とんびの視点

まとはづれなことばかり

やっぱりランニングについて書こう

2012年12月24日 | 雑文
今年の残りもあと一週間。そして館山若潮マラソンまであと一ヵ月ちょっとだ。連休中に51km走ったので、今月は173km。最低目標の200kmはほぼ大丈夫だろう。土曜日には2時間ほどかけてハーフを走る。15km過ぎからヒザに痛みが出てくるし、体力的な消耗も激しくなる。夏以降、短い距離を積み上げて月間走行距離は確保していたが、やはり長めの距離に弱くなっているようだ。今年中にもうハーフをもう一度、年明けレース3週間前に30km走、2週間前にハーフを走って本番に臨むつもりだ。しかしヒザの調子が読めないので、こればかりは何とも言えない。

思い返してみると、このところ4回続けてレースで失敗している。2年前の館山では、スタート直前に靴ひもを結び直し「靴擦れ」、30km過ぎで失速。1年半前の6月にはレース直前の合気道の稽古で足の指を捻挫し、4時間をオーバー。きちんと練習を積んだ去年の館山、直前の合気道の稽古でヒザを捻る。25キロ過ぎで失速。(その後、現在に至るまでヒザが治らず)。3月の板橋cityマラソンはヒザの痛みを抱えて、初マラソンの人間を7時間近く伴走。(これもヒザには良くなかった)。

板橋は別だが、それ以外の3回は目標タイムを達成できなかった。(タイムを狙ったせいで、後半苦しいランニングになった)。そろそろ目標をきちんと達成したいと、夏開けから3時間半を意識して走っていた。しかし、ちょっと無理をすると、ヒザが悪化し走れなくなる。そんなことを繰り返した。今度のレースで無茶をしてヒザがダメになったら、二度とフルマラソンが走れなくなるかもしれない。だんだんと心配になってきた。

目標タイムを達成するのも心地よいが、当日、自分の一番よい状態をひき出すほうが満足できるのではないか。今までのレースでも満足できたのはタイムではなく、そういった手応えだった。タイムはあくまで結果である。よし、今度のレースはタイムをいっさい気にしないようにしよう。ヒザや自分の身体と対話をすることだけに専念しよう。そして久しぶりに、自分の思い通りに走れた満足できるレースにしよう。寒い冬の土手を走りながら、そんなことを思う。

とまあ、以前はこんな風にランニングについてブログを書いたりしたものだ。ランニングだけでない。日常の出来事もだらだらと書いていた。ところが今年はほとんどブログを書かなかった。いや、正確に言えば、東日本大震災以後、うまくブログが書けなくなった。あの圧倒的な津波、炎に包まれる夜の街、信じられない勢いで増える死者数、原発事故。それらの出来事に遭遇した人々。あれ以来、僕の中で何かが変わってしまった。

ブログを書こうと思うたびに、それらの出来事が気になる。ランニングであれ何であれ、自分の書くことがうつろに感じられる。(実際、書き上げてもアップせずに捨ててしまったものもある。この文章だって捨ててしまうかもしれない)。3.11の出来事に比べれば、ランニングについての僕の言葉など大した意味はない。しかし、ランニング(や日常の出来事)が僕にとって意味をもつことも事実だ。そして厄介なのは、それらを言葉にすることで自分と世界への理解が深まるということなのだ。

結局のところ、ランニングや日常の出来事をコツコツと書きつづけるしかないのだろう。おそらくそこには少しの努力が必要になる。そうやって少しずつ自分を理解し、世界を理解していけば、いずれ個人的な出来事の言葉がそのまま世界の出来事を語ることになるかもしれない。(ここまで書いてきて分かった。3.11で世界が変わったにも関わらず、僕は変わらずに書きつづけようとした。だから世界と僕の間にズレが生じたのだ。修正、修正)。さて、来年はきちんと書くようにしよう。




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