市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

自転車ぶらり 激変

2010-08-31 | 自転車

 雨か、とにかく、この川沿いの崖に沿った坂を本降りになる前に上りきってしまわなければ、土砂降りの雨にさらされて体力を消耗してしまう。気合だけではやれないし、どうすりゃいいのだと、立ちすくむ思いだった。そのとき、とっさに思いついたのは、村に入ったときの登りであった。当然帰りは降りになっている。この坂を飛ばしながら降って、そのスピードで崖沿いの急坂に突入し、惰力で持って登れるところまで登ろうというアイデアであった。坂の上に車庫があり、そこで小雨を避けながら、150メートル先の勾配をみて、ギア比を前を2(3ギア中の2番目の大きさ)後輪ギアを3(8枚あるうちの前から3番目の大きさ)に走る間に切り替えて、スピードを落とさずにつっこみ、後は、2-3で漕ぎまくる。後は2-2,1-2まで落とせるからこれで登れるところまで登るのだと決めた。

 坂を3-6で駆け下りながら、ギアを2-3まで切り替えながら、突っ込んでいったら、突っ込んだ瞬間に3回の切り替えを終えることが出来た。予測したとおり、かなりのスピードで駆け上がりだした。ようやくスピードが落ちた頃には、1-2に切り替えることが出来た。後は地面だけを見ながら、「く」の字をくりかえしながら、登る、なんと登っていけるのだ。何分こいだのかと、ふと周りが明るくなって、崖沿いの急坂を登りおわっていた。その間は15分くらいではなかったろうか。対向車が来なくてラッキーであった。そこで自転車を降りたら、もうふたたび乗れずに長い坂道を雨に濡れながら歩くということになっていた。しかい、それにしても、普段はギーギーいうギアがみごとに変化し噛み合い、適応した。自転車が生き物のように応えてくれることは,ままあったが、このときもそうだった。まるで忠実な犬のようであった。来年はこれをもっと上等なものに切り替え、まるで役立たずの配車と見たのは、この5年、ぼくを支えてくれたエスケイプに悪い感情をしめしたなと思うのであった。

 野にでて広い国道を走りだしたとき、雨は本降りとなってきた。しかし、それは気持ちのいいシャワーでしかなかった。ただ、眼鏡が雨で曇る。しかし、それにしても、この台地、そして、昔あった清武川の流れ、その対岸に見えた杉山の連なり、その光景はどこに行ったのだろう。時雨峠は、どういう方向に開削され曲げられてしまったのか、見当もつなない風景の激変にあらためて驚かされた。もう60数年ほど前、高校生のころ、ヘルマン・ヘッセの小説、デミアンか、ジッタルダーだったか、空の雲の描写に感動してしまい、宮崎市内から古城を経て、時雨を越え、清武川を下にみながら、歩いていったことがあった。途中、対岸の杉林をスケッチした日記帳が数年前に見つかったが、あのときに日記帳を持って歩いたのが、不思議だ。清武町を経て、そのまま市内まで歩いたのだが、弁当も氷も口にした記憶もない。歩く一歩、一歩が、快楽であったのだ。自転車も似ているのだが、今はますはコーヒーを快適なカフェで飲まずにはおれない、もちろん、ヘルマン・ヘッセなどもう何十年も読んだこともない、ふたたび読むこともないだろう。そんな年ではなくなったのだ。こんな回想をしながら走っていく。まあ、今は今なりに快適であるが、このずぶ濡れではレストランにもカフェにも立ち寄れないなと思っていたら、いつの間にか雨があがった。その内、今は廃墟となっているごみ焼却場ガ近づいてきた。

 日がかんかん照り付けてきた。去年と比べて道路は、道の半分くらいまで毒々しい緑の葉が両側からせりだしていた。しかも途中で登り勾配になってきた。この草の繁茂ぶりにおどろきながら登り着ると、道路はそこで行き止まり、後は未舗装の山道が左右に延びていた。道を間違ったのだ。この道路に入る前の十字路を左折して行くのが正しかったのだ。野山というか、「国敗れて山河あり」などというけど、山河は変わらないということなど、現代ではありえないのかもしれない。一箇所を変えると、光景も方向も一変してしまう。これは市街の変化よりも激しい。市街では、変わってもあちこちに記憶にあるランドマークの建物、街角などがあるからどう変わったのか見当がつけられる。しかし、山河、野、海浜にはそんなものが実は無い。いや、それいじょうに自然の風景というのは樹木は川、山、野、道とさまざまの要素が、組み合わさってできており、その光景は、その繊細きわまるバランスで出来ているのだ。その繊細さを、なんのためらいも無くぶち壊せる、なぜなら自然はものを言わない、感情をあらわさない、牛や豚よりも簡単に抹殺できるからであろうか。壊される、壊されてきた。壊され続けられよう。これが産業なのだろう。

 ゴミ焼却場を下へ降り、とうとう古城への入り口に降り立った。この分なら天満橋に着く頃には、ズボンもシャツも日に干したように乾く、それでコーヒーでもランチでも楽しめる。橋の袂にビータスの温度計は、29℃をしめしていた。朝と気温は上がっていなかった。思ったとおり、体温と日射と風でまず綿のズボンはからからに乾き、シャツは背中の部分が乾き、前の練れタオルをしのばせている側がまだ少し湿っていた。これでオーケーだ。そして橘通3丁目の交差点を東へ曲がり、デパート山形屋をすぎ、つたやとタリーズのあるデパートカリーノの十字路の角にある小さなコーヒー店に、朝起きたような顔をして入って、ホットサンドとコーヒーセット、500円を頼んだ。普通は400円だが、これはゆで卵をトッピングしたハム・チーズサンドである。おそらくこのコーヒー店「未来」は、宮崎市内では、一番安いコーヒー(200円)を丁寧に淹れてもらえるカフェであろうか。

 雨はどうだったというと、一時間ほどまえ大降りでしたというのだった。あまり疲労感もない。これは高齢者の特徴で、実は危険なのだ。のどの渇きがあるのが、まあ正常な反応かと、氷水を2杯飲んで、店をでた。帰途、思いだして若草通りの「峰楽饅頭」(今川焼き・回転饅頭)を2個(180円)を買って、家に向かった。饅頭を渡したら節子は喜んでくれた。こんなことは珍しいからだ。そして、いきなり、夕方温泉に行こうと言うのだった。今から温泉か、それもいいかもと、一時間ほど仮眠して、車で青井岳温泉に走った。午後5時そこのレストランが開くのをまって一番先に入室、いつものとんかつ定食を二人とも頼んで、十分に食って、入湯した。午後8時前に帰宅そのまま龍馬伝を見た。さすがのNHKもドラマで日本のため、あたらしい日本をつくるなどと、龍馬にのべつまくなしに叫ばせなくはなってきた。午後10時は就寝、長い日曜日が終わった。

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