市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

自転車ぶらり 泣いてみても

2010-10-16 | 自転車
 NHK朝ドラ、なぜかこれは正式には「朝の連続小説」というようだ。何でこれが小説なのか、つまり60年代以前の文学教養への思いがある。事実、この通称アサドラを連続小説と銘したのは、その発足した60年代であった。この時期、まだ文学は大衆の教養でもあったのだ。まさにNHK風な銘銘ではある。そして現在もまたその教養主義の尻尾をつけたままであるようだ。そうでありながら、この朝ドラ「小説」がおわると、すぐにつぎの番組でアナウンサーたち三人によるミーちゃん、はーちゃん的な物語へのどうしたこうしたのよいしょ感動話が交わされる。矛盾してないか。おまけにこのごろは、わざわざ父親役の俳優遠藤憲一をこの番組に招いて、かれの高校生のころのつっぱり写真や、残りの強面と今の落差などをやいのやいのと、囃子たててよろこんでいる。これまたみーちゃん・はーちゃんの評ではないか。かくして前後にむだなひらひらの飾りがつてき始めた。前の「げげての・」のときと同じことだ。ただし、ドラマは毎朝、感動のシーンがとどけられ、抵抗のしようもなく涙がほほをつたう。

 感動といえば、2010年10月15日わが国でのチリの炭鉱坑道地下720メートルに閉じ込められた鉱山労働者全員救助の実況中継もまた感動ものだった。それに世界中で感動が渦巻いているのが、報道される。まさに世界はグローバル化したと肌身で感じさせらる。どこもかしこも感動、感動で溢れかえっている。すばらしいと、思う。しかし、朝ドラの感動、またチリ炭鉱の33人の全員救助の感動も、テレビ視聴によるものである。世界同時感動もテレべ受像だけによって可能になった。テレビに存在しないものは、存在しないに等しい。まさに社会科学者のいうように、テレビという虚構が現実となり、日常の生きている世界、ほとんどテレビ放映にならない「現実」のほうが、虚構となって関心を失う。

 自転車でぶらりとするのも、街をほっつきあるくのも、喫茶店をかなり愛するのも、実は虚構ではあるまいかと、情けない思いに追い込まれるときもある。さて体育の日の代替休日、10月11日は、雲の多い晴天の日であった。午後1時近くになって、ふと外にでると、完全な無風状態であった。気温は27℃前後か、このおだやかな日は、自転車行にとってベストコンディションなのだ。一年に何回しかない日なのである。ただちにサイクリングへ出かけることにした。午後になったので、今回は青島へ行く。県総合運動公園に入り、その南の加江田川に架かっているトロピカルブリッジを渡り、「こども国」公園沿いにつづくトロピカルロードを走りながら青島の正面に出る。ここから国道269号線を経て、清武町に入り、池田台団地を越えて天満橋に至り、市街地に着くということにした。まさに走るということは、具体的でかつ現実そのものではないかと、思えるのではあった。

 午後1時半丁度、長袖シャツ一枚では、肌に風邪が冷たいほどだ。盛夏の35℃前後の走行とくらべると、ほんとに楽なものにかわってきた。赤江橋を越え、その取り付け道路が延長されて、2キロほど伸び、つきあたりの角を右折して国道269号に入った。ここから、飛行場も自動車が気付かないというか、不安で入れぬ間道を抜けて、ただちに空港につき、いっきに青島バイバス沿いの自転車道を走っていく。赤江橋が出来ない前とくらべて空港も20分でここから行けるようになった。

