イタリア・ルネサンス期の哲学者であるジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラ(1463年2月24日~1494年11月17日)について書きたいと思います。なお以下の文章においてはピコと表記します。
ピコについてなぜ書きたくなったのかという経緯については昨朝のブログにも書きましたが、最近(8月20日付)出版された哲学のハウツー本『眠れないほどおもしろい哲学の本』(富増章成著 王様文庫)にハウツー本には珍しくピコのことが書かれていたからです。同書の哲学史の流れ宗教改革のルターやカルヴァンの前に位置する人物と示されています。
解説書においては2章「中世哲学」-「神さまとは何か!?」をとことん追求!の「私に生まれてきてよかった!」-中世哲学の幕を下ろした“ルネサンス”
に、
人間は「自分の運命」を自分でつくっていける!
という見出しでピコが紹介されています。
たとえば、ルネサンスを代表する哲学者ジョヴアンニ・ピコ・デラ・ミランドラは『人間の尊厳について』において、神は人間にはいかなる束縛もせず、自らの「自由意志」によって望むものになれるという可能性を与えた、という考え方を著しています。
「アダムよ、われわれ(※ここでは、神様のこと)は、おまえに定まった席も、固有な相貌も、特有な贈り物も与えなかったが、それは・・・・・おまえの望み通りにおまえの考えにしたがって、おまえがそれを手に入れ所有するためである」(『人間の尊厳について』)
中世のキリスト教においては、人間の自由意志は悪に向かうものでした。自由意志などを持っているから罪が生まれると説かれていました。
ところが、ルネサンスでは、「自由意志があるからこそ、人間は何にでもなれる」言い換えれば、自分の運命をつくっていくことができるという、能動的に人生を楽しもうとする考え方が生まれてきたのです。
そして、その自由意志を人間に与えたのが、他ならぬ神なのだというわけですね。
古代ギリシアでは、人間の身体を小字宙(ミクロコスモス)に見立てて、大宇宙(いわゆる宇宙、マクロコスモス)に対応しているとする考え方(照応理論)がありましたが、ルネサンスで、これが流行します。
知者の精神は宇宙のように広大であり、知者は小さな宇宙であるとともに大きな宇宙であるというのです。
先ほどのピコは、このミクロコスモスの思想をさらに進めて、自由意志が果たす積極的なカを強調したのです。
<同書p102~p104>
という解説とともに、
ジョヴアンニ・ピコ・デラ・ミランドラ(1463~1494)
イタリヤ・ルネサンス期の哲学者。人間は小宇宙であり、その中にはこの世界のあらゆるものが含まれていると考えた。人間の自由意志を強調した。主著『人間の尊厳について』。神秘主義をとなえており、ユダヤの秘密の教え「カバラ」を極めたと言われている。
「おまえは墜落して下等な被造物である禽獣(きんじゅう)となることもできる。おまえは自分の意志で決定して、・・・・・神の園に再生することもできるのだ」
という解説が補足的に書かれています。上記の内容はウィキペディア(Wikipedia)の内容に沿うものですが、ウィキペディアに説明がある、
<ローマ教皇インノケンティウス8世から異端の疑いをかけられ、討論会は中止。ピーコも逃亡後、捕えられてしまうが、メディチ家のロレンツォ・デ・メディチの努力により釈放され、フィレンツェに戻る。>
という異端者との疑いをかけられた旨の記載がありません。異端者の疑いをかけられれば、それなりの処分がありそうですがその形跡もなくピコが32歳の時突然高熱が彼を襲い3日後に死亡したようです。
ここでトマス・モアという人を登場させたいと思います。トマス・モアとはあの『ユートピア』で知られたイギリスの敬虔なカトリック信徒の法律家です。彼はこよなくピコの思想を愛した人で『ピコ伝』を書い他とされている人物です。モアの『ピコ伝』と言われていますが実はオリジナルの伝記ではなく、ピコの甥ジョヴァンニ・フランチェスコ・ピコによるピコの作品集の序文として書かれたラテン語版の伝記で、ピコの3通の書簡、ピコの詩編第15編の解釈、ピコの格言、そしてピコの祈りの翻訳から構成されているものです。
トマスモアは、ヘンリー8世の側近トマス・クロムウェルが主導した1534年の国王至上法(国王をイングランド国教会の長とする)にカトリック信徒の立場から反対したことにより査問委員会にかけられ、反逆罪とされて同年ロンドン塔に幽閉、1535年7月6日に斬首刑に処されましたが(ウィキペディア)、存命中の1510年に出版され『ピコ伝』は入念に仕上げられたモアの思想を忠実に伝える作品であるということです。(参考『宗教改革著作集13カトリック改革』)
ピコは貴族の家柄で少年期から母親の監督下で教師に勉学(人文系)に取り組む少年で、14歳になる前にはその時代の最高の弁論家と詩人のひとりに数えられたほどの早熟な少年で、14歳の時には母親の言葉に従って教会法の研究をするようになり、ピコは少年でありながら、すべての教会法令を要約、編集し、できるかぎり簡潔に大著をまとめ、一冊の書物に作り上げるほどの才能豊かな少年でした。
その後ピコは自然の秘密を探究したいという熱意にもえて、教会法を離れ、神と人に関わる思索と哲学に没頭し、アリストテレス哲学、ヘブライおよびアラブの宗教を学び各地を旅した後フィランツェにおちつき、哲学者としても完成の域に達したようです。こういう聡明な人物には必ずうらやむ心無い者がいるもので、でっち上げの告発を受け異端の疑いをかけられ、著作内には未熟な思想もあったことから結局、学識のある人々の秘密に伝えられる方がふさわしいものが多いとされ、その書物は読むことを禁じられてしまいます。
