市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

精神力=破滅

2013-06-11 | 社会
 安陪首相の先週の動向では、街頭演説で有楽町駅前を午前11時にスタート、午後4時ごろまでに5回の演説を行ったとあった。20年までに150万円所得が増えるのは疑問だといわれるが、1970年代80年代の日本人の活力があれば必ず達成できるという、と大衆に訴えたとも報道されていた。ところで、あの時代は、日本企業はなにをやっても成功する条件だったのだ。中国、韓国という競争相手もなく、外国投機資本の影響もなく、土地は永遠に価値があがり、株は上昇し、会社の資産は安泰で、社員は終身雇用、国の年金も保証され、リストラもなく、派遣社員もなく、だまって働くことが、まちがいなく個人の希望の実現であった。あれは、日本人にとって春爛漫の時代であった。蟻もキリギリスもそれぞれに楽しめた季節だった。

 今、企業は世界に売るものがあるのだろうか。自動車などはまだ有望だといわれるが、テレビなどは、パソコンまであまり望まれていない。おまけに手ごわい競争相手の中国、韓国が、もはや技術も向上して、やすい人件費で売りまくる。かれらとの競争に晒されて、企業はコスト削減にリストラ、派遣社員を増加し、製造工場を中国、タイ、ベトナムに移してきた。国内では、大学を出ても大多数は派遣社員がフリーター、低賃金のうえに、将来は、年金の保障もない。大多数の日本人にっとっては未来もなく、現在もない、格差社会の膨大な底辺日本人たちがなお増加しつづける。 経済を活性化させようと、財務政策をやっても、外国資本の投機の的にさらされて、株式も為替も国債も、自分たちだけでコントロールできなくなった。まさに日本の季節は冬になった。キリギリスには、仕事がない。蟻は溜め込んで巣にこもったままだ。全員で金を使えといっても、将来の不安で使えない。季節は札束をまけば春になるわけではない。残るのは、精神力だという。

 この状況で、ぼくには、戦時の軍の戦略を思い出す。物資も諸外国から輸入できなくなり欠乏状態のなかで、日本は、航空機を潜水艦を増産するかわりに、巨艦、戦艦大和の進水に血道をあげつづけていった。なぜなら、世界一の巨大戦艦を造れば、これぞ大和魂の成果、世界を圧倒できるという妄信をだれもとめられなくなっていた。物資のないことろにあの大戦艦を完成することは、ほとんど不可能でありながも、なんとか敗戦の年に進水できたのであった。しかし、戦闘できる海上はすでに失われていた。だが参謀本部は、大和魂発現のために無謀にも、見境なく、沖縄方面の戦闘に向かった。だがしかし、沖縄にたどりつく前に、アメリカ軍の戦闘機と潜水艦に包囲され、爆弾と魚雷の攻撃のなかで、身をよじった。そのさまは、巨像がライオンの群がる攻撃に抵抗を失う断末魔の光景を想像させられる。かくして戦艦大和は、数時間で海底の藻屑になってしまったのである。これぞ精神力、大和魂の結末であったのだ。

 戦略には、合理精神が知識がなによりも必要である。知識、判断力、それに基づいた行動力、そしてようやく精神力が冷静な現実行動をうみ出すのであろう。安陪首相には、70年代、80年代と現在のグローバル経済の時代変化が見えないのだろうか。そんなはずはないはずだが、おそらくその違いを意識できない心的機能が働くのではないかと想像する。それは、国民は意識できても国民を構成している個々人、一人、一人の人間が想像できない心的機能とかさなっている。日常現実が見えない、精神力という哲学?ですべてをくくってしまう意識のあり方が、かれを突き動かしている。こういう人物に憲法改正などを実現させることは、きわめて危険である。経済戦略が万が一成功したとしても、物資と人間の条件、つまり個人の自由を物資と取り替えることにまちがいなくなるはずである。これが、ぼくの過剰な不安でなければいいのだが。

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