東北一周 車の旅 7日目(日曜)
前夜 宿泊したホテル近くの 三陸鉄道
「田野畑駅前」で 震災の語り部の
宮森秀幸さんに 約束の9時に会う。
当日の参加者が自分一人で「たった一人の
ためのガイド」に恐縮しつつ
当地の自治会の役員であった宮森さんの
体験・語り部ツアーを 約1時間受ける。
語り部ツアー集合場所・田野畑駅(右側)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/a1/2cade958a98df87dad6dc34ee4c4ea90.jpg)
震災前後の写真をベースに
説明してくださる宮森さん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/73/35/3a4d9f5ee67be0becb7e946d9635ea96_s.jpg)
(以下、掲載写真は、宮森さんの写真を複写)
(震災前)田野畑の商店街などがあった村の中心地
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/25/8d975c74905bc54ce075d8c9587367c2.jpg)
上の写真の 破壊された 村の中心地
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/a6/3a67b70e17b2d371b9a82e7f42cb20a2.jpg)
前の写真と同じ地域の現在。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/9b/9ebac66c12115e5d2a1466782000dfd8.jpg)
(震災前)村の中心地・海辺に向かう道
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/d1/fdd89162f527e390e1a0ef702615b92d.jpg)
震災後の 上の写真と同じ地域
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/f1/b1558847a6386be11970e11d0308d406.jpg)
現在の 上の地域
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/e5/acda9ba8e780f9089ed1dfba2098e0e0.jpg)
(震災前)山の麓に小学校がある地域
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/55/9165134c0feb43a497ef8127d21f2c88.jpg)
上の地域の震災後(線路と 津波被害を免れた家を目印に
御覧下さい)・・ほとんどの家が流され全壊。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/03/71d98fbffd0437466d048afa8a66386d.jpg)
上の地域の現在
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/9d/6eb4c9bf3738fd88e13fe3589fec99b1.jpg)
(左の壁面に 津波の跡が)
宮森さんの言葉を的確に記載するのは、自分の
執筆力じゃ無理なので、自分なりに要点のみ記す。
「村で亡くなった人は二人」
()一人は 地震の後、皆と同じく避難場所に
来たが、40分過ぎても、津波も来ない。
大きな余震もないから「避難解除のアナウンス
を待たず」自己判断で 自宅に戻り 津波に
巻き込まれた。
()一人は最初から、大きな津波は来ないと、
自分で判断して、自宅から離れなかった。
()勿論、亡くなられたから、正確な事情は不明。
「素晴らしい村の判断」
()震災5年前、村の避難場所は、海から離れた
小学校となっていた。
しかし、その頃、津波シュミレーションすると、
小学校より 海に近いが 小さな山が適正結果。
その結果に従い、小学校から来る子供用の階段と
他方向か来る避難者用 階段二つを造り対策。
宮森さんの後方が避難場所の山
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/b3/e892ddb1a915cf61fbd02d3870fd2d17.jpg)
(宮森さんの写真掲載、了解済み)
しっかりした階段が二本付いた 避難場所
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/10/9542bd2ece22188293ec9f8d022f1837.jpg)
「宮森さんの話から」
()ラジオは大切・・携帯が使えず、情報は車の
ラジオから収集。
()震災後、水道がダメだから、全国から送られ
てきたペットボトルに助けられた。
()震災時、ほとんどの人が 着の身着のまま、
手ぶらで避難場所に来たが、大切な物は
直ぐ持ち出せる様にするべき。
ちなみに宮森さんは自宅半壊だったが、
当日、リュックサックに貴重品を入れて
避難所に逃げてきた。
なお日本は震災以外様々 様々な災害があるから、
少しでも役に立てればと思い、大震災の同年7月
から、宮森さんは 最初一人で語り部を始められた。
田野畑村の復旧工事はまだ三分の一も残っている。
ニュースなどで、これまで被害者さんの
言葉を耳にしていたが、体験された方から
直接、被災話を聞きながら 津波の現場を歩く
時間は、ズシリと心に重く貴重な経験でした。
そして自分の説明文は不十分。
是非とも直接、宮森さんの語り部ツアーに
参加されることをお願いいたします。
10時30分、次の目的地・45㌔先の「宮古」に出発。
宮古湾
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/82/05957c568bb91836b65a95799e0447e2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/25/ac3c1777d8a4ea4af27627508cd4de0c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/bb/6585af893e4f71420ec26548b41a27ed.jpg)
(前二枚の写真の内陸側から撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/ec/0a8bba4a28e62fb72a4b6bba41807566.jpg)
(写真右側・防波堤?造成中建造物)
宮古湾にある「道の駅 みやこ」にて展示されていた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/ec/5f12284899fe218e54f934e25bf1e4e8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/0d/e375d25f3d9d9450d641a36183124c37.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/b1/f58cdf88fac48469e89ffb5d0e17e3c3.jpg)
宮古から釜石市までの途中の「山田町・防潮堤」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/98/5b15a818452d1ffdc9124b11e86a9a82.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/e1/8f0c3e9e8f881991473547f541c909fb.jpg)
山田湾
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/b6/c25380e5454824b0105793c806c95179.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/04/28da52620082991cb378ea2b03d40416.jpg)
山田町から101キロ先の「気仙沼海岸線」
気仙沼中学校近くの小高い丘の上の「避難場所」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/5e/572182f185726cc3e4de40a99842fe6b.jpg)
車運転苦手な自分ゆえ、明るい内に
次の宿泊地に到着するため、ほとんどの
被災地を訪ねることが出来ない
車旅となったことを後悔しながら、
田野畑村から240㌔ 南三陸・夕刻に到着。
参考「田野畑村・大津波語り部&ガイド」
☎0194-37-1211
前夜 宿泊したホテル近くの 三陸鉄道
