その存在が予想されていたがまだヒッグス粒子が発見されていなかった2010年10月に、社会哲学者の大澤真幸さんが『量子と社会哲学』(講談社)から出版している。
「量子力学が、現代社会を理解し、未来社会を構想するための基本的な指針を与えるような、政治的・倫理的な含意を宿している」というのが大澤さんの主張でした。
その当時は、次元の異なる分野の融合的主張に違和感を感じる人があり、批判的な人が多かったのではないかと思いますし、その後大澤さんはキリスト教に関する書物で話題を呼び、この量子の世界は表舞台から消えた状態になっています。その当時わたしは、
「何もない」ところに「何か」がある[2012年02月08日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/05d0a9085355826d26a2539f16fa7ffa
というようなことを書いていました。
その後ヒッグス粒子が発見され、大きな話題を提供しましたが量子の世界は「政治的・倫理的な含意を宿している」などと語る人は無かったような気がします。
(NHKスペシャルの「神の数式」から)
このような話を書いて、土日のNHKスペシャルの「神の数式」が気になります。第1回「この世は何からできているのか~天才たちの100年の苦闘~」では、昨年(2012年)7月に話題になったヒッグス粒子が出てきます。
(NHKスペシャルの「神の数式」から)
「神の数式」は、
この世にもし創造主が居るとしたならばいったいどんな設計図に基づいて宇宙を創りあげたのか。物理学者はアインシュタイン以来物理学者たちは言わば「神の設計図」を発見しそれを数学のことば(数式)で書き表したいと努力してきた。
という言葉から始まります。そして今最も神の数式に近い方程式が語られます。その過程で登場するのがヒッグス粒子の存在、この素粒子が無ければ世界は存在しない。
「目に見えない世界だけれども見えるんだよ」
金子みすゞの世界を語るような話です。
「神の数式」の変遷のなかでその方程式で計算すると物質の質量はゼロになり世界は存在しなくなってしまう。しかし実際は物は存在します、なぜか。そこには知られざる素粒子がまだあるという計算上の結果があり、ヒッグス粒子の発見はその検証結果だったわけです。したがってヒッグス粒子を予測する数式が最も「神の方程式」近いということになります。
物理学と精神性の世界とは次元の異なる話、全くの愚論なのですが・・・そうとも一概には言えないのではないか、NHKスペシャル「神の数式」はそんな気持ちにさせてくれる番組でした。
第1回目は、「完璧な美しい数式を求める」という理論物理学者の苦難の道を語るもので、「完璧な美しさは現実世界においては崩れる運命にある」という理論によって説明されヒッグス粒子の発見につながります。100年に渡る「神の数式」を求める理論物理学者の姿が紹介されて最初に登場するのがディラック方程式でした。今朝はその障りの部分だけ書きたいと思います。
ヒッグス粒子を発見したセルン(CERN)『ヨーロッパ合同原子核研究機関』の裏庭に在る一枚の石碑、そこには今現在最も「神の数式」に近いという方程式が記載されています。(本当かどうかは知りません番組はそのように構成されていました)
(NHKスペシャルの「神の数式」から)
(NHKスペシャルの「神の数式」から)
まずその方程式の最初の部分、素粒子を説明する方程式から語られます。登場する物理学者は1920年代に活躍したイギリスケンブリッジ大学の天才物理学者ポール・ディラックで、かれはこの時代に知られていた原子核の周りで働く電子の性質を表わす方程式「シュレディンガー方程式」に着目し、この方程式では説明できない電子の動き「スピンし磁気の性質」を考えます。
(NHKスペシャルの「神の数式」から)
なぜ自然は自転する磁石のような不思議な性質を電子に与えたのか。
ディラックはこの性質を説明する新しい方程式を追求します。
ここですごいのはそれまでの物理における方程式は実験結果から導き出されるものでしたが、ディラックはそれとは真逆で美的感覚という思考の世界から入ります。まさに「完璧な美しい数式を求める」というものです。
