今回ブログの後半 ハイキングから
歩兵第75連隊 話から脱線します
「あしからず!」
以前より興味あった
大きな岩と 京都の清水寺の組柱に似た
秩父「岩井堂」に
5月14日に行ってきました。
今日の彩色「写遊の一枚」観音霊場・岩井堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/7d/c6bef816774c02441343ea4d338ae2d7.jpg)
(標高300~357mの間)
9時55分
秩父鉄道「影森」駅
(駅 後方の三角の山は秩父で有名な
武甲山。目的地は右の山 中腹)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/b9/b2d73ef936143fa83dacdae4c9deca93.jpg)
すごく親切な駅員さんから地図を頂き
教えてもらった道順「昭和電工」
工場 敷地内を経由して岩井堂へ!
(写真↓・・守衛さんから、
足元の緑色のラインに沿って
行くように案内されました)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/3e/5a18c596ae12a4800a15eb92d0515cac.jpg)
観音霊場「岩井堂」は
昭和電工の奥の
琴平神社の裏道にあるとか・・・?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/d5/227517d286f12598bfcdadfaed57cb26.jpg)
当地が水に不便な地のため
干ばつの折には、降雨を祈願した
琴平神社の階段を!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/5e/5500399694ebf068877cc51d86d3bab6.jpg)
300ほどの階段を
休み休み登ると 琴平神社・本殿。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/b5/7ecef3c7ebdd7a171f5077854e2c0ffd.jpg)
写真・本殿 右角に
小さな案内板を発見!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/04/8e668f9c5c52986896f15dd5612a08d4.jpg)
10時20分
そして本殿の鳥居の先を
進むと すぐに修験行者の
荒れた山道が・・!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/8e/07fc9bdf9c51b6e133dca4524317e41c.jpg)
時折、地に手をつき
四つん這いで、険しい山道を
苦戦して登っていると
10時33分
琴平神社から13分。
目の前に 大きな岩と
札所26番観音堂「岩井堂」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/37/1b26b769dbe378f2c70820fe9a01d753.jpg)
京都・清水寺に似た柱組
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/fc/6f04dfe3afa50306434085d32f468a66.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/53/458692ea7c5dd5f8fed10b5df825bba7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/82/ee6829a6c0c301c05343cb1e8f920122.jpg)
階段を登ると 岩の隙間に
お地蔵さまなど
(本堂から撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/11/81e2517d0a366737e68c3afff190381b.jpg)
「秩父二十六 正観音」の
文字が見える本堂 正面
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/22/1853f64dad72a127665259166647f99b.jpg)
10時42分
今回のプランの岩井堂・裏から
西武 秩父駅まで行く
琴平ハイキングコースの
秩父修験堂に向かいましたが!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/10/ea26330769ba61885e22a0cebd91f32c.jpg)
(本堂裏の細道!)
登り始めて「わずか10歩」ほどで
今までの山道に比べ
キツイ「修験行者の山道」で
恐ろしくなり 命大事のオヤジは
「即・岩井堂に戻りました」
本堂裏の道
(足元が滑る危険な山道の
撮影を忘れました!)
10時50分
岩井堂 前の案内板を見て
予定外の「27番大渕寺」を
行くことにしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/1e/790c5539226bce0d36c3af086e6e9d6c.jpg)
尾根を歩く 比較的 楽な山道だが
前夜の雨に濡れた枯葉に足を取られる
ドキドキな山道でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/78/a3d42a67126a05fb8d9dc1c603a2fb7b.jpg)
(途中、ロープづたいの岩登りも!)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/26/b4f3297fcb610064acbf4fc897c17ec1.jpg)
ゴールまじかの大渕寺 裏で
予想もしてない
「歩兵75連隊比島戦没者霊碑」に
(何故、この地に?)驚きました・・・!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/d0/be4edfe2e20c07841ac3c7b0277ba1ef.jpg)
太平洋戦争は、全てが
空しく哀しい歴史だが
忘れされつつある歴史ゆえ、この機会に
一筆啓上したくなりました。
☆☆☆
「慰霊碑文」の一文を 以下 添付。
「フィリピン投入兵力 58万余、
戦死者48万人 誠に補給絶無の
苛烈苛酷な『飢餓』決戦であった」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/9b/069e0e2fe80cc21afac2cf5ba8f934a2.jpg)
参考情報
藤原彰著「飢え死にした英霊たち」
・・(全体)戦没者240万人の
過半数140万人は「餓死」だった。
インパール 無謀な作戦
インド北東部の街インパール攻略を
食べ物飲み物を与えられず、
ジャングルに送り込まれた10万の
兵士は 戦闘行為じゃなく 飢えと
感染症の病でほとんどの日本兵は死亡。
ちなみに、指揮した牟田口廉也中将は
BC級戦犯だったが、無罪放免後、
余生を都内で暮らし昭和41年病死。
(兵士に対し、謝罪の言葉は
死ぬまでなかった牟田口中将!)
