小田博志研究室

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将来世代の平和のために ~ 世代間平和を語り合う集い(3月23日)

2022-03-12 | 平和

将来世代の平和のために ~ 世代間平和を語り合う集い

平和を子どもたちへ手渡す。これが大人たちの一番の願いのはずなのに、現代の世界では、暴力、差別、支配、環境破壊の連鎖が世代間で続いてしまっています。

どうすればこれを断ち切って、将来世代が安心して幸せに生きられる、平和な世の中を実現できるのでしょうか。

この根本的な問いを、私たちは高所から論評するのではなくて、自分たちの人生にひきつけて考え、そこから出てきた知恵を共有したいと思います。実体験の伴った言葉にこそ力があると感じるからです。

出自も、経歴も、性別も、世代も異なる多様なメンバーで世代間の平和を語り合います。ぜひこの集いに皆さんもお誘いいたします。

 

と き:2022年3月23日(水)13:30-17:00

事前登録制のオンライン・ミーティングです。

このミーティングに事前登録する:

https://zoom.us/meeting/register/tJ0udO6qrzouGt0TqSwe3cDDV7EQNrtHd8VW

登録後、ミーティング参加に関する情報の確認メールが届きます。

 

お問い合わせ:oda88hiroshi@gmail.com(小田)

 

進 行

当日は前半と後半にわけて、前半で8人の話題提供者が世代間平和をテーマにお話(学会発表のように堅苦しいものではありません)をします。後半では参加者の皆さんにも場を開いて自由に語り合いたいと思っています。

 

お話と話題提供者(五十音順)

世界のあわい 安積宇宙

緻密に助け合う命の有り様を、人間社会に創出するために  安積遊歩

この身体に沁み込むは現代文明の罪か恵みか  石原明子

いのちに立ち還ること 小田博志

明るい未来へ 川上 恵

あの背中への問いかけを 長島美紀

多元的自己を生きること 朴仁哲

愛を否定すること 若松侑里花


お話の内容の詳しい紹介

世界のあわい 安積宇宙

同じ障害を持つ力強い母と、母よりずいぶん年下のスピリチュアルで優しい父の間に生まれ、両親のたくさんの同居人、介助者、友人たちに囲まれて育った。小さな頃は、母の怒りがただ怖く、理解ができないことの方が多かったけど、歳を重ねて、この世界の抑圧と差別を自分の身を通して感じて見えるようになった。原発事故後、母娘でニュージーランドに避難し、障害者の権利の向上に向けてエビデンスを作る研究に携わる。今の世界のあり方は、地球にも、人にも持続可能ではなく、色々不可能に感じる中、それでも、前の世代からバトンを受け継ぐというのはどういうことか、日々模索中。

 

緻密に助け合う命の有り様を、人間社会に創出するために  安積遊歩

私は東北の福島県福島市に生まれた。幼児期に近くを流れていた川は上流になんらかの汚染があったということで、魚が全くいない川だった。

私の兄と妹の出産は、お産婆さんに取り上げられての誕生だったという。しかし私だけは、出生前診断がない頃であったにも関わらず、生まれた時から、白い壁と冷たい医療の眼差しに囲まれていた。

母方の小作農であった祖父母の家族親戚からは、私は脆い骨を持って生まれたと言うことで大事にされた。しかし、高度経済成長を爆進し、戦争責任に目をつむった日本の政治。そこに乗って、東京でビルの経営者ともなっていった父方の親戚たちからは、疎ましさと憐れみを向けられた。

地域間格差や経済格差、そして身体の違いなどによるあまりの生きにくさを超えるためにピアカウンセリングや障がい者運動に邁進した日々。

そんな中、同じ体の特徴をもった娘を「少しでも世界を変えたい」と確信的に生んだ1996年、優生保護法が改訂された。

今私は自分の体を使って若い人たちを介助の仕事に招き、繋がりをつくりその中に平和を築こうとし続けている。

世代を超えて助け合うことは可能なのか、親子間での所有を超えた同志的関係性はあり得るのか。さまざまな声が発せられ聴き合える場となることを楽しみにしている。

 

この身体に沁み込むは現代文明の罪か恵みか  石原明子

東京出身、現在は熊本県水俣と宮城県北(石巻・登米)の二拠点生活をしながら、水俣病公害や原発事故による分断を経験するコミュニティで、紛争解決学(特に修復的正義)の視点から研究と実践をしています。水俣も宮城も福島も東京に比べると、いのちが生々しく芽吹く美しい地方都市(田舎)。そこで日本の “地方の生活”を満喫しながら、シングルマザーとして子育てをし、そこに住む方々の深い慈愛と魂と知恵に触れて支えられながらも、わが身に身に着いた「都会」のリズム・癖からは逃れられず、この身体に沁み込むものが水俣病公害も原発事故も起こしてきたのだというわが身に沁み込む「罪」を思いつつ、われわれの命の行き着く先を祈りながら考え生きる日々です。

