興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

認知のゆがみ その9 「読心」(Mind Reading)

2014-02-28 | プチ臨床心理学

 あなたが道を歩いていて、お友達とすれ違ったときに、その人があなたに無反応でした。それであなたは、「このひと私のこと嫌いだから気づかないふりしたんだ」、とか、「無視された」、と思って悲しくなりました。このような経験は、だれにでもあるのではないでしょうか。           

  では、そのときあなたはなぜ嫌な気持ちになったかというと、その友人の行動(無反応)をもとに、知らず知らずのうちにその友人の「こころを読む」ことを試みて、悪いほうに解釈してしまったからです。もちろん、実際にその人があなたに気付かない振りをしていたという場合もありますが、後で、その友人は本当にただ単にあなたに気づかずに行ってしまったのだとわかってほっとした、という経験をお持ちの方も多いことでしょう。

 さて、今回お話する認知のゆがみは、この経験のもとになっているもので、「読心」(Mind Reading)と呼ばれるものです。集団主義社会で、相手のこころを察することが重要である日本においてはとくに、他者の気持ちに敏感であることは大切なのですが、問題は、一部の例外を除いて、「人は完全には他者のこころがわからない」わけで、「あなたの予想」と「その人の実際の感情」の間には、必ずズレがあります。たとえば、誰かが難しい顔をしていたときに、「その人のなかで何かあまり好ましくないことが起きている」ところまでは多くの人は察しがつきます。しかし、その人が具体的に何を感じているのかまでは、実際に聞いてみないとわかりません。体調が悪いのかもしれないし、何か未解決の難しい問題について悩んでいるのかもしれないし、何か嫌なことがあったのかもしれないし、何かまずいことを思い出しているのかもしれないし、あるいは、そういう顔がデフォルトであるかもしれません。

 しかし、この「読心」の傾向が強い人は、他人の反応を、以前の記事で扱った、「個人化」(Personalization)をし、悪いほうに解釈する方向にあります。

 たとえばあなたの配偶者やパートナーが仕事から帰ってきて、なんだかあなたに素気ない態度だったとします。それは実は帰宅途中で嫌なことがあったからなのですが、そうとも知らないあなたは、「自分に対してなんだか腹を立ててる。どうしたんだろう。何で怒ってるんだろう」、と、とても不安になります。

 また、治夫さんがパーティーでスピーチをして、薫さんを除いたみんなが治夫さんのスピーチにとても良い反応をしました。しかし治夫さんは表情の乏しい薫さんが気になって仕方がありません。「薫さんは私のことが嫌いなんだ。スピーチはつまらなかったんだ」、と。しかし実のところ薫さんは、このパーティーの数時間前に起きた上司との口論のことで頭がいっぱいなだけだったのです。そうとも知らずに、治夫さんは薫さんの反応を個人的にとらえて悶々としています。

 さて、このように、「読心」の認知パターンは、誰かの何らかの反応をもとに、「その人があなたに対して何かネガティブに思っている」と、個人的に、不正確にその人のこころを読み、それが真実であるかどうか確かめることをしないことです。

 この問題の厄介なことは、その結果、あなたはその人と距離を置いてしまったり、ぎこちなく振る舞ってしまったり、あるいは、ネガティブに反応し返してしまい、実際にその人があなたに対してネガティブな感情を抱く事態を引き起こしてしまうという悪循環です。

 たとえば、治夫さんと薫さんの場合、治夫さんは、薫さんが自分のことをよく思っていないと思い込んで、薫さんから距離をとったり、妙によそよそしく振る舞います。その結果薫さんは、「何この人、嫌な感じ」、と思い、本当に治夫さんのことが嫌いになってしまったりします。

 また、あなたと配偶者・パートナーの例では、相手がわけもわからずに怒っている、と認識した結果、「いったい私が何をしたっていうんだ」、と思い、パートナーに対して不機嫌に振る舞いはじめてしまい、その結果、もともと他のことで頭がいっぱいだったのに、あなたにそのように振る舞われて、相手は実際にあなたに対してイライラしはじめます。状況が悪いと、これが喧嘩に発展してしまったりします(脚注1)。いうまでもないことですが、こうして生じるネガティブな人間関係によって、ひとは不安やイライラを感じたり、不快な気分を長時間に渡って経験したり、うつになったり、自責の念に陥ったりします。

 さて、この「読心」の認知パターンから脱出するには、まず、そうです! 自分がこの認知パターンに嵌ってしまっていることを自覚します。「この人なんだか機嫌悪いなあ。何か自分悪いことしたかな」、などと思い始めたら、立ち止まってください。

 ひとは1日24時間のなかで、あなたと同じように、本当にいろいろな経験をします。その中で良いこともあれば嫌なこともあります。そして、その人の一日において、あなたが知っていることは、相当に限られています。つまり、その人のムードが悪いなんらかの理由が、「あなた以外」にある可能性は大いにあるわけです(これはたとえ、その人が実際にあなたに何か言って、つらく当たってきた場合でさえもです。それはただの八つ当たりかもしれません)。それをよく理解したうえで、その人に、直接何があったのか優しく尋ねてみましょう。原因があなたとは全然違うところにあることに気づいてあなたは驚き、ほっとすることでしょう。

 また、冒頭の、町ですれ違った友人の話にしても、相手が無反応であることに気になったら、すぐにあなたのほうから話しかけてみましょう。それでもし相手が嫌な態度をとるようであれば、それはあなたの予想が正しかったわけですが、そういうことはまずないでしょう。相手はきっと、感じよくあなたに応じることでしょう。

 「気になったら、勇気を出して、直接聞いてみる」ことです。それによって、その後の数時間、何か悶々と相手の真意について悩むことはなくなります。また、このように言葉を使うことを繰り返していくうちに、この認知のゆがみは、「ゆがみである」ことが経験的にわかり、修正されていきます。


(脚注1) これは、以前ここのブログで触れた、投影的同一視(Projective Identification)の現象で、アメリカでは一般には、Self-Fulfilling Prophecy(自ら実現させる予言)と呼ばれるものです。あなたの頭にあったものを、相手が抱いているものであると錯覚し、投影(Projective)した結果、実際にはあなたの持っていたネガティブなものが、相手に乗り移ってしまい、そのようにふるまい始めます。その結果、あなたは「やっぱり相手は私に対してネガティブな感情を抱いていたんだ」、と確認するわけです(Identification)。自分自身で、恐れていたまさにその事態を実現してしまっているという、負の悪循環です。