興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

認知の歪み その5-「破局化」(Catastrophizing)

2014-02-24 | プチ臨床心理学

 ひとは、何らかのネガティブなできごとの最中にいると、そのときに感じている強い不安や落ち込みなどの気持ちによって、ついつい最悪の事態、最悪の結末など予想してしまいます。この認知のバイアスを、Catastrophizing--「破局化」といいます。

 これは、イントロダクションで触れたように、Fortune telling(負の)未来予想、占い、ともいい、あなたが、何か任意のできごと、あなたの今この瞬間の気持ちなどを元にして、他のもっと現実的な要素を考慮にいれずに、ネガティブな将来、最悪の結末を予想してしまう傾向です。この傾向が深刻であると、日常生活において、いろいろなことが心配で仕方がない「全般性不安障害」(Generalized Anxiety Disorder, GAD)という不安障害に陥ったりします(脚注1)。

 破局化について例をあげると、たとえば、何か仕事で失敗をしたときに、「ああ、どうしよう、失敗しちゃった。これで会社クビになるかもしれない」と思ったり、プレゼンテーションがいまいちで、「ああ、駄目だった。これでみんな自分に失望して、敬意を失ってしまった」と思ったりします。お金に困っているときに交通違反で罰金を科せられて、「ああ、どうしよう。お金がない。ホームレスになったらどうしよう」、と思ったり、たまに配偶者と喧嘩をしたら、「離婚を切り出されたらどうしよう」、と思ったりします。友達と何か気まずいことがあったときに、これで相手が自分のもとを去っていったらどうしよう、と思ったりもします。

 しかし、大体において、破局化的な思考には、根拠がなく、不安に思っていることは、冷静に考えてみると、実際には起こりそうもないことがほとんどです。これは、あなたの不安を、仲の良い信頼できる人に話してみると、よくわかります。「何言ってるの?」と、彼らは驚いて、それとはまったく異なった、彼らの視点で見た、より現実的なあなたの状況について、教えてくれることでしょう。

 ここで、破局化の思考パターンから抜け出す方法です。まず、他のどの認知のゆがみについてもいえることですが、あなたがこの「破局化」の真っただ中にいることに自覚することが不可欠です。仕事で失敗をしたときに「クビ!」という単語が脳裏をよぎったら、立ち止まって、どうしてそういう結論に達したのか、考えてみましょう。プレゼンの失敗が「みんなの落胆」という結論にどう至ったのか、考えてみましょう。それで、実際にあなたの思考を紙に書き出してみるものいいです。たとえば、まずいプレゼンの例でいうと、

「私は今回のプレゼンに失敗した。ひどいできだったと思う。あくびをかみ殺しているひともいたし、テーブルの下で密かにスマホを操作している人もいた。質問も少なく、反応がよくなかった。あのようなプレゼンをして、私はみんなをがっかりさせた。みんな、私に失望し、私の能力に疑問を持っているだろう。馬鹿だと思われたかもしれない。もう彼らの信頼は取り戻せない」

という思考が明らかになるかもしれません。

このときに、この経験をしたのはあなたではなく、あなたと仲の良い同僚や、あなたの大切なひとが経験したものであると、考えてみてください。あなたは、彼らにどのようなアドバイスをするでしょう。人生において、「自分の最大の批判者は自分自身」である場合が非常に多いことを、まず覚えておきましょう。そして、「他者はまず、あなたが自分自身をみているようには、あなたのことを見ていない」、という事実についても覚えておいてください。そして、あなたが経験したことを、もしあなたの大切な他の誰かが経験して、上記の文章な気持ちをあなたに吐露してきたら、あなたはどう答えるでしょう。どうアドバイスするでしょう。たとえば以下のようではないでしょうか。

「あなたは今回のプレゼンはいまいちだった。あまりよくない出来だったかもしれない。確かに、あくびをかみ殺しているひとはいたし、こっそりスマホをいじってるひともいた。でも彼らは他のひとのプレゼンでもあくびかみ殺してるしスマホいじってる。他のひとたちのプレゼンでも、あまり質問がないことだって多い。質問が少ないから悪いプレゼントはいえないし、良い質問をしてくれたひとだっていた。質問を思いつかない内容だったかもしれない。誰かがあからさまな不快感を見せたこともなかったし、批判や反論もなかった。それから、今回のプレゼンの反省点について、よくわかってるし、それを次に生かそう」

という具合です。要約すると、「プレゼンはいまいちだったかもしれないけど、それほどまずいものでもなかったし、今回のことを生かして次回はもっといいものにしよう」、となるでしょう。これをあなた自身に言い聞かせて、こころの留めてください。このようにして、「黒か白かの思考パターン」にもみられるような、極端な「破局化」から抜け出していきます。


