3年ほど前に「びんぼう神 様さま」という絵本のことについて書いたことがあります。
小さな村の吉松、その妻おとよと息子うし松の家に住みついている貧乏神様の話です。
私はこの話が好きで、最後はめでたしめでたしなのですが、
「この村の家々にいるびんぼう神のせいで、決して有り余るほど豊作にはならんかった。」
ということで普通ならば承知のできないラストなのですが、この共同体の構成員である村人は満足なのです。
今日で東日本大震災から1年が経ちました。テレビでは多くの特集番組が放送され日本国民が心に刻む、分岐点にもなる出来事であると痛感しました。
みな努力して頑張っている。できるだけ早く落ち着いた生活ができるようになってほしいと思います。
ニュースを見ていたら「原発反対」「再稼働反対」のデモ隊の姿が放送されていました。
梅原猛先生が文明災だと叫んだ、その根源には原発というよりも制御不能に等しい放射線を放出する核分裂を利用とする発想にその根源的な問題があることを指摘していましたが(結果として原子力発電の終息を願う主張ですが)、そもそも先進国、後進国のレベルで人類の生活を査定する時代を収束させるべきではないかと私は思うのです。
裕福、貧乏というレベルもその査定になるのですが、あえて言います。貧乏でもいいではないか!
ということで今夜は、この絵本「びんぼう神 様さま」、びんぼう神様の話ではあるのですが「様さま」の話の最後の部分を紹介します。全文知りたい人は図書館へ行きましょう。
<引用『びんぼう神 様さま』(画・文 高草洋子 地湧社)から>
・・・・前略・・・・おとよが、声を振りしぼるように叫び続けた時、うし松の魂は、ほとんどその体から出きってしまおうとしておった。死神がうし松 たましいの魂の手を引こうとしたその時、あたりがパーツと明るくなつた。それはお薬師さんじやった。
『死神よ、今、闘魔大王とも話をつけてきた。もう、その子は連れていかんでいい。今までこの柑であったことのすべてを大神さんは見ておられた。びんぼう神よ、大神さんがお前さんのことを褒めておられたぞ。死神も、疫病神も、役目は終わった。もう、この家を去るがよい。』
そう言ってお薬師さんは、またパーツと輝いて消えていった。死神と疫病神が松吉の家を出たとたん、土気色(つちけいろ)をしておったうし松の顔に、うっすらと血の気がさしてきた。そして、ゆっくりと目を開けると、
「おっかあ・・・・、おっとう・・・・。」
と呼んだではないか!
「うし松!」
と、大声で抱き合う親子に、村の衆が「オォーツ」と喜びの声をあげた。びんぼう神はただ、ただ、嬉し涙をポロポロ流して泣いた。松吉夫婦は、何度も何度も村の衆に礼を言った。すると、弥助が、
「松吉どん、礼を言うなら、びんぼう神に言うがええ。びんぼう神が夢でみんなに知らしてくれたんじゃ。お薬師さんが願いを聞いてて下すったのも、みんなで心を合わせて、お前さん達を助けてくれっちゅうて、びんぼう神が言うたからじゃ。ほんに、びんぼう神様じゃ!」
それから半年後、松吉が分けた福の神の種もみは、本当であればもっともっとすさまじい飢饉になっておったこの村を救ったのじゃった。じゃが、この村の家々にいるびんぼう神のせいで、決して有り余るほど豊作にはならんかった。みんなが、つつましく、ほそぼそと暮らせるほどの実りだけじゃった。それでも、もう、この村には不足を言うもんは一人もおらんかった。そのうえ、いつしか村のどこの家でも、みすぼらしい神棚にびんぼう神を祭るようになったそうな。
<以上最後の4ページから>
この文章、
・・・この村の家々にいるびんぼう神のせいで、決して有り余るほど豊作にはならんかった。みんなが、つつましく、ほそぼそと暮らせるほどの実りだけじゃった。それでも、もう、この村には不足を言うもんは一人もおらんかった。・・・
原発を使う必要のない社会環境、それは「核分裂を利用とする発想にその根源的な問題がある」「裕福になるためにを理由に作ってはならないものは作らない」「低燃費の高級車を作るな」「そんなに急いでどこへ行く」「実績主義は止めよう」・・・こういう反対運動はできないものでしょうか。
震災関連の番組でアメリカ海兵隊の話がありました。「トモダチ作戦」感動しました。
このように書くと・・・視点が異なる人はそうは見えないのが悲しい。
いいところもあれば、そうみんな人間ではないか。
「行為とは、定義からして、私が持つものから私が目指すものへの、私がそれであるものから私がそれであることを志向するものへの、暴力的な移行である」(メルロ=ポンティ)
これは本当に深い言葉です。