 

いのちに立ち還ること 小田博志

四国の香川県牟礼の農漁村で生まれ育ちました。家は波の音が聞こえるほど海の近くでした。ドイツに渡って歴史和解について調べる中で、「聞く耳」をもつことが平和な関係の基礎となることを学びました。そのときに、コンパッション(長崎の被爆者・下平作江さんのいう「人の痛みがわかる心」)が重要になります。アイヌ民族をはじめとする先住民族からは、あらゆるものが生きていることを学びました。いのちに立ち還ることが世代間平和の根本だと考えています。

 

明るい未来へ 川上 恵

私はアイヌ。

十勝にルーツを持ち、幼少の頃からアイヌ文化、儀式、アイヌ語、歌や踊りに触れて育ちました。

が、本来は、母語であってもいいはずのアイヌ語は、母の代から継承されずにきました。

いま、私がアイヌとして活動することで、やり切れなかった、悔しい思いをした、先祖の供養につながればいいと思っています。

『これほど時代はかわってきたよ。大丈夫だよ。伝承してきてくれてありがとう』と感謝しながら。

そして、我が子に、胸をはってアイヌ文化を伝えていきたいと思います。 その後、私も凛とした祖母のようになることが夢です。

その未来のために、みんなで、どんな人も、過ごしやすい、生きやすい、差別のない、平和な時代を一緒に作っていきましょう!

 

あの背中への問いかけを 長島美紀

私が女性性器損傷(FGM、日本では女性性器切除と訳されることが大半です)に出会ったのが高校生の時。雑誌でみたケニアの少女は、FGM受けたあとの自分の性器をカメラを背に向けて覗き込んでいました。 あれから10年、私が博士課程で取りあげたとき、現地でたくさんの想定外の言葉を聞きました。「この国の伝統だから」「娘には受けさせたい」「私が選んだの」。この言葉を私たちはどう理解するのでしょうか。 「辞めさせるには数世代かかると、述べた現地支援団体への反応も見ました。私たちはFGMを様々な角度で見る必要がある。悩みながらの博士論文執筆でした。 あの時を思い出し、改めて、私たちはFGMをどうとらえるのか、考えたいと思います。

 

多元的自己を生きること 朴仁哲

私は中国東北部黒竜江省の哈爾濱(ハルビン)市に生まれ育ち、1997年に来日しました。私の家系(父方と母方の祖父母)は、1930年代に朝鮮半島から中国へ移住した中国籍の朝鮮族です。また、私は日本人女性と国際結婚をしており、息子2人も日本国籍です。そのようなバックグラウンドもあり、私は移民研究や人の移動研究など、「越境」に関する研究に取り組んできました。また、国境という国家の枠を越えた国際交流への取り組みにも実践的にかかわってきました。約20年間の研究実践活動を経て、2020年に「オフィス悠&多文化共生・国際交流研究事務所」を開設し、理論と実践を踏まえた多文化共生と国際交流に関する研究を本格的にスタートしました。次世代が、真に平和の時代に生きてほしい、という願いを込めて、事務所の名称には長男の名前(悠祥)の一字を取り入れています。

 

愛を否定すること 若松侑里花

私の生まれ育ったのは滋賀県彦根市、存在そのものが平和をつくっていると思うあのAKOちゃんと同郷です。田んぼで畑で林で川で、あらゆるいのちに感動し続けて育ちました。

昨年末、4年弱いた北海道を離れてその実家に帰ることに突然決めた。それは私にとって文字通り身を裂くような決断だった。

思った以上に苦しいこの2ヶ月弱だった。でも、何度も押しつぶされそうになりながらも私は自分の可能性を諦めることはなく、私を含めたどんないのちもそのまんまで生きようとできる世界をつくりたいという強い思いだけが残った。

それにはまず、自ら進んで入り込んでいるようにさえ感じるこの親から抑圧された状況から、抜け出さなければならないと思った。

いちばん近づくのが怖い父という存在に、それでも近づこうとし続けたのは、心のどこかで大好きな親にわかってもらいたい、そのままの私を受け入れてほしいという気持ちがあったからだと思う。でも、とても悲しいけど、私が本当に望む世界を実現するためには、いったんその気持ちは捨てないといけないことに気づいた。

どんないのちにも本当にやさしくいられるよう、親の愛を跳ね返せるようになりたい。そして、まず自分が自由であることで、様々に抑圧を受ける仲間たちが力を取り戻すことを応援したい。


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