市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

Another Violence

2008-06-11 | アート・音楽
今朝6月11日の午前10時ごろから土砂降りの雨になってきた。ギャラリーの壁をたたく音が轟音のようであった。その中で、ぼくは韓国のリーミョンバク政権に抵抗するここ一ヶ月から一昨日のデモの記録をユーチューブで視聴していた。
 雨音とデモの轟音とが、交じり合って息を呑む臨場感で、包み込んでくる。

「korean demonstrations」のキーワードで、検索した記録映像は予期したように
すざまじいバイオレンスが警官隊から、わかものたちに容赦なく振るわれていた。
よろよろとバスの車体に寄りかかった若い女性を引き倒して、顔にむけて軍靴で蹴り降ろす隊員、顔を盾で切られた男子学生、蹴られる男女、ものすごい、たえまない悲鳴、絶叫、そしてウオターキャノン(注水砲)で吹き飛ばされるデモ隊、車両上で抵抗していた学生は、顔を直撃され、ずり落ちる。鼓膜が破れたようだ。警官隊の囲みのなかに引きずりこまれ、血まみれの足と、暴力の実態が伝わってくる。

 デモ隊を形成する若者たち、おそらく男女学生の分厚い壁は、一歩も退かない。デモによっては、女子学生が先頭に立って鎮圧する警官隊と対峙しつづける。これはどっかで、見たシーン、60年代、70年代の学生闘争ではないか。あのエネルギーが再現されたごとくであった。

 今回のデモで違うのは、ゲバ棒をだれも構えてないこと、素手で声で暴力に対抗していることだ。そして、そのシーンは、一瞬で世界中の人々に視聴されているという現実である。韓国もいなおうなく民主化されていくにちがいないという希望が
あることだ。

 このでデモを豪雨のなかで視聴しながら、偶然にか最後に見たシーンは、WITH10v2というキャンドルデモのものだった。これは短編映画として構成されており、すばらしい作品である。何万人というデモ参加者のろうそくの前でつぎつぎに訴える中学生から高校生、大学生、一般成人のスピーチがつづいていく。次第に参加者は高揚し、最後は大合唱になっていく。片手をふりあげて、音楽に合わせてもりあがる若者たち。

 これはJポップのロック会場でないのだ。しかし、ここにある感動はなによりもアートではないか。こんなアートはもう日本からは消えてしまったのか。なにもない虚無のなかのバイオレンスのみ、これが人々を恐怖に追い込んでいる。

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