思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

「グスコーブドリの伝記」と「オメラスから歩み去る人々」

2012年06月23日 | 思考探究

[思考] ブログ村キーワード

 数日前に宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」の作品について書きました。イーハトーヴの人々の生活を守るために身を投じたグスコーブドリ。近くにあるカルボナード火山島が大爆発の危険性が高く、大爆発を起せは地球規模の災害になる恐れもある。これを防ぐためにはこの火山のガス抜きをすることが一番良い方法ということになりました。

 そのためには火山に爆薬を仕掛け横穴をあけガスを抜く作業をしなければなりませんが、最終的に点火のスイッチは火山島でやらなければならず、従事者は身を犠牲にしなければなりません。

 多数が生きるために一人が犠牲になる。

老技師がその役を買って出ます。この物語の終わりは次のように書かれています。

<青空文庫から>

「先生、あれを今すぐ噴かせられないでしょうか。」※ブドリ
 「それはできるだろう。けれども、その仕事に行ったもののうち、最後の一人はどうしても逃げられないのでね。」
 「先生、私にそれをやらしてください。どうか先生からペンネン先生へお許しの出るようおことばをください。」
 「それはいけない。きみはまだ若いし、いまのきみの仕事にかわれるものはそうはない。」
 「私のようなものは、これからたくさんできます。私よりもっともっとなんでもできる人が、私よりもっと立派にもっと美しく、仕事をしたり笑ったりして行くのですから。」
 「その相談は僕はいかん。ペンネン技師に話したまえ。」
  ブドリは帰って来て、ペンネン技師に相談しました。技師はうなずきました。
 「それはいい。けれども僕がやろう。僕はことしもう六十三なのだ。ここで死ぬなら全く本望というものだ。」
 「先生、けれどもこの仕事はまだあんまり不確かです。一ぺんうまく爆発してもまもなくガスが雨にとられてしまうかもしれませんし、また何もかも思ったとおりいかないかもしれません。先生が今度おいでになってしまっては、あとなんともくふうがつかなくなると存じます。」
  老技師はだまって首をたれてしまいました。
  それから三日の後、火山局の船が、カルボナード島へ急いで行きました。そこへいくつものやぐらは建ち、電線は連結されました。
  すっかりしたくができると、ブドリはみんなを船で帰してしまって、じぶんは一人島に残りました。
  そしてその次の日、イーハトーヴの人たちは、青ぞらが緑いろに濁り、日や月が銅(あかがね)いろになったのを見ました。
  けれどもそれから三四日たちますと、気候はぐんぐん暖かくなってきて、その秋はほぼ普通の作柄になりました。そしてちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪(たきぎ)で楽しく暮らすことができたのでした。
 
<以上>

 ここにはブドリが死んだとも犠牲になったとも書いてありません。ブドリの妹夫婦を含むイーハトーヴの人々の生活が守られたことが書かれているだけです。

この話を公共哲学からいうと最大幸福原理の功利主義に関係する話しだとすることができると思います。数日前のブログでは「オメラス」という言葉を書きました。公共哲学と言うとハーバード大学白熱教室のサンデル教授の講義ですが、番組内の話ではなくベストセラーになった『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)に紹介されている「功利主義の最も目につく弱みは個人の権利を尊重しないことだ。」の事例話の中に出てくる言葉というよりも町の名前で「イーハトーヴ」のようなものです。

<幸福な町>

・・・・・・アーシュラ・K・ル=グィンのある短編小説を思い出させる。その物語(「オメラスから歩み去る人々」)はオメラスという町の話である。オメラスは幸福と祝祭の町、国王も奴隷も、広告も株式市場もないし、原子爆弾もないところだ。この町があまりに非現実的で読者が想像できなくてはいけないからと、作者のル=グィンはオメラスについてもう一つあることを教えてくれる。「オメラスの美しい公共施設のどれかの地下室に、あるいは、ことによると広々とした民家のどれかの地下食料庫かもしれないが、一つの部屋がある。鍵のかかったドアが一つあるだけで、窓はない」。この部屋に一人の子供が座っている。その子は知能が低く、栄養失調で、世話をする者もおらず、ずっと惨めな生活を送っている。

 その子がその部屋にいることを、オメラスの人びとはみんな知っていた……その子はそこにいなければならないことを、誰もが知っていた……自分たちの幸福、町の美しさ、親密な友人関係、子供たちの健康……さらに、豊かな収穫や穏やかな気候といったものまでが、その子のおぞましく悲惨な生活に全面的に依存していることを理解していた……もしその子が不潔な地下から太陽のもとに連れ出されたら、その子の体が清められ、十分な食事が与えられ、心身ともに癒されたら、それは実に善いことに違いない。だが、もし本当にそうなったら、その瞬間にオメラスの町の繁栄、美しさ、喜びはすべて色あせ、消えてなくなる。それが子供を救う条件なのだ。

 こうした条件は道徳的に受け入れられるだろうか。ベンサムの功利主義に対する第一の反論、つまり基本的人権に訴える反論によれば、それは受け入れられないfたとえ幸福の町の存続につながるとしても。罪のない子供の人権を侵害するのは、多数の幸福のためであろうと間違つているのだ。

<以上同書p55~p56>

 この「オメラスから歩み去る人々」は『風の十二方位』(ハヤカワ文庫)に掲載されている12頁ほどの短編のものです。作者のアーシュラ・K・ル=グィンは文頭にこの物語を書くにあたってのヒントをアメリカの哲学者ウィリアム・ジェームズ(William James, 1842年1月11日 - 1910年8月26日)の著書『道徳哲学者と道徳哲学』の次の言葉からと書いています。

