興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

健康な被害妄想 (Healthy Paranoid)

2006-10-17 | プチ臨床心理学

「被害妄想」と聞いて何かしらポジティブな ものをイメージする人はそうそういないと思う。

「あの人 被害妄想だよ」

「あんたそれ 被害妄想だよ」

このようにして使われる「被害妄想」という 言葉には、「自意識過剰で、防衛的で、懐疑的で 人のこと信用していないから悪いことを想像するんだよ。 考えすぎなんだよ」というような感じの否定的で批判的なニュアンスが必ずと言っていいほど含まれている。

しかしなぜ、その人は「自意識過剰」になるのだろうか。 


なぜ「防衛的に、懐疑的に」なるのか。そもそも、 どうして他者を信じられないのだろうか。

「そういう性格だから」とか「神経質だから」とか 「強迫神経症だから」とか、人間とかく、その人の 性格的特徴などの属性に理由を見出しがちである。

しかし、臨床心理学には「健康な被害妄想」という概念が存在する。以前これについて少し触れたことがあるけれど、「健康な被害妄想(Healthy Paranoid)」とはつまり「ほどよい被害妄想」のことで、 「『妄想』かもしれないけれど、(あったほうが)ないよりも健康」な程度の懐疑心などについていう言葉だ。

白人至上主義のアメリカ社会で、アフリカ系アメリカ人が 社会で成功したりしてうまくやっていくには、この「適度」な被害妄想が必要不可欠だと言われている。

あからさまな人種差別こそなくなった現代社会だが、 一見分かりにくい人種差別(悪意や偏見を持った 警察官や教員や上司などの微妙で見分けにくい形の人種差別)は残念ながらどこにでも存在する。

そうした中で、他者、特に力をもっているもの (会社の上司、教員、警察官など)に対して何の疑問も抱かずに生活している非白人、特にアフリカ系アメリカ人は、社会でうまくやっていけない。「健康な被害妄想」がないゆえに潰されるという。つまり、ある種の適度な自意識や懐疑心や防衛性が、社会に存在する様々な「洗練された悪意」から身を守っているというのだ。

妄想とは、一般に、現実から離れた、根拠のない 悪性の想像で、これが病的にひどくなると、 「妄想型人格障害」(Paranoid Personality disorder) さらに、「妄想型 精神分裂病(統合失調症)(Paranoid Schizophrenia) 」などの極めて好ましくない 精神障害になるけれど、現実検討能力(reality testing) や現実的な客観性を持ち合わせた被害妄想は、ある程度はとても自然なことで、誰だって抱くものだ。

また、一般的に、人は、いろいろな外的要因に影響されて精神状態が悪くなっているときに、いろいろと良からぬ想像をするのもで、問題が好転したり、気分が良くなったらそうした「被害妄想」はス~と解消されるものだ。

以上のことを踏まえて考えてみると、自分の周りの誰かが「被害妄想」を抱いているなあと思った時、「そういう性格だから」と結論を急がずに、「何かそのような想像に結びつくことがあったのかもしれない」とか、「今いろいろあって精神状態が
良くないのかも知れない」とか、「いろいろ、裏切りの経験をしてきたのかも知れない」・・・と、より共感的にその人と付き合えるし、理解も深まるものだと思う。

同様に、自分が懐疑的になっていることにふとした瞬間に気付いたときに、「あ~やだなあ。自分頭おかしいよ」とか、「こんな風に考える自分ってやだなあ」とあまり自己否定的にならずに、自分のなかの客観性を総動員して、「なぜそのような想像が出てくるのか」「その想像に至るまでに
何が起こっているか」「自分は何を体験してきたか」などを冷静に見て、その時の精神状態や状況の悪さなどを考慮してみると、悪い想像も行き過ぎずに留まりやすくなる。

良い考えが浮かぶとまではいかなくても、
それ以上の精神状態の悪化や現実検討能力の低下も防げるし、そこには、いくらかのこころの平安がもたらされ、落ち着くこともできるかもしれない。

そういうわけで、全ての被害妄想が悪いものではないしある程度の被害妄想があるゆえに、こころの準備ができて善後策も取れているために、実際にそのような状態になったときにも、適切な行動が可能になる。


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