市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

「アンダーグラウンド」 となりのひとびと 2

2009-02-14 | 文化一般
 その後、ぼくはアンダーグラウンドをハードカバー本でなく、講談社文庫で購入して、ときどき、その一人か二人の証言を無作為に選んで読んでいる。ぼくらが大衆とかサラリーマンとか市民とかでひとくくりにしてしまう「となりのひとびと」が、かんたんに概念としてくくられるものでなく、見物席から「想像」で知りうるものでないことを、心得ておく方法としてである。
 
 それはそれとして、サリン事件とはなんであったのか。それの理解のために村上春樹は、膨大な労力を費やし、可能な限りの証言を聞き取り、この62人のサリン禍の人生をまとめたわけである。しかし、それは事件の理解にとどまらず、今は広がりをしめしながら存在しだしはじめた。つまり、現代の危機を反映する証言たりえてきだしているのが、ぼくをひきつけてもいるのだ。

 先月の9日夜、NHKニュースウオッチでの大江健三郎のインタービューで、かれが目を細めながら孫の話をしたというエピソードをとってつけたように添え、そもそも、テーマであった危機の新年もなにもわすれたがごとく田口、青山の両キャスターが語りだしたのを、視聴して、ばかばかしくなったと同時に、大江氏の今年の危機に対処する談話に、かれのいわばフルさを痛感せざるをえなかったと、24日のブログで書いた。そのあまりに軽いインタービューになったのは、われわれにもまた、実はとなりのひとびとについての想像が欠落、あるいは想像不可能になっていることがあるのではないかと・・と不安に陥ったのである。
 
 おなじく、今年の危機として、派遣切りの問題で、NHKの討論番組があり、派遣村の実行委員であり、「反貧困」の著者、湯浅誠が、派遣切りにあった労働者の状況を具体的に報告していたときだ。同席していた竹中平蔵元蔵相が、ひとり、ひとりの現況を考えるのはだれしもしなければならないが、しかし、そんなことをしていたら「政策は実行できない」とほほえみながら、言い切ったのには、驚愕した。

 つまり、かれが笑いながら言えるというのは、なぜだろうと。人という個人の尊厳、多様性、深さが、ぼくらには、想像できない、じつはそれが原因なのではないか。いちいち個人の事情をかんがえるのでなくて、かんがえるもなにもかんがえられないからではないかと。だが、それゆえに、政策も思考も、個人の存在にじゃまされずに展開できる、そんな習慣になっていしまっている、のではないかということを、具体的に示されて、ショックをうけたのである。

 それらを踏まえて、1995年3月20日のサリン事件を今、おもいめぐらせてみると、それは昔の事件で終っているのでなく、現在につながる災害、危機、リスクを生き生きと感じさせるのである。当時、事件直後のさまざまの知識人たちが、オーム教信者によるサリンテロをめぐって、語っている。その一つを検討してみたい。1995年9月8日発行、つまり事件後半年のことであるが、宝島社が雑誌「宝島30」で、「その後のオウム真理教」という特集号を発行した。そのなかにある山崎哲(宮崎市出身劇作家)への楠木かつのり+編集部による山崎へののインタービューである。タイトルは「サリン事件は正しかった」とある。

 この「正しかった」というのにぼくは強く注意がいった。「正しい」というのは、どういう意味なのか。単純にオウムが正しかったと言う意味ではないはず、ではなにがどう正しいのかと関心をひかれたのだ。インタービューは、山崎哲の江川昭子を名指しで、オウムウォッチャーはがまんならないから始まる。このインタービューのキャプションは、「江川昭子がポアされもしようがない。自分がサリンで殺されたって構わない。10人や20人の死よりも、ここには大事なことがある。・・・」と山崎の発言内容にふれてつけられていた。かれは、この編集内容をチェックできたのであろうか。おそるべき言葉の論理の独り歩きがある。まず、それはなぜうまれたのであろうか。

 
 


 

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