Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

オーバーコート

2021-10-27 | 映画
先日、寒気が入って12月中旬の気温という日がありました。
偶然「ペン偽らず 暴力の街」(1950)というちょっと変わった作りの映画を観たら、他ので顔は何度も見たことがありますが名前を知らない俳優さんがなかなか良いコート姿だったので画像を撮りました。

後から調べると清水将夫さん(1908~75)という方で、最近コンスタントに古い映画を観ているせいかよくお顔は見ていたので意外でしたが、だいぶ前に亡くなっています。
亡くなられた年齢より老けた役のイメージが目に焼き付いていて、この作品での若々しい姿が後年のイメージとなかなか重なりませんでした(3,4枚目の画像に後年の面影があります)。

役柄としては良くありませんが、改心してゆく様が人柄のせいか容貌のせいか好ましく見えるくらいで、ヘリンボーンのオーバーコートの合わせもきまっています。







コートの下はシングルピークのスーツにセーター(あるいはヴェスト)を重ねタイはグレンチェック、と日本ではちょっと珍しいくらいこちらも良い感じです。
いずれも真新しさがないところがリアルで、作品の性質上もしかするとご本人の普段の衣装かも知れません。



少し前に書いた「美徳のよろめき」の三國蓮太郎さんのコート姿といい、ところどころに眠っているお宝があってあなどれません。

映画自体は服飾とまったく無縁の硬派な作品です。
Comments (2)
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12年

2021-10-20 |  その他
It's so nice to see
All the folks you love together
Sittin' and talkin' 'bout
All the things that's been goin' down
It's been a long, long time
Since we had a chance to get together
Nobody knows the next time we see each other
Maybe years and years from now

と始まるオージェイズ"Family reunion"をこのところ仕事終わりに流していて、雲の絨毯の上を行くような心地よい音にエディ・リヴァートのエモーショナルな節回しが絡んで、この一年半人と会うことが少なかったせいか歌詞が身にしみます。

そうこうするうち、このブログを始めて今月で12年...だそうです。
長いような、長くないような。
12年と言えば、生まれた子供が小6に、小学校に入った子が高3という年月ですから子供にしたらすごく長いかも知れませんが、オジサンにはどうでしょう...
そう思い返すと、始めた頃は思いもしなかったことですが、懇意にしていた方が二人も亡くなってしまいました。
共にこの仕事では先輩で、それぞれ服がとても好きな方でした。



70代で亡くなったAさんは、60年代からの日本の男性の服に影響を与えた会社で実質的に製品を作ってきた人で、その後アメリカの仕立服からスタートしたブランドを日本に根付かせトラディショナルなスタイルを普及させた立役者のお一人でした。
毎年のようにアメリカへ出張していた頃、現地で仕立て職人の長をしていた人(有名なブルックリンのマーティン・グリーンフィールドの本のタイトルと同じように、ホロコーストから生還したという人でした)が、既製服を買っても身体に合わせる為ならバラすのも厭わない職人気質をよく語ってくれたものです。

90年代に入って仕立て服に近い作りのイタリアの既製服を知ると、その着心地とクラシックなフォルムが、アメリカンとかブリティッシュとか日本的にジャンル分けしなくても高いレベルの服がよく似ていることを知り、より質の高い製品作りにイメージを得て試作を繰り返し、大きな会社のメリットで予想よりずっと早く製品化させ、その直後に引退されました。

その先の方向性については現役中も引退されてからもお話したことはありませんが、気がつくと私が今やっていることは、その方が最終的にやりたかった形あるいは延長上にあるんじゃないかと最近感じます。

もう一人のBさんはまだ50代で一頃毎日のように顔を合わせていたので、今も最期の晩のことが思い出されます。
本当に良い人でしたが最後の一年はさらに仏さんのようで、それ以前のように戯れ言を言い合ったりしたのか思い出せません。

お二人が元気な頃は独立なんて話はしたことはなかったと思います。
先日、40年近く服への興味を持続され色々着てこられたという方が、出来上がった服の着心地や生地の選択に驚いたり喜んでくださたるのに接し、まだそういう余地があることにこちらの方が喜ばせて頂きました。