大岡昇平「野火」
作家のフィリピンでの戦争体験を
もとに「極限の飢え」を前にした
人間を描いた 世界で評価された
戦争小説。
日本人のマニラ残虐行為 他
市街戦マニラ市民約10万人戦没
バターン 米兵死の行進
半藤一利
「兵士を駒扱い 愚劣な軍事指導者たち」
★★★
どのような理由があっても、
罪なき人々(アジアの人々・日本)を
死に追いやった戦争は問題だが
上級国民の「机上の計算」で
無駄な戦死をした兵隊と国民を思い
以下を添付することにしました。
☆
英歴史家アーノルド・J・トインビー
「日本は第二次大戦で自国を犠牲にして
アジアの民に大きな恵みを与えた」
米歴史家ジョイス・C・レブラ
「日本の敗戦、それは勿論、東南アジア
全域の独立運動には決定的な
意味をもっていた」
タイ・ククリット・プランモード元首相
「日本のおかげで、
アジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは、難産して
母体をそこなったが、
生まれた子供はすくすく育っている」
人種戦争の筆者ジェラルド・ホーン
「日本人が称賛されるのは、白人の植民地
搾取に、自らの血を流して戦ったからだ」
米スタンフォード大名誉教授の
ピーター・ドウス
「日本人が白人との戦争で もたらした
成果は 市民を解放したフランス革命より
偉大な人類史上の大革命だった」
★
以上「歩兵75連隊の碑」の
「悔しく亡くなった兵隊」を思い
世界の歴史家・政治家からの
メッセージの ごく一部を掲載しました。
勿論、筆者は戦争反対です。
☆
追記・・12時20分、影森駅 無事到着。
当ブログ立ち寄りに感謝です。
歩兵第75連隊 話から脱線します
「あしからず!」
以前より興味あった
大きな岩と 京都の清水寺の組柱に似た
秩父「岩井堂」に
5月14日に行ってきました。
今日の彩色「写遊の一枚」観音霊場・岩井堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/7d/c6bef816774c02441343ea4d338ae2d7.jpg)
(標高300~357mの間)
9時55分
秩父鉄道「影森」駅
(駅 後方の三角の山は秩父で有名な
武甲山。目的地は右の山 中腹)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/b9/b2d73ef936143fa83dacdae4c9deca93.jpg)
すごく親切な駅員さんから地図を頂き
教えてもらった道順「昭和電工」
工場 敷地内を経由して岩井堂へ!
(写真↓・・守衛さんから、
足元の緑色のラインに沿って
行くように案内されました)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/3e/5a18c596ae12a4800a15eb92d0515cac.jpg)
観音霊場「岩井堂」は
昭和電工の奥の
琴平神社の裏道にあるとか・・・?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/d5/227517d286f12598bfcdadfaed57cb26.jpg)
当地が水に不便な地のため
干ばつの折には、降雨を祈願した
琴平神社の階段を!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/5e/5500399694ebf068877cc51d86d3bab6.jpg)
300ほどの階段を
休み休み登ると 琴平神社・本殿。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/b5/7ecef3c7ebdd7a171f5077854e2c0ffd.jpg)
写真・本殿 右角に
小さな案内板を発見!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/04/8e668f9c5c52986896f15dd5612a08d4.jpg)
10時20分
そして本殿の鳥居の先を
進むと すぐに修験行者の
荒れた山道が・・!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/8e/07fc9bdf9c51b6e133dca4524317e41c.jpg)
時折、地に手をつき
四つん這いで、険しい山道を
苦戦して登っていると
10時33分
琴平神社から13分。
目の前に 大きな岩と
札所26番観音堂「岩井堂」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/37/1b26b769dbe378f2c70820fe9a01d753.jpg)
京都・清水寺に似た柱組
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/fc/6f04dfe3afa50306434085d32f468a66.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/53/458692ea7c5dd5f8fed10b5df825bba7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/82/ee6829a6c0c301c05343cb1e8f920122.jpg)
階段を登ると 岩の隙間に
お地蔵さまなど
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/c8/af8aba4e42362fe594550eade27cf7a8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/11/81e2517d0a366737e68c3afff190381b.jpg)
「秩父二十六 正観音」の
文字が見える本堂 正面
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/22/1853f64dad72a127665259166647f99b.jpg)
10時42分
今回のプランの岩井堂・裏から
西武 秩父駅まで行く
琴平ハイキングコースの
秩父修験堂に向かいましたが!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/10/ea26330769ba61885e22a0cebd91f32c.jpg)
(本堂裏の細道!)
