市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

目を信じない 何でも信じるな

2013-06-13 | 街シーン
 去年の9月ごろから、テレビや読書を避けるために、夜の街を歩き出した。目を長時間使用できないので、目をやすめたいのだが、目をつぶっているわけにはいかず、夜の闇をあるけば目がやすめるという思いつきからであった。その後、癖になって夜歩きをつづけている。場所は大淀川川口ちかくに5年ほど前に架橋された赤江大橋である。およそ500メートルの橋の上から、左右に夜の風景が広がっている。風景といっても、主として灯り、つまりさまざまの照明である。マンション、事務所、住宅の窓明かり、付属する建物の常夜灯、街灯、ネオン、電照看板 シグナル、自動車のヘッドライト、こまかくみていくと市街を機能させているあらゆる照明機器が、暗闇の海面に、漂い広がっているのである。この灯りの存在感は、ときには胸をしめつけられるほどの寂寥感があり、また、走っていきたいほど、華やかな街角の活気を伝えてもくれる。拒否する灯り、誘蛾灯になる灯りとさまざまである。だが、一番注意を引くのは、以外性の灯りである。他と違った個性の灯りである。それはいつも、日常から、既成感からずれていた。この10ヶ月あまり、もう何百回も見てきたそれぞれの灯りであるが、実際にその灯りのそばまで行ってみると、見た目との、予測との、推測との、決定的にちがうのにおどろかされた。

 橋の上からみた照明は、こういう灯りと思っても、ほとんどいつも勘違いしているのだ。緑や赤のネオンのちらちらするカラオケルームが、あんな街角にあったのかと、その場所に行ってみるとなんのことはなく、明かりは、交差点の交通信号機のシグナルであった。あるいは、シグナルと思って緑をたどると、パチンコ・ホールの壁に光るネオンであったりする。闇の中の市街では、いきなり高層マンションの窓のあかりが、ありそうもない場所に聳えだす。昼間には小さくかぼそく建っているので注意も引かなかったのだが、夜の闇では輝きだすのだ。

 夕べはむしむしする夜で、午後9時半ごろ、歩行者の絶えてしまった欄干で、あの照明の正体を探るために、自転車で外出することにした。まえまえから気になってきていた照明だが、どこにあるのか、どう考えてもとうとうわからなくなってきていたのだ。いつもそれらは、橋の上から空飛ぶ円盤でも見るような圧倒的な光の列となって迫ってきていた。何十日か、ぼくを悩ましていた照明というのは、この赤江橋を南へ半分ほど歩いたときに、とつぜん目に映りだしてくる。それは、一点、一点と規則正しく並ぶ照明である。闇夜にひときわ輝いているので、はじめはグラウンドの投光機と思っていた。そういえばあのあたりサッカーやテニス、野球もできるグラウンドがあり、夜でも運動する人々でにぎわっていた。ぼくは、そこでテント劇団「どくんご」の公演をやろうと実行委員に新しく加わった一人と現場を見に行ったことがあったのだ。その懐かしさもよみがえりその運動場を訪れてみたくなった。ところが、探せども探せども、そんな運動場は見つからなかった。そうか、その日は、もう25年ほど前のことだったのだ。それもそのはず、あれから25年、あたりは住宅街に変わっていたのだった。

 あの照明が地平にそって、並んで輝いているのは、よく考えると、思い出の運動場の幅には収まりきれるものではないのだ。およそ一キロにおよぶ照明の並び、その輝きは、その後もずーっと気になってきていた。それはバイパス沿いの街灯なのか。あるとき、ドライブ好きの長男に、その照明のことを話すと、ああ、あの街灯かと即答した。そこで思わず納得してしまったのだ。空中に高くそびえ、点、点と規則正しくならぶ道路そいの街灯なら理解できた。それは、今夜もいつものように光っていると。だが、だんだんそう思えなくなってきだした。街灯にしては、高すぎる、そこだけ異様に明るすぎる、それに一キロほどで終わるとういのが可笑しい。おまけにそのバイパスは、これまでにも何十回となく走ったこともある。もし街灯があればなぜ気がつかなかったのかと、ではほかにも街灯がならぶ道路があるのだろうかと、推測しだしていたのだ。そこで、ある昼間にその道路を探しに行ってみたが、そんな街灯の並ぶ道路はみつけることができなかったのである。とうとうここで推測は尽きてしまっていたのだ。

 そういうわけで、夕べ、台風13号が遠ざかったあとの異様に湿度、温度の高いむしむしする夜になり、午後8時半ごろ、今夜こそは正体を知ろうと、自転車で、照明の場所を探しに出たのであった。午後8時半というのに三日月は、地上低くに光っている。それに雲も多く、だから闇夜は深かった。まず走り出したのは、赤江大橋でなく、川口に一番近い一つ葉大橋であった。長さはおよそ一キロ、片方だけ自転車通行料10円の有料道路となっている。わたり切ると、自転車道はそのまま下って、恒久の街路に降りる。まだ午後9時前というのに、道路沿いは真っ暗で、人の往来はもちろん自動車さへ走ってこない。海岸へ向かって進む。橋上から見えた照明は、下からはみえなくなってしまった。ところどころに会社の事務所があったが、無人であった。今は閉じているのか南九週短大のキャンパスの角を右折して、ますます暗くなった道路を走る。自動車2台が交差できるくらいの狭い道路だ。反対側に側道が見えた、近づいてくる自動車があるので、安全地帯にと、道路を横切りだすと、近づく自動車はスピードも緩めず、警笛をけたたましく、ぎゃーと鳴らし、なにをしているか、バカヤロー、怒鳴りつけながら走り抜けていった。ぼくの姿が見えていたはず、なんでスピードを緩めないのかと一瞬思ったが、多分夜道を走る自転車は許せんということか、そんな感じでは合った。

 ここから道路は、もはや一寸先も見えないくらい闇につつまれだした。ここで自動車にはねられても、多分ほっとかれたままになるのではないかと思えだした。それからしばらく走ると、あたりはとんでもない非日常空間になりだしたのだ。

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