<ジェームズ『道徳哲学者と道徳哲学』>

「それとも、もし、フーリエや、ベラミーや、モリスのユートピアをはるかに凌ぐような世界、幾百万もの人びとが、永久の幸福をたもちうる世界が、ただ一つの前提、この世界の遠いはずれにいるひとりの迷える魂が、孤独な苦しみの生涯を送らなくてはならないという、ただそれだけの条件でわれわれの前にさし出されたとしよう。そこでわれわれがただちに味わう、この特殊で自主的な感情は、いったいなんだろうか? さし出された幸福をつかみとりたい衝動が心の中に湧きおこりはするが、なおかつ、そうした契約の結果であるのを承知の上で幸福を受けとり、それを楽しむのが、いかにおぞましいことかとわれわれにさとらせるこの感情は?」

<以上>

 幸福な国が、「遠いはずれにいるひとりの迷える魂の、孤独な苦しみの生涯を送るひとりの人間の」犠牲によることにある時、それを承知でその幸福を享受することに、おぞましさを感じる精神、魂は何かと、問いかけながら、それが失われつつある現代社会を批判しているわけです。

しかしこの短編は、このオメラスの町(原文訳は都)がなぜそのような仕組みになったのかは語られていません。歴史が語られていないのです。人びとがどのような体験と経験を経て、このようなシステムの社会を是認することになったのか、は語られていないのです。

 この物語は次のように語られ終わります。

<「オメラスから歩み去る人々」>

・・・・・しかし、この涙と怒り、博愛心に課せられた試練と自己の無力さの認識が、たぶん彼らの輝かしい生活の真の源泉なのかもしれない。彼らは、自分たちもあの子のように自由でないことを、わきまえている。彼らは思いやりがある。あの子の存在と、その存在を彼らが知っていること、それが彼らの建築物の上品さを、彼らの音楽の激しさを、彼らの科学の琵琶を、可能にしたのだ。

あの子がいればこそ、彼らはどの子に対しても優しいのだ。彼らは知っている……暗闇の中を這いずりまわっているあの子がもしいなけれは、ほかの子ども、たとえはあの笛吹きが、夏の最初の朝、日ざしの中のレースに愛馬のくつわを並べた若い乗り手たちの前で、喜びにみちた曲を奏でることも、またありえなかっただろうことを。

 これで、あなたにも納得いただけたろうか? 彼らの存在が、さっきよりは信じやすいものになったのではなかろうか? しかし、話すことはまだもう一つ残っており、そして、これはまるで信じがたいことなのである。
 
 時によると、穴蔵の子どもを見にいった少年少女のうちのだれかが、泣いたり怒ったりして家に帰ってはこないことが、というより、まったく家に帰ってこないことがある。また、時には、もっと年をとった男女のだれかが、一日二日だまりこんだあげくに、ふいと家を出ることもある。

 こうした人たちは通りに出ると、ひとりきりで通りを歩きだす。彼らはそのまま歩きつづけ、美しい門をくぐって、オメラスの都の外に出る。オメラスの田野を横切って、彼らはなおも歩きつづける。少年と少女、おとなの男と女、だれもがひとり旅だ。夜のとばりが下りる。衆人たちは、黄色く灯のともる家々の窓に挟まれた村道を抜け、真暗な野原へと出ていかなくてはならない。

 それぞれに、ただひとりきりで、彼らは山々を目ざして、西か、または北へと進む。彼らは進みつづける。彼らはオメラスを後にし、暗闇の中へと歩みつづけ、そして二度と帰ってこない。彼らがおもむく土地は、私たちの大半にとって、幸福の都よりもなお想像にかたい土地だ。私にはそれを描写することさえできない。それが存在しないことさえありうる。しかし、彼らはみずからの行先を心得ているらしいのだ。彼ら……オメラスから歩み去る人びとは。

<以上>

 「人びとがどのような体験と経験を経て、このようなシステムの社会を是認することになったのか?」と書きましたが、宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」では主人公ブドリの歴史町の歴史、町に住む人々の生活の歴史が折り込まれ、そしてブドリ犠牲の姿は間接的なその後の町の様子などで知らされます。

 私は「功利主義」の問題を離れ、別な問題点を考えます。過程のない歴史認識で正義を語ることであり、さかのぼりを許されない現実の豊かさ語ることです。
 
 ブータンと言えば世界一幸福な国、現実の幸福感は誰もが知るところです。私は過去に二つのブータンを書きました。自分の意志ではありますが内容には恣意を含まないようにしました。

イチバン幸せな国ブータン
 http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/4b774b770cb2976ff8e032f5a59343ed

視点・論点「幸せの国ブータン もう一つの顔」・善き生き方とは
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/e5128ea075eaa09440053d9b3152d472

 「難民」という呼称ですが、理不尽な強制手段もあったようです。

「オメラスから歩み去る人々」がいるとすれば「欲望多き人々」「新しきを求める人々」「便利さを知ってしまった人々」・・・・になるでしょうか。

 さかのぼりの歴史には、体験、経験の過程が語られ忘れてはならない歴史認識が構築されます。

 このような軽率な選択をしない。選択する者、選択される者がともに主人公です。

 現実社会を直視するとき、主人公であった歴史があります。それをどうも忘却しているように思います。

 今何を判断しようとしているのか。今から未来がはじまります。

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