
「ことば」というものに対してそのものが持つ働きを見た場合にコミュニケーションの手段としてあると語る場合もあれば、記号としての存在でそれ以上の意味を持つものではないと語られる時もあります。
コミュニケーションという視点で見るならば欠かすことのできない合理的な意思の疎通から、共同体内の折り合いのできる最も身近なものとも言えるのではないかと思います。
今回の東日本大震災は歴史的にみれば遺跡の発掘からも認められるように、長期的な眼で見ると必然的なものでもあれば、今に生きる人々にとっては偶然の出来事でもあります。
時代に生きる人々は、その時代ごとの経験を善きに生きる価値的なものとして伝承という姿に換え構成の人々に引き継いでいます。
そこにはその時代の人々の発想と精神、そして心があるということなのだと思います。。
昨日のNHK教育の「視点・論点」という番組は、そんな点を語る私にとって貴重な話でした。
語り手は、尚美学園大学教授 小池 保先生です。論題は「ことばと被災地のこれから」で、先生は、元NHK解説委員、専門は放送文化論・コミュニケーション論です。
とても印象深い、また考えさせられる内容でしたので、字幕スーパーではありませんが、内容をそのまま起しましたので紹介したいと思います。
【小池 保】
今回の大震災の被災地では、悲しみを抱えながらもこれからの生活と地域をどのようにしたら再建できるのか、真剣な言葉が交わされています。
そこで被災地の地域・コミュニティーのこれからについて、地域のことばの側面からとらえてみます。
先日、わたくし岩手県大船渡市の知人と電話で話をしました。その話の中に「津波てんでんこ」という三陸沿岸に言い伝えられてきた言葉が出てきました。
「てんでんこ」てんでんバラバラの「てんでんこ」、個々それぞれ別々にという意味で、
津波が来たら親も子も気づかうことなく、ひたすら己が命を大切に高台に逃げろ!
という意味です。
実際この言葉を基にした指導訓練を受けてきた釜石市内の小・中学生たちは、教員の指示を待つことなく自分の判断で高台に向かって走るなどして、当日小・中学校に登校していた2500人余り、全員が無事だったのです。
まあ、それにしても「津波てんでんこ」ことは、霊験までの重さを持ったことばです。
特に若い人には生きのびて欲しいのです。
両親から授かった命、しかもその両親それぞれ両親がいました。それぞれの両親にも両親がいて、さらにその前にも・・・。
このように辿(たど)って行きますと、まあ実におびただしい数の命と願いとが、自分という存在の中に流れ込み凝縮されています。
「津波てんでんこ」ということばは、このような願いを込めた三陸地域ならではのことばです。
また海や自然に対して恨みつらみを言葉にする人もいないということも、自然を丸ごと受容するという風土や歴史と切り離すことができない、発想、こころの表われです。
このように考えてきますと、地域のことばには長い歴史と風土によって育(はぐく)まれてきた行動様式というものが、他の地域にはない独特な発想・精神・心として深々と刷り込まれていると気づかされます。
今回の大震災を期に東京一極集中をさらに見直すべきである。あるいは地域主導の時代の到来を加速させるべきだと言われています。その来たるべき地域主導の時代にこそ、地域独特な発想・精神というものはその重要性を増してくるに違いありません。
東京一極集中が全国を均質化してきました。しかし地域主導の時代の一つのキーワードは多様性です。
独自な発信をすることができない地域は衰退して行くでしょう。全国の各地域からの多様な発信を可能にするもの、その文化的基礎となるものが、地域独特な発想・精神です。
この着眼の大切さを教えてくれる一つの例が関西です。大阪を中心とする関西地域は標準語に均質化されていった戦後の歴史に巻き込まれながらも、自分たちのことばを闊達に使ってきた地域です。
その結果、関西の言葉の中に息づいている発想が保たれて様々な発信を続けてくることができました。
堺屋太一さんは以前わたくしに「戦後生まれた新しい業種・業態のおよそ2/3近くは関西発だったのだ。」といいました。ビジネスホテル、スーパーマーケット、プレハブ住宅もそうです。消費者金融、さらに鉄道をひいてその沿線に住宅地や文化施設を配置して行くという沿線開発というビジネスモデルの発信も関西でした。
いずれも停滞を嫌い、新しいことに果敢に、常にチャレンジする関西人ならではの発想精神の力でした。
