に軽い眩暈を感じます。
叱られそうですが、それが最高潮の蝉時雨みたいに聴こえます。



画像の写真は1935年のジョージ・キューカー監督「Sylvia Scarlett」の撮影時、セットの中、皆で昼食中の図だそうです。

左から二人目、顔が黒っぽく写っているのがケーリー・グラント、次が監督、右端がキャサリン・ヘプバーン。
ヘプバーンは何かいたずらを仕掛けてその報復に身構えるようなポーズ、グラントは呆れかえってますという表情でカメラに訴えかけ、監督は何か食べ物の臭いを確認しています。
麗らかな日射しの中で、和気あいあいと楽しそうな食事の風景。

もうしばらくしたら、こんなふうに、屋外で楽しめるくらいの陽気に変わってきそうです。




L・FでもL・Sでもありません。

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花火とウルグアイ

2011-08-17 | Others
 小学校の夏休みの宿題に最適なブログでもないのに、普段以上にたくさんの方にご覧いただきありがとうございます。

今日、サチコさんからゆかりちゃん達と花火を見に行くとメールがあったとおり、夕方に桜木町駅で降りるとすごい人でした。
ワインを買い足そうと思っただけですが、なかなか進めないほどの人出です。

公園で、ビルの屋上で、ひと気のない穴場の路地で.....へんな事みたいですが、花火が良く見えるよう毎年考えて、日があえば皆を誘っても見てもらいたいほど、以前は好きで仕方ありませんでした。
少なくとも「泥棒成金」のC・グラントとG・ケリーよりは断然花火好きだと思います。
なにしろむこうは花火そっちのけで、盛り上がってしまいますので。

横浜では従来、二回花火大会がありました。徐々に足が遠ざかったのは、海の記念日が制定され、その日と重なってしまう花火大会は場所をおさえるのが困難になって来たことと、暴発の大事故で花火師の方が亡くなったりした頃からだったかも知れません。

一度、船で花火を見るというイベントに参加して、初めて横から見ると、あんなに大輪の花火が薄べったい一列の光だったことには驚きました........
と飲んでる席で言ったら、本気にした人がいます。



月曜日、筒井君がイタリアへ発つというので日曜の晩フランコへ寄りました。
行くと、今夜これから羽田―パリージ経由でローマへ向かうというので、間にあって良かったです。
今回は大きな半島のフクラハギ側、つまりアドリア海側を廻るそうです。

ローマのクラシックな紳士服店を図示した地図を約束していましたが、なかなかギリギリまで行けずに、その日になってしまいました。

しばしの休みに仕入を控えてるらしく、選択肢がいつもほどではありませんが、モリーゼのワインという、飲んだことのない州のものがあったので試してみました。
暑さからか、いつも以上に酸の豊かなものを欲しますが、傾向は違うもののコクのある一本で、やはり南の方だからなのかと勝手に納得します。
でも喜んでないとふんだのか、筒井君は、一杯しかないフィアーノをふるまってくれました。

今日、人ごみをかき分けてせっかく買ったからと、開けてみた初めてのウルグアイの白は、美しい薄緑でこんな日に飲みたいというような、カプスーラ・ヴィオラを思わせる気分にピッタリの一本でした。



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おいしい水

2011-08-12 | Others
 紫外線を防いでくれそうな広いツバと、キャップ型のまわりには垂れが一周付いて、おまけにサングラス付きという帽子を買って初めて外へ出掛けた日、コンビニの前にあろうことか斧が落ちていました。
危ないなぁ教えてやろうと拾い上げて店内へ入ると、一瞬にして空気が凍りつき、レジの辺りの人が一様に口を開け、両手を天井にむけ挙げています。

「ちがう、ちがう、入口で拾った」と必死に言えば言うほど、口まで覆った垂れで音がこもり、意味不明の早口みたいに響きます。
さらに弁解しようと一歩前に出ると、たいへんな騒ぎになりました。
いつの間にか通報され、御用に。

本当に夢でよかったです。
旅に、その帽子買わなくてよかった.......



