万葉集793は大伴旅人の
余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊与余麻須万須 加奈之可利家理
世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり
(よのなかは むなしきものと しるときし いよよますます かなしかりけり)
という歌で教科書にも掲載される有名なものです。
現代語に訳せば
現世を実に空しいものだと悟った今だからこそなのか いよいよまことにつらく
悲しみが込み上げてくることだ 。
となります。「余能奈可波」は「世の中」で別の言葉にすると
浮き世 俗世間 娑婆(しゃば) 現世 生きて暮らしていく場。
と表すことができます。
次に詠み人はわかりませんが古今和歌集に、
世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる
あるサイト現代語訳は、
この世の中では、一体何がつねに同じ状態であるのだろうか、いやない。(例えば)飛鳥川において、昨日は淵であったところが、今日は瀬にかわっているように。
とあり、「世の中はつねに動いていて、同じ状態が続くことはないのだという無常感を表現した歌です。 」と書かれていました。
万葉集と古今集の唄の共通する部分に「よのなか(世の中)」があります。この世でもあり、現に今生きている(現生)ばで、上記の通り様々な言葉で表現することができ、日本語を使う方は共有概念を持ち「何それ」などという問いを持つことはありません。しからば共通概念として抱くものは何か。
古語辞典にその答えが列せられます。学研の完訳用例古語辞典には、
よ・の・なか【世の中】名詞
①人の一生
②現世。この世。
③(天皇の)治世。政治。
④世間。社会。世の中。
⑤世情。世間の情勢。世間の出来事。
⑥世評。世間の人気。
⑦身の上。境遇。
⑧男女の仲。夫婦の仲。
⑨周囲の状況。
⑩世間一般。世の常。
とあります。答えと書きましたが、問いに一様応(こた)えている、応(おう)じているだけで、抽象的表現の極みにみえます。意味するものはありませんが、表現することによって共有の場が開かれる、といったところでしょうか。
ひと昔前に「世間はあるのか?」という問いが流行った時がありました。世間体を気にして生きる日本人、心悩ます若者が多いことが原因しそのような問いが発せられたわけで、現代ではさほど世間体を気にする若者は少なくなっているように思います。
テレビを見れば、男性の化粧姿、髪の色、タトゥー・・・が公開され都会を歩けば数多くの(わたしから見れば)奇抜な若者を見かけることができます。
昨年NHKの番組でも取り上げられたドイツ哲学者マルクス・ガブリエルの「なぜ世界は存在しないのか」という著書、ご本人が来日しガブリエルが日常行動の中で垣間見た様子を語る著書もあり興味深く読むと実に奇抜で面白く興味をそそられます。
日本人は電車に乗るときには必ず決められた運賃支払い方法で改札口を通ります。ドイツでは事態は真逆で、切符を出す必要がなく日本人の目からすれば無賃乗車が横行しているように見えるようです。
しかしドイツではこれが普通の世間で定言命令が徹底されているというよりも肉的に刻まれた習慣だということです。すごい話だとびっくりしたわけですが、一般的常識などというものは、存在場所が異なれば、生きる世界が異なれば「ない」ということがわかります。
だからといって表現による「世界」「世間」「世の中」が「ない」とは言えないわけで、人間が思考によって作りだす共有場に置きたい産物に思えます。
世間を、世の中を想像できなければはみ出してしまう。しかしそれは(世間・世の中)は刻々と変容して場を作り上げて行きます。場に動じないことも大事ですし場に合うことも生きるすべですし、生きるということは想像化の現実化とでも(あくまでも虚構かもしれませんが)言ったところでしょうか。
「世界」という漢字、日本漢字能力検定協会版の「漢検 漢字辞典」を見ていると
「世界」の
「世」は、過去・現在・未来を
「界」は、東・西・南・北・上・下を
いうそうで、解説意味には、
①地球全体また、視野全体
②地球上のすべての地域
③人の世。世間。
④同類のものがつくる、一定の秩序の集まり。
⑤芸術家や芸術作品に感じられる特有の場や像。
とありました。
実におもしろく思考を働かすとさらなる世界が現れそうで。