市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

金庸太のギターソロ 日高プロショップ・コンサート

2008-09-16 | アート・音楽
 金さんのギターは、ぼくにとってギターとは、むせびなくようなエモや、打楽器のようなビート、メロディアスで、演歌やジャズ、カントリーと思って、親近感を抱いていた思いを根底からひっくり返してくれた。

  開始は、カントールの練習曲、じつは、音楽家でなくカントールという19世紀の数学者の名前はしっていたが、その連想のせいか、高度な難曲と思える曲を滑るように演奏するテクニックに呑まれ、その技術に圧倒されて、ここではまだ曲を味わえる余裕はなかった。そして、ついで、シャンソン4曲をとの金さんの説明で、緊張が溶けるのであった。しかし、それはぼくのシャンソンの常識の埒外であった。

 その一曲エディット・ピアフ「愛の賛歌」は、越路吹雪、美空ひばり、本田美奈子、また1980年の引退コンサートの山口百恵で、別れの歌として歌われた。思うに彼女らは、だれも人生の難問を抱えていた。だから、愛は人生だとする彼女らのシャンソンが、感銘を生む。それは文学的である。それは他方ではくさく、おじさんおばさんの愛唱歌となってきた。だが、ディエンスは、フランスのギタリストというが、その限界を知ったのか、シャンソンから人間ドラマを引きぬいて、クールに現代化した。金さんの演奏はそう思わせてくれたのだ。

 それは、ギターのソロ演奏の可能性を、弾く、滑らせる、打つなどの多彩な演奏で、しかもそれは、耳をそばたてさせねば聞き取れないほどのの静謐さのシャンソンであった。メロディや物語性でなくどこか抽象絵画を見るように自由な想像を掻きたてられるのだ。

継いでのアリランは、まさにそうであった。そこに韓国の恨も風土もなく、どこか日本の山河、それも、もう失われてしまった自然の美でつつみこまれるようであった。アリラン峠そものは空想の峠というから、それは日本のノスタルジーに満ちていてもいいわけである。サロンは一瞬、その光景に満たされたのである。

 終曲はタレガのグラン・ホタであった。ここでギターは打楽器にもなり、低音の
響きに火花のような高速の高音が混じり、スペインの舞踏会が、アラベスクとなって展開していった。しかし、押さえて静かなのである。だから、集中させられる。
それはアンコール曲のタレガのアルハンブラの思い出でもそうであった。

 ギターが、これほど繊細で多彩な楽器であり、静謐で想像を掻き立てられる楽器であると、はじめて金庸太さんのコンサートで認識させられたのである。このとき
プロデュースした宮崎市のフルティスト外山友紀子の入場者を70名ほどに限定して、マイクをつかわないギター演奏を選んだことを評価したい。もしマイクを使ったら、あの澄んだ楽器を打つ音、一つ一つの高音の繊細さも、これほど美しく聞こえなかったろうと思われる。まさにサロンの特性を生かしたコンサートであったと
納得できた。

 終って、その夜渡されたチラシによると、同サロンの「みやざきアートフェスティバル2008」の中で11月8日、ビエント・スールライブ2008というタイトルで、金庸太、蹄鵬、外山友紀子のトリオコンサートが開かれる。こんどは、また別の期待で金さんを聴けるだろう。それで、できればこのとき、ディアンスのタンゴ・アン・スカイを、金さんに、アンコールでもいいから演奏してもらいたいと願っている。
 
 
 

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