上記の「おまえは墜落して下等な被造物である禽獣となることもできる。おまえは自分の意志で決定して、・・・・・神の園に再生することもできるのだ」は如何なる意味を有しているのでしょうか。ピコが「人間の自由意志を強調した」ということです現代的な自由意志と重なるものなのか、ということです。
この『ピコ伝』に掲載されている三通の書簡の中の甥ジョヴァンニ・フランチェスコ・ピコにあてた書簡があります。甥のフランチェスコは何か神聖な目的を企て、多くの障害に出会って行き詰まりの状態にあったようです。そうした状況の中で辛酸を嘗めてきたピコに心を打ち明け、助言を求めたようです。
<『宗教改革著作集13カトリック改革』『ピコ伝』から>
・・・・・不幸なできごとについて聖なる使徒、聖ヤコブが、あなたがたは喜ぶべき理由をもつと言って、次のように書いていることを想い起こして下さい。「わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試練に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい」(ヤコ一・二)。そして、これは理由のないことではありません。というのは勝利の望みのないところで、いったいどんな栄光への期待があるのでしょうか。また戦いのないところで、どんな勝利の機会があるのでしょうか。戦い、つまりその中ではだれひとりとして自らの意志に反して打ち負かされることもなく、また勝利を得ようとする意志以外のいかなる力をも必要としない戦いへと奮い立たされた者は天上の王冠と勝利へと召されるのです。キリストを信ずる者は大そう幸福です。なぜなら、勝利はかれの自由な意志の中にあり、またその勝利の報いはわたしたちが期待し、望みうるものよりはるかに大きいだろうからです。・・・・・・略
確かに、もしこの世の幸福がなにもせずに、また容易にわたしたちの手に入るならば、骨折りを避ける者は神よりも、この世に仕えることを選ぶかもしれません。しかし、もしわたしたちが神への道においてと同じように、罪への道においても苦労する、いや罪への道においてずっと苦労するのであるならば(このことについて永遠の罰に定められた人々は「われらは無法と滅びの道に難渋した」と叫んでいます)、わたしたちが一生懸命努力して苦痛へ達するよりも、報いに達するよう努めないとしたら、それはきわめて愚かなことといわなければなりません。
人が良心を悩ますものをひとつももつことなく、また内密の罪に脅かされることのないとき、心がどれほど平和で、幸福であるかはここでは省くことにしましょう。この喜びは疑いもなく、この人生の中で手にされ、あるいは望まれるどんな喜びよりもはるかにまさっています。求めるほどにわれらを疲れさせ、いったん手にすればわれらを見ることができなくし、そしてなくしてしまえばわれらを苦しめるようなこの世の喜びの中で、いったいなにか望まれるべきものがあるでしょうか。
若き友よ、よこしまな人々の心が絶えることのない心配と苦悩で乱されないかどうか考えてみて下さい。欺きも欺かれもしない神のみ言葉は次のように言っています。「悪しき者の心は静まることのできない荒い海のようだ」(イザ五七・二〇)。その者には確かで平穏なものはなにひとつなく、あらゆる事がらが恐怖と悲痛にみち、致命的なのです。
こうしたことが事実なら、わたしたちはこのような人々を羨むでしょうか。われら自身の国、天国、そしてわれらの天上の父を忘れてかれらに従うでしょうか。わたしたちは自由に生まれているのに、わざわざかれらの僕となり、かれらとともにみじめに生き、もっとみじめな死に方をし、そしてついにはもっとも悲惨な姿で永遠の業火の中で罰せられることを望むでしょうか。
人間の心はなんと暗愚なのでしょうか。光を見ることのできない心よ。人々が言うように、こうしたことすべてが真実にもまさる真実であることを光よりもはっきりと見ない者があるでしょうか。しかし、わたしたちはなされるべきであると知っていることをしないのです。わたしたちは泥土から足を引き抜こうと空しい努力を重ねますが、結局はなおその中にはまりこんだままなのです。
若き友よ、(このあなたが慣れ親しんでいるこれらの場所では)あなたが善良で有徳な生き方を目指すことをしりごみさせ、(もしあなたが気づかねば)あなたをまっ逆さまに奈落へつき落とす数え切れない邪魔物がいつでもあなたの近くにあることを疑ってはいけません。しかし、これらの中でももっとも致命的な害毒は次のことです。
すなわち、自らの生活を罪への誘惑に無防備にさらすだけではなく、なおその上に徳を攻撃する者たちと日夜交わり、そしてその者たちの首領、悪魔の下で、また死の旗印の下で地獄から報酬をもらって、天上やわれらが主、神であり救い主であるキリストに弓引くことであります。・・・・・略
<以上同書p229~p232>
善良で有徳な信仰であるものが、その自由な意志を曲げてまでも批判者の従僕になるなと言っているのであって、その自由意志は信仰の厚さの中にあるようです。反哲学以前の話ですから神はしっかりと生きていた時代です。しかも両者とも熱心な信仰者であるがゆえに嫉妬され迫害の目に遭っているわけです。
この世の中の喜びというものは求めれば求めるほどに疲れさせ、一旦手に入れれば失われ見えなくなり、なくせば苦しむ、よこしまな人々はこのように心のうちにあるというわけです。
確たる信仰のうちにあるから自由なのである、と言っているように見えます。何かカントの定言命法における人間版というよりも神版のような考え方です。神の定めし行動基準が本人の行動基準そのものであればこれほどの絶対自由はないわけです。
この書簡からそこまで勝手に解釈してはいけないでしょうけれども、そう考えた方が好いように思えるのです。ピコという人は貴族身分を売却し、財産を恵まれない人びとに分け与え32歳の若さで死んだ清貧な信仰者であったのは事実のようです。
迫害や異端視されているという意識があるとするならば、まだ絶対自由の意志にないということになるのかも知れません。