「徒然草」に「深き水は涼しげなし 浅く流れたるは はるかに涼し」とあるそうです。
繁華な四条大橋から覗く鴨川も、適度な流れときれいに整えられた水底から涼しげに見えました。
限られた空間に自然の地形をたくみにうつした庭園では、高低差も配置され、涼しげなせせらぎが用意されています。
小さな滝を模したところから、勢いをつけて落下し、傾斜や緩衝物によって微妙に音を変え、それらが重なり合うことによってもまた変化が生まれます。

一方、二尊院から常寂光寺へむかう間には、アオコでドよんだ池がありました。
まったく水が動かず、緑一色の水面は底も伺い知れません。
しかし微かに水の音がしており、何処かに流れでもあるのかと、ふと後ろを振り返って見ると、おばちゃんがペットボトルの水でうがいしているのでした。

今回久しぶりに二尊院をまわったのは、角倉了以の墓所があるからです。
角倉了以は戦国期の豪商で、私財を投じて高瀬川を開削したり、秀頼の菩提を弔うべく寺を建立したりするタイプの人でした。
今年ここにお参りするのは、特に意味のあることのように思えました。



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犬も歩けば........

2011-08-10 | Others
 震災以来はじめてという方々に会うと、ご無沙汰の挨拶代わりに何処へ行っても震災当日の話を尋ねられるのは仕方ないところです。
日常ではその日のことが話題に上ることは稀になりつつありますが、安否をふくめて近況まで、なかなか本題に入れない所もありました。



過度な自粛は復興の妨げと、折りをみて以前のようなペースに戻そうと思いますが、なかなかそういきません。
美味しいものを食べても、何か気に入った物にめぐり会っても、何処かで以前ほどには楽しめない部分があるように感じています。
無駄をそぎ落としていきたいという気分も手伝って、そういう心理は、意外に奥深くまで巣食っているのかも知れません。

今季、SALEになっても、以前のような手応えを感じられないと多くの店で聞きます。
既にその傾向は一昨年くらいから顕われていたという所もあるので、一概には結びつけられないかも知れませんが。

ところが.......

犬も歩けば棒に当たると言いますが、あちこちフラフラしておりますと、女性にとっては思わず触手がうごくような品があるようです。
服は言うに及ばず、特に靴やバッグの好きな女性が街を歩いて、捨て目というかちょっ目を配っていると、どうしようかと思う品がいくつか見つかるようでした。
全部つきあっていたら切りがないので、正直な感想を言って、取捨選択を促します。
やはり、あまり売れてないから、こんな時期でも買える物が残っているのかと想像しました。

そう言えば馴染みのイタリア料理店で、「あれ以来、東京の店でも不入りが続き、持ちこたえられず閉める所が出てきた」と出入りの業者さんから聞いたと言います。
それ故、昨シーズンまで割高だった食材もダブついたのか、比較的廉価に廻ってくるという話です。
漠然と、遣る瀬無い話ですね。



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水のある庭

2011-08-10 | Others
 毎年のように京都に足を運ぶようになって15年を超え、多いときには年4回、繰り返し神社仏閣を訪れました。
多くの寺で枯山水の庭を見ることが出来ますが、それ以外は夏の渇水から苔の状態が痛々しい場合が少なくありません。
幸い今回は直前の台風によって、乾いていた苔が、驚くほど早く元気を取り戻したそうです。人手による散水では同じ効果は得られないと伺いました。
やはり夏には、水のある庭のほうが涼をはこんでくれるように思います。

今年に入ってからだったでしょうか、NHKで、琵琶湖疏水を利用した南禅寺周辺の庭園ばかり特集した番組がありました。
中でも明治期に召し上げられた広大な寺域を、財界人がよりをかけて完成させた對龍山荘などは、思わずため息が出るほど素晴らしい庭です。

15軒ほど散在すると言われるそうした別荘は、残念ながらほとんど非公開だそうです。
唯一、山縣有朋の別邸・無鄰菴だけが年末年始以外ほぼ休みなく公開され、容易に見ることが出来ます。



というわけで、「ちょっとそこまで」行ってきました。
今回はそれらの庭園のいくつかを手掛けた、七代目・小川治兵衛という造園家の仕事を偶然なぞるように、行った先々で見ることが出来ました。

特別癒しを求めていたり、疲れていたりという事はまったくありませんが、自然の風物を巧みに取り込んだ庭は、そんな人にさえ安らぎをもたらしてくれるような気を蓄えた空間です。



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どちらへ。

2011-08-03 |  その他
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目利きの後ろ姿

2011-08-01 | Rock
 前回の話から通底する部分をふくむように思いますが、
洲之内徹さんの「山発さんの思い出」という話に......