(脚注1)全般性不安障害とは、以前は「神経症 (Neurosis)」と呼ばれていたもののひとつですが、現在は、この「神経症」という言葉は臨床心理の現場において使われなくなりつつあります。その代わりに、今まで神経症とされていたこころの問題は、パニック障害(Panic Disorder)と、この「全般性不安障害」に分けられます。ちなにみ、パニック障害を持つ人たちにも、この「破局化」の思考パターンの傾向はよく見られます。さて、全般性不安障害に掛かっているひとは、こうした「破局化」の思考がいろいろな事項において見られます。たとえば、小さな子供のいる主婦の方が、小さな子供が小学校に進学するとき、「子供がいじめにあったらどうしよう」、「通学中に事故にあったらどうしよう」、「学校にいる間に大地震がきたらどうしよう」、また、夫が「過労死したらどうしよう」、「がんなど見つかったらどうしよう」、今度の地域の集会で、「件の未決定事項でXXさんがまた波風立てたらどうしよう。議案が暗礁に乗り上げたらどうしよう。XXが意地悪なこと言ってきたらどうしよう」、などといろいろな不安を経験します。また、こうした不安について、コントロールしたり、気を紛らわせることも難しく、集中力に支障をきたしたり、イライラしたり、落ち着きを欠いたりします。また、身体症状(Somatic symptomes)という、体の不調も見られ、それらは主に、首や肩こり、頭痛、動悸、睡眠障害、消化不良、下痢などです。ところで、この不安障害を経験している人のなかには、上記のような具体的な不安の自覚はなく、ただなんとなくいろいろなことが不安で、身体症状のほうに問題を感じているひとも少なくありません。


認知の歪み その4-「個人化」 (Personalization)

2014-02-24 | プチ臨床心理学

 自分の言動について、その結果や成り行きにおいて、責任を取るのは大切なことですが、責任意識の強い人が陥りがちな認知のゆがみのパターンに、Personalization (過度に個人的に取ること)というものがあります。これは、必ずしもあなただけの責任ではないことに対して、必要以上に自分を責める傾向です。これはまた、誰かがあなたに対してネガティブに振る舞ったときに、その理由についていろいろな可能性を考慮せずに、それは自分に問題があるからだ、と思ってしまう傾向でもあります。

 たとえば今日、どういうわけかあなたの上司の機嫌が悪かった時に、「私何かしたかなぁ。もしかしたらXXXのことかな、YYYのことかな」、などと憶測を立てて、悶々としてしまう人もいますし、あなたの配偶者がなんだかイライラしていたら、それが自分のせいだと思ってしまう人もいます。

 しかし、彼らが悪いムードなのは、あなたとは全然関係のない理由によるかもしれないし、あなたと関係があったところで、もしかしたら、彼らは自分の責任をあなたに擦り付けているだけかもしれません。まず、彼らの悪いムードの理由がわからなかったら、いろいろひとりで憶測せずに、言葉に出して聞いてみるのがいいでしょう。実は自分とはまったく無関係のことで機嫌が悪かったと知ってほっとすることは多いでしょう。ところで、あなたが彼らの悪いムードに巻き込まれてなんとなく気を遣っていると、それが相手に伝わり、今度は本当にあなたに対して彼らがイライラする、ということもあります。つまり、誰かのムードが悪いときに、それを個人的に取らないこと、巻き込まれないことが大切です。

 また、あなたの友人が実際直接何かについてあなたを非難してきたとします。このときに、友人の非難することを鵜呑みにしてしまい、ものすごい罪悪感を感じたり、自己嫌悪に陥ったりしてしまう人もいます(脚注1)。しかし、前にもいいましたが、人間関係というのは、どちらにも責任があるもので、どちらかが100%悪い、というようなことはほとんどありません。人は、誰かを非難しているとき、往々にして、自分自身の責任については忘れがちですが、彼らが忘れてしまった分の責任まであなたが呑み込む必要はありません。話し合ってみて、どこまでがあなたの責任で、どこからはそうでないか、見極めて、その部分について反省し、行動を改め、責任を持てばいいのです。

 また、より現実的な問題として、あなたが仕事で何か失敗をして、その結果、上司や顧客など、誰かが困ったり、腹を立てたりする、ということは実際にあるでしょう。これは、「あなたの失敗」が、実際に彼らの気分を害しているわけですが、この場合においても、「責任をとる」ことと、「個人的に取りすぎる」こととは異なります。その失敗の結果について、反省して、同じことを繰り返さないように気を付けたり、また、その損失について償えることがあればする。それが責任をとる、ということで、自分を責め続けるのは、責任を取ることとは違います。

