Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

毛織物産地   ―Huddersfield ・尾州―

2012-10-25 | Others
 日本の来し方行く末についての話で、ずっと方向性を誤ってきて戦前は軍事に、戦後は経済大国をめざして今日にいたり閉塞感に陥っている。今求められるべきは、文化や環境立国を目指して舵をきることではなかろうか。
と語っていた方がいました。

然るべき方々も、大局的なことは語りません。4月16日の話に引用させていただいた「便利さを放棄しても、安全と人間性を優先」という松下幸之助さんの言葉と、今の財界を代表する方々の意見ではタイキョクです。

山中教授の受賞で機運が盛り上がっている時期だからということを割り引いても、冒頭のようであったらと思います。
誰も、孫くらいの世代が祖父母の蓄えた金をかすめ取るような世の中が、良いとは思いますまい。



2000年、あるいは少し前だったかもしれません。谷さんのところへ行くと、
「さっきまで○○毛織の営業さんが来ていてさぁ、最近どこも安い生地を使ってるじゃない。
だから君のところも大きい取引先から、『質を落としてもいいから、もう少し安いものをやってくれない』って言われたらどうするって、ちょっと意地悪いこと聞いてみたんだよ。
そうしたら、『我慢してお断りしましす』って言うんだよね。エラいよね。営業さんがそう言うんだから」

そこの会社は比較的トラディショナルな色柄に定評のある会社で、最近一般的になりつつある尾州といわれる地域にありました。
この辺りは、物作り日本の一翼を担う地域として新しい活力を感じますが、数十年の間にはかなり景気の波をかぶった業種です。

ここ数十年、オーストラリアやニュージーランド産の極細繊維の生産競争で、カシミヤを凌ぐほどの細さ(今年度のコンテスト優勝は10.5ミクロン)にまでなった繊維の手触り・贅沢感は、行きつくところまで行った感があります。
それはそれとして輸入生地の他に、谷さんは英国の研究機関が自国産にこだわって改良をかさねた、質感のある羊毛も積極的に使いました。薄い生地にしても、それは適度な持ち重りと滑らかさを合わせ持つ風合を具えていました。
もちろんそれは尾州等のメーカーの力を借りて、オリジナルの生地になったものです。

一方、英国の毛織物産地といえば、
エディンバラ、ヴィルトシャー、ペターヘッド、ハダーズフィールド、ブラッドフォード、ランホルン、リーズ、ガラシール、ハウィック、ビングレー、エリス、デューズバリー、ピーブルス、ケイリー、レスター、セルカーク、グロスター、ストーノウェイ、ミラーデン、バートレイ
等がありました。

現在でも真っ先に名前の上がるハダーズフィールドを例にとって見てみますと、1960年代前半の資料では、

Arther E. Evans,Baumont, B.H.Moxon & Sons, Bower Roebuck
B.Vickerman & Son, C.&J. Hirst & Sons, Crowther & Vickerman, D.& R. England
G.H. Rycroft, George Mallinson & Sons, Gledhill Brothers, Graham & Pott
Jarsey Craft, J. Haywood & Sons, John Brooke, John Crowther & Son
John Taylor, John Edward Crowther, Jonas Kenyon & Sons, Joseph Sykes
Josiah Ellis & Sons, Josiah France, Kaye & Stewart, Learoyd Brothers
Liddel & Brierly, Long Wood, Middlemost Brothers, Moorhouse & Brook
Moorside Worsted, O. F. Maud, Ralf Wood, Richard James
Rowland Mitchell, Schofield & Smith, Shaw Brothers, Taylor & Lodge
Walter Sykes, Taylor & Littlewood, Sykes & Hebbelethwaite, Thornto Jones Worsted
William Oddey, William Tomson

というようなメーカーがあったそうです。
今も聞く名前もありますが、統合や閉鎖等、いつ姿を消してしまったのか聞いたことがないメーカーもあります。
マーティン・サンズも上がってないくらいで、これで全てではないと言いますから国中にいったい何社あったのか、またマーチャントを加えると産業としての規模は現在と比ぶべくもありません。
それでもやはり現存する各社のバンチをシーズン毎に眺めるだけで、色柄・発色・素材感など伝統の厚みを感じないわけにいきません。
一産業というにとどまらず、文化だからでしょう。




Bower Roebuckの小冊子から。   のどかな環境を伺わせます。

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近況

2012-10-21 | Others
 お蔭さまで、開設してからちょうど3年が経過しました。
先夜、岩元さんから「相変わらず、わけの解からない作文を」と、皆思ってても言わない一言を突き付けられ、八木さんをはじめ真綿で首をしめるように「Facebook」への外堀を埋められようとするのを感じながら、自分の中にマゾっ気が育っているんじゃないかと心配になる今日この頃です。