もっと身近な所では、複数のコインを一度に投入できる電車の券売機の開発も関西です。
大阪市大正区にあるバス停には、バスの現在位置を七つも前の停留所から確認できる電光掲示板が、そのバス停を通る路線すべてに渡って表示されております。
これら利用者にきめ細かく対応していこうとするサービス精神というものは、例えば「言いなさい」のような相手に命令形で話す場合によくみてとれます。
東京の言葉ですと、「言え」「言って」「言えよ」「言ってよ」と十種類近くの言い方があるにすぎません。これに対して関西の言葉では、「言え」「言い」「言(ゆう)て」などの基本形の他に「言わんか」「言わんかい」「言わんかいな」「ぬか」が付く形のものや、敬語の「なはれ」が付いた「言いなはれ」「言いならんか」「言いなはらんかいな」・・・数え上げていくと東京の3倍以上にものぼるのです。
相手の状況や気持ちに応じてピタリと、精妙に、対応しようとする関西の人たちの発想・精神がこれだけの言葉の準備をさせたわけです。
被災地のコミュニケーションの話に戻します。わたくしが電話で話した人が住んでいる大船渡の周辺地域では「稼かせ)ぐ」という言葉は、「働く」という意味で「儲ける」が第一義ではありません。
漁(りょう)などの仕事に出る仲間に、「稼がっせァ」という声をかけますが「しっかり働いてくださいね」という挨拶です。
勤勉な働き者同士です。共同体の仲間意識がこの「稼がっせァ」という言葉の中に気持ち良く響いています。
また敬意を表す表現も多彩です。ザックバランナ「稼ぎやがれ」という言葉もあります。
その他ご覧のとおり、仕事の仲間同士の関係性を大事にしながら細やかな気づかいを働かせる精神が、こうした多様な敬語の表現、敬意の表現になって表れています。
さらに仲間以外の他者に対しても親切であろうとする東北の人々の精神が、以前あるテレビ局の番組で伝えられていました。
駅までの道がわからないで、寒空の下(もと)、見るからに困っているという設定で、東京原宿駅の近にお年寄りの女性を立たせ観察をしました。するとほとんどの人が無視して通り過ぎて行ってしまうんですね。
次に盛岡駅の近くで、同じ設定でしましたところ、駅まで付き添ってくれる女性など、まあ親切に声をかけてくれる人々が次々と現れました。一人の若者は寒いだろうからと使い捨てカイロまで手渡してくれたんです。
今回の震災で様々な社会的システムが一時的にせよ崩壊しました。しかしだからこそ被災地では今真剣な地域のことばが交わされはじめています。
その地域のことばが抜き差しならないものであれあばるほど、その中に息づいている発想や精神は活力というものを見せてくれるでしょう。
また被災地のの自治体にとっても住民はもはや抽象的な住民ではありません。
等身大の固有名詞を持った存在と自治体は現場感覚、現実感覚あるいは責任感覚をともなったやり取りをする必要があります。
地域に独特な発想や精神が、その中に色濃くにじみ出てくるはずです。
このように考えてくると、私はルーマニア出身の思想家エミール・シオラン(199~1995)が残した「祖国は国語である」という言葉を思い出します。
祖国というものは、本質は、物理的な国土がなくなっても失われることはない。
では国土が無関係なら祖国というものは民族なのか、いや民族も混じり合っている。
必ずしも純粋ではないのだから民俗も国語とは直結しない。
シオランは、「祖国とは、自分の国語の中に生きているのだ。」と結論づけました。
私たちは、「お国はどちらですか?」という言い方をよくします。
お国とは祖国を国家のレベルから地域のレベルまで縮小してみた時の言葉です。
もし被災地の人々が、それぞれのお国ことばとその中に引き継がれている発想や精神を忘れることなく活性化していくのであれば、失われたかに見える地域、コミュニティーであったとしても、必ずや再興することができるでしょう。
祖国とはお国のことばなのですから・・・・・・。
【以上】
視点・論点は10分の番組で、論者の主張が凝縮されています。このような視点で「ことば」をみると、言葉のもつ意味・働き・思考の工夫・志向性などいろいろな角度から見ることができます。
個人的に「ことば」を考えている者としてとても参考になる話でした。
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