
江戸時代後期の読本作者、歌人、茶人、国学者、俳人でもある上田秋成(うえだ・あきなり、享保19年6月25日(1734年7月25日)~文化6年6月27日(1809年8月8日))を時々話題にしています。
最近は、
夢、飛翔、上田秋成そして意識の世界(2010年10月14日 | つれづれ記)
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/18c81d20f3508bbfe8b8a6a73b1af3ec
において、その著書『雨月物語』に見られる夢物語や霊験的な話に秋成の特別な思い入れを見てきました。
前回は「秋成の筆致の曖昧さは、飛翔の現実性に対する理性による否定と、押さえきれない飛翔への関心との間で揺れる心理をおのずから反映している。」ということに言及しましたが、今回は現実の肉体から異界における別のものへの移行における「本人の自覚」について、作品での表現を紹介し秋成の意図するところを考察してみたいと思います。
今朝取り上げる作品は、『雨月物語』巻二の「夢応(むをう)の鯉魚(りぎょ)」という話です。
延長の頃と言いますから醍醐天皇の御代西暦923年~931年頃の滋賀県大津市にある天台宗寺門派の総本山三井寺の興義(こうぎ)という僧侶の体験した不思議物語です。
作品全文をについての総評ではなく、上記の意識の移行について重点を置きますので、後半部分の話については言及しません。
興義は絵画が巧みで当代の名人と言われるほどの者でした。彼の画風はどのようなものかといいますと仏像とか山水とか、また花鳥の類かというとそういう画材には目もくれず魚だけを描くものです。
どのような魚の絵を描くのに次のようなことをするのです。興義は寺の勤行の合間を縫って、近くの琵琶湖に出かけ小舟を浮かべ漁民の仕事を眺め、漁夫が獲った魚があると買い求め、その魚を湖に放ってやります。
そして人生なるぬ漁生をあきらめた魚たちが、思いがけなくまたもとの水に戻されて喜々として泳ぎまわるその姿を興義は素早くスケッチし、躍動的な動きと細かなえらの動き、尾の動き、鱗一枚一枚にいたるまで細密画の極致のような絵を描いていました。
そんな日々の行いでしたが、人生というのは今日あって明日はわからないもので、ある年興義は病の床に臥し呻いていましたが、一週間目に、ハッと目をとじるとそれが最後でした。
弟子や友人が集まり興義の死を嘆き悲しんでいました。するとその中の一人が興義の胸のあたりがかすかに動いているのに気づき、埋葬しないで三日間様子を見ていました。するとぴくッと手足が動き、ふうーッと長い溜息が興義から流れカッと目を見開き長い眠りから目が覚めたように床の上に起き上がり生き返ったのです。
その後興義は、集まった人々に身の上に起こった不思議な話をします。その話の中に注目する部分がありますので、ここで『雨月物語(上)全訳注』(青木正次 講談社学術文庫)から引用したいと思います。
<引用・現代語訳p205~206>
「私はこのごろ病気に苦しみ、堪えがたさのあまり、自分の死んでいることもわからず、上気して熱い気分を少しでもさまそうと、杖にすがって門を出ると、もう病気のことも次第に忘れたようになり、籠にとらわれた鳥が天空に帰ったような気持になる。山だろうと里だろうとどんどん歩いていって、いつものように湖の畔に出る。そこで湖水の碧々(あおあお)したさまを見たとたんに、むしょうに水浴して遊びたくなり、その場に衣を脱ぎすてて、身を躍らせて深みに飛びこんで、あちらこちらに泳ぎまわるが、子供のころから水に泳ぎなれているわけでもないのに、思いのまま好きかってに遊びまわっていたのだった。今から思うとばかげた夢心地だった。
それでもなお、人間が水に浮んで遊ぶのは魚の自由さにはくらべものにならない。そこでまた、魚の遊泳をうらやむ気がむらむら起ってきた。すると、傍らに一匹の大魚がいて、『あなたの願いはたやすく実現できる。待っておいでなさい』と話しかけてきて、はるか底の深みに沈んでいったかと思うと、しばらくして、冠、装束に身を正した人が、さっきの大魚に跨(また)がって、大ぜいの魚たちを引きつれ浮かび上がってきて、私に向かって言うのだ。
