昨日開かれた「第5回 北海道フォーラム」(強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム)に参加しました。
札幌市にある浄土真宗札幌別院というお寺が会場でした。このお寺は日本敗戦後、地崎組(当時の名称)という企業から、朝鮮人強制労働犠牲者が中心と思われる101体の遺骨を預かっていました。1997年になって地崎と札幌別院は密かにこの遺骨を「合葬」と称して混ぜ合わせてしまいました。つまりどのお骨が誰のものか全くわからなくしてしまったわけです。これが発覚して、「札幌別院遺骨問題」となり、その解決を目的に結成された市民グループが「北海道フォーラム」です。
第5回目となる今年の大会には200人近い参加者が訪れていました。またフォーラム側の努力により、遺骨の韓国側遺族と認められる5名3遺族が来日しました。この方々は、混ぜこぜにされ3つの骨壷に詰められた101人分の遺骨を見て怒りをあらわにしていました。「人間の扱いとは思えない」と。
昨年の遺骨発掘でお世話になった猿払村の村長さんもお見えになっていました。猿払村には、韓国の真相糾明委員会から感謝状が送られました。このような地方自治体の東アジア和解に向けた主体的な取り組みがあることは素晴らしいことです。
年月の経過と遺骨の「混合」、さらに日本政府や関連企業のあいまいな責任の認識のために、別院に納められた遺骨の行く末は未確定です。しかしこれ以上の先延ばしも出来ない状況です。ご遺族にとって最善の解決策を模索すること、これがまず優先されるべきということは言うまでもありません。それと共に、これは単に101体の遺骨だけにかかわる問題ではなくて、朝鮮人強制連行・強制労働(もしくは「朝鮮人戦時労働動員」)という大きな歴史的問題の一部だという認識のもとに、その責任の明確化をすることも必要です。
それとの関連で具体的に出来ることの一つと、僕が個人的に考えることは、「追悼・警告の碑」の建設です。
101体のご遺骨は、遺族への返還が怠られ続けた挙句、その個別性が認識できないように混ぜられてしまいました。これに対して、一人一人のお名前(本名)を、よくわかるように石版に刻む。そしてこの人々の来日の経緯、労働状況、死亡原因、遺骨所在の変遷などの真相を解明して、それに基づいた関係者(日本政府、企業、札幌別院)の責任と謝罪を明確に書き、今後こうした過ちを繰り返さないという決意で締めくくる。それら説明・謝罪・誓いの文は、日本語以外に、ハングル、中文、英語も併記する。この石碑を別院境内の良く見えるところに立てる。このように負の記憶を目に見える形で刻み込むということの、社会的、教育的効果は大きいと思います。
以下、メモ的に今後のさらなる希望を書いておきます。
日本政府の遺骨問題担当者の挨拶。政府と市民運動が協働するものとして、パートナーとして互いを認識して仕事を進められるようになったらすばらしい。
神道者の参加。北海道フォーラムの特徴の一つは、宗教の違いを超えた宗教者の協働にあります(これを「エキュメニズム」とも言います)。日本の神道者の中にも戦争協力について反省している方はきっとおられるでしょう。そうした方々と手をつなぐことはできないでしょうか。
ロシア人との交流。これは北海道フォーラムの仕事とは直接関係ないものの、歴史和解のために非常に重要なことと思います。北方の「脅威」ロシアから国土を防御するという大義が、北海道「開拓」の支えとなりました。その後の歴史の流れの中でもロシア(ソ連)を脅威とする見方は、特に北海道には根強いと思います。この北の隣国の住民との和解をどうすすめていくか。
メディア、インターネットの活用戦略。世論を作っていかなければ、和解の仕事は達成できません。その世論を作る上で、決定的な役割を果たすのがテレビ、新聞、インターネットなどのメディアです。まず北海道フォーラムのホームページを作りましょう(さしあたり日本語・ハングル・中文で)。
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