おそらく服が好きだったお二人も見たことがなかったものを試してもらえていたら、どんなコメントが返って来たかな(イタコさんなら何て言うだろう、やはり「ワシじゃ」から入るのかな)なんて思いながら服を作っているのが、この12年で一番変わったことでしょうか。
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デップ

2021-10-08 |  その他
気がつけば40℃以上の風呂や真綿の布団が心地良い季節になって、今年も3/4が過ぎてしまいました。
いつもと違う意味で、あっと言う間という気がします。
4月以降続いていた宣言等が解除され、ようやくと言うかやれやれというか

と9月に書いておいたら10月に入って妙な暑さ、先月一度散った金木犀がまた咲いています。
人も花も天候に翻弄されっぱなしです。

今年最初くらいに映画「ミナマタ」が少し取り上げられていましたがすぐ聞かなくなったので、「不都合な真実」に触れない流れか、あるいはJ. デップのおかげでヴィンテージ・ハットの価格が高騰したのを恨むものの仕業かというのは思い過ごしで、公開が近づいてまた話題になっています。



小学6年の夏休みの課題は「公害問題」でした。
渋いタイトルで、「真夏の大冒険」どころじゃありません。
あまりに重い課題に真面目に取り組んだために、その後の暮らしに大きく影響を与えたくらいです。

少し前の新聞が連日コロナ一色だったように、その頃の一面は「月に魚◯匹」みたいな見出しがよくありました。
次から次に有害物質が検出され、魚を食べるにしても月に何匹くらいまでですよという意味で、当時は一番ホットな話題だったから出題にはたいした意図はなかったと思います。

ただ受けた小学生は、図書館はもちろん近所に出来た公害問題を扱う施設に申し込んで話を聴きに行ったり、子供なりに課題に対して完全燃焼した記憶があります。
裁判などの結果は進行形の話だったので数年後まで待たなくてはなりませんでした

通底しているのは「前例がないから自分達が悪いとは限らないという」という論旨で、時間をかければかけるほど環境汚染は進んでいたでしょう。
時代劇では問題の組織が糾弾する人々を排除しようとしてケガを負わせたりする訳ですが、本当に組織の為を思うなら殴るべきは糾弾してくる人々ではなくて、糾弾されるような問題をさっさと調査し白か黒か明るみに出すよう進言するべきですが、もちろんそうはなりません。
「兄弟仁義」のような任侠映画でさえ時代を反映して、1968年公開の第七作は公害問題が経糸で、やはり絵に描いたような図式の話でした(いつも悪役の遠藤辰雄さんが珍しく良い研究者役)。

私どもが仕事に就く頃はまだ「コンプライアンス」という言葉こそ使われていませんでしが、例えば不良品に対して「前例がないから、この製品に問題はない」という感覚の人はほとんどいませんでした。
もの作りの人も現場の人も常に耐摩耗など物性の検査よりは現実におきる事象を重く捉えていたので、きちんと鍛えられた人々は目先の損よりもっと本質的に大事なことがあることを認識していたのは幸いです。

公害問題は未だ全面解決に至ってないそうですが、今怖いのはもっと巧妙に生活に入り込んでいるもの、例えば作られてからまだ十分に時間が経っていない人工的なものなんかがそうですが、それを使った食品をあまり頻繁に食べるのはどうかという話をよく聞きます。

また以前にも書いたように、数十年前乳ガンを患った親戚に天然繊維で作った肌着が提供されたことから、直接肌にふれる衣類から化繊を排除したという方もいらっしゃいました。
保険会社のセールストークやCMで「二人に一人はガンになる時代」というのがいつの間にか当たり前のようになりましたが、食生活の多様化一括りで片付くかどうか。

ささやかですが、仕事場ではなるべくゴミを抑えるようにしています。
先日もコラボのようなことを打診してくれたところがありましたが、よく聴くと再生できないゴミが現在の何倍も出ることが分かり丁重にお断りしたのも、もしかすると小学6年の夏の後遺症かも知れません。
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