興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

認知のゆがみ その8 「感情的推理」(Emotional reasoning)

2014-02-27 | プチ臨床心理学

 ひとはしばしば、何かネガティブな感情を経験しているときに、まるであたかもそれが現実であるかのように錯覚してしまいます。たとえばあなたが何か新しくて不慣れなこと、気が進まないことをしようとしていて、不安を感じたり、ナーバスになっています。それが徐々にエスカレートしていって、「これはうまくいくはずがない」、「これは失敗する」、と、いつの間にか確信のようになってしまったりします。このように、自分の感情をもとにして、ものごとの悪い成り行きや結果を予想してしまう認知のゆがみが「感情的推理」(Emotional reasoning)です。

 「感情的推理」の深刻なものは、パニック障害を持つ人たちによく見られます。たとえば、車の運転をしていて、渋滞に巻き込まれて、不安な気持ちになり、その不安な気持ちが、「今運転しているのは危険だ。このままでは事故を起こす」、という恐ろしい推測へとエスカレートしてしまい、パニック発作を経験したりします。「不安」であるという感情が、「危険な状況」へとほとんど無意識に変換されてしまうのです。

 また、うつを経験しているひとが、無力感を感じていて、その無力感がまるであたかも本当に自分が無力であるかのように錯覚してしまうこともよくあります。「無力感」という情緒体験が、「私は無力だ」という結論に達してしまうのです。

 あなたの大切なひとが、他のだれかと仲良くしていて、あなたが嫉妬を感じたとします。しかしこの嫉妬心がエスカレートして、いつの間にか、「あの人は私に興味を失った。私のもとを去っていくんだ」、と思い込んでしまうのも、この「感情的推理」の好例です。

 ひとのネガティブな感情というのは、進化心理学的には、「何か良くないこと、間違ったことが起こっているのをあなたに知らせてくれる」有益なもので、そこには通常、何かしらの真実はあるのですが、そのシグナルに敏感になりすぎるのが、この認知のゆがみです。また、パニック障害や、全般性不安障害などの、不安障害を持つ人は、このシグナルが、誤った方向に、つまり、不適応な方向に翻訳されてしまう傾向にあります。

 さて、この認知のゆがみから脱出するのに大事なのは、やはり、まずは自分が知らずのうちに感情を使って結論を出してしまっていることに気づくことです。あなたが不安や怒り、嫉妬、落胆など、何かネガティブなものを経験しているときに、何かネガティブな将来予想がでてきたら、まずは立ち止まってご自分に問いかけてみてください。「その将来予想の根拠はなんだろう」、と。実際に立ち止まって自問していると、明確な根拠はそうそう見つからないものです。

 それから、「感情」はシグナルかもしれないけれど、「感情イコール現実ではない」、とよく覚えておくことが大切です。あなたのこころが感情にハイジャックされないように気を付けてください。そして、エスカレートする方向とは反対の、より現実的で建設的な、新しい可能性を見つけてください。いろいろな可能性があるはずです。


認知の歪み その7-「すべきだの思考パターン」("Should" or "Must" statements)

2014-02-27 | プチ臨床心理学

  ひとは誰でも、そのひとなりの価値基準、道徳、美学などがあり、自分の行いがその自己の基準に達していないと、気持ちが悪いし、ほかの誰かがその基準から逸脱しているのを見ると、批判したい気持ちになったりします。前者の、自分自身が自分の基準に達していない場合、ひとは羞恥心、罪悪感などを感じるし、他人がその基準から外れていると、苛立ち、怒り、軽蔑などを感じたりします。たとえばあなたが疲れていて電車の優先席に座っていたら、おなかの大きな妊婦さんが、辛そうに歩いてきて、あなたの前に立ちました。普段だったらあなたは立って彼女に席を譲っているものの、今日に限っては本当に疲れてしまっていてそれができずにいます。この時、あなたは妊婦さんを前にして、罪悪感を感じているかもしれませんし、自分の行いに心ひそかに羞恥心を感じているかもしれません。逆に、あなたが同様に混んだ電車内で、たまたま優先席の前に立っていたら、おなかの大きな妊婦さんが歩いてきて、あなたの隣、やはり優先席の前に立ちました。そして妊婦さんの前の優先席には、ヘッドホンをして、スマホで何やらゲームに熱中している若者が座っています。妊婦さんはなんだかとてもしんどそうです。このときあなたはこの若者に対して、いらだちや怒りを感じるかもしれません。

 さて、このように、自分もしくは他者が、自分の価値基準にそぐわないことをしていて、あなたが何かネガティブな感情を経験しているとき、あなたはしばしば知らず知らずのうちに、"Should" or "Must" statements--「すべきだ」、「しなければ」、の思考パターンを展開しています。「おなかの大きな妊婦さんには席を譲るべきだ」、「優先席に座っているときは、優先者の存在に注意すべきだ」、「混んだ電車の優先席に座ってスマホのゲームに興じるべきではない」、などの思考が、あなたを不快な気分にします。