『湖神の仰せです。老憎はかねてから放生の功績がたくさんある。そのあなたが今、水に入って魚になって泳ぎまわりたいと願っている。そこでしばらく金色の鯉の服を授けて水の国の自由を楽しませてやろう。ただ、餌の香ばしい匂いに酔わされて、釣糸にかかり身を失うことがけっしてないように』と言って去り、すぐ見えなくなった。
あまりの不思議な言葉にうながされて、わが身をふり返うてみると、いつのまにか金色の光を放つ鱗をもった一つの鯉魚に、私は化(か)しているのだ。しかもそれをおかしいとも思わず、尾を振り鰭を動かして思いのままに逍遙(しょうよう)する。
<引用終わり>
この文章の最後、の部分は、
>不思義のあまりにおのが身をかへり見れば、いつのまに鱗金光を備へてひとつの鯉魚と化しぬ。あやしとも思はで、尾を振鰭を動かして心のまゝに逍遙す。<
となっています。この文章の後半の意味についは、
あやしとも思はで:人間の自分が鯉(自然物)に融合しうるのかどうかという当然の疑いも抱かずに。
心のまゝに逍遙す:逍遙は気のむくままぶらつくこと。また自然にとけこんで天性のままに自適すること。
と説明されています。
人間の身体意識から魚の身体意識への移行します。その際意識は同一性を保つが身体は異なります。その点に不自然さを感じるべきものが「あやしとも思はで」と表現されています。訳注者の青木先生は考釈欄で次のように解説しています。
<考釈引用上記書p209~p210>
この語りはまた、自腹を切って魚を放ち、「其の魚の遊躍(あそぶ)」のを見て喜ぶだけでなく、さらに進んでその自由を「描く」ことによってみずから体験する、という興義の〔芸術〕、表現への個的意欲の展開を、内側から個的な世界への飛躍の体験として摘出したものでもある。
彼が鯉になる経過はそのまま、鯉を画く内的経過であり、彼はその中で鯉(対象)に一体化していくのである。
はじめ彼は魚のように水に遊ぼうとした、いわばそれは人のまま魚の遊泳の自由さをながめ、あこがれている段階であり、つぎに魚になろうとするならば、それは魚に一体化し、さらに魚の中に自分を融かし、自分をなくそうとするところにまで進む。
それは「画く」欲求が自然に進んでいってしまう過程である。その時点に、道徳的な仮面をかぶせられながらも、人と魚の絶対の違い、人が魚になろうとするときの自然条件が現われ、彼の前に立ちはだかることになる。だが興義はいまだそれを不可能な壁だとは感じえていない。
<引用終わり>
注釈者の青木先生は、興義の描きの心理を魚との一体感の視点でみています。即ち作品内の主人公をテーマにしています。この点について思うのですが、不思議さの視点は一体感ではなく、不自然さの境界が取り払われ、疑問の余地のない絶対性の感覚がある点に作者が特別な思い入れを持っているのではないかということです。
あくまでも物語としての画家僧侶を登場させているからといって、芸術論を語るためのものではないように思うのです。
作者秋成は、夢物語や怪奇、霊性の不思議を違和感のない現実に同化させようという人間的な本来の姿を語っているように思えるのです。
夢か現(うつつ)か幻(まぼろし)か・・・・。上田秋成については今後もこの点についてその作品から追求したいと思います。
私のこの問題については、ほとんど私の勝手な思い込みで探求しています。現実性に何んの役に立つのかと疑問を呈される方もおられますが、世の中には本当に現実離れの思い込みを現実と見定めて生きている人が多いのです。
浮世の世とはよく言ったものだと思います。見定めるということは心の切り返しをしっかり持つことです。
そのようなことも探求の根底にあるという事で理解されていただければ幸いです。
※今朝の写真引用は世界文化社の『雨月物語』から引用しました。
にほんブログ村 このブログは、にほんブログ村に参加しています。