気温22℃で湿度44%、日射したっぷりの日で快適な陽気でした。
駅で待ち合わせると、
「ちょっと暑いね」
「だって、これカシミヤじゃないですか」
「うん、だけど薄い方なんだけどね。それは?」
「これはシルク100%です」
「じゃ、ちょうどいいか」
「でも暑いですね」
「この時期はむずかしいよね。紺のジャケットくらいしかないんだよ」
「白井さんがそんなこと仰ったら、みんな着たきり雀になっちゃいますよ」
「ないことないんだけど、気に入ったのがなかなかね」
「気分に合ったのが.......」
「そぅ、いっそ早く寒くなってくれるといいんだけどね」
「色々着られますもんね」
「そういえばこの間、ワカちゃんが来てさ。
 たまたま同じようなカッコしてたんだよ二人とも。
 せっかくだから写真撮っといた」
「元気でした?」
「忙しそうで、ちょっといただけ」

そうなんですよね。好きな方々のワードローブを覗いてみると、素材違いとかモデル違いで、他の人が見たら何だか同じような紺系のジャケットがいくつもあるなぁ、という状態かと思います。

ところで、もちろんワカちゃんは「井上」という姓ではありません。

というわけで今日の作文も、いい感じのところに着地いたしました。


浜離宮恩賜庭園のキバナコスモス。

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紅葉まではもう少し

2012-10-17 | Others
 今月に入って一週目にはかすかに金木犀が香っていましたが、翌週には布団を変える必要があるくらい、夜半に気温が下がり始めました。
近所の金木犀は、いま盛りをむかえようとしています。



都会のオアシス、浜離宮恩賜庭園に行きました。
当日は比較的人出の少なめな時間帯でしたが、海外からのお客さんの方が多かったくらいです。
紅葉には、もうしばらく時間がかかりそうです。



今回は三回とも同じような色遣い。源氏物語を描いた、昔の画にもありました。







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祝、受賞。

2012-10-12 | Others
 前々回取り上げた、塩野米松さんという方がまとめた西岡常一さんへの聞き書きの話で思い出したのですが、「聞き書き」と言われるタイプの本で思い出したものがあります。

かくまつとむさんという方が書いた「鍛冶屋の教え」という本も、やはり職人さんへの取材でした。

ある日、例によってDisk Unionで古くて新しいものを捜そうとしていると、店内に不思議な空気を醸す歌がながれていました。
つい聴き入ってしまいそうになるくらい存在感にあふれ、とてもBGMに向きません。
帰りにレジへ行くと、横にあったのは「勝新太郎」のCDでした。

それ以来どこかで気になっていたのか、「俺 勝新太郎」という怪しげなタイトルの一冊を見つけた時、思わず買ってしまいました。
話の大部分がご婦人の話と芸談なのは想像どおりですが、エピソードが面白く、どれも画がまぶたに浮かぶくらい映像的です。
聞き書きだろうと思いますが、まとめた方のクレジットはありません。



沈滞気味の日本にも、明るいニュースが光を灯します。
ユーモアに乏しいと言われる日本人が、イグノーベル賞を連続受賞していたこと。
立証されるまでにまだまだ時間がかかるといわれる、ABC予想の一件。
そして山中教授が、ついにノーベル賞受賞です。

最近の傾向として、良心的な日本の研究者の方々が、多くの人々に恩恵が行き渡るよう特許を取らないという選択肢があります。
しかし今回は、研究が経済に及ぼす影響の大きさから、独占されないように敢えて特許取得を目指したというのも納得させられます。

西岡棟梁や山中教授と勝新さん、振幅のあり過ぎる話でした。
ところでTVブロスによりますと、ルー大柴氏にとって勝新さんは恩師だそうですが、ある時「ヴィクトリーNew太郎」と呼んでいたそうです。ちょっと可笑しい。

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Less stuff, more happiness.

2012-10-07 | Others
 以前使った気もしますが、「Less is more」、「The more you know,the less you need」という言葉があります。
気になって調べてみると、2010年9月16日の話で使っていました。
短い言葉ですが、というかだからこそ奥行きある意味を連想させます。



TVでグレアム・ヒルという人が、表題のような言葉を提唱している番組がありました。
最低限の持ち物でより幸せにと語るだけでなく、以前からアメリカで顕在化していたカードの濫用に支払いが追いつかない人々に、無駄な買い物をしないでと貯畜を勧めています。


出しといて何ですが、間の悪いことにタイトルが「More Stuff」っていうんですよね.........

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千早振る..........落語じゃないんですが.......

