思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

人生を見つめる審美眼

2019年02月26日 | 思考探究

テレビ東京の番組に「開運!なんでも鑑定団」という骨とう品を扱う番組があります。長野県は放送が1ヶ月遅れで放映され、先週正月3日の番組がありました。

 “開運!なんでも鑑定団」のお正月スペシャル!”ということで「今回は「目利き選手権」と銘打ち、芸能界の「目利き」を集めて、クイズ形式の内容でした。ゲストは、美川憲一、片岡鶴太郎、前田日明、山口恵以子、小島瑠璃子の5名でそこへ司会の今田耕司が加わり6名でその真贋を競うというものでした。

『真贋』を小林秀雄先生は書かれていますが、骨董の世界ではニセ物とは言わず、二番手、ちと若い、ショボたれているというのだそうですが、本物か否か小林先生ならば真贋を見分ける目は確かのように思えますが、実際はそうではないようで、鑑定してもらうと「いけません」が多く、「以後これに懲りて他人に鑑定を依頼したことはない。」ということでした。

 「自分の審美眼を信じて書画、骨董のいくつか手許に集まったが、真贋の程は当然の事ながら定かでない。」ということで、番組も6人の「審美眼」がよく表れていたように思います。

 中でも一番面白かったのはタレントの小島瑠璃子さんで骨董については全くの素人、それでも勘を頼りにかなり良い正解率でした。いま勘と書きましたがいわゆる第六感のことです。問題の中に「J・フォートリエのデッサン」の本物はどれか、というのがあり、その時の彼女の審美眼の言葉が印象に残りました。描き方等の特徴をあれこれゆうのではなく、自分には本物を見極める能力がないので「描かれている紙が作者のアトリエに合う」と答えていました。

参加者の中には俳優の傍ら絵を描き書道をたしなむ方、実際に骨董商になろうと勉強している人、当然司会の今田さんは長年番組を担当し骨董に対する知識は豊富、小説家の方もそれなりに芸術に対する審美眼があるようでした。

その中で小島さんの特異に感じられたのです。

「描かれている紙」は確かに日本画の和紙のようにその時代に作られてものでなければ明らかにニセモノ、しかし彼女には紙質の時代評価の知識はないはず。他の作品の紙と比較してのまさに直感なのでしょう。

 判別のための思考視点を紙の比較に置くところは私の発想にはありませんでした。それは雰囲気というほとんど感にたよるもの。その結果は大正解でした。

知識に頼り、審美眼を信頼し判定を下す。結果誤りを招く人もいる。長年の知識から誘発された直感かもしれませんが、錯覚というものを招くものは何なのでしょう。

芸術的センスで何者かが描いたもの。

そのセンスがわからない場合はどうしたらいいか。

最も近いところに少しばかりの勘が働く。

実におもしろいと思うのです。武田鉄矢さんが紹介していたふろむだ著『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』(ダイアモンド社)、これによれば人間は錯覚するように作られているようです。

 見た目が美しい男女(ひと)は、性格も頭もよさそうに見えるもの。そうでないと思ったところでそれなりに接し方が違ってくるものです。

 勘違いとは勘の錯覚でもあるわけです。

柔和な指導者はすべてが品のある行いに見えてくる、しかし実際は極端に偏向的であったりすることもあります。

人生を見つめる審美眼、その人固有の能力、それを育てるものも社会からの影響もあるかもしれませんが、おのずから、みずから作り出して成る、のでしょう。


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