 前置きが長くなりましたが、上記の例は、ひとが自然に経験する「すべきだの思考」ですが、この傾向が強すぎると、それはあなたの心の平安に支障をきたします。

 これはあなたが、厳密で凝り固まった考えをもとに、どのようにあなたや他者が振る舞う「べき」であるかの基準をつくり、その基準をあなたや他者が満たさなかった場合において、過度にネガティブな成り行き、結果を予想してしまう傾向です。この基準によってあなたは自分や他人を必要以上に責めてしまったりします。

 この例としては、たとえば、あなたが何か新しいことをしようと思い立って、いつもよりも1時間早く起きることを決意したときに、疲れていてついつい普段の起床時間まで寝過ごしてしまったときに、「ああ、きちんと決めた時間に起きるべきだったのに。私はだめだ。せっかく決めたことをする時間がない。最悪な一日のスタートだ。これだから私は何か新しいことを始められないんだ」、と思ったり、お友達との約束をすっかり忘れてすっぽかしてしまって、「ああ、どうしよう。手帳に書いただけでは足りなかった。スマホ使ったりしてもっと覚えておく努力をすべきだった。馬鹿だなあ。無責任でいい加減なひとだと思われたかもしれない。どうしよう、友達ひとり失ったかな」、などと思って自分を強く責めて、何かとても悪い将来を予想してしまう傾向です。

 また、他人における例としては、あなたと、あなたと同僚と、お客様の3人で取引におけるミーティングがあった時に、あなたの同僚は遅れてきました。「この大事なミーティングに遅れてくるなんて信じられない。彼はもっと自分に責任を持つべきだ。時間にゆとりをもって出てくるべきだったのに。お客様にまずい印象を与えてしまった。もうこの取引はだめだ。もし運よく今回は大丈夫でも、このお客様は次回からは他所にいってしまうだろう」などと思い、同僚にものすごい怒りを感じるようなことです(脚注1)。

 このような認知のゆがみが働いていると、それが自分のことであれば、羞恥心、罪悪感、鬱感情などを経験するし、それが他人のものであれば、いらだちや怒りを経験するわけで、これはまたあなたの精神衛生上よくないのは明らかです。イライラなどの悪いムードは人間関係にも悪く影響します。過度の「すべきだの思考パターン」には良いことがありません。

 解決法としては、あなたが羞恥心、罪悪感、怒りなどを感じたときに、立ち止まって、「自分はいまどうしてこのように感じているのかな」と考えます。そして、あなたがこの「すべきだの思考」に陥っていないか考えます。延々と、「ひとり反省会」をしてはいませんか?これに気づいたら、修正の余地のない、断定的な「すべきだ思考」を、別のものに修正していきます。たとえば、ミーティングに遅れてきた同僚の例ですが、

「この大事なミーティングに遅れてくるなんて信じられない。彼はもっと自分に責任を持つべきだ。時間にゆとりをもって出てくるべきだったのに。お客様にまずい印象を与えてしまった。もうこの取引はだめだ。もし運よく今回は大丈夫でも、このお客様は次回からは他所にいってしまうだろう」

から、「この大事なミーティングに遅れてくるのはどうしたんだろう。彼はもっと時間にゆとりをもって出てきたほうがよかったんだけど、道中何かあったのかな。何か急用が入って、早めに出発できなかったのかな。あとでゆっくり聞いてみよう。起こってしまったことはしかたない。二人でベストを尽くしてこのお客様をもてなそう。もしこのお客様が他所に行ってしまったらとても残念だけど、自分たちには次がある。これが一巻の終わりではない」、という具合です。

 これまでのいろいろな「認知のゆがみ」すべてに言えるのは、「ゆがみ」ゆえに、考えが極端化している、ということです。何か極端な考えがでてきたときに、立ち止まって自分のこころを見つめてみるのは、とても大事なことです。


 

(脚注1)この思考パターンが病的に強い性格を、強迫性人格障害 (Obsessive-Compulsive Personality Disorder、OCPD)といい、OCPDを持つ人は、配偶者やパートナー、周りのひとに、自分の価値基準を満たすことを強く期待し、彼らが少しでもそれに満たないと、激怒したり、不機嫌になったりします。また、周りのひとが自分の意向に沿ってくれるか信用できないため、誰かに仕事を任せたりすることがとても苦手です。なんでもかんでも自分で完璧にやろうとするので、仕事は遅いだけでなく、それを期限内に終えることもままならなかったりします(ところで強迫性人格障害と、強迫性障害〔Obsessive Compulsive Disorder〕は、二つの異なる精神疾患です。この違いについては別の機会に説明したいと思います。質問などある方は、気軽に連絡してください)。