2012-10-05 | Others
 読書の秋なので西岡常一氏の「木に学べ 法隆寺・薬師寺の美」(小学館ライブラリー)を読み返しました。
2010年1月7日の回で書いた、新潮文庫「木のいのち木のこころ」という本の端緒ともいうべき本で、その棟梁の話しの聞き書きです。



「そこへいくと飛鳥の大工はえらかった。なにせやね、仕事が早い。
今の人は便利な工具持ってるくせに時間かかるわな。
薬師寺でもそうですわ。飛鳥の時代に、七堂伽藍全部とほかに14棟の建て物つくったんですが、それが14年でっせ。
わたしらは19年かかってやっと金堂と西塔と中門しただけですわ。
昔は工具かて今のようなもんやなくて、全部人の手でやったんでしょう。
優秀な人がたくさんいたんですな」

「千三百年前の飛鳥時代の大工は賢いな。
大陸から木造の建築法が入ってきた。中国の山西省應県に佛宮寺という六百年前の八角五重塔があるんですが、これは直径29mもあるのに軒先が2mしかない。
ところが同じ八角でも夢殿は径が11mなのに、軒の先は3mも出てる。ちゅうことはや、大陸は雨が少ないのや思いますよ。
ところが大陸の雨の少ない建築を学んだけれど、飛鳥の工人は日本の風土というものをほんとうに理解して新しい工法に変えたちゅうことです。
基壇も高くなっています。こういうのを賢いゆうんですわ。
今みたいに、なんでもそのまま真似したりせんのや。軒が浅くてはあかんぞと考えたんですな。
除々にやったんやなくて、そのとき一遍でなおしてるんです。
こういうのを文化いうのとちゃいますか。
(中略)人間が知恵だしてこういうものを作った。それがいいんです。それが文化です」

ちょっとカビラ・Jが入って来ました。

「さっき、わたしがマイケルさん(カナダからきている大工さん)のカンナくず見て、刃物が0.01ミリぐらいカーブしとると言いましたやろ。
それで研ぎ直しなさいと言いましたが、あれぐらいの細かいことがわからんと、すぐカンナくずに表れるんですわ。
あれを研ぎ直すのはたいへんや。
なぜかちゅうたら、0.01ミリやけど、その欠点に自分がきづいとらんのだから、それを直すのはたいへんですな。(中略)
刃がどんなに研げても台が悪ければあかんよ。さっきの人は、カンナかける前に台を削っとったでしょ。そこからやらなあきませんわ。
マイケルさんは、そんなこと知らんさかい、昨日も一昨日も、そのままでやっとるわ。
そういうことにも気づかずに、そのまま終わってしまう人が多いな」

「千早振る瑞穂の国は神代より、女ならでは世の明けぬ国」ということがありますのや。
男というものは現世に生きるために、また社会人としての責任を果たすために、一所懸命ですわな。
そやから少々間違ったこともあるわね。行き過ぎも、至らんこともありますわな。
それを家庭でじっと見ていて、自分の子供に、そういう悪いところだけは取り除いて、良識を植えつけていく。
そうせんと次の世代は今よりも悪くなります。
女の人の役割りというのは、現世的なもんやないんです。

この本は1988年に出たものが、1991年に文庫本になってかなり増刷を重ねたようです。
バブルの真っ盛りに、よくこういう本が出されたと思います。
人はやはり何処かしら不安なので、地に足のついた人の話を読むことによって、バランスを保とうとする心理がはたらいたのでしょうか。

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Autunno

2012-10-03 | Others
 フラフラしておりましたら、暦は10月に入って、めっきり秋らしくなってまいりました。
例年なら、「この間正月だったのに、もう10月」なんて言っていましたが、冬はことのほか寒く、夏は夏で9月も何十年か振りの暑さだったというくらいだったので、今年はそれなりの月日の実感があります。

かねて懸案だった仕事もうまく納まり、台風以外穏やかな日々がおとずれました。



三週前はまだまだ暑く、待ち合わせの日は気温が32℃でした。
それでも頑張ったつもりで中間的な厚さのジャケットを着ていくと、白井さんはさらに上をいくフランネルです。
その前の週に会われた鈴木さんは、もっと厚いの着てたよ、とのことで目上の方々にはかないません。

その日は、白井さんが仙田さんから伺ったという洋食屋が定休日だったので、初めての京橋の店に行きました。
料理を待っていると、横を通りかかったマネージャー風の男性が「カッコいいですねー」「きまってマスネー」「何かあるんですか」と、最近の人には珍しくかまってくれるのがおかしいです。
味は真っ当で、ひっきりなしにお客さんが入ってました。
帰りに振り返ると、フロアの造作が昔の日活映画に出てきそうなダンスフロアに見えました。

そこからAttoliniの受注会にお邪魔したあと、私が学生の頃アルバイトに行った先の元上司が、50になったというので職場に寄ってみます。
その後いつもどおり、岩元さんのマシンガントークを小一時間ほど軽く浴び、夜のイベントに向かったのでした。


白井さんと、裾がふくらはぎまでのパンツを穿いたイタリアーノ。
おそらく、一度屈むとパンツの裾がホーズに張り付いたままになってしまうほど細かったのでしょう。

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