とんびの視点

まとはづれなことばかり

有明の月、真夜中の月溜まり

2010年11月03日 | 雑文
相方は新聞を読むのが遅い。遅いといってもゆっくりとしか文字が読めないわけではない。読む日付が遅れているのだ。1週間前とか2週間前の新聞を平気で読んでいる。かつてアメリカが打倒フセインを掲げてイラクに侵攻した時のことだ。戦闘もほぼ終わりという時期に、相方は新聞を見ながら「ついにアメリカがイラクに攻撃を始めた」と言っていた。

おそらく日付順に読んでいるのだろう。それにしても今日の新聞を先に読んでから、過去の分に目を通すことは出来ないのだろうか。あるいは世俗の数日のズレなど大きな輩から見れば大した違いはないのだろうか。そんなことをぼんやり思っていたら、自分も同じようなものだと気づいた。何日も前に書こうと思ったことを順番通りに書かねば次が書けないのだ。

10日ほど前、相方の従姉妹家族と我が家の9名で那須にキャンプに行った。月が記憶に残るキャンプだった。

土曜日の早朝、目を覚ます。窓の外はまだ暗い。いや、よく見ると空は少しだけ明るい青みを帯びている。秋の乾いた透明な空気そのものが青く輝いているようだ。

起き上がりベランダに出る。空気はひんやりして、街は静かだ。西の空に目を向けると真ん丸な月が沈もうとしている。ビルの上に大きな満月が浮かんでいる。真っ白な月に一滴だけ赤いインクを垂らしたような、あるいは真っ白な月に赤の薄いフィルターをかけたような月だ。こんな月は見たことなかったな。何十年も身近にあるものに新しさを見つけ、嬉しくなる。世界と私が少し豊かになる。

月がビルに隠れ始める。夕日が西の空に沈むように。「夕月」という言葉が頭に浮かび、それは夕方の月のことだと思い直す。こういう月は「有明の月」とか「残月」とか「朝行く月」とか言うのだろう。

その日の夜のキャンプ場。空を見上げると月が白銀色に輝いていた。明け方に見た月の半分くらいの大きさだ。そのぶん白い光が凝縮されている。白い光を反射する鏡のようだ。子供たちを呼んで月を眺めさせる。

人々が寝静まった真夜中。目が覚めてテントの外に出る。都会には無い静けさだ。風もまったく吹いていない。テントや車や砂利の道路やそういったすべてに月の白い粉がかけられ、止まってしまったようだ。しばらく佇んでキャンプ場を歩く。白い砂利道を歩く自分の足音だけが聞こえる。立ち止まると静寂が戻る。

雑木林に目を向ける。木々の間を抜けて月の光が差し込む。月の光がまっすぐ地面に向かう。まるで木漏れ日のようだ。日だまりのように、ところどころ地面が白くなっている。雑木林の陰を抜けて、月明かりの溜まりに歩いて行く。つま先が、腕が、全身が白くなり、月明かりにすっぽりと包まれる。何だか遠いところに来てしまった気がする。空を見上げる。木々の葉にぽっかりと穴が空き、そこには月が輝いていた。
コメント
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