 こういうわけで、人間関係において何かネガティブなことがあったときに、それについて、必要以上に個人的に受けすぎて、自責の念に陥ってしまわぬよう、注意が必要です。自己嫌悪の感情は、うつと密接に結びついています。自責がはじまったときに、「本当に全部自分が悪いのかな」と、まずは疑問を持ってみてください。それから、「すべてあなたが悪い」という事象は、世のなかそうそうないことを念頭に入れておいてください。


 

(脚注1)これとは逆に、誰かが自分に対して腹を立てていることに対して、まったく責任を取ろうとしない人もいます。「あの人はああいう人だ。個人的にとってもしかたない。私のせいじゃない」、といった具合です。また、このように、責任が取れないゆえ、常に非難の矛先が他者に向いてしまうひともいます。こういう人は、うつや不安にはならないかもしれませんが、他者と良い人間関係を築くのは非常に難しく、うつや不安とは全く異なるこころの問題があります。

 


認知の歪み (cognitive distortion) がもたらす鬱、不安とその改善法 その3

2014-02-24 | プチ臨床心理学

 ひとの認知は、もともと、過去の経験やいままでに集めた情報をもとに、状況を分析して一般化する傾向にあり、それは将来の予想や計画を立てたりするのに通常は有益な機能だけれど、これが過剰になると、うつや不安、無力感などの好ましくない精神状態に陥ります。これが、Overgeneralization-「過度な一般化」です。

 これは、あなたが経験したあるひとつのネガティブなできごとを、まるでそれがあなたがこれから経験することすべてに当てはまるように、必要以上に一般化してしまう傾向です。それはまるであたかも、永遠に続く敗北のような錯覚でもあります。あなたが何かを考えたり話したりしているときに、「いつも」(Always)とか、「絶対ない」(Never)などの言葉を使っていたら、要注意です。

 たとえば、接客業に従事している責任感の強い舞さんは、ある日ミスをして、顧客を怒らせてしまいました。そのとき舞さんは、「どうしてあんなこと言っちゃったんだろう。やっぱり私は気が利かないんだ。接客業なんて絶対だめなんだ。この仕事もう辞めたほうがいいのかな」、と思って鬱になってしまいました。「顧客に何か不適切なことを言ってしまった怒らせてしまった」、というひとつのネガティブなできごとが、舞さんの自己評価全体に一般化され、やがては、仕事そのものをやめてしまうことを考え始めていますが、舞さんは長い間今の仕事についていて、顧客を怒らせるようなことは、滅多になかったのです。それで、この認知のゆがみから脱出できれば、舞さんはきっと、「気が利かない自分」に矛盾するような、今までのいろいろな「証拠」を思い起こせたり、顧客側にもあったかもしれない、今回の人間関係の問題の要素についても考えられるかもしれません。「黒か白かの思考パターン」と同様に、過度な一般化は、あなたの視野を狭めて悪いものに意識が集中するようにしてしまう問題があります。

 また、高校野球のバッターの通さんは、このところどうも不調続きで、先週の試合も、今日の試合も無安打でした。そこで通さんはすっかり落ち込んでしまいました。「先週も駄目だったし、今日も駄目だった。今度の試合もきっとだめだ。やっぱり自分には才能がないんだ。自分のような人間は野球部やめたほうがいいかもしれない」、と思ったのです。

 また、大学一年生の直美さんは、3カ月ほど付き合っていたボーイフレンドに振られて、ものすごい落ち込みを経験しています。「もう誰とも付き合えない。付き合ったって、今回みたいに3カ月で駄目になっちゃうんだ。私は恋愛なんて向かないんだ」、と感じています。あるネガティブなできごとが、まるであたかも永遠に続く敗北のように感じてしまう例です。

 さて、この「過度な一般化」からの脱出方法だけれど、まずは、あなたが何かすごい落ち込みや不安、怒りなど、ネガティブな感情を経験したときに、どうしてそう感じているのか、立ち止まって、上記のような文章にしてみましょう。それで、そこに極端な一般化が含まれていないか、検討してみましょう。たとえば直美さんの例において、人間関係というのは、ふたりの人間が互いに作り上げているもので、どちらか一方が100%悪い、ということはそうそうありません。失恋においても、問題は、通常両方にありますし、今回の恋愛がうまくいかなかったから、次も駄目であるとは限りません。また、直美さんの恋は、2週間でも1か月でも2カ月でもなく、3カ月続いていたわけで、完全な失敗ではなかったわけで、恋愛なんて向かない、という結論に達するのは無理があります。

 仕事で失敗をしたら、それきちんと受け止め、パターンを分析しつつも、そこに存在する、今回独特の要素、ユニークな点を見つけます。今回の失敗に、過去のものと共通する何らかの傾向は存在するかもしれませんが、それがあなたの仕事のすべてに当てはまるわけではなく、失敗がずっと続くわけでもありません。このように、立ち止まって、その一般化に対する「例外」を見つけていくことも、この思考パターンからの脱却の糸口となります。