 今回は、前から思っていたのだが、運動公園から、橋に直接入れるはずで、それを探すことであった。正面の堂々たる幅員50メートル近くもありそうな道路にはいっていったが、たちまちどこに橋に向かう道路があるのかわからなくなった。亭々と並ぶ大樹に囲まれ、その奥に、あちこちと、さまざまの運動施設が見えるが、その内、南北東西もはっきりしなくなった。波の音さへ聞こえない。なんでこんな巨大施設をつくったのだろうとおどろくばかりだ。その内にシーガイヤのオーシャンドームに匹敵する施設のドームが見え出して、その方向が海岸だとわかり、その側面にすすんだ。すると赤い色のやや狭い舗装道路があり、ここが運動公園の外を廻る道路になっていると思えた。と、その道路のもう一つ向こう、ちょっと見上げる位置に道路があり、高校生の数人連れが自転車でわいわいいいながら走って行く。その道路こそたしかに橋に入れる道路と気付いたが、そこは公園の外であり、ここから行けないのだ。しまったと思いながら、さしあたりここを進んでいくと、なんとここがすんなりとトロピカルブリッジにつながっていたのだ。外側の道路は、一度、海岸の駐車場に至り、そこから橋に上がって入るようになっていたのを、思いだした。かくして、ぶじにブリッジに入れたのだ。

 橋から眺める景観、ハワイのホノルルワイキキの人口海岸の何十倍のある広大な自然の白砂の海岸は圧倒的な存在感でひろがり、ここに来るたびに宮崎市を誇りたくなるのだ、シンガポール幻想の津村市長さへつづかなかったなら、東国原知事が黒木知事のすぐあとになっていたら、宮崎市はもっと別の市街になっだのであろうと、景観の感動が押し寄せてくる。と、そのときだ、胸に急激な焼けるような痛みが襲ってき始めた。胸焼けのどはずれのものといえようか。この疼痛は、年に何度か、あるいは数年に一度かと起きることがある。ぼくは自分なりの判断で、心臓の不調としてきている。胸焼けの原因としてほかに想像のしようがないからだ。それで力を可能な限りゆるめて、自転車を漕ぐ。一向に痛みは治まらない。

 橋を渡りきり、こどもの国公園の遊園汽車の線路を走る汽車が虚ろに見える。ちょっときびしいな、いつもよりしっこいなあと、自転車を降りた、すると、急に脈拍が速くなり出した、運動を突然停止すると心拍数が激しくなる、この症状だ、すぐに自転車に乗り、ふたたびゆっくり、ゆっくりと漕ぎ出すと、まもなく正常にもどってほっとした。これまで運動中にこの胸焼けがおきたことは無かったなあと、あらためて感じるのであった。だんだん呼吸も平常にもどったところで、海岸に東屋があり、テーブル・ベンチもあったので、ここで自転車を降りて、座った。どうやら心拍もあがらず、ほっとして、休息しだした。風はないのに適当な波が押し寄せ、サーファーが波乗りをしている。ほとんどはボードを胸の下にして遊んでいるのだが、何人かは乗っていた。かなりうまい。内の息子はどの程度なのだろうか。まだみたことないのだ。読みかけの文庫本をズボンの後ろポケットが取り出して読み始めた。

 あっという間に半時間ほど経過した。もう胸の疼痛は消えていた。さらに読む。

 残った部分100ページ部分の現代アートの現況の部分を読了した。丁度、休憩して一時間ほど経っていた。もう体調はもとの通りであった。そのときはっと気付いたのは、本がこれほど集中して読めたことであった。これまでは、外で本を読むというのは、いつもタリーズか、サンマルクか、マクドナルドなどの喫茶店で、若干人々がざわめいるほうが集中できたのだ。この孤立した海岸のベンチで水もコーヒーも、音楽もなく、これほど本がよめるとは、おどろきであった。

 頭を使うと、疲れは実は飛ぶ。これはあんがい人は気付いていないようだ。場合によっては、運動で気分転換するよりも頭脳労働で、気分を高揚させたほうが、エネルギーが涌いてくるのだ。とくに年寄りは、スポーツよりも読書と考察をやったほうが、はるかに生命活力に効果がある、ぼくはそう思う。とにかく気分爽快になったが、帰りは、もと来た道を素直にたどって帰るほうがいいと、なぜか思えた。快楽をどこまでも追い求めてはなならない、そんな風に感じたのだ。来た道をただ帰りにするのは単調であると思えたが、そうではなかった。なにか、楽で悠然と散歩しているようにゆったりと帰れたのであった。腹八部はやってみて後が快適とわかるのだが、ほとんど出来ない。運動もまたたいていそうだ。今回は胸の疼痛によってそれができた。運動八部も想像以上に快適であったのだ。

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