登り始めて「わずか10歩」ほどで
今までの山道に比べ
キツイ「修験行者の山道」で
恐ろしくなり 命大事のオヤジは
「即・岩井堂に戻りました」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/71/bc764e34191e7a7008677dab9518627c.jpg)
(足元が滑る危険な山道の
撮影を忘れました!)
10時50分
岩井堂 前の案内板を見て
予定外の「27番大渕寺」を
行くことにしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/1e/790c5539226bce0d36c3af086e6e9d6c.jpg)
尾根を歩く 比較的 楽な山道だが
前夜の雨に濡れた枯葉に足を取られる
ドキドキな山道でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/78/a3d42a67126a05fb8d9dc1c603a2fb7b.jpg)
(途中、ロープづたいの岩登りも!)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/26/b4f3297fcb610064acbf4fc897c17ec1.jpg)
ゴールまじかの大渕寺 裏で
予想もしてない
「歩兵75連隊比島戦没者霊碑」に
(何故、この地に?)驚きました・・・!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/d0/be4edfe2e20c07841ac3c7b0277ba1ef.jpg)
太平洋戦争は、全てが
空しく哀しい歴史だが
忘れされつつある歴史ゆえ、この機会に
一筆啓上したくなりました。
☆☆☆
「慰霊碑文」の一文を 以下 添付。
「フィリピン投入兵力 58万余、
戦死者48万人 誠に補給絶無の
苛烈苛酷な『飢餓』決戦であった」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/9b/069e0e2fe80cc21afac2cf5ba8f934a2.jpg)
参考情報
藤原彰著「飢え死にした英霊たち」
・・(全体)戦没者240万人の
過半数140万人は「餓死」だった。
インパール 無謀な作戦
インド北東部の街インパール攻略を
食べ物飲み物を与えられず、
ジャングルに送り込まれた10万の
兵士は 戦闘行為じゃなく 飢えと
感染症の病でほとんどの日本兵は死亡。
ちなみに、指揮した牟田口廉也中将は
BC級戦犯だったが、無罪放免後、
余生を都内で暮らし昭和41年病死。
(兵士に対し、謝罪の言葉は
死ぬまでなかった牟田口中将!)
大岡昇平「野火」
作家のフィリピンでの戦争体験を
もとに「極限の飢え」を前にした
人間を描いた 世界で評価された
戦争小説。
日本人のマニラ残虐行為 他
市街戦マニラ市民約10万人戦没
バターン 米兵死の行進
半藤一利
「兵士を駒扱い 愚劣な軍事指導者たち」
★★★
どのような理由があっても、
罪なき人々(アジアの人々・日本)を
死に追いやった戦争は問題だが
上級国民の「机上の計算」で
無駄な戦死をした兵隊と国民を思い
以下を添付することにしました。
☆
英歴史家アーノルド・J・トインビー
「日本は第二次大戦で自国を犠牲にして
アジアの民に大きな恵みを与えた」
米歴史家ジョイス・C・レブラ
「日本の敗戦、それは勿論、東南アジア
全域の独立運動には決定的な
意味をもっていた」
タイ・ククリット・プランモード元首相
「日本のおかげで、
アジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは、難産して
母体をそこなったが、
生まれた子供はすくすく育っている」
人種戦争の筆者ジェラルド・ホーン
「日本人が称賛されるのは、白人の植民地
搾取に、自らの血を流して戦ったからだ」
米スタンフォード大名誉教授の
ピーター・ドウス
「日本人が白人との戦争で もたらした
成果は 市民を解放したフランス革命より
偉大な人類史上の大革命だった」
★
以上「歩兵75連隊の碑」の
「悔しく亡くなった兵隊」を思い
世界の歴史家・政治家からの
メッセージの ごく一部を掲載しました。
勿論、筆者は戦争反対です。
☆
追記・・12時20分、影森駅 無事到着。
当ブログ立ち寄りに感謝です。