物理法則は、数学的に美しくなければならない。(ディラックの座中の名)
物理学者ディラックが大切にしていた美しさの基準は、次の二つの対称性です。
(1)対称性
・回転対称性(円は回転対称性はあるが並進対称性はない)
NHKスペシャルの「神の数式」から)
・並進対称性(平行線の縞模様)
(NHKスペシャルの「神の数式」から)
XとYの座標軸で説明されているのですが、画像で見ないと言葉では素人なので説明できませんが、納得ものです。
円の場合は座標軸を平行に移動すると数式が変化するので「並進対称性はない」ということになります。
対称性とは、見る人の視点が変わっても元々の形や性質が変わらないということ。正方形は視点を90度変えてもまったく同じように見える。物理の数式も見ている人の視点が変わったとしても変化しない。それが美しいなのです。
(NHKスペシャルの「神の数式」から)
(2)ローレンツ対称性
アインシュタインの相対性理論と関係がありいわば時間と空間は本質的には同じものという意味。その上でもしも神が作った設計図があるとするならばこれは完璧な美しさ、つまりすべての対称性を持ったものに違いない、というものです。
(NHKスペシャルの「神の数式」から)
シュレジンガー方程式は左辺に時間があり右辺に空間の二乗があるため「時間と空間は本質的には同じもの」というローレンツ対称性はなく、視点が変わると数式は形が大きく崩れてしまう。
(NHKスペシャルの「神の数式」から)
見る視点が変わると数式は「神の数式」にふさわしくないということになり、ディラックはさらなる美しき方程式を思索する。
苦悩と絶望の末に立ち現れた方程式が「ディラック方程式」で時間と空間が一つずつローレンツ対称性の法則をも満たすシンプルな方程式でした。
その威力は驚くべきもので、電子の自転(スピン)や磁石(磁気能率)といった謎めいた性質を全て正確に説明することができてしまいました。
ディラック方程式は実に美しいもので、初めて見た時私は涙がこぼれました。多くの物理学者はこのディラック方程式を見ると涙を流します。電子の複雑で奇妙な性質が対称性のおかげで一つの数式にまとまっているのですから。
さらにその後見つかったニュートリノやクォークなど物質の最小単位である全ての素粒子性質がディラック方程式で説明できることが解りました。
全ての対称性をそなえることで素粒子の性質を完璧に説明する数式が解明された。
物理学者がめざす神の数式にふさわしい完璧な世界が初めて姿を現わした。
<フリーマン・ダイソン>
ディラック方程式は対称性の重要性を教えてくれました。これ以降多くの物理学者が「対称性」に真剣に目を向けることになった。
ということでセルンの裏庭の石碑の「神の数式」の最初の部分、ディラック方程式はこのように説明されていました。
(NHKスペシャルの「神の数式」から)
(NHKスペシャルの「神の数式」から・ヒッグス粒子の存在を示唆)
番組は1時間、日本人の物理学者の多大なる功績も語られすごいものです。
美しい数式は、美しい言葉に通じないものか。
数式から導き出されその存在が確定されたヒッグス粒子は質量を与え我々をこの世に存在させている。
しからば美しい言葉があり、更なる生まれ変わりが誰にも体験されて然りではないのでしょうか。
究極のことばというものは無いのだろうか。この言葉を言うとみんな親切なおとなしいネコのように成る。
なぜ人間は宇宙は存在するのか。充ち満ちていたZEROの世界が有限宇宙に変容し人は存在することになった。それは「神の数式」のうちです。
理論物理学に対しては全くの素人で、番組後ネットにはその筋の人が内容の正確性について語っていました。その次元での語りですので私には全く分かりませんが、解ろうとするとき、そこに人間の営みが重なるように思えるのです。自分だけの納得ではありますがそうだから仕方ありません。
また最初にもどりますが、大澤さんの「量子と社会哲学」は「神の数式」を語るものではありませんが、次元が異なる世界がなぜか同居している、相似的なところがあるそんな気がしてならないのです。
愚論の愚論で在るかもしれませんが、私にとっては衝撃的な「神の数式」でした。