市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

「アンダーグラウンド」 となりのひとびと

2009-02-13 | 文化一般
 今朝の毎日新聞に記者がコラムを載せていたが、ロンドンの大雪の日、会社に出勤したのは4割だったとあった。バスの運転手だろうが地下鉄の運転手だろうが、ようしゃなく休むというのだ。たかが雪でもそうなのだ。這ってでも会社に、辿りつこうとする会社を内面化した、サラリーマン像と、交通という公共の義務さへ平気で投げ捨てられるサラリーマンとは、どちらが正しいのだろうかと、ぼくは判定しようとは思わないが、会社とそこで働く人を、経営効率のもとで、能率給、正社員、派遣社員などと、会社の内面化を遮断していくやり方は、大きな損失をかかえこんでいるとおもわざるをえない。

 「アンダーグランド」を読み始めて、すぐにぼくがとらえられたのは、この全体に流れているある種の明るさであった。なんかうまく言い表わせないのだが、ここには事件の悲惨さの恨みや不幸感や、絶望感、閉塞感などがなくて、むしろひとびとのエネルギーが、あたたかさ、冷静さ、達観、楽観という精神のありようかんじるのであった。それはなんだろうかと思ってきたのだが、結局は、ひとびとの強さということになる。それを支えるのは、希望といえ、希望の源泉に、会社がよりどころとしてあるからと、いえるのではないかと思えるのだ。

 「地下鉄とか、地下から入るデパートとか、電車に乗ろうと思っても、足がすくんで動かないんですよ。そういうのが、今年の二月くらいからだんだん出てくるようになりました。事件のあと、もう一年近く経過してからです。
 そんなとき、人にはわかってもらえないだろうなという気持ちはあります。会社でも、まわりのみんなすごく気をつかってくれるんです。でもほんとうの怖さというのは誰にもわからないですよね。わかってほしいとも思わないけれど・・。 
 でも職場の上司や、家族や友だちがそうやって支えてくれているとうのは、私にとってとても大きなことであるはずです。それはわかります。それに私よりもっと思い症状で、もっとつらい思いをしている被害者の方もいらっしゃるんですから。」(飯塚陽子24歳 都市銀行勤務)

 この証言にも、彼女の立ち直りの心的ダイナミズムがよくでている。会社、家族、友人のささえ、自分の不幸の相対化、ここには日本人の典型的心情がうかがえる。これは電灯として若い彼女に遺伝的に生きているようだ。もちろんこれだけでなく後遺症、疲れ、物忘れ、集中力の喪失、不眠、悪夢などをかかえながら、さまざまの対処で、現在を行き続ける証言があるのだが、そこには、いわゆるPTSDという深刻な人格破壊にいたる症状はみられないのだ。


 

 

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