「田野畑駅前」で 震災の語り部の
宮森秀幸さんに 約束の9時に会う。
当日の参加者が自分一人で「たった一人の
ためのガイド」に恐縮しつつ
当地の自治会の役員であった宮森さんの
体験・語り部ツアーを 約1時間受ける。
語り部ツアー集合場所・田野畑駅(右側)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/a1/2cade958a98df87dad6dc34ee4c4ea90.jpg)
震災前後の写真をベースに
説明してくださる宮森さん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/73/35/3a4d9f5ee67be0becb7e946d9635ea96_s.jpg)
(以下、掲載写真は、宮森さんの写真を複写)
(震災前)田野畑の商店街などがあった村の中心地
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/25/8d975c74905bc54ce075d8c9587367c2.jpg)
上の写真の 破壊された 村の中心地
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/a6/3a67b70e17b2d371b9a82e7f42cb20a2.jpg)
前の写真と同じ地域の現在。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/9b/9ebac66c12115e5d2a1466782000dfd8.jpg)
(震災前)村の中心地・海辺に向かう道
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/d1/fdd89162f527e390e1a0ef702615b92d.jpg)
震災後の 上の写真と同じ地域
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/f1/b1558847a6386be11970e11d0308d406.jpg)
現在の 上の地域
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/e5/acda9ba8e780f9089ed1dfba2098e0e0.jpg)
(震災前)山の麓に小学校がある地域
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/55/9165134c0feb43a497ef8127d21f2c88.jpg)
上の地域の震災後(線路と 津波被害を免れた家を目印に
御覧下さい)・・ほとんどの家が流され全壊。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/03/71d98fbffd0437466d048afa8a66386d.jpg)
上の地域の現在
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/9d/6eb4c9bf3738fd88e13fe3589fec99b1.jpg)
(左の壁面に 津波の跡が)
宮森さんの言葉を的確に記載するのは、自分の
執筆力じゃ無理なので、自分なりに要点のみ記す。
「村で亡くなった人は二人」
()一人は 地震の後、皆と同じく避難場所に
来たが、40分過ぎても、津波も来ない。
大きな余震もないから「避難解除のアナウンス
を待たず」自己判断で 自宅に戻り 津波に
巻き込まれた。
()一人は最初から、大きな津波は来ないと、
自分で判断して、自宅から離れなかった。
()勿論、亡くなられたから、正確な事情は不明。
「素晴らしい村の判断」
()震災5年前、村の避難場所は、海から離れた
小学校となっていた。
しかし、その頃、津波シュミレーションすると、
小学校より 海に近いが 小さな山が適正結果。
その結果に従い、小学校から来る子供用の階段と
他方向か来る避難者用 階段二つを造り対策。
宮森さんの後方が避難場所の山
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/b3/e892ddb1a915cf61fbd02d3870fd2d17.jpg)
(宮森さんの写真掲載、了解済み)
しっかりした階段が二本付いた 避難場所
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/10/9542bd2ece22188293ec9f8d022f1837.jpg)
「宮森さんの話から」
()ラジオは大切・・携帯が使えず、情報は車の
ラジオから収集。
()震災後、水道がダメだから、全国から送られ
てきたペットボトルに助けられた。
()震災時、ほとんどの人が 着の身着のまま、
手ぶらで避難場所に来たが、大切な物は
直ぐ持ち出せる様にするべき。
ちなみに宮森さんは自宅半壊だったが、
当日、リュックサックに貴重品を入れて
避難所に逃げてきた。
なお日本は震災以外様々 様々な災害があるから、
少しでも役に立てればと思い、大震災の同年7月
から、宮森さんは 最初一人で語り部を始められた。
田野畑村の復旧工事はまだ三分の一も残っている。
ニュースなどで、これまで被害者さんの
言葉を耳にしていたが、体験された方から
直接、被災話を聞きながら 津波の現場を歩く
時間は、ズシリと心に重く貴重な経験でした。
そして自分の説明文は不十分。
是非とも直接、宮森さんの語り部ツアーに
参加されることをお願いいたします。
10時30分、次の目的地・45㌔先の「宮古」に出発。
宮古湾
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/82/05957c568bb91836b65a95799e0447e2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/25/ac3c1777d8a4ea4af27627508cd4de0c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/bb/6585af893e4f71420ec26548b41a27ed.jpg)
(前二枚の写真の内陸側から撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/ec/0a8bba4a28e62fb72a4b6bba41807566.jpg)
(写真右側・防波堤?造成中建造物)
宮古湾にある「道の駅 みやこ」にて展示されていた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/ec/5f12284899fe218e54f934e25bf1e4e8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/0d/e375d25f3d9d9450d641a36183124c37.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/b1/f58cdf88fac48469e89ffb5d0e17e3c3.jpg)
宮古から釜石市までの途中の「山田町・防潮堤」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/98/5b15a818452d1ffdc9124b11e86a9a82.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/e1/8f0c3e9e8f881991473547f541c909fb.jpg)
山田湾
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/b6/c25380e5454824b0105793c806c95179.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/04/28da52620082991cb378ea2b03d40416.jpg)
山田町から101キロ先の「気仙沼海岸線」
気仙沼中学校近くの小高い丘の上の「避難場所」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/5e/572182f185726cc3e4de40a99842fe6b.jpg)
車運転苦手な自分ゆえ、明るい内に
次の宿泊地に到着するため、ほとんどの
被災地を訪ねることが出来ない
車旅となったことを後悔しながら、
田野畑村から240㌔ 南三陸・夕刻に到着。
参考「田野畑村・大津波語り部&ガイド」
☎0194-37-1211
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