鎌倉近代美術館の朝日さんの言うところによると、佐伯祐三の蒐集家といえるのは、いまはもう故人だが、芦屋の山本発次郎氏以外にはないそうである。
朝日さんは先年の、鎌倉の美術館での佐伯祐三展の折、作品を集めてまわった当事者だから、朝日さんがそういうのならまちがいないだろう。
たしかに言われてみればそのとおりで、佐伯を二点とか三点持っているという人なら私も何人か心当たりがあるが、五点となるともう思い当たらない。
だが仮に五点か十点持っていたとしても、佐伯の生涯の作品の大半、それも名作傑作を揃えてごっそり持っている山本さんの場合とでは桁違いで、比較にもならない。
また、山本さんが佐伯の蒐集家として桁外れというだけでなく、ひとりの作家の作品が、殆どひとりの蒐集家の手許に集められ、他には蒐集といえるほどのものはないという、こんな例も珍しいのではないだろうか。

山本さんはいつか私に、自分はなにも佐伯祐三を発見したとか見出したとかいうわけではない。
自分が初めて出入りの画商から佐伯の作品を見せられ(それが「煉瓦焼窯」だった)、初めて佐伯祐三の名を知った頃には、自分が知らなかったというだけのことで、佐伯は既に世評の高い画家であった、ただ、有名ではあったが誰も買おうとはしなかった佐伯の絵を、とにかく自分は夢中になって買った、それだけのことだ、と言ったことがある。
      ―中略― 
たとえ山本さんが自分でどう言おうと、やはり、山本さんは佐伯祐三の発見者だと私は思う。蒐集家と批評家、あるいは目利きと批評家とでは絵の見方がちがう。女に惚れた男が、その女の、人には見えないほんとうのよさを見付けるようなものだ。だから佐伯の場合は別として、埋もれた異才、時代が見逃していた才能を発見するのは、いつも批評家ではなく、目利きのほうである。

例によって、長い引用になってしまいました。



そして、白洲正子さんの「珍品堂主人 秦秀雄」という話には.....

ふつう世間の人々は、贋物・真物を見分ける人を「目利き」という。それに違いはないのだが、私にいわせればそれは鑑定家で、経験さえ積めば、真贋の判定はさして難しいことではない。
駆出しの学者でも、骨董屋の小僧さんでも、そのぐらいの眼は持合わせている。むつかしいのは、真物の中の真物を見出すことで、それを「目利き」と呼ぶと私は思っている。
「名人は危うきに遊ぶ」といわれるとおり、真物の中の真物は、時に贋物と見紛うほど危うい魅力がある。正札つきの真物より、贋物かも知れない美の方が、どれ程人をひきつけることか。しまいには、自分だけにわかればいい、「人が見たら蛙になれ」と念じているのが、日本の目利きの通有性である。
「贋物を怖れるな。贋物を買えないような人間に、骨董なんかわかるもんか」
秦さんはいつも豪語していた。私が知るだけでも、彼は古伊万里、佐野乾山、魯山人など、「贋物のあるところ、必ず秦あり」といわれる程、贋物にかかわって来たが、目が利かないから、贋物を売買したのではない、目が見えるからあえて危険を冒したのだ。

結局、並はずれて本当に好きな人には敵いません。
服の場合はもうちょっとシンプルで、解かり易いはずですが、他人がいいと言ってるブランドをなぞっていても、なかなか見えてこないのが現実です。
ましてブランドだけ押さえて満足していても、内実の伴わない品を選んでは本末転倒でしょう。

ところで、私の知り合いに「山発さん」はいませんが、鈴木君がトリハツと呼ぶ、ヘビースモーカーの服部さんならいます。



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